フィラデルフィア・イーグルス

アメリカンフットボールチーム

フィラデルフィア・イーグルス英語: Philadelphia Eagles、略称: PHI)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアに本拠地をおくNFLチーム。NFC東地区に所属している。ホームスタジアムは、リンカーン・フィナンシャル・フィールド。イーグルスの愛称の由来はニューディール政策で設置された全国復興庁のシンボルである青いワシ[1]

フィラデルフィア・イーグルス
Philadelphia Eagles
創設1933年7月8日 (90年前) (1933-07-08)
NFL参入1933年シーズン
所属地区
  • NFL(1933-現在)
    • NFC(1970-現在)
    東地区(1970-現在)
    • 東カンファレンス(1953-1969)
    首都地区(1967-1969)
    地区分けなし(1953-1966)
    • アメリカン・カンファレンス(1950-1952)
    • 東地区(1933-1949)
チームデザイン
チームロゴ

ワシの頭部
チームカラー
  ミッドナイトグリーン
  シルバー
 
 
ユニフォーム
チーム名
  • フィラデルフィア・イーグルス(1933-1942, 1944-現在)
    • フィラデルフィア=ピッツバーグ・スティーグルス(1943)
ホームタウン
1933-現在の位置(アメリカ合衆国内)
1933-現在
1933-現在

ペンシルベニア州フィラデルフィア(1933-現在)

リンカーン・フィナンシャル・フィールド(2003-現在)
ベテランズ・スタジアム(1971-2002)
フランクリン・フィールド(1958-1970)
コニー・マック・スタジアム
 シャイブ・パーク
(1940, 1942-1957)
フィラデルフィア・ミュニシパル・スタジアム(1936-1939, 1941)
ベイカー・ボウル(1933-1935)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (1回)
カンファレンス・チャンピオン (4回)
NFC
地区優勝 (11回)
旧NFC東地区
NFC東地区
ワイルドカード(14回)
プレーオフ進出(24/58回)
AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン
カンファレンス・チャンピオン
NFL東
地区優勝
NFL東地区
球団組織
オーナージェフリー・ルーリー
GMハウィー・ローズマン
ヘッドコーチニック・シリアニ

歴史 編集

NFL統合前 編集

フィラデルフィアには1924年から1931年までフランクフォード・イエロージャケッツというNFLチームが存在した。イエロージャケッツは1926年にNFLチャンピオンに輝いたが、世界恐慌と本拠地の火災の影響から財政が悪化し、1931年のシーズン中に活動休止し、フランチャイズ権をNFLに返上した。

イエロージャケッツのフランチャイズ権返上以降、フィラデルフィアに本拠地を構えるオーナーを探していたNFLは、1933年バート・ベルラッド・レイに25,000ドルでイエロージャケッツのフランチャイズ権を与える形でフィラデルフィアでのチーム創設を許可し、設立されたのがフィラデルフィア・イーグルスである[1]。チームの愛称は世界恐慌からの回復するためのニューディール政策で設置された全国復興庁のシンボルであった青いワシのようにチームを上昇させたいと願い、ベルが名付けた[1]。10月15日の最初の試合では、ニューヨーク・ジャイアンツに0-56で敗れた。ホームデビュー戦となった翌週のポーツマス・スパルタンズにも0-25で敗れた。11月5日のシンシナティ・レッズ戦で初勝利、この年3勝5敗1分に終わった[1]

チームは当初、イエロージャケッツのユニフォームを着用してプレーしたものの、あくまでもピッツバーグ・スティーラーズシンシナティ・レッズと共にエクスパンションチームとして加入したチームであるので、イエロージャケッツの記録は継承していない。

1934年、開幕から6連敗を喫したが、最後の5試合中4試合に勝ち、4勝7敗で終えた。1935年、2勝9敗と成績は下降した。シーズン終了後、バート・ベルは、ラッド・レイからオーナー権を獲得、単独オーナーとなった[1]

ベルオーナーは、カレッジフットボールの選手獲得に、ドラフト制度を実施することを提案、1936年、イーグルスは全体1位でハイズマン賞受賞のジェイ・バーワンガーを指名した。しかしバーワンガーは入団を拒否、NFLでプレーすることはなかった。この年チームは、ベイカー・ボウルからフィラデルフィア・ミュニシパル・スタジアムに移った。バート・ベルがヘッドコーチに就任し、開幕戦は勝ったものの残り11試合に敗れ、1勝11敗に終わった[1]

1937年、開幕から3連敗し、シカゴ・カージナルスの持つ連敗記録に並んだが、ワシントン・レッドスキンズに敵地で勝利、2勝8敗1分で終えた。1938年は5勝6敗と成績を改善させた[1]

1939年、オールアメリカンのクォーターバックデイビー・オブライエンと12,000ドルで契約を結んだ。全試合に出場したオブライエンは、1324ヤードを投げてNFL記録を更新した。しかしチームは1勝9敗1分に終わった。10月22日のブルックリン・ドジャース戦がイーグルスの試合としては初めてテレビ放送された[1]

1940年に本拠地をフィラデルフィア・ミュニシパル・スタジアムからシャイブパーク(1953年にコニー・マック・スタジアムに改称)に移した。この年チームは1勝10敗に終わった[1]

1941年、本拠地をミュニシパル・スタジアムに戻した。ヘッドコーチには、グリージー・ニールが就任した。チームは2勝9敗に終わった。1942年、チームは本拠地をシャイブ・パークに1年で戻した。チームは2勝9敗で最下位に終わった[1]

第二次世界大戦中の1943年には所属選手が不足したため、ピッツバーグ・スティーラーズと合同チームとなり、フィラデルフィア=ピッツバーグ・スティーグルス(Philadelphia-Pittsburgh Steagles)となった。この年チームは5勝4敗1分、シーズン終了後、合同チームは解消された[1]

