シカゴ・ベアーズ

アメリカンフットボールチーム

シカゴ・ベアーズ英語: Chicago Bears、略称: CHI)は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴに本拠地をおくNFLチーム。NFC北地区に所属している。ホームスタジアムはソルジャー・フィールド。本部と練習場は、シカゴ都市圏内のレイクフォレストに位置し、「ハラスホール」と呼ばれている。

シカゴ・ベアーズ
Chicago Bears
創設1920年9月17日 (103年前) (1920-09-17)
NFL参入1920年シーズン
所属地区
  • NFL(1920-現在)
    • NFC(1970-現在)
    北地区(2002-現在)
    中地区(1970-2001)
    • 西カンファレンス(1953-1969)
    中地区(1967-1969)
    地区分けなし(1953-1966)
    • ナショナル・カンファレンス(1950-1952)
    • 西地区(1933-1949)
    • 地区分けなし(1920-1932)
  • 独立チーム(1919-1920)
チームデザイン
チームロゴ
 
チームカラー
  ネイビーブルー
  バーントオレンジ
 
ユニフォーム
チーム名
  • シカゴ・ベアーズ(1922-現在)
    • シカゴ・ステイリーズ(1921)
    • ディケーター・ステイリーズ(1920)
ホームタウン
シカゴ・ベアーズの位置(アメリカ合衆国内)
1921-現在
1921-現在
1920
1920

イリノイ州シカゴ(1921-現在)
イリノイ州ディケーター(1920)

ソルジャー・フィールド (1971-2001, 2003- )
メモリアル・スタジアム (2002)
リグレー・フィールド (1921–1970)
ステイリー・フィールド (1920)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (1回)
カンファレンス・チャンピオン (2回)
NFC
地区優勝 (10回)
NFC中地区
NFC北地区
ワイルドカード(5回)
プレーオフ進出(16/58回)
AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン
カンファレンス・チャンピオン
NFL西
地区優勝
NFL西地区
球団組織
オーナーバージニア・ハラス・マカスキー
GMライアン・ポールズ
ヘッドコーチマット・エバーフラス

NFLは9度制覇しており、1985年に第20回スーパーボウルを制覇している[注 1]。NFL創設時から存在するチームであり、勝利数、プロフットボール殿堂入りメンバー数、永久欠番選出数はいずれもNFL32チームで最も多い。

概要 編集

1920年9月17日にイリノイ州ディケーターディケーター・ステイリーズ(Decatur Staleys)として創設し、誕生したばかりのNFL(当時は、アメリカン・プロフェッショナル・フットボール・アソシエーション、略称:APFA)に加入した。NFLオリジナルチームで現存するのは、ベアーズとアリゾナ・カージナルス(当時は、ラシーン・カージナルス)の2チームのみである。1921年シカゴに移転し、シカゴ・ステイリーズ(Chicago Staleys)、1922年に現在まで続くシカゴ・ベアーズ(Chicago Bears)へと改名した。1970年シーズンまでは、シカゴ市内北部のリグレー・フィールドをホームとしていたが、現在はミシガン湖に隣接する南部エリアにあるソルジャー・フィールドをホームとしている。グリーンベイ・パッカーズとは、同じNFC北地区にあり、チームのNFL加入も1年しか違わない(パッカーズ は1921年加入)ため、長年にわたりライバル関係にある。

伝統的にディフェンスとランオフェンスによるボールコントロールを主体とした戦術を採用している。本拠地のソルジャー・フィールドは厳冬期はミシガン湖の上を吹き寄せる風によって大雪が降ったり、1988年のプレーオフ、フィラデルフィア・イーグルス戦(Fog Bowl)のように濃霧の中で行われた試合もある。

シカゴを地盤とする第44代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマは、自らがベアーズ・ファンであることを公言している[1]

歴史 編集

チーム創設期 編集

チーム創設者ジョージ・ハラス(右)とNFLコミッショナーピート・ロゼール

ベアーズは、元々イリノイ州ディケーターに本社を置く食品澱粉製造企業のA・E・ステイリー社が会社のチームとしてディケーター・ステイリーズという名称で設立したチームだった[注 2]1920年、ステイリー社は、ジョージ・ハラスダッチ・スターナマンをチームを運営するために雇用した。ベアーズとNFLの公式記録上では、ハラスが創設者とされている。翌1921年、ステイリー社はチームをハラスとスターナマンに引き継ぎ、本拠地はシカゴへ、チーム名はシカゴ・スタリーズへと変更した。ハラスとスターナマンがステイリー社と交わした契約により、ハラスはステイリー社からチームのの権利を100ドルで購入している。

1922年、ハラスはチーム名をシカゴ・ベアーズへと変更した。また、ホームスタジアムをMLBのシカゴ・カブスが使用されているリグレー・フィールドに移転した。チーム名は、MLBシカゴ・カブスのカブス(小熊)と対比し、フットボール選手は野球選手より大きいという理由でベアーズ(熊)の名が採用された。また、チームカラーは、ハラスの母校であるイリノイ大学の鮮やかなオレンジとブルーを若干濃くした色を採用した。

ベアーズは、NFL創設初期には圧倒的な強さを誇った。ベアーズとグリーンベイ・パッカーズとのライバル関係は、アメリカのプロスポーツ界で最も古く、1921年まで遡る。この年、ハラスはパッカーズが特定の選手と契約するのを阻止するためにリーグから除名させ、ベアーズがその選手との契約を成立させた後に、リーグに再加入させたという事件があった。

