グリーンベイ・パッカーズ

アメリカンフットボールチーム

グリーンベイ・パッカーズ英語: Green Bay Packers、略称: GB)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州グリーンベイに本拠地をおくNFLチーム。NFC北地区に所属している。1921年、当時まだ創立2年目だった頃にNFLに加盟しており、現在あるチームの中ではアリゾナ・カージナルスシカゴ・ベアーズに次いで3番目に古いチームとなっている。また、現在アメリカに本拠地を置くプロスポーツチームの中で唯一、一般市民がチームを100%保有している。ホームスタジアム、ならびにチームの本部は、ランボー・フィールドである。

グリーンベイ・パッカーズ
Green Bay Packers
創設1919年8月11日 (104年前) (1919-08-11)
NFL参入1920年シーズン
所属地区
  • NFL(1920-現在)
    • NFC(1970-現在)
北地区(2002-現在)
中地区(1970-2001)
    • 西カンファレンス(1953-1969)
中地区(1967-1969)
地区分けなし(1953-1966)
    • ナショナル・カンファレンス(1950-1952)
    • 西地区(1933-1949)
    • 地区分けなし(1920-1932)
  • 独立チーム(1919-1920)
チームデザイン
チームロゴ
 
チームカラー
  ダークグリーン
  ゴールド
 
ユニフォーム
チーム名
  • グリーンベイ・パッカーズ(1919-現在)
ホームタウン
1919-現在の位置(アメリカ合衆国内)
1919-現在
1919-現在

ウィスコンシン州グリーンベイ(1919-現在)

ランボー・フィールド
 シティ・スタジアム
(1957-現在)
シティ・スタジアム (1925-1956)
ベレビュー・パーク英語版 (1923-1924)
ハーゲマイスター・パーク英語版 (1919-1922)

ミルウォーキー主催試合[注釈 1]

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (4回)
カンファレンス・チャンピオン (5回)
NFL西
NFC
地区優勝 (17回)
NFL中地区
NFC中地区
NFC北地区
ワイルドカード(9回)
プレーオフ進出(27/58回)
AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン
カンファレンス・チャンピオン
NFL西
地区優勝
NFL西地区
NFL中地区
ワイルドカード
球団組織
オーナーマーク・H・マーフィー
GMブライアン・ギュートカンスト英語版
ヘッドコーチマット・ラフルアー英語版

概要

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パッカーズは1920年代から1930年代のリーグ創成期に一般的だった、小さな町をホームとする最後のチームであると言われている。チームは、1919年にカーリー・ランボージョージ・ホイットニー・カルフーン英語版によって設立され、当初はウィスコンシン州内のセミプロチームと試合をしていたが、1921年にNFLへ加入した。1933年から1995年までの間、グリーンベイと並行してミルウォーキーでもホームの試合を行っていた。ミルウォーキーは現在でもチームのメディア圏内にあり、多くのファンが存在している。グリーンベイならびにグリーンベイ都市圏は、北米4大プロスポーツリーグのホームタウンのうち最も規模の小さい地域である[注釈 2] ものの、フォーブスによる「世界の価値あるスポーツチームランキング」では2019年に27位にランクインした[1]

パッカーズのNFLチャンピオン獲得回数は、リーグ最多の13回である。リーグ(旧NFLチャンピオンシップ)3連覇を成し遂げた唯一のチームでもあり、1929年から1931年と、1965年から1967年の2度にわたってこの記録を打ち立てた。スーパーボウル優勝は4回でそのうち2回はAFLとNFLチャンピオンの対戦として行われた第1回スーパーボウル第2回スーパーボウル、1970年のAFLとNFL統合後の優勝は1996年度の第31回スーパーボウル、2010年度の第45回スーパーボウルである。アメリカでは非常に人気の高いチームであり、人気チームの世論調査においてもダラス・カウボーイズなどと共に常に上位に位置している[2]

歴史

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チーム創成期

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1918年、ノートルダム大学時代のカーリー・ランボー

グリーンベイ・パッカーズは、1919年8月11日に創設された。当初はアクミー・パッカーズといった。創設者のカーリー・ランボー[注釈 3] は、彼の勤めるインディアン・パッキング・カンパニーに、ユニフォーム購入の資金提供を求めた。同社がこのチームを支援していたのは最初のシーズンのみだったが、グリーンベイのフットボールクラブの名称は、今も変わらず「パッカーズ」である。ノートルダム大学出身のランボーは、母校の校歌にちなんで、青と金 (黄) をチームカラーとした。この色は後に、現在の、緑と金 (黄) に変更される。この配色から、「ザ・グリーン・アンド・ゴールド」というチームの愛称が生まれた。

1921年、パッカーズは前年に設立されたプロフェッショナルリーグ(のちのNFL)に加盟したが、同じ年、缶詰会社のスポンサーが手を引いたため財政難によりフランチャイズを失う。ランボーは自ら資金を調達し、再びフランチャイズを得た。1922年から1923年にかけて、ランボーや地元新聞社主アンドリュー・ターンブルをはじめとする5人(通称"ハングリー・ファイブ")が奔走し、グリーンベイ・フットボール・コーポレーションを設立した。こうして、現在も続くパッカーズの基礎が形作られた。

1923年の グリーンベイ・フットボール・コーポレーション定款で、パッカーズのフランチャイズが売却されることになった場合は、米国在郷軍人会英語版のサリバン・ウォーレン・ポストに、"正規兵士記念碑" 建設のため、すべての債務を清算したあとの残金を寄贈するものと定められた。この規定が設けられたのは、このクラブがグリーンベイで存続し続けることと、このクラブは株主の金銭的利益のためにあるものではないことを顕示するためであった。1997年11月の年次会議の株主投票で、受取人がサリバン・ウォーレン・ポストからグリーンベイ・パッカーズ・ファウンデーションへと変更された。1950年、パッカーズは、チーム運営資金調達のために再び株式を発行した。1956年には、新しいスタジアム(後のランボー・フィールド) の建設が承認された。

