キース・ヘルナンデス

アメリカの野球選手 (1953 - )

キース・バーロウ・ヘルナンデスKeith Barlow Hernandez, 1953年10月20日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身の元プロ野球選手一塁手)。左投左打。

キース・ヘルナンデス
Keith Hernandez
ニューヨーク・メッツ時代
(1986年)
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州サンフランシスコ
生年月日 (1953-10-20) 1953年10月20日(70歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション一塁手
プロ入り1971年 ドラフト42巡目(全体776位)でセントルイス・カージナルスから指名
初出場1974年8月30日
最終出場1990年7月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

人物・来歴 編集

1971年メジャードラフト会議セントルイス・カージナルスから42巡目(全米776位)と、後の実績を思えば非常に低い評価で指名され、入団。1974年8月30日にメジャーデビューを果たし、3年目の1976年には持ち前の巧打と好守備で一塁のレギュラーを獲得。

セントルイス・カージナルス時代のヘルナンデス
(1977年)

1979年には161試合に出場して打率.344で首位打者を獲得。11本塁打、105打点の成績を残し、この年のナ・リーグMVPに選出された(ピッツバーグ・パイレーツウィリー・スタージェルと同点で、2人受賞)。1982年にはチームがワールドシリーズに出場し、ミルウォーキー・ブルワーズ(現在はナ・リーグ所属だが、1997年まではア・リーグ所属だった)と戦う。第6戦で本塁打を放ち、チームをワールドシリーズ制覇に導いた。

1983年6月15日に、2選手との交換でニューヨーク・メッツトレードされた。カージナルスの監督ホワイティ・ハーゾグが、年齢的な衰えを懸念して放出したものであったが、メッツにとっては成功したトレードの一つとなった。

1985年ピッツバーグ薬物裁判に関連して、パイレーツの当時の本拠地スリー・リバース・スタジアムでの麻薬(コカイン)の密買・使用に関与したことが発覚し、「100時間の奉仕活動と麻薬の抜き打ち検査を受ける」ことを条件に出場停止処分を免れるが、チーム及びファンから熱烈な支持を受けてその後も活躍。1986年には打率.310、13本塁打、83打点の活躍でチームのワールドシリーズ制覇に貢献した。

1987年からはチームの初代キャプテンに任命され、この年も打率.290、18本塁打、89打点の活躍を見せるが、1988年以後は衰えが目立ち、1989年クリーブランド・インディアンスに移籍。1990年も43試合の出場にとどまり、この年限りで現役を引退した。

放送席にて解説を務めるヘルナンデス
(2010年)

引退後は解説者として主に活動しており、これに加えて文才もありこれまでに5作の著書があるが、そのうちの1作『Murder at Shea』はシェイ・スタジアムを舞台にした青少年向けのミステリー小説である。

2022年、古巣メッツより在籍時の背番号『17』が永久欠番に指定されることが報じられ、同年7月9日に欠番表彰式が執り行われた。

選手としての特徴 編集

前述の通り首位打者を獲得していることで打撃に優れているのは確実であるが、これに加えて選球眼に優れ、通算でも三振(1012)よりも四球(1070)の方が多い。1977年から1986年まで10年連続して三振よりも四球の方が多かった。

1980年から1988年の間にMLBで公式記録だった勝利打点もその間に129記録しており、これはMLB最多。1985年の24はシーズン記録である。

加えて守備力にも優れ、ゴールドグラブ賞1978年から1988年にかけて11年連続で受賞している。ヘルナンデスの一塁守備が優れているため、1980年代半ばのシカゴ・カブスの監督ジム・フライ1984年にカブスを地区優勝に導く)は、「ランナーが二塁でフォースアウトになって、ピッチャーがランナーになるよりはまし」として、メッツとの試合では、投手にあまり送りバントをさせなかったという。

1987年に打撃不振に陥った時に、テレビで見ていた父からアドバイスを貰って立ち直った。その父は、第二次世界大戦で海軍に従軍し、野球殿堂入りの強打者スタン・ミュージアルと海軍の野球チームのチームメイトであった。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1974STL14413431012014020015070081.294.415.441.856
1975642071882047823682001021720265.250.309.362.671
19761294283745410821571604642204953538.289.376.428.804
19771616455609016341415257917732791118817.291.379.459.838
197815963354290138324112116413516821126812.255.351.389.740
1979161698610116210481111313105116078051789.344.417.513.930
198015969059511119139816294991481486447314.321.408.494.902
198110344437665115274817448125056162459.306.401.463.864
19821606945797917333672399419111121001926710.299.397.413.810
19835524421834621543942611022450302.284.352.431.783
NYM9538932043988391393784216492425.306.424.434.858
'83計150633538771602371223363952388142727.297.396.433.829
1984154657550831713101524794230997121899.311.409.449.858
198515868259387183344102559133010771525914.309.384.430.814
1986149652551941713411324683210394946914.310.413.446.859
19871546765878717028218256890204818410415.290.377.436.813
19889538434843961601114555210431315711.276.333.417.750
1989752442151850804701903002732394.233.324.326.650
1990CLE4314513072620131800001431172.200.283.238.521
MLB:17年208885537370112421824266016232141071986310711070130321012161.296.384.436.820
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績 編集

内野守備


一塁(1B)












1974STL970128.973
19755646936234.996
19761108621071087.990
1977158145310612146.992
197815814369610124.994
197916014891468145.995
198015715721159146.995
198198105486399.997
1982158158613511140.994
19835458151662.991
NYM9083796785.993
'83計144141814713147.992
198415312141428127.994
198515713101394113.997
198614911991495115.996
1987154129814910110.993
19889373477263.998
19895840531422.991
1990CLE4234020228.994
MLB20141790916821151654.994
外野守備


左翼(LF)右翼(RF)
























1981STL320001.000-
1982210001.000240001.000
MLB530001.000240001.000

タイトル 編集

表彰 編集

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背番号 編集

ヘルナンデスのメッツ在籍時の背番号「17」。
ニューヨーク・メッツの永久欠番2022年指定。

外部リンク 編集