1924年のチーム写真

1921年にはNFLチャンピオンシップを獲得して以降、10年間その強さを維持した。1924年12月7日、ベアーズはクリーブランド・ブルドッグスを破って優勝を果たし、この年のチーム写真に「ワールドチャンピオン」という称号が付けられた。しかし、NFLでは11月30日以降の試合はリーグ戦の順位に含まれないことを事前に示しており、実際はクリーブランドに次ぐ2位であった。

1925年、ベアーズは、イリノイ大学4年生HBのレッド・グレンジを、グランジが大学を卒業する1日前に契約したことから、NFLは「大学生が卒業するまで選手と契約できない」というルールを長年制定していた。

この頃、チームは強かったものの、チーム内部では運営費の増加と観客動員数の減少という問題を抱えていた。カレッジフットボールシカゴ大学の試合では1試合に40,000人から50,000人の観客が集まるのに対し、ベアーズは1試合に5,000人から6,000人の観客しか集まらなかった。そのため、ベアーズとしては、カレッジフットボールのトップ選手であるレッド・グレンジを選手として起用することで、より多くのファンを獲得したい、という思惑があった。グレンジは代理人のC.C.パイルを介し、ベアーズと1試合2,000ドルの契約を結んだ。最初の試合ではサイドラインにとどまったものの、ベアーズのQBジョーイ・スターナマンからチームのプレーを学び、その後の試合では、75,000人の観客を集め、西海岸のカレッジ・オールスターチームとして結成されたロサンゼルス・タイガース相手に17対7で勝利した。

1926年、レッド・グレンジはベアーズとの契約交渉がうまくいかず、パイルが創設したニューヨーク・ヤンキースAFL)に移籍した。また、ジョーイ・スターナマンは自身がオーナーを務めるシカゴ・ブルズ(AFL)へ移籍した。その後、ベアーズはパディ・ドリスコルと契約した。シーズン後、AFLはわずか1シーズンで解散してしまったため、グレンジとジョーイ・スターナマンはベアーズに復帰することになった。

チームは財政的損失を負い続けており、1932年シーズン限りでハラスと共にチームを支えたダッチ・スターナマンは退団した[注 3]。12月18日、この年に導入され、非公式のNFLチャンピオンシップゲームとなった試合で、ベアーズがポーツマス・スパルタンズ(現、デトロイト・ライオンズ)相手に、シカゴ・スタジアムで行われた初の屋内アメリカンフットボールの試合に勝利した。

1932年のプレーオフゲームの成功により、NFLはチャンピオンシップゲームを導入することになった。1933年の初のNFLチャンピオンシップゲームでは、ベアーズはニューヨーク・ジャイアンツと対戦し、23-21で勝利した。

モンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ時代 編集

1940年から1947年にかけてQBのシド・ラックマンを擁して、5回のNFLチャンピオンシップゲームに出場し4回の優勝を果たした。この頃のベアーズは、「モンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ」と呼ばれた(後述)。1940年12月8日に開催された1940年NFLチャンピオンシップゲームグリフィス・スタジアム)では、ワシントン・レッドスキンズ相手にNFL史上最も点差の開いた試合となる73-0での勝利を果たした[2]。1950年代はチームはどん底の時期を過ごしたが、1963年に再びチャンピオンシップゲームを制した。しかし、その後スーパーボウル優勝まで20年以上遠ざかることになった。1960年代終わりにはディック・バトカスゲイル・セイヤーズブライアン・ピッコロらを擁した。1971年にはABCのテレビ映画「Brian's Song」が作られ、ピッコロをジェームズ・カーン、セイヤーズをビリー・ディー・ウィリアムズが演じた。ハラスを演じたジャック・ウォーデンエミー賞を受賞した。

ハラスは1967年にヘッドコーチを退任し、その後オーナーとなっていたが1970年のNFLによるAFLの吸収合併が行われた後、結成されたNFCの代表に選ばれ。1983年に亡くなるまで務めた。現在では、NFCチャンピオンシップゲームに勝利したチームに渡される「ジョージ・ハラス・メモリアル・カップ」にハラスの名が残されている。

苦闘の時代 編集

1969年及び1970年は地区最下位に終わった。1975年のドラフト1巡目でジャクソン州立大学からウォルター・ペイトンを獲得した。ペイトンは1977年にシーズンMVPを獲得する活躍を見せて[3][4]1984年にはジム・ブラウンが持っていた通算ラッシング獲得ヤード記録を塗り替えて1987年に引退した。この記録は2002年にエミット・スミスに破られるまで保持された。[5]ペイトンはベアーズファンによって「Sweetness」と呼ばれ愛された。1999年に彼はガンのため亡くなった。

ディトカによるスーパーボウル制覇 編集

13年間チームで活躍したRBウォルター・ペイトン(1986年)

1961年から1966年にベアーズのタイトエンドとして活躍したマイク・ディトカ1982年にヘッドコーチに就任した。彼の下でディフェンス・コーディネーターだったバディ・ライアンの考案した46ディフェンスやペイトンの活躍でチームは1985年のシーズンは、マンデーナイトフットボールマイアミ・ドルフィンズに1敗した以外負け無しの15勝1敗でシーズンを終え、NFCのプレーオフではニューヨーク・ジャイアンツロサンゼルス・ラムズを無得点に抑えスーパーボウルまで勝ち上がった。第20回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツを46-10で破りスーパーボウル初制覇を果たした。この試合では3サックをマークしたリチャード・デントがMVPに選ばれている。また、レギュラーシーズンの対グリーンベイ・パッカーズ戦でワイドレシーバーとしても起用されTDパスを捕球したウィリアム・ペリーがショートヤードを残したところでフルバックとして起用され、タッチダウンを獲得している。