ロンバルディの時代

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1958年地区最下位となったが、1959年にヴィンス・ロンバルディがヘッドコーチになると開幕から3連勝した後5連敗したが残り4試合に連勝し1947年以来となる勝ち越しを果たした。翌年の1960年にはNFL西地区優勝を果たしポール・ホーナング英語版はNFLトップの176得点をあげた。フィラデルフィア・イーグルスとのNFLチャンピオンシップゲーム英語版は一進一退のシーソーゲームとなったが最後の攻撃が敵陣8ヤードで止められて4点差で敗れた。1961年のNFLチャンピオンシップゲームではニューヨーク・ジャイアンツと対戦し1944年以来となるNFLチャンピオンになった。1962年には開幕から10連勝し13勝1敗でシーズンを終えた。2年連続の対戦となったニューヨーク・ジャイアンツとのNFLチャンピオンシップゲームでは16-7で勝利した。

その後2シーズン間をおいて1965年にパッカーズは再びNFLチャンピオンシップゲームに出場した。ウェスタンカンファレンスを制したボルチモア・コルツ戦ではドン・チャンドラー英語版の右に外れたFGが得点を認められるといったことも起きた。NFLチャンピオンシップゲームではクリーブランド・ブラウンズを破りロンバルディが就任以来3回目の優勝をかざった。

1966年、12勝2敗でバート・スターがシーズンMVPに選ばれた。ダラス・カウボーイズとのNFLチャンピオンシップゲームでは最後自陣2ヤードまで攻め込まれたがドン・メレディス英語版のパスをトム・ブラウン英語版インターセプトし34-27と勝利し、1970年に統合することが決定していたAFLのチャンピオン、カンザスシティ・チーフス第1回スーパーボウルで対戦し35-10で勝利した。

1967年NFLチャンピオンシップゲームは後にアイスボウルと呼ばれる極寒の中で行われた。この試合残り16秒でバート・スターのQBスニークでタッチダウンをあげてダラス・カウボーイズを破り3年連続NFLチャンピオンとなった[3]

第2回スーパーボウルオークランド・レイダースを33-14と破りこの試合を最後にヴィンス・ロンバルディは勇退しゼネラルマネージャーとなり、後任には彼の下でアシスタントコーチを務めたフィル・ベングソン英語版がなった。ロンバルディは1969年にワシントン・レッドスキンズのヘッドコーチとなったが1970年シーズン前の9月に亡くなった。

同チームは第1回と第2回のスーパーボウルを制した。この時代のスター選手はQBバート・スター、RBジム・テイラー英語版キャロル・デイル英語版、ポール・ホーナング(エクストラポイントやFGも蹴った。)、RGのジェリー・クレイマー英語版、ディフェンスのヘンリー・ジョーダン英語版ウィリー・ウッドレイ・ニチキ英語版デイブ・ロビンソン英語版ハーブ・アダリー英語版らであった。1970年にロンバルディが死去すると、スーパーボウル優勝トロフィーは彼の功績を称えて「ヴィンス・ロンバルディ・トロフィー」と名づけられ、今に至っている。

ロンバルディ退団後の長期低迷

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ロンバルディ退団以降は「dark ages(暗黒時代)」と呼ばれた(1982年のプレーオフ)

1968年から1991年までの24シーズン中パッカーズが勝ち越したのはわずか5シーズンであった。この間プレーオフに出場したのは2回で5人のヘッドコーチ(フィル・ベングソン、ダン・ディバイン英語版、バート・スター、フォレスト・グレッグ英語版リンディー・インファンテ英語版)が交代した。1974年のドラフトでは1巡目指名権2つ、2巡目指名権2つ、3巡目指名権をロサンゼルス・ラムズのピークを過ぎたQBジョン・ヘイドル英語版を獲得するために手放した。ヘイドルは1年半しかパッカーズでプレイしなかった。1989年のドラフトでは、ほとんどのスカウトから高く評価されていたOTのトニー・マンダリッチ英語版を全体2位指名したものの、歴史的な大失敗に終わった。

1975年9月29日のデンバー・ブロンコスとのマンデーナイトフットボールで、ケン・ペイン英語版が12レシーブと活躍したが、13-23で敗れた[4]

1982年9月20日、ニューヨーク・ジャイアンツとのマンデーナイトフットボールで、ジェームズ・ロフトン英語版は83ヤードのTDランをあげた。これはアール・キャンベルが持っていたMNF記録を更新するものであった[5]

ファーヴの時代

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パッカーズに16年在籍したQBのブレット・ファーヴ

1991年にロン・ウルフがゼネラルマネージャーに就任、1992年、サンフランシスコ・フォーティナイナーズのオフェンスコーディネーターであったマイク・ホルムグレン英語版がヘッドコーチに就任した。エースQBのドン・マコウスキー英語版シンシナティ・ベンガルズ戦で負傷退場したが、ロン・ウルフによってドラフト1巡目指名権と引き換えにアトランタ・ファルコンズから獲得したブレット・ファーヴがリリーフ、キトリック・テイラーへのTDパスで逆転勝利した[6]

翌週のピッツバーグ・スティーラーズ戦以降ファーヴはプレーオフも含めて271試合に先発出場する不動のエースQBとなった。

1993年にはフリーエージェントになっていたフィラデルフィア・イーグルスDEレジー・ホワイトを獲得した。12月26日のロサンゼルス・レイダース戦でファンブルリターンタッチダウンをあげたリロイ・バトラー英語版ランボー・フィールドの観客席に飛び込んだ。これが「ランボー・リープ」の始まりとなった[7]。この年チームは1982年以来11年ぶりとなるプレーオフ進出を果たした。