1946年にバート・ベルはNFLコミッショナーとなった。アール "グリージー" ニールヘッドコーチに率いられたチームはスティーブ・バンビューレンなどの活躍で1947年から3年連続でNFLチャンピオンシップゲームに出場を果たし吹雪の中行われた1948年にはシカゴ・カージナルスに7-0、1949年にはロサンゼルス・ラムズに14-0とNFL史上唯一2年連続相手チームを完封して優勝した。1957年に本拠地をペンシルベニア大学フランクリン・フィールドに移した。同スタジアムは1969年に人工芝となりNFLチームとしては最初に人工芝球場を本拠地としたチームになった。

1960年バック・ショウヘッドコーチの下、後にプロフットボール殿堂入りを果たしたノーム・バン・ブルックリンチャック・ベドナリクらの活躍で3度目NFLチャンピオンとなった。また、この年無敗だったヴィンス・ロンバルディグリーンベイ・パッカーズを17-13で破った。

1963年、チームはジェリー・ウォルマンに買収されたが1969年レナード・トースが当時プロスポーツチームとしては最高額の1615万5000ドルで買収した。その後直ちに5シーズンで24勝41敗1分の成績しか残せなかったジョー・クハリッチが解任された。ピート・レツラフGMジェリー・ウィリアムズがヘッドコーチに就任した。

統合後 編集

1970年のNFLとAFLの統合後、NFC東地区に所属した。その後同地区のライバルであるダラス・カウボーイズワシントン・レッドスキンズの影に隠れプレーオフ出場はなかなか果たせず1962年から1975年に勝ち越したのはわずか1回であった。1976年UCLAからディック・ヴァーミールを迎えると、1978年には18年ぶりにポストシーズンゲーム出場を果たした。11月19日のニューヨーク・ジャイアンツ戦ではイート・ザ・ボールされれば敗北必至のところ、相手オフェンスのファンブルをハーマン・エドワーズがファンブルリカバーTDをあげて勝利した[2]

1978年から1981年まで4シーズン連続プレーオフに進出した。1980年にはQBロン・ジャウォースキー、WRハロルド・カーマイケルらの活躍で初のNFC東地区優勝を達成、チームは第15回スーパーボウル出場を果たしたがオークランド・レイダースに敗れた。この試合ではジャコウスキーのパスがロッド・マーティンに3回インターセプトされるスーパーボール記録を作られている[3]

1985年にチームはフロリダ州で自動車販売業で富を築いたノーマン・ブラマンらに6500万ドルで売却された。この際トース前オーナーがカジノでのギャンブルで2500万ドルの借金を抱えたことが報道された。1986年には第20回スーパーボウルを制したシカゴ・ベアーズのディフェンシブコーディネーター、バディ・ライアンがヘッドコーチに就任した。強力ディフェンスなどでチームは1980年代終わりから1990年代初めにプレーオフにしばしば出場を果たした。しかしプレーオフで勝てないライアンは1991年1月7日に解任されオフェンスコーディネーターのリッチ・コータイトが後任となった。1992年のプレーオフでチームはニューオーリンズ・セインツを破ったが1994年に7勝2敗から終盤7連敗して7勝9敗に終わるとコータイトは契約延長されることなくチームを去った。1988年から1996年までチームは9シーズン中6回プレーオフに出場したが地区優勝は1988年の1回のみであった。この時代のオフェンスのスター選手は走れるQBのランドール・カニンガムキース・ジャクソンハーシェル・ウォーカーなど、ギャンググリーンと呼ばれたディフェンスはレジー・ホワイトジェローム・ブラウンクライド・シモンズセス・ジョイナーウェズ・ホプキンスマイク・ゴーリックバイロン・エバンズエリック・アレンアンドレ・ウォーターズなどである。この時代はNFC東地区がハイレベルであり強力な同地区ライバルチーム相手に善戦するものの上位進出を阻まれ続けた。エースQBのカニンガムは並外れた身体能力を生かした次世代のQBとして期待されたが故障も多く、あと一歩の殻を打ち破れずにいた。

1994年5月6日、ブラマンオーナーから1億8500万ドルでジェフリー・ルーリーにチームは売却された。フォーブスの2006年版によると評価額は10億2400万ドルでありNFLで5番目に高いフランチャイズとなっている。チームユニフォームのカラーも明るいケリーグリーンとシルバー、ホワイトから濃色のミッドナイトグリーンにブラック、ホワイトへと変更された。レイ・ローズが指揮した4年間は世代交代の時期とも重なり、2度プレイオフに進出したのが限度であった。

アンディ・リードの時代 編集

1999年から2012年までヘッドコーチを務めたアンディ・リード

1999年アンディ・リードがヘッドコーチに就任し、ドラフト全体2位で獲得したQBドノバン・マクナブの台頭もあってチームは一時期の低迷から脱し、2001年から2004年にかけて4年連続NFCチャンピオンシップゲームに出場した。最初の3回は敗れたが2004年シーズンには第39回スーパーボウルへの出場を果たしニューイングランド・ペイトリオッツと対戦したが21-24で敗れて優勝は果たせなかった。2008年シーズンはぎりぎりでプレーオフ出場を決め前年のスーパーボウル覇者であるニューヨーク・ジャイアンツを敵地で23-11と破ったがNFCチャンピオンシップゲームでアリゾナ・カージナルスに25-32で敗れスーパーボウル出場はならず、リードはまたしてもホノルルプロボウルの指揮を執る事になった。リードはチャンピオンシップ敗退のヘッドコーチとして4回もプロボウルに出ており元スティーラーズHCのビル・カウアーと並んでアロハコレクターと揶揄された。

