A.J.ピアジンスキー

アメリカの野球選手 (1976 - )

アンソニー・ジョン・ピアジンスキーAnthony John Pierzynski, 1976年12月30日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブリッジハンプトン出身の元プロ野球選手捕手)。右投左打。ポーランド系アメリカ人である。また、TNAに所属しプロレスラーとしての活動も行なっていた。

A.J.ピアジンスキー
A.J. Pierzynski
テキサス・レンジャーズでの現役時代
(2013年7月8日)
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地ニューヨーク州ブリッジハンプトン
生年月日 (1976-12-30) 1976年12月30日(47歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション捕手
プロ入り1994年 MLBドラフト3巡目(全体71位)
初出場1998年9月9日
最終出場2016年9月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴 編集

ツインズ時代 編集

1994年MLBドラフトミネソタ・ツインズから3巡目(全体71位)指名を受け、6月9日に契約を結んだ。高校時代のチームメイトにはジョニー・デイモンがいた。契約後はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ツインズで43試合に出場し、打率.289、1本塁打、19打点だった。

1995年はルーキー級エリザベストン・ツインズとA級フォートウェイン・ウィザーズでプレー。A級では22試合に出場し、打率.310、2本塁打、14打点だった。

1996年はA級フォートウェインで114試合に出場し、打率.274、7本塁打、70打点だった。

1997年はA+級フォートマイヤーズ・ミラクルで118試合に出場し、打率.279、9本塁打、64打点、2盗塁だった。

1998年2月24日にツインズと1年契約に合意。開幕後はAA級ニューブリテン・ロックキャッツとAAA級ソルトレイク・バズでプレー。AAA級ソルトレイクでは59試合に出場し、打率.255、7本塁打、30打点、3盗塁だった。9月8日にメジャーへ昇格し、9月9日のアナハイム・エンゼルス戦でメジャーデビュー。5回表から捕手の守備に就き、2打数無安打に終わった。この年は7試合に出場し、打率.300、1打点だった。

1999年2月15日にツインズと1年契約に合意。3月24日にAAA級ソルトレイクへ配属され、開幕を迎えた。5月16日にメジャーへ昇格。昇格後は6試合に出場したが、打率.167と結果を残せず、5月26日にAAA級ソルトレイクへ降格。6月1日に打率.300にメジャーへ再昇格し、3試合に出場したが、6月19日に再びAAA級ソルトレイクへ降格。その後はメジャーへ昇格できず、9試合の出場にとどまり、打率.273、3打点だった。

2000年2月29日にツインズと1年契約に合意。3月16日にAAA級ソルトレイクへ異動した。開幕後はAAA級とAA級ニューブリテンでプレー。AAA級では41試合に出場し、打率.335、4本塁打、25打点、1盗塁だった。8月13日にメジャーへ昇格。昇格後はマシュー・リークロイのバックアップとして33試合に出場し、打率.307、2本塁打、11打点、1盗塁だった。

2001年2月5日にツインズと1年契約に合意。この年は前年正捕手のリークロイが不調で先発から外され、開幕から正捕手に抜擢。114試合に出場し、打率.289、7本塁打、55打点、1盗塁だった。

2002年3月4日にツインズと1年契約に合意。前半戦71試合で打率.320、6本塁打、32打点、1盗塁と活躍し、7月にオールスターに初選出された。この年は130試合に出場し、打率.300、6本塁打、49打点、1盗塁だった。

2003年3月10日にツインズと1年契約に合意。この年は137試合に出場し、打率.312、11本塁打、74打点、3盗塁だった。オフにツインズは2001年のドラフト1位である捕手のジョー・マウアーをメジャーに昇格させることを決めたため、ピアジンスキーは構想外となった[1]

ジャイアンツ時代 編集

2003年11月14日にブーフ・ボンサーフランシスコ・リリアーノジョー・ネイサンとのトレードサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した[2]。ジャイアンツはピアジンスキーの獲得に際し、後にツインズのクローザーとなるネイサン、先発ローテーションの一角を担うようになるリリアーノとボンサーをまとめて放出しており、「史上最悪のワンサイド(一方的な)・トレード」としてファンや地元メディアの不評を買った。

2004年2月18日にジャイアンツと1年契約に合意。前年オフに正捕手のベニート・サンティアゴが退団したため、開幕から正捕手の座を獲得。131試合に出場し、打率.272、11本塁打、77打点だった。オフに後述のトラブルが原因で、12月14日にジャイアンツから放出された[3]

ホワイトソックス時代 編集

2005年1月6日にシカゴ・ホワイトソックスと225万ドルの1年契約を結んだ[4]。前年ホワイトソックスは捕手を固定できず、開幕後は正捕手として起用された。この年は128試合に出場し、打率.257、18本塁打、56打点だった。オフの12月19日にホワイトソックスと総額1500万ドルの3年契約[5]を結んだ[6]

2006年も開幕後は正捕手として起用されていたが、5月20日のシカゴ・カブス戦・2回裏一死満塁(ピアジンスキーは三塁走者)の場面で、ブライアン・アンダーソンが左犠飛を放ったため、タッチアップで本塁へ進入した際に、本塁を塞いでいた捕手のマイケル・バレットにタックルした。バレットがボールを落としたため、判定はセーフとなったが、この行為に怒ったバレットがピアジンスキーを殴り、アンダーソンがカブスの一塁手であるジョン・メイブリーを殴るなど、乱闘騒ぎとなった[7][8]。5月26日にMLB機構はバレットに10試合、アンダーソンに5試合の出場停止処分を発表したが、ピアジンスキーは2000ドルの罰金となった[9]。前半戦76試合で打率.320、6本塁打、29打点と活躍。同年のオールスターファン投票では、捕手部門で3位以内にもランクインしなかったが、オンライン投票で最後の1枠を決める最終投票にノミネートされ、本拠地であるUSセルラー・フィールドでは「パンチA.J.」キャンペーンが盛んに行われていたこともあり、4年ぶりに選出された[10]。この年は140試合に出場し、打率.295、16本塁打、64打点、1盗塁だった。