1994年にもチームはプレーオフ2回戦まで勝ちあがるようになった。

1995年には1972年のNFL以来となるNFC中地区優勝を果たした。プレーオフではアトランタ・ファルコンズに37-20、前年のスーパーボウルチャンピオンであるサンフランシスコ・フォーティナイナーズに27-17と勝ったがNFCチャンピオンシップゲームでダラス・カウボーイズに38-27で敗れた。シーズン終了後、3シーズン連続でオールプロに選ばれていたWRスターリング・シャープが首の負傷の影響で引退した[8]

1996年にはリーグベストの13勝3敗でプレーオフのホームフィールドアドバンテージを取るとフォーティナイナーズに35-14、カロライナ・パンサーズに35-14で勝利し第31回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツを35-21で破り12度目のNFLチャンピオンとなった。この試合では第3Qにキックオフリターンタッチダウンを決めたデズモンド・ハワード英語版がMVPとなっている[9]

1997年シーズンもプレーオフでタンパベイ・バッカニアーズに21-7、フォーティナイナーズを23-10で破り第32回スーパーボウルに出場した。この試合ブックメーカーはパッカーズが11.5得点有利としたが24-31でデンバー・ブロンコスに敗れた[10]

1998年、1995年9月17日から続いていたホームでの連勝を10月5日、25連勝まで伸ばした。これはNFL歴代2位の記録であった[11]。10月5日まで11勝5敗でシーズンを終えてプレーオフで3シーズン連続破っていたフォーティナイナーズと対戦したがこの試合に敗れた。この試合を最後にホルムグレンヘッドコーチは退団し[11]シアトル・シーホークスの副社長、ゼネラルマネージャー、ヘッドコーチを兼ねるようになった。この時に多くのコーチがホルムグレンに従った。またレジー・ホワイトも現役を引退した。(彼は2000年現役復帰してカロライナ・パンサーズでプレイした。)

1999年レイ・ローズ英語版がヘッドコーチとなり8勝8敗でシーズンを終えた。シーズン終了と共にローズは解任された。この年チームには規律が欠けていたとロン・ウルフは語った[11]

2000年マイク・シャーマン英語版が就任し9勝7敗でシーズンを終えた[11]

地元で行われたプレーオフでは1933年以来13勝0敗であったが2002年1月4日にアトランタ・ファルコンズに敗れてこの記録は途絶えた。

2005年、マイク・ホルムグレンの下で働いていたテッド・トンプソン英語版がゼネラルマネージャーに就任した[12]。このシーズン、4勝12敗となり1991年以来となるシーズン負け越しを喫するとチームはマイク・シャーマンヘッドコーチを解任し、1999年にパッカーズのQBコーチ、その後サンフランシスコ・フォーティナイナーズのオフェンシブ・コーディネーターを務めていたマイク・マッカーシー英語版が新ヘッドコーチとなった[12]。2006年は8勝8敗でシーズンを終えた。

2007年、チームはフリーエージェントとなったエースRBのアーマン・グリーン英語版を失い、WRランディ・モスの獲得に敗れるなど十分な補強がされなかったと見られていたが最初の11試合中10試合に勝利するなど13勝3敗でNFC第2シードとなりNFCチャンピオンシップゲームニューヨーク・ジャイアンツにオーバータイムの末20-23と敗れてシーズンを終えた。チーム躍進の立役者としてトンプソンGMが最優秀エグゼクティブ賞を受賞した。2008年3月4日、ブレット・ファーヴが引退を表明したためアーロン・ロジャース(2005年ドラフト1巡目に指名)をエースQBに指名した。その後ファーヴは同年7月29日に引退を撤回したがチームはロジャースをエースQBとして起用する姿勢を崩さず8月6日、ファーヴをニューヨーク・ジェッツへ放出した[13]

ロジャースの時代

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2008年よりチームのQBを務めるアーロン・ロジャース

2008年、ファーヴの引退表明によりエースQBに指名されたアーロン・ロジャースは好成績を残したがチームは4点差以内で7敗するなど6勝10敗でシーズンを終えた。

2009年、チームはディフェンスコーディネーターにドム・ケイパース英語版を招きそれまでの4-3ディフェンスから3-4ディフェンスに変更を行った[14]。前半8試合を4勝4敗で折り返したが[15] 11勝5敗でワイルドカードでプレーオフに進出を果たしたが[16]アリゾナ・カージナルスにオーバータイムの末、45-51で敗れてシーズンを終えた[17]

2010年、開幕戦のフィラデルフィア・イーグルス戦でエースRBのライアン・グラント英語版がシーズン絶望となり[18]、第5週のワシントン・レッドスキンズ戦でロジャースが脳震盪、ニック・バーネット英語版ジャーマイケル・フィンリー英語版がシーズン絶望となった[19][20]。第14週のデトロイト・ライオンズ戦でロジャースが再度脳震盪を起こし途中退場して敗れるなどプレーオフ出場が一時危ぶまれた[21]。第15週をロジャースは欠場したが第16週にプレーオフを争うニューヨーク・ジャイアンツを破り[22][23]、最終週でシカゴ・ベアーズを下してNFC第6シードでプレーオフ出場を果たした[24][25]

この年チームには故障者リスト入りする選手が続出したがワイルドカードプレーオフではフィラデルフィア・イーグルス戦でロジャースが3タッチダウンパスをあげて21-16で[26][27]、ディビジョナルプレーオフではNFC第1シードのアトランタ・ファルコンズをロジャースがパス36回中31回を成功させ48-21と大差で勝利[28]NFCチャンピオンシップゲームで地区ライバルのシカゴ・ベアーズを下しNFCのチームとしては初めて第6シードからのスーパーボウル出場を決めた[29]。スーパーボウルではピッツバーグ・スティーラーズを31-25で破り14年ぶりにタイトルを取り戻した[30]。MVPには3TDパスをあげたアーロン・ロジャースが選ばれた[31]