スーパーボウル制覇後 編集

選手とコーチの両方でベアーズの優勝に貢献したマイク・ディトカ(2006年)

スーパーボウルを制覇した後も地区優勝を続けるなど、NFCの強豪として活躍を見せたベアーズだが、ウェストコーストオフェンスを用いたサンフランシスコ・フォーティナイナーズにプレーオフで敗れるシーズンが相次ぎ現在46ディフェンスは使われなくなっている。1992年シーズン終了後、ディトカがヘッドコーチを解任された後、ダラス・カウボーイズジミー・ジョンソンヘッドコーチの下でディフェンスコーディネーターを務めたデイブ・ウォンステッド1993年から1998年までヘッドコーチを務めたがプレーオフには1度しか出場を果たせなかった。1999年からヘッドコーチとなったディック・ジャーロン2001年に地区優勝を果たしコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたが2003年までの5シーズンでチームがプレーオフに出場したのはその1度きりであった。

2002年シーズンのみ、本拠地ソルジャー・フィールドの改修工事に伴い、イリノイ州シャンペーンイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校内にあるメモリアル・スタジアムを使用した。

ラビー・スミスの時代 編集

2004年ラビー・スミスが新ヘッドコーチに就任した。

2005年ドラフト4巡目にQBカイル・オートンを指名した。この年は11勝5敗の成績をあげて、チームを地区優勝を果たした[6]。ディビジョナルプレーオフでカロライナ・パンサーズに21-29で破れシーズンを終えた[7]

2006年、チームは開幕から7連勝し[8]、第9週にマイアミ・ドルフィンズに敗れて連勝は止まったものの[9]、第13週に地区優勝を決定[10]、13勝3敗でNFC第1シードを獲得した。ディビジョナルプレーオフでシアトル・シーホークスをオーバータイムの末、27-24で破り1988年以来となるNFCチャンピオンシップゲームに進出した[11]。NFCチャンピオンシップゲームではトーマス・ジョーンズや守備陣の活躍で、ニューオーリンズ・セインツを39-14で破り、21年ぶりのスーパーボウル出場を果たした[12]。ラビー・スミスは相手チーム、インディアナポリス・コルツトニー・ダンジーと共にスーパーボウルに出場した初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチとなった[13]第41回スーパーボウルではデビン・ヘスターのキックオフリターンタッチダウンで開始14秒でベアーズが先制、第1Qにさらにレックス・グロスマンからムーシン・モハメドへのタッチダウンパスも決まり14-6とリードした。QBのグロスマンは28本中20本のパスを成功させたが2インターセプトを喫し、5点差だった第4Q初めにグロスマンのパスをインターセプトしたケルビン・ヘイデンに56ヤードのリターンタッチダウンを決められ[14]、最終的に17-29で敗れた。

2007年3月5日、トーマス・ジョーンズをドラフト2巡指名権と引き換えにニューヨーク・ジェッツにトレードした[15]。この年チームは7勝9敗に終わりプレーオフを逃した[16]

2008年、9勝7敗でプレーオフを逃した。シーズン終了後、契約最終年のグロスマンと延長契約を結ばず放出した。

2009年デンバー・ブロンコスのプロボウルQBジェイ・カトラーをQBカイル・オートンドラフト指名権と引き換えに獲得、サラリーキャップのためセントルイス・ラムズから放出されたオフェンスラインのオーランド・ペースを獲得した。

2010年カロライナ・パンサーズからジュリアス・ペッパーズを、ミネソタ・バイキングスからチェスター・テイラーを獲得した[17]。10月24日のワシントン・レッドスキンズ戦ではディアンジェロ・ホールに4インターセプトを喫し14-17で敗れた[18]。NFC北地区優勝を果たし、ディビジョナルプレーオフでシアトル・シーホークスを破り、NFCチャンピオンシップゲームまで進出しグリーンベイ・パッカーズと対戦したが、第3Qにジェイ・カトラーが負傷退場[19]、その後トッド・コリンズケイレブ・ヘイニーがリリーフしたが敗れた[20]

2011年、開幕から連勝を続けるグリーンベイ・パッカーズからは離されたものの、マット・フォーテイがランとレシーブの合計獲得ヤード数でNFLトップの活躍などで5連勝し7勝3敗とプレーオフ出場を争っていたが[21]、第11週にジェイ・カトラーが右手親指を骨折して戦線離脱[22]、フォーテイも第13週に負傷し戦線を離脱した[23]。控えQBのヘイニーが先発QBとなってから4連敗[24]ジョシュ・マカウンが先発QBとして最後の2試合に先発出場し、最終週のミネソタ・バイキングス戦に勝利し連敗を5で止めて8勝8敗でシーズンを終えた[25]。シーズン終了後、パス偏重でカトラーとの確執も噂されていたマーク・マーツオフェンスコーディネーターが退団した[26][27]。またジェリー・アンジェロGMも解任された[28]

2012年、第9週までの9試合で8勝1敗の成績をあげたが、その後3連敗するなど、残り7試合で2勝5敗、10勝6敗となり、タイブレークでプレーオフ出場を逃した[29]。シーズン終了後、ラビー・スミス・ヘッドコーチは解任された[30]。後任ヘッドコーチには、CFLモントリオール・アルエッツヘッドコーチとして5シーズンで2度優勝しているマーク・トレストマンが就任することとなった[31]

トレストマンの時代 編集

2013年シーズンは最終節まで地区優勝を争ったが、最終戦のパッカーズ戦で残り38秒にタッチダウンで逆転され敗戦。プレーオフ進出も果たせなかった[32]

