田口昌徳

日本の元プロ野球選手

田口 昌徳(たぐち まさのり、1970年8月26日 - )は、茨城県北相馬郡藤代町出身(生まれは常陸大宮市)の元プロ野球選手捕手、右投右打)・コーチ

田口 昌徳
楽天コーチ時代
(2015年、西武プリンスドームにて)
基本情報
国籍日本の旗 日本
出身地茨城県北相馬郡藤代町[1]
生年月日 (1970-08-26) 1970年8月26日(53歳)
身長
体重
180 cm
89 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション捕手
プロ入り1992年 ドラフト4位
初出場1994年6月24日
最終出場2005年10月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

経歴 編集

プロ入り前 編集

小学2年生の時にソフトボールを、小学4年生の時に野球を始める[1]藤代紫水高等学校では1年生からレギュラーとなり、2年秋の県大会で優勝[2]。関東大会に出場したが初戦敗退し甲子園には出場できなかった[1]。高校通算38本塁打[1]駒澤大学へ進学し、2学年先輩の捕手・関川浩一の後を受けて3年生からは1学年先輩で主将の若田部健一竹下潤ともバッテリーを組んだ。4年春には同期の鶴田泰や2学年下の河原純一、投手であった高木浩之らの活躍もあって大学選手権で優勝。2学年後輩には本間満もいた。東都大学リーグ通算49試合出場、130打数37安打、打率.285、8本塁打、26打点。ベストナイン2度受賞。

1992年度ドラフト会議にて日本ハムファイターズから4位指名を受け、入団[1]

プロ入り後 編集

3年目の1995年シーズンには監督に就任した上田利治からリード面を評価され抜擢、次第に試合数を伸ばした。95年オフにそれまで不動の正捕手だった田村藤夫千葉ロッテマリーンズへ移籍したため、1996年シーズンには正捕手として101試合に出場するなどチーム2位の躍進に貢献する。しかし、それまで課題だった打撃と盗塁阻止率が向上しなかった為、1998年シーズンにはヤクルトスワローズから移籍してきた野口寿浩が台頭すると、次第に控えに回ることが多くなった。

2002年シーズン途中、林孝哉との交換トレード福岡ダイエーホークスへ移籍[1]。正捕手の城島健司がケガで戦線離脱した時とアテネ五輪などで同じく城島が抜ける際には、捕手として活躍。

2003年は城島が捕手として全試合フルイニング出場を果たし、田口はシーズンを通して捕手としての出場はなかった。この年は10試合の出場にとどまり、3試合で一塁の守備に就いた。

また、明るい性格でベンチに控えていることも多いため、同じくベンチにまわることの多くなった鳥越裕介とともに、チームのムードメーカーとなり、地元のテレビ番組にもそのキャラクターを生かして数多く出演した。キャラクター・顔つき・喋り方などがかつてのプロ野球界爆笑男であるギャオス内藤とそっくりである。

一軍捕手としては城島の存在感もあって酷評されることも少なくなかったが、二軍でマスクをかぶった際には、若手投手への硬軟自在な指示を行うことから、若手投手の育成に貢献し、2005年シーズン限りで現役を引退。

引退後 編集

2006年からはチームスタッフ(管理部・育成担当)に就任し2009年から2010年までは二軍バッテリーコーチを務め、2011年からはスカウトに就任し[3]2014年11月10日に2015年シーズンからは東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍バッテリーコーチに就任することが発表された[4]2015年シーズン限りで退団[5]

2016年シーズンからは埼玉西武ライオンズの一軍バッテリーコーチに就任[6]。2016年10月1日に退団の申し入れをし了承された[7]2017年シーズンは千葉ロッテマリーンズの一軍バッテリーコーチに就任[8]。同年10月11日に翌年のコーチ契約を行わないことを通告された[9]

2019年6月に、西南学院大学野球部バッテリーコーチに就任[10]