続く2011年から2016年までプレーオフに6年連続出場したが、スーパーボウル出場はなかった。

2017年には途中ロジャースを負傷で欠き、2008年以来初めてプレーオフを逃した。長らくGMを務めたテッド・トンプソン英語版はシーズン終了後に退任し、ブライアン・ギュートカンスト英語版が後継となった。

2018年12月2日、成績不振のためにHCのマイク・マッカーシー英語版は解任され、ジョー・フィルビン英語版が暫定HCとなった。2018年シーズンは二年連続してプレーオフを逃した。元タイタンズOCのマット・ラフルアー英語版が後継HCとなった。

2019年は地区優勝を遂げ、第2シードで3年ぶりにプレーオフに進出した。初戦ではシアトル・シーホークスを破ったがサンフランシスコ・フォーティーナイナーズに敗れてスーパーボウル出場はかなわなかった。

2020年はコロナウイルス感染症流行のため、全主催試合を無観客とした。ドラフトでは1巡目にQBジョーダン・ラブを指名した。第14週、2年連続で北地区優勝を遂げ、最終週も勝って第一シードでプレーオフに進んだが、カンファレンス・チャンピオンシップでタンパベイ・バッカニアーズに敗れた。

2021年はチームに不快感を表明したロジャースの練習への参加が遅れたが、ロジャースをエースQBとして勝ち進み、地区優勝で全チームの中で最も早くプレーオフ進出が決定し、2年連続して第一シードとなった。初戦でサンフランシスコ・フォーティーナイナーズに逆転負けした。2022年3月8日、ロジャースと4年231億円の契約を結んだ[32]

2022年は途中で5連敗を喫するなど苦しみ、最終戦では既にプレーオフの望みを絶たれたデトロイト・ライオンズに勝てばプレーオフ進出だったものの敗れた。

2023年4月、大型トレードによりロジャースをニューヨーク・ジェッツに譲渡した[33]

2023年以降

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ロジャースの去った2023年シーズンジョーダン・ラブをQB1に指名し、ワイルドカードでプレーオフ出場を果たした。プレーオフ初戦ではシード2位のダラス・カウボーイズを破ったがディビジョナル・プレーオフではシード1位のサンフランシスコ・フォーティーナイナーズに3点差で惜敗した。

公有企業

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グリーンベイ・パッカーズ
Green Bay Packers, Inc.
ドン・ハトソン・センター(2007)
設立1923年8月18日 (100年前) (1923-08-18)
法的地位公有非営利企業
本部Lambeau Field
1265 Lombardi Ave
Green Bay, WI 54304-3927
社長マーク・マーフィー
加盟グリーンベイ・パッカーズ財団
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グリーンベイ・パッカーズ(Green Bay Packers, Inc.)は、ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)のグリーンベイ・パッカーズを所有する公有非営利法人である。

パッカーズは、現在のアメリカのプロスポーツチーム中唯一の、取締役会を持つ公有企業である。約36万人の株主がおり、一人が保有できる株数は全体の約4%以下に限られる。株式は議決権付きであるが、償還価格は最低限であり、配当はなく、株価が上がることもなく、株式を保有していてもシーズンチケットの権利は得られない。株式の売買は禁止され、家族間の贈与のみが可能である。NFLの規則では、1チームの所有者は最大で32人までであり、一人が最低30%の株式を所有しなければならないため、パッカーズは例外とされている。グリーンベイは人口10万余りにすぎず、ローカルテレビ局の視聴者総数も60万人程度である。パッカーズには長年にわたってウィスコンシン州全体に熱心な支持者がおり、またNFLにはレベニュー・シェアリングのシステムが充実しているため、経営が成り立っている。プロスポーツ中唯一、パッカーズは毎年収支を公開している。2022年の収入の内訳は、自前の収入が2億3170万ドルであり、リーグからの分配金は3億4727万ドルであった [1]。会社運営のため、株主の投票で取締役会が選出される。この取締役会により、経営委員会(役員)が選出される。この委員会は、社長、副社長、会計、秘書の各1名ずつと、株主代表の3名の計7名で構成される。このうち報酬が支払われるのは社長のみで、その他の役職は無給である。

グリーンベイ・パッカーズ財団

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チームは1986年12月にグリーンベイ・パッカーズ財団を設立した。同財団は、教育、市民活動、保健サービス、ヒューマンサービス、青少年関連プログラムなど、幅広い活動やプログラムを支援している。1997年に行われたチームの年次株主総会では、サリバン・ウォーレン郵便局の兵士の記念碑の代わりに、球団の売却や解散に伴う残余財産の受取人としてチームが指定された。

応援スタイル

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パッカーズのファン層は、献身的なことで有名である。チームの成績に関わらず、1960年以後、ランボー・フィールド(1シーズン8試合)での試合の入場券はすべて完売している。シーズンチケットのキャンセル待ちの人数は、あらゆるプロスポーツチームの中で最も多い(6万5000人以上)。現在、シーズンチケット入手までには実に40年を要する。このため、ファンがシーズンチケット権の相続人を遺言で指名することも珍しくない。

パッカーズファンの通称は、「チーズヘッド」(穴あきチーズのようにスカスカの脳、というのが元々の意味)である。これは、ウィスコンシン州がチーズの生産地として有名なこととファンとしての熱狂ぶりとを掛けたあだ名である。ファンは、この名になぞらえてチーズ形の帽子をかぶり、「チーズヘッド」の名をますます高めている。