2014年シーズンはカトラーと2020年まで契約を延長して臨んだものの[33]、10月に3連敗、終盤に5連敗を喫し地区最下位となった。カトラーの調子も安定せず、一時は控えに降格した[34]。シーズン終了後、トレストマン・ヘッドコーチが解雇され[35]、後任には元カロライナ・パンサーズのヘッドコーチで、2014年シーズンまでデンバー・ブロンコスヘッドコーチを務めていたジョン・フォックスが迎えられた[36]

ジョン・フォックスの時代 編集

カトラーは2016年シーズン後に引退し、チームはフォックスのもとで、2015年2016年2017年と3年続けて地区最下位に沈み、2017年シーズン後にフォックスは解任された。後任はカンサスシティ・チーフスOCのマット・ナギーとなった。

マット・ナギーの時代 編集

2018年シーズンは、前年のドラフト全体2位で指名したミッチェル・トゥルビスキーをエースQBとし、4年ぶりに地区最下位を脱し、8年ぶりに地区優勝とプレーオフ出場を遂げたが、プレーオフ初戦で敗退した。2019年はプレーオフを逃した。

2020年新型コロナウイルス感染症の流行により全試合を無観客で開催した。ドラフト指名権とのトレードでジャクソンビル・ジャガーズからQBニック・フォールズを獲得した。8勝8敗の成績ながらもワイルドカードでプレーオフに進出したが初戦でニューオーリンズ・セインツに敗れた。

2021年、前ダラス・カウボーイズのQBアンディ・ダルトンと契約、トゥルビスキーはバッファロー・ビルズに移籍、この年のドラフト1巡目でQBジャスティン・フィールズを指名した。プレーオフ進出は逃した。シーズン終了直後、HCナギーとGMペースを解雇した。GMの後任にはカンザスシティ・チーフスの選手人事部門責任者だったライアン・ポールズが就任した。HCには、インディアナポリス・コルツのDCだったマット・エバーフラスが就任した。

マット・エバープラスの時代 編集

2022年、シーズン最後まで10連敗を喫するなど成績は振るわず、地区最下位でプレーオフを逃し、リーグ全体でも最下位の勝率となり翌ドラフトの総合1位の指名権を得た。

2023年、開幕から4連敗を喫して前年からの連敗を14とするも、5週目にワシントン・コマンダースを破って連敗を止めた[37]。負け越してプレーオフを逃した。最下位に終わったカロライナ・パンサーズから1年前に2024年ドラフトの一巡目の権利をトレードで得ていたため、2年連続しての総合1位に加え9位の指名権を手にすることになった。

文化 編集

ステイリー・ダ・ベアー

モンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ 編集

ベアーズの強力なディフェンス陣はしばしばモンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ(Monsters of the Midway)と呼ばれていた。最初は1940年と1941年の圧倒的な強さのことを指していたが、第20回スーパーボウルで優勝した1985年にも同様の呼称をされ、以来ベアーズのディフェンス陣、特にラインバッカーを指すニックネームとなった。もともとは、エイモス・アロンゾ・スタッグ率いるシカゴ大学フットボールチームのニックネームであり、同大学キャンパスに隣接する「ミッドウェイ・プレイサンズ」という通り名から名付けられた。そのため、シカゴ・ミッドウェー国際空港とは関係がない。

ベアーズのラインバッカーとして活躍した選手には、ビル・ジョージ(1952–1965)、ディック・バトカス(1965–1973)、マイク・シングレタリー(1981–1992)、ブライアン・アーラッカー(2000–2012)などがいる。

マスコット 編集

チームの公式マスコットは、クマステイリー・ダ・ベアー(Staley Da Bear)である。名前は、元々のベアーズ創設者である農工業製品メーカーのA・E・ステイリー社から名付けられた。2003年に登場し、以来試合のみならず、チャリティーイベント、パーティー、シカゴ・ラッシュAFL、2013年解散)の試合などに参加している。

チアリーダー 編集

現在、ベアーズにはチアリーダーは存在しない[38]が、1970年代後半から1985年までシカゴ・ハニーベアーズ(Chicago Honey Bears)が活動していた。第20回スーパーボウルで優勝したのち、解散となった。

2024年シーズン

2024年シーズンのベアーズの対戦相手
AFCNFC
前年西地区南地区北地区東地区西地区南地区北地区東地区
1位チーフステキサンズレイブンズビルズ49ersバッカニアーズライオンズカウボーイズ
2位レイダースジャガーズブラウンズドルフィンズラムズセインツパッカーズイーグルス
3位ブロンコスコルツスティーラーズジェッツシーホークスファルコンズバイキングスジャイアンツ
4位チャージャーズタイタンズベンガルズペイトリオッツカージナルスパンサーズベアーズコマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2023年シーズン及び過去10シーズンの成績
成績地区DivCon総得点総失点平均得点平均失点
2023レギュラー敗退4位7100.4122–46–636037921.222.3
2022レギュラー敗退4位3140.1760-61-1132646319.227.2
2021レギュラー敗退3位6110.3532-44-831140718.323.9
2020ワイルドカード敗退2位(7)880.5002-46-637237023.323.1
2019レギュラー敗退3位880.5004-27-528029817.518.6
2018ワイルドカード敗退1位(3)1240.7505-110-242128326.317.7
2017レギュラー敗退4位5110.3130-61-1126432016.520.0
2016レギュラー敗退4位3130.1882-43-927939917.424.9
2015レギュラー敗退4位6100.3751-53-933539720.924.8
2014レギュラー敗退4位5110.3131-54-831944219.927.6
2013レギュラー敗退2位880.5002-44-844547827.829.9