2009年ジェッツ戦(QBマイケル・ヴィック)

2009年、5月にジム・ジョンソンディフェンスコーディネーターが癌性腫瘍の治療のため、チームを離脱、トレーニングキャンプ直前の7月にショーン・マクダーモットをディフェンスコーディネーターに昇格させた[4]。7月28日にジョンソンは68歳で亡くなった[5]

開幕直前に、闘犬賭博罪で収監され18ヶ月の刑期を終えたQBマイケル・ヴィックを獲得。2009年シーズン終了後、ドラフト権と引き換えにマクナブをワシントン・レッドスキンズへ放出した。

2010年には、当初ケビン・コルブを先発QBとして開幕戦を迎えたが、負傷のため途中交代。2戦目以後ヴィックを柱としてチームは連勝を重ね、10勝6敗でNFC東地区優勝を果たす。一時はNFLから無期限出場停止処分を受けていたヴィックの活躍は、サクセスストーリとして全米の注目を集めるとともに、オバマ大統領も再起のチャンスを与えたイーグルスに対して賞賛を送った[6]

2011年には開幕前にCBナムディ・アソムーア英語版ドミニク・ロジャース=クロマティロニー・ブラウン英語版、QBヴィンス・ヤングプロボウルに出場経験のある選手を多く補強し、ドリームチームと呼ばれたがシーズンは負けが先行し、終盤盛り返すも8勝8敗でプレーオフを逃した。

2012年ドラフト3巡目にQBニック・フォールズを指名した。この年は開幕から4試合で3勝1敗の成績をあげたが、その後8連敗するなど最後の12試合はわずか1勝で4勝12敗に終わり[7]シーズン終了後リードHCは解任された。リードは14シーズンで130勝93敗1分、地区優勝6回、カンファレンスチャンピオンシップに5回出場、スーパーボウル1回出場の成績を残した[8]。この年、チームはQBヴィックが開幕からターンオーバーを連発、ヴィック、RBルショーン・マッコイ脳震盪で数試合欠場、WRデショーン・ジャクソンはシーズン絶望の負傷をしている。10月16日にはホアン・カスティーヨディフェンスコーディネーターが解雇された[9]

チップ・ケリーの時代 編集

2013年オレゴン大学のヘッドコーチチップ・ケリーがヘッドコーチに就任した[10]。ケリーは正QBにニック・フォールズを据えカレッジ仕込みのアップテンポオフェンスと3-4ディフェンスを持ち込み10勝6敗で地区優勝を果たしたが、ワイルドカードプレーオフでニューオーリンズ・セインツに24-26で敗れた。翌2014年には人事権のあるGMを兼務しオレゴン大出身の選手を多く獲得するなど選手を大幅に入れ替えたが、ノーハドルで攻撃を短時間に繰り出す攻撃システムも対策が進み勢いを失い、守備選手の出場時間が長くなり体力を消耗するため終盤に失点を重ねてしまうというデメリットの方が目立っていた。シーズン途中に正QBだったフォールズは鎖骨骨折で戦線離脱してしまい、前ニューヨーク・ジェッツのQBマーク・サンチェスと契約して10勝6敗をあげたもののプレーオフ進出を逃した。2015年はGMの地位を剥奪されHC専任となる。QBフォールズをラムズへ放出して代わりに獲得したサム・ブラッドフォードを正QBに据えたが7勝9敗と負け越し、求心力を失ったケリーHCは解雇された

ダグ・ピーダーソンの時代 編集

2016年にはダグ・ピーダーソンが新HCに就任した。ドラフトでは全体2位でQBカーソン・ウェンツを指名、開幕直前に正QBのサム・ブラッドフォードミネソタ・バイキングスへ放出した。新人QBらしからぬ落ち着いたプレイを見せたウェンツと守備をチーム伝統の4-3隊形に戻して安定感も取り戻し開幕から3連勝を飾ったが、その後失速し7勝9敗の成績を挙げながらも地区最下位に終わった。

2017年はベテランのWRアルション・ジェフリートリー・スミス、RBリギャレット・ブロウント、CBロナルド・ダービーらを獲得、ドラフトでは守備陣を中心に補強してランディフェンスが向上、シーズン途中には負傷で戦線離脱したRBダレン・スプロールズに代わり、RBジェイ・アジャイを獲得した。QBウェンツの成長もあってチームは8連勝を記録するなどして首位を独走していたが、第14週のロサンゼルス・ラムズ戦でウェンツが左膝の前十字靭帯断裂しシーズン絶望となり、3年ぶりにチームに復帰した控えのニック・フォールズが先発QBとなった。チームは13勝3敗で地区優勝、NFC第1シードを獲得しホームアドバンテージを獲得した。第1シードを獲得したもののエースQBのウェンツを失ったチームはフォールズがシーズン終盤に低調なプレーを見せた試合もあり、プレーオフでは苦戦が予想された。ディビジョナルプレーオフではアトランタ・ファルコンズを15-10で、NFC チャンピオンシップではミネソタ・バイキングスを38-7でそれぞれ破りカンファレンスチャンピオンとなり、2004年以来となるスーパーボウル出場を果たした。

第52回スーパーボウルで勝利しヴィンス・ロンバルディ・トロフィーが掲げられた

第52回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツと対戦。戦力的にイーグルスが不利と思われていたが、その評価を覆してペイトリオッツを41-33で破り、チーム史上初のスーパーボウルチャンピオンとなった[11]