2024年シーズン

2024年シーズンのパッカーズの対戦相手
AFCNFC
前年西地区南地区北地区東地区西地区南地区北地区東地区
1位チーフステキサンズレイブンズビルズ49ersバッカニアーズライオンズカウボーイズ
2位レイダースジャガーズブラウンズドルフィンズラムズセインツパッカーズイーグルス
3位ブロンコスコルツスティーラーズジェッツシーホークスファルコンズバイキングスジャイアンツ
4位チャージャーズタイタンズベンガルズペイトリオッツカージナルスパンサーズベアーズコマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2023年シーズン及び過去10シーズンの成績
成績地区DivCon総得点総失点平均得点平均失点
2023ディビジョナル敗退2位(7)980.5294–27–538335022.520.6
2022レギュラー敗退3位890.4713-36-637037121.821.8
2021ディビジョナル敗退1位(1)1340.7654-29-345037126.521.8
2020カンファレンス敗退1位(1)1330.8135-110-250936931.823.1
2019ワイルドカード敗退1位(3)1330.8136-010-237631323.519.6
2018レギュラー敗退3位691.4061-4-13-8-137640023.525.0
2017レギュラー敗退3位790.4382-45-732038420.024.0
2016カンファレンス敗退1位(4)1060.6255-18-443238827.024.3
2015ディビジョナル敗退2位(5)1060.6253-37-536832323.020.2
2014カンファレンス敗退1位(2)1240.7505-19-348634830.421.8
2013ワイルドカード敗退1位(4)871.5313-2-16-5-141742826.126.8

()内はシード順

2023年シーズン成績

NFC北地区 2023
チーム勝率DivCon総得点総失点平均得点平均失点得失差
(3)デトロイト・ライオンズ1250.7064–28–446139527.123.23.9
(7)グリーンベイ・パッカーズ980.5294–27–538335022.520.61.9
ミネソタ・バイキングス7100.4122–46–634436220.221.3-1.1
シカゴ・ベアーズ7100.4122–46–636037921.222.3-1.1
NFC 2023

チーム
勝率DIVCONSOSSOV
地区優勝
1[a]サンフランシスコ・49ers西1250.7065–110–2.509.475
2[a]ダラス・カウボーイズ1250.7065–19–3.446.392
3[a]デトロイト・ライオンズ1250.7064–28–4.481.436
4[b]タンパベイ・バッカニアーズ980.5294–27–5.481.379
ワイルドカード
5フィラデルフィア・イーグルス1160.6474–27–5.481.476
6ロサンゼルス・ラムズ西1070.5885–18–4.529.453
7[c][d]グリーンベイ・パッカーズ980.5294–27–5.474.458
レギュラーシーズン敗退
8[c][d]シアトル・シーホークス西980.5292–47–5.512.392
9[b][c]ニューオーリンズ・セインツ980.5294–26–6.433.340
10ミネソタ・バイキングス7100.4122–46–6.509.454
11シカゴ・ベアーズ7100.4122–46–6.464.370
12アトランタ・ファルコンズ7100.4123–34–8.429.462
13ニューヨーク・ジャイアンツ6110.3533–35–7.512.353
14ワシントン・コマンダース4130.2350–62–10.512.338
15アリゾナ・カージナルス西4130.2350–63–9.561.588
16カロライナ・パンサーズ2150.1181–51–11.522.500
タイブレーク
  1. ^ a b c カンファレンス勝率で1位が49ers、2位がカウボーイズ、3位がライオンズ
  2. ^ a b 共通の対戦相手における勝率でバッカニアーズがセインツを上回り、地区優勝
  3. ^ a b c カンファレンス勝率でセインツがパッカーズ・シーホークスを下回り、9位確定
  4. ^ a b 勝利した相手の勝率でパッカーズがシーホークスを上回る
                  
ワイルドカード・プレーオフディビジョナル・プレーオフ
2024年1月15日
レイモンド・ジェームス・スタジアム
  1月21日
フォード・フィールド
  1月28日
リーバイス・スタジアム
  2月11日
アレジアント・スタジアム
 5 イーグルス 9
 4 バッカニアーズ 32 
2024年1月14日
フォード・フィールド
 4 バッカニアーズ 23
  3 ライオンズ 31 
 6 ラムズ 23NFC
 3 ライオンズ 24 1月20日
リーバイス・スタジアム
2024年1月14日
AT&Tスタジアム
 3 ライオンズ 31
  1 49ers 34 
NFCチャンピオンシップ
1月28日
M&Tバンク・スタジアム
 7 パッカーズ 48
 7 パッカーズ 21
 2 カウボーイズ 32  
 1 49ers 24 
2024年1月13日
アローヘッド・スタジアム
1月21日
ハイマーク・スタジアム
 N1 49ers 22
  A3 チーフス 25
 6 ドルフィンズ 7第58回スーパーボウル
 3 チーフス 26 
2024年1月15日
ハイマーク・スタジアム
 3 チーフス 27
  2 ビルズ 24 
 7 スティーラーズ 17AFC
 2 ビルズ 31 1月20日
M&Tバンク・スタジアム
2024年1月13日
NRGスタジアム
 3 チーフス 17
  1 レイブンズ 10 
AFCチャンピオンシップ
 5 ブラウンズ 14
 4 テキサンズ 10
 4 テキサンズ 45  
 1 レイブンズ 34 
  • 対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
  • スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
  • チーム名の左の数字はシード順。
  • * 延長戦決着
  • 日付はアメリカ東部時間

成績

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NFC北地区(2002年-現在)