()内はシード順

2023年シーズン成績

NFC北地区 2023
チーム勝率DivCon総得点総失点平均得点平均失点得失差
(3)デトロイト・ライオンズ1250.7064–28–446139527.123.23.9
(7)グリーンベイ・パッカーズ980.5294–27–538335022.520.61.9
ミネソタ・バイキングス7100.4122–46–634436220.221.3-1.1
シカゴ・ベアーズ7100.4122–46–636037921.222.3-1.1
NFC 2023

チーム
勝率DIVCONSOSSOV
地区優勝
1[a]サンフランシスコ・49ers西1250.7065–110–2.509.475
2[a]ダラス・カウボーイズ1250.7065–19–3.446.392
3[a]デトロイト・ライオンズ1250.7064–28–4.481.436
4[b]タンパベイ・バッカニアーズ980.5294–27–5.481.379
ワイルドカード
5フィラデルフィア・イーグルス1160.6474–27–5.481.476
6ロサンゼルス・ラムズ西1070.5885–18–4.529.453
7[c][d]グリーンベイ・パッカーズ980.5294–27–5.474.458
レギュラーシーズン敗退
8[c][d]シアトル・シーホークス西980.5292–47–5.512.392
9[b][c]ニューオーリンズ・セインツ980.5294–26–6.433.340
10ミネソタ・バイキングス7100.4122–46–6.509.454
11シカゴ・ベアーズ7100.4122–46–6.464.370
12アトランタ・ファルコンズ7100.4123–34–8.429.462
13ニューヨーク・ジャイアンツ6110.3533–35–7.512.353
14ワシントン・コマンダース4130.2350–62–10.512.338
15アリゾナ・カージナルス西4130.2350–63–9.561.588
16カロライナ・パンサーズ2150.1181–51–11.522.500
タイブレーク
  1. ^ a b c カンファレンス勝率で1位が49ers、2位がカウボーイズ、3位がライオンズ
  2. ^ a b 共通の対戦相手における勝率でバッカニアーズがセインツを上回り、地区優勝
  3. ^ a b c カンファレンス勝率でセインツがパッカーズ・シーホークスを下回り、9位確定
  4. ^ a b 勝利した相手の勝率でパッカーズがシーホークスを上回る
                  
ワイルドカード・プレーオフディビジョナル・プレーオフ
2024年1月15日
レイモンド・ジェームス・スタジアム
  1月21日
フォード・フィールド
  1月28日
リーバイス・スタジアム
  2月11日
アレジアント・スタジアム
 5 イーグルス 9
 4 バッカニアーズ 32 
2024年1月14日
フォード・フィールド
 4 バッカニアーズ 23
  3 ライオンズ 31 
 6 ラムズ 23NFC
 3 ライオンズ 24 1月20日
リーバイス・スタジアム
2024年1月14日
AT&Tスタジアム
 3 ライオンズ 31
  1 49ers 34 
NFCチャンピオンシップ
1月28日
M&Tバンク・スタジアム
 7 パッカーズ 48
 7 パッカーズ 21
 2 カウボーイズ 32  
 1 49ers 24 
2024年1月13日
アローヘッド・スタジアム
1月21日
ハイマーク・スタジアム
 N1 49ers 22
  A3 チーフス 25
 6 ドルフィンズ 7第58回スーパーボウル
 3 チーフス 26 
2024年1月15日
ハイマーク・スタジアム
 3 チーフス 27
  2 ビルズ 24 
 7 スティーラーズ 17AFC
 2 ビルズ 31 1月20日
M&Tバンク・スタジアム
2024年1月13日
NRGスタジアム
 3 チーフス 17
  1 レイブンズ 10 
AFCチャンピオンシップ
 5 ブラウンズ 14
 4 テキサンズ 10
 4 テキサンズ 45  
 1 レイブンズ 34 
  • 対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
  • スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
  • チーム名の左の数字はシード順。
  • * 延長戦決着
  • 日付はアメリカ東部時間

成績 編集

NFC北地区(2002年-現在) 編集

地区優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
2023DET(3c)1250GB (7d)980MIN7100CHI7100
2022MIN(3w)1340DET980GB890CHI3140
2021GB (1d)1340MIN890CHI6110DET3131
2020GB (1c)1330CHI(7w)880MIN790DET5110
2019GB (2c)1330MIN(6d)1060CHI880DET3121
2018CHI(3w)1240MIN871GB691DET6100
2017MIN(2c)1330DET970GB790CHI5110
2016GB (4c)1060DET(6w)970MIN880CHI3130
2015MIN(3w)1150GB (5d)1060DET790CHI6100
2014GB (2c)1240DET(6w)1150MIN790CHI5110
2013GB (4w)871CHI880DET790MIN5101
2012GB (3d)1150MIN(6w)1060CHI1060DET4120
2011GB (1d)1510DET(6w)1060CHI880MIN3130
2010CHI(2c)1150GB (6v)1060DET6100MIN6100
2009MIN(2c)1240GB (5w)1150CHI790DET2140
2008MIN(3w)1060CHI970GB6100DET0160
2007GB (2c)1330MIN880DET790CHI790
2006CHI(1s)1330GB880MIN6100DET3130
2005CHI(2d)1150MIN970DET5110GB4120
2004GB (3w)1060MIN(6d)880DET6100CHI5110
2003GB (4d)1060MIN970CHI790DET5110
2002GB (3w)1240MIN6100CHI4120DET3130