2018年は連覇が懸かるが主力選手・コーチ陣の移籍、厳しいスケジュール、全体32位の低いドラフト指名順により1巡指名を回避するなど苦戦が予想された。スーパーボウルMVPのフォールズが開幕QBとなるも不調により第3週からウェンツがQBに復帰するがチームの主力であるRBとDBに怪我人が続出しラン攻撃とパスディフェンスが弱体化した結果プレーオフ出場が厳しい状況に置かれた。シーズン終盤、再びウェンツが負傷してフォールズがスターターに復帰し残り3試合を全勝、最終週で第6シードの座を奪い取り9勝7敗でプレーオフ進出を果たした。ワイルドカードプレーオフでは第3シードのシカゴ・ベアーズと対戦、相手の決勝フィールドゴールをブロックし16-15で勝利、ディビジョナルプレーオフは第1シードのニューオーリンズ・セインツに14-20で敗戦した。

2019年はDEクリス・ロングが引退、QBニック・フォールズジャクソンビル・ジャガーズに移籍したがWRデショーン・ジャクソンのチーム復帰、ベアーズからRBジョーダン・ハワードを獲得するなどの補強をした。しかしこのシーズンは攻撃陣に怪我人が続出、RB、WRは開幕時のスターター全員が故障で途中離脱となった。負けが先行する苦しい状態ながらもシーズン終盤の同地区対決を4連勝し最終週に地区優勝を決め、9勝7敗の成績で第4シードでプレーオフに滑り込んだ。プレーオフ初戦ではここまでチームを牽引してきたQBウェンツが脳震盪で退場して攻撃陣が破綻、シアトル・シーホークスに9-17で敗退した。

2020年はSマルコム・ジェンキンスがセインツへ移籍、CBダリアス・スレイを獲得。開幕2連敗の後シンシナティ・ベンガルズと引き分け、4戦目のサンフランシスコ・49ers戦でシーズン初勝利となるが2020シーズンはNFC東地区の全チームが低迷、引き分けの差だけで地区首位をキープする状態が続く。前年地区優勝によるタフなスケジュールも影響し連敗が続き、第14週からはQBウェンツに代わりドラフト2巡のルーキーQBジェイレン・ハーツが先発、ニューオリンズ・セインツ相手に勝利するなどしたが終盤も連敗して同地区が全て負け越す中で4勝11敗1分の成績で地区最下位となり、2021年ドラフトは全体6巡指名となった。すでにイーグルスの地区最下位は決定済みながら、地区一位を決めることになった最終戦の対ワシントン戦では、第4クォーターで先発QBをベンチに置いて敗北し、ドラフトの順番を上げるために意図的に負けたのではないかと論議を呼んだ[12]。2021年1月11日、ピーダーソンHCは解雇された。

ニック・シリア二の時代 編集

2021年、前インディアナポリス・コルツの攻撃コーディネーターであったニック・シリアニが新HCに就任した[13]。ドラフト指名権2つと引き換えにQBウェンツをインディアナポリス・コルツにトレードした。デショーン・ジャクソン、アルション・ジェフリーらの離脱でWRが手薄になり、ドラフトでは全体6位の指名権を12位にトレードダウンし、ドラフト当日にトレードアップしてWRデボンタ・スミスを全体10位で指名した。FAでQBガードナー・ミンシューやCBスティーブン・ネルソンなどを獲得する。エースQBには2年目の若いジェイレン・ハーツが指名された。公式戦が1試合増え選手の移籍や厳しいキャップにも悩まされ劣勢が予想されたがアトランタ・ファルコンズとのシーズン開幕戦を勝利しシリアニHCの初陣を飾った。シーズン途中にTEザック・アーツがアリゾナ・カージナルスに移籍しさらに厳しい戦いを強いられたが終盤連勝して、第17週にプレーオフ進出を決め9勝8敗と勝ち越し、今季より1枠拡大された第7シードとなった。ワイルドカードプレーオフでは第2シードのタンパベイ・バッカニアーズに15-31で敗れた。

2022年はGブランドン・ブルックスが引退、Sロドニー・マクロードがコルツに移籍した他に若手WRを放出。ドラフトでは1巡でDTジョーダン・デービス、2巡でC/Gキャム・ユルゲンスを指名、攻守の主力であるDTコックス、Cケルシーの後継者を獲得した。CBジェームズ・ブラッドベリー、地元テンプル大出身のLBハサン・レディックらがFA加入、トレードでWRのA・J・ブラウン、SのC・J・ガードナー=ジョンソンなどを獲得した。攻守に渡り好調で開幕からリーグ唯一の8連勝を記録し、第10週のワシントン・コマンダーズとの同地区対決にて今季初黒星を喫したものの、その後も勝ち続け第14週にはプレーオフ出場を決めた。終盤でハーツの負傷欠場があり連敗を喫したがハーツは最終週で復帰し勝利を挙げ14勝3敗でレギュラーシーズンを終え、地区優勝と第1シードを獲得した。NFCの週間最優秀選手を開幕からの5週連続を含め延べ9人が受賞[14]、QBハーツは9月、LBレディックは12月のNFC月間最優秀選手を受賞した。ディビジョナルラウンドからの登場となったプレーオフ初戦は第6シードのニューヨーク・ジャイアンツに38-7で圧勝、5年ぶりに進んだNFCチャンピオンシップゲームでは第2シードのサンフランシスコ・フォーティナイナーズに31-7で勝利し、第57回スーパーボウルの出場を決めた。だがスーパーボウルでは35-38でカンザスシティ・チーフスに敗れた。