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地区優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
2023DET(3c)1250GB (7d)980MIN7100CHI7100
2022MIN(3w)1340DET980GB890CHI3140
2021GB (1d)1340MIN890CHI6110DET3131
2020GB (1c)1330CHI(7w)880MIN790DET5110
2019GB (2c)1330MIN(6d)1060CHI880DET3121
2018CHI(3w)1240MIN871GB691DET6100
2017MIN(2c)1330DET970GB790CHI5110
2016GB (4c)1060DET(6w)970MIN880CHI3130
2015MIN(3w)1150GB (5d)1060DET790CHI6100
2014GB (2c)1240DET(6w)1150MIN790CHI5110
2013GB (4w)871CHI880DET790MIN5101
2012GB (3d)1150MIN(6w)1060CHI1060DET4120
2011GB (1d)1510DET(6w)1060CHI880MIN3130
2010CHI(2c)1150GB (6v)1060DET6100MIN6100
2009MIN(2c)1240GB (5w)1150CHI790DET2140
2008MIN(3w)1060CHI970GB6100DET0160
2007GB (2c)1330MIN880DET790CHI790
2006CHI(1s)1330GB880MIN6100DET3130
2005CHI(2d)1150MIN970DET5110GB4120
2004GB (3w)1060MIN(6d)880DET6100CHI5110
2003GB (4d)1060MIN970CHI790DET5110
2002GB (3w)1240MIN6100CHI4120DET3130

NFC中地区(1970年-2001年)

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  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
地区優勝2位3位4位5位
チームチームチームチームチーム
2001CHI(2d)1330GB(4d)1240TB(6w)970MIN5110DET2140
2000MIN(2c)1150TB(5w)1060GB970DET970CHI5110
1999TB(2c)1150MIN(4d)1060DET(6)880GB880CHI6100
1998MIN(1c)1510GB(5w)1150TB880DET5110CHI4120
1997GB(2s)1330TB(4d)1060DET(5w)970MIN(6d)970CHI4120
1996GB(1v)1330MIN(6w)970CHI790TB6100DET5110
1995GB(3c)1150DET(5w)1060CHI970MIN880TB790
1994MIN(3w)1060GB(4d)970DET(5w)970CHI(6d)970TB6100
1993DET(3w)1060MIN(5w)970GB(6d)970CHI790TB5110
1992MIN(3w)1150GB970TB5110CHI5110DET5110
1991DET(2c)1240CHI(4w)1150MIN880GB4120TB3130
1990CHI(4d)1150TB6100DET6100GB6100MIN6100
1989MIN(3d)1060GB1060DET790CHI6100TB5110
1988CHI(1c)1240MIN(4d)1150TB5110DET4120GB4120
1987CHI(2d)1140MIN(5c)870GB591TB4110DET4110
1986CHI(2d)1420MIN970DET5110GB4120TB2140
1985CHI(1v)1510GB880MIN790DET790TB2140
1984CHI(3c)1060GB880TB6100DET4111MIN3130
1983DET(3d)970GB880CHI880MIN880TB2140
1982GB(3d)531MIN(4d)540TB(7w)540DET(8w)450CHI360
1981TB(3d)970DET880GB880MIN790CHI6100
1980MIN(3d)970DET970CHI790TB5101GB5101
1979TB(2c)1060CHI(5w)1060MIN790GB5110DET2140
1978MIN(3d)871GB871DET790CHI790TB5110
1977MIN(3c)950CHI(4d)950DET680GB4100TB2120
1976MIN(1s)1120CHI770DET680GB590
1975MIN(1d)1220DET770CHI4100GB4100
1974MIN(s)1040DET770GB680CHI4100
1973MIN(s)1220DET671GB572CHI3110
1972GB(d)1040DET851MIN770CHI491
1971MIN(d)1130DET761CHI680GB482
1970MIN(d)1220DET(d)1040GB680CHI680

NFL西カンファレンス・中地区(1967年-1969年)

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  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ
  • 括弧内の文字はv:スーパーボウル(AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム)優勝、s:スーパーボウル敗退・NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退
  • プレイオフは地区優勝チームのみ出場
  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
地区優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
1969MIN(s)1220DET941GB860CHI1130
1968MIN(c)860CHI770GB671DET482
1967GB(v)941CHI761DET572MIN383

NFL西カンファレンス(1953年-1966年)

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優勝2位3位4位5位6位7位
チームチームチームチームチームチームチーム
1966GB(V)1220BAL950LA860SF662CHI572DET491MIN491
スーパーボウル開始
1965GB(v)1031BAL1031CHI950SF761MIN770DET671LA4100
1964BAL(n)1220GB851MIN851DET752LA572CHI590SF4100
1963CHI(v)1112GB1121BAL860DET581MIN581LA590SF2120
1962GB(v)1310DET1130CHI950BAL770SF680MIN2111LA1121
1961GB(v)1130DET671BAL860CHI860SF761LA4100MIN3110
1960GB(n)840DET750SF750BAL660CHI561LA471DAL0111
1959BAL(v)930CHB840GB750SF750DET381LA2100
1958BAL(v)930CHB840LA840SF660DET471GB1101
1957DET(v)840SF840BAL750LA660CHB570GB390
1956CHB(n)921DET930SF561BAL570GB480LA480
1955LA(n)831CHB840GB660BAL561SF480DET390
1954DET(n)921CHB840SF741LA651GB480BAL390
1953DET(v)1020SF930LA831CHB381BAL390GB291

NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年)

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優勝2位3位4位5位6位7位
チームチームチームチームチームチームチーム
1952DET(v)930LA930SF750GB660CHB570DAL1110
1951LA(v)840DET741SF741CHB750GB390NYY192
1950LA(n)93xCHB93xNYY75xDET66xGB39xSF39xBAL111x

NFL西地区(1933年-1949年)