NFC中地区(1970年-2001年) 編集

  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
地区優勝2位3位4位5位
チームチームチームチームチーム
2001CHI(2d)1330GB(4d)1240TB(6w)970MIN5110DET2140
2000MIN(2c)1150TB(5w)1060GB970DET970CHI5110
1999TB(2c)1150MIN(4d)1060DET(6)880GB880CHI6100
1998MIN(1c)1510GB(5w)1150TB880DET5110CHI4120
1997GB(2s)1330TB(4d)1060DET(5w)970MIN(6d)970CHI4120
1996GB(1v)1330MIN(6w)970CHI790TB6100DET5110
1995GB(3c)1150DET(5w)1060CHI970MIN880TB790
1994MIN(3w)1060GB(4d)970DET(5w)970CHI(6d)970TB6100
1993DET(3w)1060MIN(5w)970GB(6d)970CHI790TB5110
1992MIN(3w)1150GB970TB5110CHI5110DET5110
1991DET(2c)1240CHI(4w)1150MIN880GB4120TB3130
1990CHI(4d)1150TB6100DET6100GB6100MIN6100
1989MIN(3d)1060GB1060DET790CHI6100TB5110
1988CHI(1c)1240MIN(4d)1150TB5110DET4120GB4120
1987CHI(2d)1140MIN(5c)870GB591TB4110DET4110
1986CHI(2d)1420MIN970DET5110GB4120TB2140
1985CHI(1v)1510GB880MIN790DET790TB2140
1984CHI(3c)1060GB880TB6100DET4111MIN3130
1983DET(3d)970GB880CHI880MIN880TB2140
1982GB(3d)531MIN(4d)540TB(7w)540DET(8w)450CHI360
1981TB(3d)970DET880GB880MIN790CHI6100
1980MIN(3d)970DET970CHI790TB5101GB5101
1979TB(2c)1060CHI(5w)1060MIN790GB5110DET2140
1978MIN(3d)871GB871DET790CHI790TB5110
1977MIN(3c)950CHI(4d)950DET680GB4100TB2120
1976MIN(1s)1120CHI770DET680GB590
1975MIN(1d)1220DET770CHI4100GB4100
1974MIN(s)1040DET770GB680CHI4100
1973MIN(s)1220DET671GB572CHI3110
1972GB(d)1040DET851MIN770CHI491
1971MIN(d)1130DET761CHI680GB482
1970MIN(d)1220DET(d)1040GB680CHI680

NFL西カンファレンス・中地区(1967年-1969年) 編集

地区優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
1969MIN(s)1220DET941GB860CHI1130
1968MIN(c)860CHI770GB671DET482
1967GB(v)941CHI761DET572MIN383

NFL西カンファレンス(1953年-1966年) 編集

優勝2位3位4位5位6位7位
チームチームチームチームチームチームチーム
1966GB(V)1220BAL950LA860SF662CHI572DET491MIN491
スーパーボウル開始
1965GB(v)1031BAL1031CHI950SF761MIN770DET671LA4100
1964BAL(n)1220GB851MIN851DET752LA572CHI590SF4100
1963CHI(v)1112GB1121BAL860DET581MIN581LA590SF2120
1962GB(v)1310DET1130CHI950BAL770SF680MIN2111LA1121
1961GB(v)1130DET671BAL860CHI860SF761LA4100MIN3110
1960GB(n)840DET750SF750BAL660CHI561LA471DAL0111
1959BAL(v)930CHB840GB750SF750DET381LA2100
1958BAL(v)930CHB840LA840SF660DET471GB1101
1957DET(v)840SF840BAL750LA660CHB570GB390
1956CHB(n)921DET930SF561BAL570GB480LA480
1955LA(n)831CHB840GB660BAL561SF480DET390
1954DET(n)921CHB840SF741LA651GB480BAL390
1953DET(v)1020SF930LA831CHB381BAL390GB291

NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年) 編集

優勝2位3位4位5位6位7位
チームチームチームチームチームチームチーム
1952DET(v)930LA930SF750GB660CHB570DAL1110
1951LA(v)840DET741SF741CHB750GB390NYY192
1950LA(n)93xCHB93xNYY75xDET66xGB39xSF39xBAL111x

NFL西地区(1933年-1949年) 編集

優勝2位3位4位5位6位
チームチームチームチームチームチーム
1949LA(n)822CHB930CHC651DET480GB2100
1948CHC(n)1110CHB1020LA651GB390DET2100
1947CHC(v)930CHB840GB651LA660DET390
1946CHB(v)821LA641GB650CHC650DET1100
1945CLE(v)910DET730GB640CHB370CHC190
1944GB(v)820CHI631DET631CLE460Card-Pitt0100
1943CHB(v)811GB721DET361CHC0100
1942CHB(n)1100GB821CLE560CHC380DET0110
1941CHB(v)1010GB1010DET461CHC371CLE290
1940CHB(v)830GB641DET551CLE461CHC272
1939GB(v)920CHB830DET650CLE551CHC1100
1938GB(n)830DET740CHB650CLE470CHC290
1937CHB(n)911GB740DET740CHC551CLE1100
1936GB(v)1011CHB930DET840CHC281
1935DET(v)732GB840CHB642CHC642
1934CHB(n)1300DET1030GB760CHC560StL120CIN080
1933CHB(v)1021POR650GB571CIN361CHC191