2023年はDCジョナサン・ギャノンがアリゾナ・カージナルスHCに、OCシェーン・スタイケンがインディアナポリス・コルツHCにそれぞれ就任してチームから離脱。ドラフトでは1巡9位でDTジェイレン・カーター、30位でLBノーラン・スミスを獲得、2年連続でジョージア大からの指名となった。QBミンシュー、RBサンダース、Sガードナー=ジョンソンなどが移籍したものの、DTコックス、CBスレイ、CBブラッドベリー、RBスコットとは再契約を結んだ。QBマーカス・マリオタ、RBラシャード・ペニー、地元出身のRBディアンドレ・スウィフトなどが加入した。今期は2試合で80年代後半から90年代前半に使われたケリーグリーンとシルバーのスローバックユニフォームを使用した。開幕からチーム史上初の2年連続開幕5連勝を飾るなど好スタートを切った。NFCの週間最優秀選手を第1、第4週、第12週のスペシャルチーム部門でKエリオットが、攻撃部門を第2週RBスウィフト、第7週WRブラウン、第8週QBハーツが受賞した。ハーツは10月のNFC月間最優秀攻撃選手にも選ばれた。第12週までは10勝1敗とカンファレンス首位を維持したがその後は1勝5敗と急失速し、第15週にプレーオフ進出を決めたものの地区優勝は逃し11勝6敗で第5シードとなった。ワイルドカードプレーオフでも挽回できずにタンパベイ・バッカニアーズに敗れてシーズン終了となった。

文化 編集

ビリーペンの呪い 編集

フィラデルフィアにはかつて、フィラデルフィア市庁舎の尖塔に立つウィリアム・ペン像の高さ(167m)を超える建物を建てない、という紳士協定が存在した。しかし、1987年3月に高さ288mのワン・リバティ・プレイスが建設され、それ以来、イーグルスを含むフィラデルフィアに拠点を置くすべての主要なプロスポーツチームが優勝を果たすことができなかった。これは市民の間でビリーペンの呪い(Curse of Billy Penn)と称された。2008年、MLBフィラデルフィア・フィリーズワールドシリーズで優勝し、呪いは解けた[注 1]。その後、イーグルスも2018年にスーパーボウル初制覇を果たしている。

ファン 編集

スーパーボウルを制覇し、喜ぶファン(2018年)

イーグルスのファンはNFLの中でもとりわけ熱狂的と言われている[15]。本拠地開催での試合は常に満員であり、2008年8月に71試合連続でチケット完売を記録した。しかしながら、悪評もついており、ファンのマナーについて言及される場合もある。『インヴィンシブル 栄光へのタッチダウン』『世界にひとつのプレイブック』『ディア・ハンター』『フィラデルフィアは今日も晴れ』など、映画に取り上げられることも多い。

マスコット 編集

マスコットのスウープ

チームの公式マスコットは、ワシスウープ(Swoop)である。ネシャミニー州立公園のワシの森で生まれ、視力と体力が弱い白頭ワシだったが、強く真実のハートを持っていた。イーグルスのファンがスウープに、強さを増強するユニフォームを与えると、体と心が人間のサイズに成長した。スウープは、他者を助けることを望んだため、イーグルスコミュニティの監督者になった、という逸話がある。

1994年にコメディ映画『エース・ベンチュラ』にカメオ出演し、主人公のベンチュラに打ち負かされる役どころを演じた。

チアリーダ-- 編集

チームの公式チアリーダーとして、フィラデルフィア・イーグルス・チアリーダーズ(Philadelphia Eagles Cheerleaders)が活動している。1948年にイーグルッツ(Eaglettes)としてデビューし、1970年代にリバティ・ベルズ(Liberty Belles)となった後、1980年代に現在の名称へと変更された。2012年には、アラバマ州モービルで開催されたシニアボウルカレッジフットボールのオールスターゲーム)にも出場した。

2024年シーズン

2024年シーズンのイーグルスの対戦相手
AFCNFC
前年西地区南地区北地区東地区西地区南地区北地区東地区
1位チーフステキサンズレイブンズビルズ49ersバッカニアーズライオンズカウボーイズ
2位レイダースジャガーズブラウンズドルフィンズラムズセインツパッカーズイーグルス
3位ブロンコスコルツスティーラーズジェッツシーホークスファルコンズバイキングスジャイアンツ
4位チャージャーズタイタンズベンガルズペイトリオッツカージナルスパンサーズベアーズコマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2023年シーズン及び過去10シーズンの成績
成績地区DivCon総得点総失点平均得点平均失点
2023ワイルドカード敗退2位(5)1160.6474–27–543342825.525.2
2022スーパーボウル敗戦1位(1)1430.8244-29-347734428.120.2
2021ワイルドカード敗退2位(7)980.5293-37-544438526.122.6
2020レギュラー敗退4位4111.2812-44-833441820.926.1
2019ワイルドカード敗退1位(4)970.5635-17-538535424.122.1
2018ディビジョナル敗退1位(4)1060.6255-19-333932421.220.3
2017スーパーボウル制覇1位(1)1330.8135-110-245729528.618.4
2016レギュラー敗退4位790.4382-45-736733122.920.7
2015レギュラー敗退2位790.4383-34-837743023.626.9
2014レギュラー敗退2位1060.6254-26-647440029.625.0
2013ワイルドカード敗退1位(3)1060.6254-29-344238227.623.9

()内はシード順

2023年シーズン成績

NFC東地区 2023
チーム勝率DivCon総得点総失点平均得点平均失点得失差
(2)ダラス・カウボーイズ1250.7065–19–350931529.918.511.4
(5)フィラデルフィア・イーグルス1160.6474–27–543342825.525.20.3
ニューヨーク・ジャイアンツ6110.3533–35–726640715.623.9-8.3
ワシントン・コマンダース4130.2350–62–1032951819.430.5-11.1
NFC 2023