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優勝2位3位4位5位6位
チームチームチームチームチームチーム
1949LA(n)822CHB930CHC651DET480GB2100
1948CHC(n)1110CHB1020LA651GB390DET2100
1947CHC(v)930CHB840GB651LA660DET390
1946CHB(v)821LA641GB650CHC650DET1100
1945CLE(v)910DET730GB640CHB370CHC190
1944GB(v)820CHI631DET631CLE460Card-Pitt0100
1943CHB(v)811GB721DET361CHC0100
1942CHB(n)1100GB821CLE560CHC380DET0110
1941CHB(v)1010GB1010DET461CHC371CLE290
1940CHB(v)830GB641DET551CLE461CHC272
1939GB(v)920CHB830DET650CLE551CHC1100
1938GB(n)830DET740CHB650CLE470CHC290
1937CHB(n)911GB740DET740CHC551CLE1100
1936GB(v)1011CHB930DET840CHC281
1935DET(v)732GB840CHB642CHC642
1934CHB(n)1300DET1030GB760CHC560StL120CIN080
1933CHB(v)1021POR650GB571CIN361CHC191

NFL(1921年-1932年)

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チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
193281CHB7162GB10313POR6244BOS4425NY4627CHC262
1931101GB12202POR11303CHB8504CHC5405NY761
1930111GB10312NY13403CHB9417CHC5628POR563
1929121GB12012NY13114CHC6619CHB492
1928104GB6435CHB7516NYG4729CHC150
1927121NYG11112GB7213CHB9329CHC371
1926222CHB12135GB7336NY84110CHC561
1925201CHC11214NY8407CHB9539GB850
1924182CHB6146GB7408CHC541
1923202CHB9213GB7216CHC840
1922182CHB9303CHC8308GB433
1921211CHS9327GB7219CHC332

主な選手

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現役選手

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永久欠番

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パッカーズ永久欠番
トニー・カナデオ
ブレット・ファーヴ
ドン・ハトソン
バート・スター
レイ・ニチキ
レジー・ホワイト
グリーンベイ・パッカーズ 永久欠番一覧
背番号選手ポジション在籍期間
3トニー・カナデオTony CanadeoHB1941-1944, 1946-1952
4ブレット・ファーヴBrett FavreQB1992-2007
14ドン・ハトソンDon HutsonWR, DB1935-1945
15バート・スターBart StarrQB1956-1971
66レイ・ニチキRay NitschkeLB1958-1972
92レジー・ホワイト*Reggie WhiteDE1993–1998

* 背番号92は実質1999年以降使用されていなかったが、2004年12月26日のホワイトの不慮の死を追悼し、2005年9月18日の試合のハーフタイムセレモニーで、永久欠番と定められた[34]

プロフットボール殿堂入り

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プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号名前ポジション在籍期間選出年
36カル・ハバードCal HubbardOT1929–1933, 19351963
14ドン・ハトソンDon HutsonE1935–19451963
20カーリー・ランボーCurly LambeauHB1919–19291963
-ヘッドコーチ, GM1919–1949
24ジョニー・ブラッド・マクナリーJohnny "Blood" McNallyHB1929–1933, 1935–19361963
30クラーク・ヒンクルClarke HinkleFB1932–19411964
2マイク・ミカルスキMike MichalskeOG1929–1935, 19371964
38アーニー・ハーバーArnie HerberQB1930–19401966
49ウォルト・キースリングWalt KieslingOG, OT1935–19361966
45エムレン・タネルEmlen TunnellDB, S1959–19611967
3トニー・カナデオTony CanadeoHB1941–1944, 1946–19521974
31ジム・テイラーJim TaylorFB1958–19661976
89レン・フォードLen FordDE19581976
75フォレスト・グレッグForrest GreggOT1956, 1958–19701977
-ヘッドコーチ1984–1987
15バート・スターBart StarrQB1956–19711977
-ヘッドコーチ1975–1983
66レイ・ニチキRay NitschkeLB1958–19721978
26ハーブ・アダリーHerb AdderleyCB1961–19691980
87ウィリー・デービスWillie DavisDE1960–19691981
51ジム・リンゴJim RingoC1953–19631981
5ポール・ホーナングPaul HornungHB1956–1962, 1964–19661986
24ウィリー・ウッドWillie WoodS1960–19711989
83テッド・ヘンドリクスTed HendricksLB19741990
10ヤン・ステナルードJan StenerudK1980–19831991
74ヘンリー・ジョーダンHenry JordanDT1959–19691995
80ジェームズ・ロフトンJames LoftonWR1978–19862003
92レジー・ホワイトReggie WhiteDE1993–19982006
89デイブ・ロビンソンDave RobinsonLB1963–19722013
4ブレット・ファーヴBrett FavreQB1992–20072016
64ジェリー・クレイマーJerry KramerG1958–19682018
44ボビー・ディロンBobby DillonDB1952–19592020
21チャールズ・ウッドソンCharles WoodsonCB2006–20122021
36リロイ・バトラーLeRoy ButlerS1990–20012022
コーチ・エグゼクティブ
名前役職在籍期間選出年
ヴィンス・ロンバルディVince Lombardiヘッドコーチ1959–19671971
ロン・ウルフRon WolfGM1991–20012015

チーム殿堂入り

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その他主な選手

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歴代ヘッドコーチ

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#シーズン氏名
11921-1949カーリー・ランボー20910421
21950-1953ジーン・ロンザーニ14311
1953ヒュー・デボー (暫定)020
レイ・スクーター・マクリーン (暫定)
31954-1957ライル・ブラックボーン17310
41958レイ・スクーター・マクリーン1101
51959-1967ヴィンス・ロンバルディ98304
61968-1970フィル・ベングソン20211
71971-1974ダン・ディバイン25284
81975-1983バート・スター53773
91984-1987フォレスト・グレッグ25371
101988-1991リンディー・インファンテ24400
111992-1998マイク・ホルムグレン75370
121999レイ・ローズ880
132000-2005マイク・シャーマン57390
142006-2018マイク・マッカーシー125772
2018ジョー・フィルビン (暫定)220
152019-マット・ラフルアー39100