NFL(1920年-1932年) 編集





チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
193281CHB7162GB10313POR6244BOS4425NY4627CHC262
1931101GB12202POR11303CHB8504CHC5405NY761
1930111GB10312NY13403CHB9417CHC5628POR563
1929121GB12012NY13114CHC6619CHB492
1928104GB6435CHB7516NYG4729CHC150
1927121NYG11112GB7213CHB9329CHC371
1926222CHB12135GB7336NY84110CHC561
1925201CHC11214NY8407CHB9539GB850
1924182CHB6146GB7408CHC541
1923202CHB9213GB7216CHC840
1922182CHB9303CHC8308GB433
1921211CHS9327GB7219CHC332
1920142DEC10124CHC622

主な選手 編集

現役選手 編集

永久欠番 編集

シカゴ・ベアーズ 永久欠番一覧
背番号選手ポジション在籍期間
3ブロンコ・ナグルスキーBronko NagurskiFB, LB, T1930–1937, 1943
5ジョージ・マカフィーGeorge McAfeeLB, DB1940–1941, 1945-1950
7ジョージ・ハラスGeorge HalasE1920–1929
28ウィリー・ガリモアWillie GalimoreRB1957–1963
34ウォルター・ペイトンWalter PaytonRB1975–1987
40ゲイル・セイヤーズGale SayersRB, KR1965–1971
41ブライアン・ピッコロBrian PiccoloRB, FB1965–1969
42シド・ラックマンSidney LuckmanQB, DB, P1939–1950
51ディック・バトカスDick ButkusMLB1965–1973
56ビル・ヒューイットBill HewittE1932–1936
61ビル・ジョージBill GeorgeMLB1952–1965
66ブルドッグ・ターナーBulldog TurnerC, LB1940–1952
77レッド・グレンジRed GrangeRB, DB1925, 1929–1934
89マイク・ディトカMike DitkaTE1961–1966

プロフットボール殿堂入り 編集

プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号名前ポジション在籍期間選出年
7ジョージ・ハラスGeorge HalasTE, DE1920–19281963
-創設者, オーナー, ヘッドコーチ1920–1983
77レッド・グレンジHarold (Red) GrangeHB, CB1925, 1929–19341963
3ブロンコ・ナグルスキーBronko NagurskiHB, OT, LB1930–1937, 19431963
13ジョージ・トラフトンGeorge TraftonC, DT1920–1921, 1923–19321964
1, 15ジミー・コンツェルマンJimmy ConzelmanQB19201964
16エド・ヒーリーEd HealeyOT, DT1922–19271964
11リンク・ライマンWilliam R. LymanOT, DT1926–1928, 1930–1931, 1933–19341964
13, 23ガイ・チェンバリンGuy ChamberlinEnd, DE1920–19211965
1パディ・ドリスコルPaddy DriscollQB, DB, K1926–19291965
-ヘッドコーチ1920–1922, 1956–1957
21ダン・フォートマンDan FortmannOG, DT1936–19431965
42シド・ラックマンSid LuckmanQB, CB1939–19501965
5ジョージ・マカフィーGeorge McAfeeHB, DB1940–1941, 1945–19501966
66ブルドッグ・ターナーBulldog TurnerC, DT1940–19521966
25ウォルト・キースリングWalt KieslingOG19341966
13ジョー・スタイダハーJoe StydaharOT, DT1936–1942, 1945–19461967
22ボビー・レーンBobby LayneQB19481967
56ビル・ヒューイットBill HewittTE, DE1932–19361971
61ビル・ジョージBill GeorgeLB1952–19651974
71ジョージ・コナーGeorge ConnorOT, LB1948–19551975
40ゲイル・セイヤーズGale SayersHB1965–19711977
51ディック・バトカスDick ButkusLB1965–19731979
16ジョージ・ブランダGeorge BlandaQB, K1949, 1950–19581981
16ジョージ・ムッソGeorge MussoOT, G1933–19441982
81ダグ・アトキンスDoug AtkinsDE1955–19661982
89マイク・ディトカMike DitkaTE1961–19661988
-ヘッドコーチ1982–1992
82アラン・ペイジAlan PageDL1978–19811988
78スタン・ジョーンズStan JonesOT1954–19651991
34ウォルター・ペイトンWalter PaytonHB1975–19871993
50マイク・シングレタリーMike SingletaryLB1981–19921998
99ダン・ハンプトンDan HamptonDE1979–19902002
95リチャード・デントRichard DentDE1983–1993, 19952011
76オーランド・ペースOrlando PaceOT20092016
54ブライアン・アーラッカーBrian UrlacherLB2000–20122018
7エド・スプリンクルEd SprinkleDE1944–19552020
74ジム・コバートJim CovertOT1983–19902020
コーチ・エグゼクティブ
名前役職在籍期間選出年
ジム・フィンクスJim FinksGM1974–19821995

ブライアン・ピッコロ賞 編集

ベアーズは毎シーズン、ルーキー選手1名、ベテラン選手1名にブライアン・ピッコロ賞という賞を授与している。これは、1970年に26歳で胚細胞癌のため亡くなったブライアン・ピッコロRB)の勇気、忠誠心、チームワーク、献身、ユーモアのセンスに敬意を表したものである。1970年に始まり、以降授賞式は毎年、本部のハラスホールで開催される。

Top 100 greatest Bears of all-time 編集

オールタイムチーム 編集

その他引退選手 編集

現役選手 編集

ギャラリー 編集

歴代ヘッドコーチ 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 残りの8回はスーパーボウル開催前の優勝
  2. ^ 初期のNFLチームでは、典型的なスタートであった
  3. ^ ハラスは1983年に亡くなるまでベアーズのオーナーを務め、NFL記録となる40シーズンに渡ってコーチを務めた