チーム
勝率DIVCONSOSSOV
地区優勝
1[a]サンフランシスコ・49ers西1250.7065–110–2.509.475
2[a]ダラス・カウボーイズ1250.7065–19–3.446.392
3[a]デトロイト・ライオンズ1250.7064–28–4.481.436
4[b]タンパベイ・バッカニアーズ980.5294–27–5.481.379
ワイルドカード
5フィラデルフィア・イーグルス1160.6474–27–5.481.476
6ロサンゼルス・ラムズ西1070.5885–18–4.529.453
7[c][d]グリーンベイ・パッカーズ980.5294–27–5.474.458
レギュラーシーズン敗退
8[c][d]シアトル・シーホークス西980.5292–47–5.512.392
9[b][c]ニューオーリンズ・セインツ980.5294–26–6.433.340
10ミネソタ・バイキングス7100.4122–46–6.509.454
11シカゴ・ベアーズ7100.4122–46–6.464.370
12アトランタ・ファルコンズ7100.4123–34–8.429.462
13ニューヨーク・ジャイアンツ6110.3533–35–7.512.353
14ワシントン・コマンダース4130.2350–62–10.512.338
15アリゾナ・カージナルス西4130.2350–63–9.561.588
16カロライナ・パンサーズ2150.1181–51–11.522.500
タイブレーク
  1. ^ a b c カンファレンス勝率で1位が49ers、2位がカウボーイズ、3位がライオンズ
  2. ^ a b 共通の対戦相手における勝率でバッカニアーズがセインツを上回り、地区優勝
  3. ^ a b c カンファレンス勝率でセインツがパッカーズ・シーホークスを下回り、9位確定
  4. ^ a b 勝利した相手の勝率でパッカーズがシーホークスを上回る
                  
ワイルドカード・プレーオフディビジョナル・プレーオフ
2024年1月15日
レイモンド・ジェームス・スタジアム
  1月21日
フォード・フィールド
  1月28日
リーバイス・スタジアム
  2月11日
アレジアント・スタジアム
 5 イーグルス 9
 4 バッカニアーズ 32 
2024年1月14日
フォード・フィールド
 4 バッカニアーズ 23
  3 ライオンズ 31 
 6 ラムズ 23NFC
 3 ライオンズ 24 1月20日
リーバイス・スタジアム
2024年1月14日
AT&Tスタジアム
 3 ライオンズ 31
  1 49ers 34 
NFCチャンピオンシップ
1月28日
M&Tバンク・スタジアム
 7 パッカーズ 48
 7 パッカーズ 21
 2 カウボーイズ 32  
 1 49ers 24 
2024年1月13日
アローヘッド・スタジアム
1月21日
ハイマーク・スタジアム
 N1 49ers 22
  A3 チーフス 25
 6 ドルフィンズ 7第58回スーパーボウル
 3 チーフス 26 
2024年1月15日
ハイマーク・スタジアム
 3 チーフス 27
  2 ビルズ 24 
 7 スティーラーズ 17AFC
 2 ビルズ 31 1月20日
M&Tバンク・スタジアム
2024年1月13日
NRGスタジアム
 3 チーフス 17
  1 レイブンズ 10 
AFCチャンピオンシップ
 5 ブラウンズ 14
 4 テキサンズ 10
 4 テキサンズ 45  
 1 レイブンズ 34 
  • 対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
  • スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
  • チーム名の左の数字はシード順。
  • * 延長戦決着
  • 日付はアメリカ東部時間

成績 編集

NFC東地区(4地区制、2002年-現在) 編集

年度地区優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
2023DAL(2w)1250PHI(5w)1160NYG6110WAS4130
2022PHI(1s)1430DAL(5d)1250NYG(6d)971WAS881
2021DAL(3w)1250PHI(7w)980WAS7100NYG4130
2020WAS(4w)790NYG6100DAL6100PHI4111
2019PHI(4w)970DAL880NYG4120WAS3130
2018DAL(4d)1060PHI(6d)970WAS790NYG5110
2017PHI(1v)1330DAL970WAS790NYG3130
2016DAL(1d)1330NYG(5w)1150WAS880PHI790
2015WAS(4w)970PHI790NYG6100DAL4120
2014DAL(3d)1240PHI1060NYG6100WAS4120
2013PHI(3w)1060DAL880NYG790WAS3130
2012WAS(4w)1060NYG970DAL880PHI4120
2011NYG(4v)970PHI880DAL880WAS5110
2010PHI(3w)1060NYG1060DAL6100WAS6100
2009DAL(3d)1150PHI(6w)1150NYG880WAS4120
2008NYG(1d)1240PHI(6c)961DAL970WAS880
2007DAL(1d)1330NYG(5v)1060WAS(6w)970PHI880
2006PHI(3d)1060DAL(5w)970NYG(6w)880WAS5110
2005NYG(4w)1150WAS(6d)1060DAL970PHI6100
2004PHI(1s)1330NYG6100DAL6100WAS6100
2003PHI(1c)1240DAL(6w)1060WAS5110NYG4120
2002PHI(1c)1240NYG(5w)1060WAS790DAL5110