脚注

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注釈

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  1. ^ 1933年から1994年の間、レギュラーシーズンの数試合をミルウォーキーで開催していた
  2. ^ グリーンベイ都市圏の人口はおよそ30万人
  3. ^ 選手兼ヘッドコーチ。パッカーズの本拠地であるランボー・フィールドに名前が残っている
  4. ^ マット・ミレンがフロント入りしてからというもの同地区ライバルのデトロイト・ライオンズは低迷し彼の解任の噂が絶えなかった。2008年シーズン16戦全敗したライオンズはミレンを解任した。
  5. ^ 1993年のドラフト5巡目で指名された
  6. ^ 1992年のドラフト9巡目で指名された
  7. ^ 2008年のドラフト7巡目で指名された

出典

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  1. ^ The World's 50 Most Valuable Sports Teams 2019”. Forbes (2019年7月22日). 2021年4月21日閲覧。
  2. ^ Dallas Cowboys are Again America's Favorite Football Team Harris Interactive. 2013年2月1日閲覧。
  3. ^ VHS 『グレーテスト・タッチダウン ベスト100』(Number)
  4. ^ MNF History: 1975”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  5. ^ MNF History: 1982”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  6. ^ The record starts here”. ロサンゼルス・タイムズ. 2012年6月6日閲覧。
  7. ^ パッカーズ本拠地の名物“ランボー・リープ”が生まれて15年”. NFL JAPAN (2008年12月27日). 2011年2月7日閲覧。
  8. ^ 【スーパーボウルまで追いかけ隊】コルツはワンマンアーミーだったのか”. アスキー (2011年11月4日). 2012年6月6日閲覧。
  9. ^ Super Bowl XXXI MVP: Desmond Howard”. nfl.com (1997年1月27日). 2012年6月6日閲覧。
  10. ^ Packers Open as Super Bowl Favorite”. topsportsbooks.com (2011年1月25日). 2012年6月6日閲覧。
  11. ^ a b c d Packers Manager Steps Down”. ABC (2001年2月1日). 2012年6月6日閲覧。
  12. ^ a b 生沢浩 (2011年4月7日). “ドラフトはポリシー発露の場、名人の戦略に注目【前編】”. NFL JAPAN. 2011年4月28日閲覧。
  13. ^ ロジャース抜擢の賭けに成功したパッカーズ”. NFL JAPAN (2011年2月2日). 2011年2月7日閲覧。
  14. ^ パッカーズ指揮官、守備の3-4隊形移行に好感触”. NFL JAPAN (2009年6月19日). 2011年2月7日閲覧。
  15. ^ パッカーズHC、プレイオフ出場も「まだ仕事は残っている」”. NFL JAPAN (2009年12月28日). 2011年2月7日閲覧。
  16. ^ 【第17週】パッカーズ、プレイオフ前哨戦に圧勝”. NFL JAPAN (2010年1月4日). 2011年2月7日閲覧。
  17. ^ 【WC】カーディナルスがOT勝利、壮絶な点取り合戦制す”. NFL JAPAN (2010年1月11日). 2011年2月7日閲覧。
  18. ^ パッカーズに衝撃、エースRBグラントがシーズン絶望に”. NFL JAPAN (2010年9月15日). 2011年2月7日閲覧。
  19. ^ 【第6週プレビュー】故障者続出のパッカーズ、試金石の一戦”. NFL JAPAN (2010年10月16日). 2011年2月7日閲覧。
  20. ^ パッカーズひと安心、QBロジャースが次戦先発へ”. NFL JAPAN (2010年10月16日). 2011年2月7日閲覧。
  21. ^ プレイオフ進出へ黄信号? ジェッツ&パッカーズ”. NFL JAPAN (2010年12月14日). 2011年2月7日閲覧。
  22. ^ ロジャース大活躍のパッカーズ圧勝、プレイオフ戦線に生き残る”. NFL JAPAN (2010年12月27日). 2011年2月7日閲覧。
  23. ^ QBロジャース完全復活、「ポジション奪回しなくちゃ」”. NFL JAPAN (2010年12月27日). 2011年2月7日閲覧。
  24. ^ パッカーズ、ロースコアの戦い制しプレイオフの切符つかむ”. NFL JAPAN (2011年1月3日). 2011年2月7日閲覧。
  25. ^ 最終切符ゲットのパッカーズ、第6シードからの波乱に自信”. NFL JAPAN (2011年1月3日). 2011年2月7日閲覧。
  26. ^ QBロジャース3TDパス、パッカーズが敵地で熱戦制す”. NFL JAPAN (2011年1月10日). 2011年2月7日閲覧。
  27. ^ ディビショナル・プレイオフ進出、好調パッカーズの強みとは?”. NFL JAPAN (2011年1月11日). 2011年2月7日閲覧。
  28. ^ QBロジャース大暴れ、パッカーズが第1シードのファルコンズ粉砕”. NFL JAPAN (2011年1月16日). 2011年2月7日閲覧。
  29. ^ パッカーズ堅守で勝利、第6シードからスーパーボウルへ”. NFL JAPAN (2011年1月24日). 2011年2月7日閲覧。
  30. ^ パッカーズ、14年ぶりスーパーボウル制覇!”. NFL JAPAN (2011年2月7日). 2011年2月7日閲覧。
  31. ^ スーパーボウルMVPは3TDパスのQBロジャース”. NFL JAPAN (2011年2月7日). 2011年2月7日閲覧。
  32. ^ パッカーズとQBロジャースが4年231億円の契約延長に合意”. NFL Japan. 2022年3月8日閲覧。
  33. ^ OFFICIAL”. newyorkjets.com. 2023年4月28日閲覧。
  34. ^ Packers To Retire Reggie White's Number Sept. 18 packers.com

外部リンク

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