出典 編集

  1. ^ ベアーズファンのオバマ大統領、宿敵パッカーズを祝福”. NFL JAPAN (2011年8月13日). 2015年1月30日閲覧。
  2. ^ General History — Chronology (1940 to 1959) (Pro Football Hall of Fame)
  3. ^ Walter Payton's Statistics
  4. ^ Remembering Walter Payton デイリー・ヘラルド
  5. ^ Smith passes Payton as NFL's career rushing leader
  6. ^ ベアーズ、NFC北地区優勝”. AFP (2005年12月26日). 2012年1月21日閲覧。
  7. ^ スミス、先制の58ヤードTD”. AFP (2006年1月16日). 2012年1月21日閲覧。
  8. ^ ベアーズ 開幕からの連勝を7に伸ばす”. AFP (2006年10月30日). 2012年1月21日閲覧。
  9. ^ ドルフィンズ ベアーズに快勝し今季2勝目”. AFP (2006年11月6日). 2012年1月21日閲覧。
  10. ^ ベアーズ バイキングスに勝利し2年連続NFC北地区優勝を決める”. AFP (2006年12月4日). 2012年1月21日閲覧。
  11. ^ ベアーズ シーホークスとの接戦を制しNFC決勝へ”. AFP (2007年1月15日). 2012年1月21日閲覧。
  12. ^ ベアーズ セインツを降し21年ぶりにスーパーボウルへ”. AFP (2007年1月22日). 2012年1月21日閲覧。
  13. ^ ダンジーとスミス 歴史的一戦へ”. AFP (2007年1月30日). 2012年1月21日閲覧。
  14. ^ 2006年スーパーボウル
  15. ^ ベアーズ RBトーマス・ジョーンズのトレードを発表”. AFP (2007年3月6日). 2012年1月21日閲覧。
  16. ^ ベアーズ シーズン最終戦でセインツを降す”. AFP (2007年12月31日). 2012年1月21日閲覧。
  17. ^ ベアーズ、DEペパーズ、RBテイラーら即戦力獲得”. NFL JAPAN (2010年3月6日). 2012年1月21日閲覧。
  18. ^ CBホール逆転TD含む4INT、レッドスキンズが乱戦制す”. NFL JAPAN (2010年10月25日). 2012年1月21日閲覧。
  19. ^ カトラー負傷交代に批判続出、同僚アーラッカーは擁護”. NFL JAPAN (2011年1月24日). 2012年1月21日閲覧。
  20. ^ パッカーズ堅守で勝利、第6シードからスーパーボウルへ”. NFL JAPAN (2011年1月24日). 2011年2月7日閲覧。
  21. ^ 【第12週プレビュー】エースQB不在のベアーズ、6連勝なるか”. NFL JAPAN (2011年11月25日). 2012年1月21日閲覧。
  22. ^ ベアーズHC、親指骨折のQBカトラーは「今季絶望じゃない」”. NFL JAPAN (2011年11月22日). 2012年1月21日閲覧。
  23. ^ ベアーズRBフォルテ、「フランチャイズ指定なら去就不透明に」”. NFL JAPAN (2012年1月20日). 2012年1月21日閲覧。
  24. ^ 4連敗で崖っぷちのベアーズ、HCは先発QB交代を示唆”. NFL JAPAN (2011年12月20日). 2012年1月21日閲覧。
  25. ^ ベアーズ連敗ストップ、勝率5割でシーズン終了”. NFL JAPAN (2012年1月2日). 2012年1月21日閲覧。
  26. ^ ベアーズOCが辞任、方向性の違い埋められず”. NFL JAPAN (2012年1月4日). 2012年1月21日閲覧。
  27. ^ ベアーズOCの辞任、不仲のQBカトラーが後押し?”. NFL JAPAN (2012年1月6日). 2012年1月21日閲覧。
  28. ^ Bears release GM Jerry Angelo”. ESPN (2012年1月3日). 2012年1月21日閲覧。
  29. ^ 2012年スケジュール”. NFL JAPAN. 2013年1月2日閲覧。
  30. ^ プレイオフにあと一歩及ばずのベアーズ、スミスHCを解任”. NFL JAPAN (2013年1月1日). 2013年1月2日閲覧。
  31. ^ ベアーズ、新HCはCFLの名将トレストマン氏に決定”. NFL JAPAN (2013年1月17日). 2013年1月18日閲覧。
  32. ^ NFL=パッカーズが劇的勝利でプレーオフへ、チャージャーズも”. ロイター (2013年12月30日). 2015年1月30日閲覧。
  33. ^ 大型契約で残留のカトラー、「FAになるつもりはなかった」”. NFL JAPAN (2014年1月3日). 2015年1月30日閲覧。
  34. ^ ベアーズついに決断!QBカトラーを控え降格”. NFL JAPAN (2014年12月18日). 2015年1月30日閲覧。
  35. ^ ベアーズも大ナタ、トレストマンHCとエメリーGMを解任”. NFL JAPAN (2014年12月30日). 2015年1月30日閲覧。
  36. ^ ベアーズ、新指揮官は前ブロンコスHCのフォックス氏に決定”. NFL JAPAN (2015年1月17日). 2015年1月30日閲覧。
  37. ^ 14連敗を脱したベアーズQBフィールズ、「すべての人々を誇りに思う」”. NFL Japan. 2023年10月7日閲覧。
  38. ^ チアリーダーの存在しないNFLチームは、ベアーズの他にバッファロー・ビルズクリーブランド・ブラウンズグリーンベイ・パッカーズニューヨーク・ジャイアンツピッツバーグ・スティーラーズが挙げられる

外部リンク 編集