NFC東地区(3地区制、1970年-2001年) 編集

年度地区優勝2位3位4位5位
チームチームチームチームチーム
2001PHI(3c)1150WAS880NYG790ARI790DAL5110
2000NYG(1s)1240PHI(4d)1150WAS880DAL5110ARI3130
1999WAS(3d)1060DAL(5w)880NYG790ARI6100PHI5110
1998DAL(3w)1060ARI(6d)970NYG880WAS6100PHI3130
1997NYG(3w)1051WAS871PHI691DAL6100ARI4120
1996DAL(3d)1060PHI(5w)1060WAS970ARI790NYG6100
1995DAL(1v)1240PHI(4d)1060WAS6100NYG5110ARI4120
1994DAL(2c)1240NYG970ARI880PHI790WAS3130
1993DAL(1v)1240NYG(4d)1150PHI880PHO790WAS4120
1992DAL(2v)1330PHI(5d)1150WAS(6d)970NYG6100PHO4120
1991WAS(1v)1420DAL(5d)1150PHI1060NYG880PHO4120
1990NYG(2v)1330PHI(4w)1060WAS(5d)1060DAL790PHO5110
1989NYG(2d)1240PHI(4w)1150WAS1060PHO5110DAL1150
1988PHI(3d)1060NYG1060WAS790PHO790DAL3130
1987WAS(3v)1140DAL780StL780PHI780NYG690
1986NYG(1v)1420WAS(4c)1240DAL790PHI5101StL4111
1985DAL(3d)1060NYG(4d)1060WAS1060PHI790StL5110
1984WAS(2d)1150NYG(5d)970StL970DAL970PHI691
1983WAS(1s)1420DAL(4w)1240StL871PHI5110NYG3121
1982WAS(1v)810DAL(2c)630StL(6w)531NYG450PHI360
1981DAL(2c)1240PHI(4w)1060NYG(5d)970WAS880StL790
1980PHI(2s)1240DAL(4c)1240WAS6100StL5110NYG4120
1979DAL(1d)1150PHI(4d)1150WAS1060NYG6100StL5110
1978DAL(2s)1240PHI(5w)970WAS880StL6100NYG6100
1977DAL(1v)1220WAS950StL770PHI590NYG590
1976DAL(2d)1130WAS(4d)1040StL1040PHI4100NYG3110
1975StL(3d)1130DAL(4s)1040WAS860NYG590PHI4100
1974StL(d)1040WAS(d)1040DAL860PHI770NYG2120
1973DAL(c)1040WAS(d)1040PHI581StL491NYG2111
1972WAS(s)1130DAL(c)1040NYG860PHI491StL2111
1971DAL(v)1130WAS(d)941PHI671StL491NYG4100
1970DAL(s)1040NYG950StL851WAS680PHI3101

NFL東カンファレンス・首都地区(1967年-1969年) 編集

地区優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
1969DAL(c)1121WAS752NO590PHI491
1968DAL(c)1220NY770WAS590PHI2120
1967DAL(n)950PHI671WAS563NO3110

NFL東カンファレンス(1953年-1966年) 編集

優勝2位3位4位5位6位7位8位
チームチームチームチームチームチームチームチーム
1966DAL(n)1031CLE950PHI950StL851WAS770PIT581ATL3110NY1121
スーパーボウル開始
1965CLE(n)1130DAL770NY770WAS680PHI590StL590PIT2120
1964CLE(v)1130StL932PHI680WAS680DAL581PIT590NY2102
1963NY(n)1130CLE1040StL950PIT743DAL4100WAS3110PHI2102
1962NY(n)1220PIT950CLE761WAS572DAL581StL491PHI3101
1961NY(n)1031PHI1040CLE851StL770PIT680DAL491WAS1121
1960PHI(v)1020CLE831NY642StL651PIT561WAS192
1959NY(n)1020CLE750PHI750PIT561WAS192CHC2100
1958NY(n)930CLE930PIT741WAS471CHC291PHI291
1957CLE(n)921NY750PIT660WAS561PHI480CHC390
1956NY(v)831CHC750WAS660CLE570PIT570PHI381
1955CLE(v)921WAS840NY651CHC471PHI471PIT480
1954CLE(v)930PHI741NY750PIT570WAS390CHC2100
1953CLE(n)1110PHI741WAS651PIT660NY390CHC1101

NFLアメリカン・カンファレンス(1950年-1952年) 編集

優勝2位3位4位5位6位
チームチームチームチームチームチーム
1952CLE(n)840NY750PHI750PIT570CHC480WAS480
1951CLE(n)1110NYG921WAS570PIT471PHI480CHC390
1950CLE(v)102xNYG102xPHI66xPIT66xCHC57xWAS39x

NFL東地区(1933年-1949年) 編集

優勝2位3位4位5位
チームチームチームチームチーム
1949PHI(v)1110PIT651NYG660WAS471NYB1101
1948PHI(v)921WAS750NY480PIT480BOS390
1947PHI(n)840PIT840BOS471WAS480NY282
1946NY(n)731PHI650WAS551PIT551BOS281
1945WAS(n)820PHI730NY361BOS361PIT280
1944WAS(n)631NY631PHI730BOS281BK0100
1943WAS(n)631NY631Phil-Pitt541BK280
1942WAS(v)1010PIT740NY551BK380PHI290
1941NY(n)830BK740WAS650PHI281PIT191
1940WAS(n)920NY830BK641PIT272PHI1100
1939NY(n)911WAS821BK461PHI191PIT191
1938NY(v)821WAS632BK443PHI560PIT290
1937WAS(v)830NY632PIT470BK371PHI281
1936BOS(n)750PIT660NY561BK381PHI1110
1935NY(n)930BK561PIT480BOS281PHI290
1934NY(v)850BOS660BK470PHI470PIT2100
1933NY(n)1130BK541BOS552PHI351PIT362

主な選手 編集

現役選手 編集

永久欠番 編集

フィラデルフィア・イーグルス 永久欠番一覧
背番号選手ポジション在籍期間
5ドノバン・マクナブDonovan McNabbQB1999–2009
15スティーブ・バンビューレンSteve Van BurenHB1944–1951
20ブライアン・ドーキンスBrian DawkinsS1996–2008
40トム・ブルックシャーTom BrookshierCB1953–1961
44ピート・レツラフPete RetzlaffRB, WR, TE1956–1966
60チャック・ベドナリクChuck BednarikLB1949–1962
70アル・ウィスタートAl WistertOT1943–1951
92レジー・ホワイトReggie WhiteDE1985–1992
99ジェローム・ブラウンJerome BrownDT1987–1991