2020年4月からは、岡山県にある環太平洋大学硬式野球部ヘッドコーチに就任。

2023年からはホークスジュニアアカデミーでコーチを務める。

人物 編集

  • ダイエー移籍後の2002年6月29日の対近鉄戦で、誤ってマウンド上の渡辺正和投手のユニフォームを着て試合に出場してしまう珍プレーを演じる[1]。このプレーで、その年の日本テレビの『勇者のスタジアム・プロ野球好珍プレー』では、珍プレー大賞(MVU)に選ばれる。また、同年の7月9日の西武戦で、ホークス時代最初のヒーローインタビュー(事実上最初で最後のヒーローインタビューである)では、インタビュアーのアナウンサーからマイクを奪って「田口です!」と自己紹介した。
  • 2003年、ダイエーの春季キャンプ恒例の「声出し」で「1試合でも多く捕手で試合に出る」という目標を立てる一方、正捕手の城島は「全試合フルイニング出場」を目標に掲げた。先述の通り、城島が宣言通りに捕手として史上2人目の全試合フルイニング出場を果たし、田口は捕手として試合に出ることはなかった。結果、2003年初マスクは長嶋ジャパンの壮行試合となった日本代表vs日本選抜(監督:王貞治)であった。
  • 2003年の日本一祝勝会で、「よう見とけ!これがホントの顔面シャワーじゃ!」と言いチームメイトにビールを浴びせ、フジテレビの『すぽると!』で生中継中だった三宅正治からツッコまれた。
  • 2003年の日本一記念で『関口宏の東京フレンドパークII』に「お笑い隊長」としてチームメイトとともに出演。しかしアトラクションに精一杯で、司会の渡辺正行に「面白いことをやっていない」と突っ込まれ、さらに番組の最後、ダーツのルーレットにて「たわし」を当ててしまった。
  • 後輩の加藤領健は入団発表時「目標は田口さんのようなムードメーカー」と言っていた。
  • 2006年7月、二軍の打撃練習でバッティングピッチャーを務めた際、投げた球が井手正太郎の顔面に直撃し、鼻を骨折する。大きな責任を感じ、井手が病院から帰ってくるまでユニフォームも着替えずに待ち、さらに数日「大丈夫か?」と声をかけ続けた。井手本人は「そんなに気にしなくても」と恐縮しきりであった。
  • 歌唱力がかなり高い。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1994日本ハム25454417000720010000172.159.159.159.318
19958222020015406056113014114116810.200.255.305.560
19961013272862260120587220213017011926.210.280.304.584
199781212188837504542001911202524.197.251.287.538
199860139118724201291201120702294.203.260.246.506
199952524224101850040402130.095.208.190.399
20001914111100010001010110.091.231.091.322
20013171608122001431060401201.200.262.233.495
20024110000000000000010.000.000.000.000
ダイエー
ソフトバンク
351028710204012771080403153.230.287.310.598
'02計391038810204012771080403163.227.284.307.591
20031013102210162000030031.200.385.600.985
20042877676156002160070102232.224.257.313.571
2005612100200022002000040.200.200.200.400
通算:12年53412851124822243901831794256726712533833.199.259.282.541
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

年度別守備成績 編集


捕手一塁


































19942368722.9741954.444-
1995572612054.9832372512.324-
19961005604359.9924816021.259-
19978032243511.9865734924.329-
1998602181210.991131247.226-
1999511191210.99201385.385-
200019262001.0001651.167-
2001311471012.9941972.222-
2002381905001.0000110.000-
2003-330011.000
2004231259011.00011385.385120011.000
20056302001.0000431.250-
通算48820661652133.9911827719582.296450021.000

記録 編集

初記録
その他の記録
  • プロ初盗塁が出場425試合目 ※パ・リーグ野手最遅記録[11]

背番号 編集

  • 31(1993年 - 2002年途中)
  • 57(2002年途中 - 2003年)
  • 22(2004年 - 2005年)
  • 96(2006年 - 2008年)
  • 72(2009年 - 2010年)
  • 88(2015年)
  • 82(2016年)
  • 86(2017年)

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、328ページ
  2. ^ '94スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社
  3. ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P19
  4. ^ 新任コーチに関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2014年11月10日). 2014年11月10日閲覧。
  5. ^ 来季のコーチ契約に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス・公式サイト (2015年10月7日). 2015年10月7日閲覧。
  6. ^ 2016年度 コーチングスタッフ発表!”. 埼玉西武ライオンズ公式サイト (2015年10月13日). 2015年10月13日閲覧。
  7. ^ 埼玉西武ライオンズコーチ来季契約について 西武球団公式サイト 2016年10月1日配信
  8. ^ ロッテ1軍バッテリーコーチに田口昌徳氏が就任”. デイリースポーツ (2016年10月26日). 2015年10月7日閲覧。
  9. ^ コーチ契約について”. 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト (2017年10月11日). 2021年9月3日閲覧。
  10. ^ 元ソフトバンク捕手・田口昌徳氏の夢 西南大コーチに就任”. 西日本スポーツ (2019年6月18日). 2021年9月3日閲覧。
  11. ^ “【珍記録】中日福田が690試合目で「うれしい」初盗塁 史上2番目の遅さ”. 日刊スポーツ. (2021年5月2日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202105010000755.html 2022年9月22日閲覧。 

関連項目 編集

外部リンク 編集