永久欠番にはなっていないものの以下の番号は選手の栄誉を讃え、現在使用されていない。

プロフットボール殿堂入り 編集

プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号名前ポジション在籍期間選出年
15スティーブ・バンビューレンSteve Van BurenHB1944–19511965
60チャック・ベドナリクChuck BednarikC, LB1949–19621967
53アレックス・ウォジコビッツAlex WojciechowiczC, DT1946–19501968
35ピート・ピホスPete PihosTE, DE1947–19551970
56ビル・ヒューイットBill HewittEnd, FB1937–1939, 19431971
11ノーム・バン・ブルックリンNorm Van BrocklinQB1958–19601971
33オーリー・マトソンOllie MatsonRB1964–19661972
54ジム・リンゴJim RingoC1964–19671981
9ソニー・ジャーゲンセンSonny JurgensenQB1957–19631983
98, 99マイク・ディトカMike DitkaTE1967–19681988
86バド・グラントBud GrantWR, DE1951–19521994
25トミー・マクドナルドTommy McDonaldWR1957–19631998
80ジェームズ・ロフトンJames LoftonWR19932003
76ボブ・ブラウンBob BrownOT1964–19682004
92レジー・ホワイトReggie WhiteDE1985–19922006
85アート・モンクArt MonkWR19952008
95リチャード・デントRichard DentDE19972011
80クリス・カーターCris CarterWR1987–19892013
87クロード・ハンフリーClaude HumphreyDE1979–19812014
20ブライアン・ドーキンスBrian DawkinsS1996–20082018
81テレル・オーウェンスTerrell OwensWR2004-20052018
17ハロルド・カーマイケルHarold CarmichaelWR1971-19832020
コーチ・エグゼクティブ
名前役職在籍期間選出年
バート・ベルBert Bellオーナー、創設者1933–19401963
ヘッドコーチ1936–1940
ウェイン・ミルナーWayne Millnerアシスタントコーチ19511968
グリージー・ニールGreasy Nealeヘッドコーチ1941–19501969
マイク・マコーマックMike McCormackヘッドコーチ1973–19751984

Eagles Hall of Fame 編集

75周年記念チーム 編集

歴代ヘッドコーチ 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 2007年6月以降、フィラデルフィアで最も高いコムキャスト・センター(296.7m)の屋上にウィリアム・ペン像のレプリカが設置されている

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k Philadelphia Eagles (1933-Present)”. sportsecyclopedia.com. 2019年1月14日閲覧。
  2. ^ Miracle at the Meadowlands”. プロフットボール殿堂. 2012年1月2日閲覧。
  3. ^ Steve Wulf (1981年2月2日). “He Had The Winning Hands”. スポーツ・イラストレイテッド. 2013年1月2日閲覧。
  4. ^ イーグルス、キャンプ2日前に新守備コーディネーター発表”. NFL JAPAN (2009年7月25日). 2013年1月2日閲覧。
  5. ^ イーグルスの鉄壁守備築いた名コーチ、ジョンソン氏が68歳で死去”. NFL JAPAN (2009年7月29日). 2013年1月2日閲覧。
  6. ^ オバマ大統領がイーグルス称賛、ビックに再起のチャンス”. NFL JAPAN (2010年12月28日). 2010年12月29日閲覧。
  7. ^ 2012年スケジュール”. NFL JAPAN. 2013年1月2日閲覧。
  8. ^ イーグルス、14年に渡るリードHC時代に終止符”. NFL JAPAN (2013年1月1日). 2013年1月2日閲覧。
  9. ^ 河田剛 (2012年10月18日). ““数字は嘘をつかず”、イーグルスDC解雇の真意とは”. NFL JAPAN. 2013年1月2日閲覧。
  10. ^ イーグルス新HC、心変わりの理由明かさず”. NFL JAPAN (2013年1月17日). 2013年1月18日閲覧。
  11. ^ 【第52回スーパーボウル】イーグルスの初勝利なるか、ペイトリオッツの2連覇か!?”. NFL JAPAN (2018年2月5日). 2018年2月5日閲覧。
  12. ^ Why did Eagles coach Doug Pederson bench Jalen Hurts for Nate Sudfeld vs. Washington?”. 2021年1月5日閲覧。
  13. ^ ニック・シリアニがイーグルス新HCに就任へ、DCはジョナサン・ギャノン”. NFL JAPAN (2021年1月25日). 2021年2月3日閲覧。
  14. ^ W1STマクファーソン W2CBスレイ W3、W14DEグラハム W4LBレディック W5Kディッカー W12、W13QBハーツ W18Kエリオット
  15. ^ In Depth: America's Most Die-Hard Football Fans”. フォーブス (2008年9月1日). 2021年2月10日閲覧。

関連項目 編集

  • メドウランズの奇跡 - ニューヨーク・ジャイアンツとの試合でリードされて残り時間わずかで相手QBがイート・ザ・ボールをすればそのまま敗れるところだったが、イーグルスのディフェンスが相手QBに激しく当たっていたためジャイアンツはフルバック(ラリー・ゾンカ)にボールを持たせるプレーを選択したがハンドオフミスによるファンブル、ハーマン・エドワーズがリカバーしてタッチダウンをあげて奇跡的な勝利をもたらした。2010年には同じく敵地でのジャイアンツとの試合で、試合残り時間わずかでリターナーのデショーン・ジャクソンが一度は落としたボールを拾い上げてパントリターンタッチダウンをあげ逆転勝利を飾り、新メドウランズの奇跡と呼ばれた。

外部リンク 編集