2007年も正捕手を務め、4月18日のテキサス・レンジャーズ戦でマーク・バーリーノーヒットノーランを達成した際にも捕手を務めた。バーリーは「彼のサインには1度も首を振っていない。彼に大きな信頼を寄せているから、彼のサインに従って投げているよ」と話している[11]6月7日ニューヨーク・ヤンキース戦で、8回裏に三振した際にヘルメットをホームプレートに投げたため、球審のボブ・デービッドソンから退場宣告されたが、その判定にうんざりしたピアジンスキーはバットをプレートに叩きつけた。試合後にピアジンスキーは「彼の判定は正しかったよ。ここ数日フラストレーションが溜まっていて、冷静さを失っていたんだ」と話している[12]。MLB機構はこの行為に対し、1試合の出場停止処分を発表した[13]。この年は136試合に出場し、打率.263、14本塁打、50打点、1盗塁だった。

2008年は134試合に出場し、打率.281、13本塁打、60打点、1盗塁だった。チームはアメリカンリーグディビジョンシリーズへ進出し、全4試合に出場。13打数5安打で打率.385・1打点を記録したが、チームは敗退した。

2009年は138試合に出場し、打率.300、13本塁打、49打点、1盗塁だった。

2010年はホワイトソックス内でトレード話が活発となり、この年契約最終年のピアジンスキーもその一人となった。開幕直後から守備・打撃ともに経験豊富な捕手を必要としているレンジャーズ[14]など数球団のトレードが急浮上し、ピアジンスキーは「トレード拒否権を持っているポール・コネルコ以外の選手はトレードされるし、私もその一人だ。別に驚いていないよ」と話していた[15]が、すべて破談となった。この年は128試合に出場し、打率.270・、9本塁打、56打点、3盗塁だった。オフの12月3日にホワイトソックスと総額800万ドルの2年契約[16]を結んだ[17]

2011年は前半戦80試合で、打率.297、3本塁打、29打点と好調を維持していたが、8月16日に左手首の故障で15日間の故障者リスト入りした[18]。9月2日に復帰[19]。この年は129試合に出場し、打率.287、8本塁打、48打点だった。

2012年の4月21日にはシアトル・マリナーズ戦でフィリップ・ハンバー完全試合の捕手を務めた[20]。この試合でピアジンスキーはサインを見やすくするため右手の指に白いマニキュアを塗り、好リードを見せている[21]。また、8月には5試合連続本塁打を記録した[22]。この年は135試合に出場し、打率.278、27本塁打、77打点だった。オフの10月29日にFAとなった。11月8日に自身初となるシルバースラッガー賞を受賞した[23]。FAとなったピアジンスキーにはヤンキース、レンジャーズ、タンパベイ・レイズなど数球団が調査を開始しており[24]、ホワイトソックスはすでに2013年の総年俸が1億1000万ドルに達すると見られていたため、再契約を見送った。

レンジャーズ時代 編集

2012年12月26日にレンジャーズと750万ドルの1年契約を結んだ[25][26]

2013年は前年正捕手のマイク・ナポリが移籍したため、開幕から正捕手として起用された。移籍後3試合目の出場となった4月3日のアストロズ戦では、先発のダルビッシュ有が9回二死まで無安打、無四球に抑えたものの、マーウィン・ゴンザレスの安打で完全試合を逃した。この試合で完全試合を達成していれば、ロン・ハッシー以来2人目となる[27]「完全試合を2度達成した捕手」だった[28]。この年は134試合に出場し、打率.272・17本塁打・70打点・1盗塁だった。オフの10月31日にFAとなった。ピアジンスキーは9月4日のオークランド・アスレチックス戦でエースのダルビッシュとマウンド上で口論になるなどの問題があり[29]、レンジャーズは2番手捕手でダルビッシュと相性の良いジオバニー・ソトと再契約したため、ピアジンスキーと再契約することはなかった。

レッドソックス時代 編集

2013年12月4日にボストン・レッドソックスと825万ドルの1年契約を結んだ[30][31]

2014年は開幕ロースター入りし、開幕後は正捕手として72試合に出場。打率.254、4本塁打、31打点という成績だったが、7月9日にDFAとなった[32]。7月16日に放出された。

カージナルス時代 編集

2014年7月26日にセントルイス・カージナルスと契約した[33]。移籍後は正捕手のヤディアー・モリーナが故障で離脱していたため、先発起用された。8月29日にモリーナが復帰したため、9月からバックアップとしてプレーした。チームはディビジョンシリーズへ進出したが、2番手捕手はトニー・クルーズが務めることになり、ロースター入りを逃した[34]が、リーグチャンピオンシップシリーズ前にモリーナが故障で離脱したため、代役としてロースター入りした[35]。シリーズでは2試合に出場したが、6打数1安打と結果を残せず、1勝3敗で迎えた第5戦はクルーズが先発起用された。オフの10月30日にFAとなった。

ブレーブス時代 編集

2015年1月7日にアトランタ・ブレーブスと200万ドル+出来高[36]の1年契約を結んだ[37][38]。11月2日にFAとなった[39]。11月11日、ブレーブスと1年契約を結んだ[40]。ブレーブスでは正捕手を務め、15年連続100試合以上となる113試合に出場。実に2009年以来となる打率.300に加え、9本塁打、49打点を記録し、打力の健在ぶりをアピールした。守備面では、失策こそ2個に留めて守備率.997と堅実さを見せたが、DRSは-13に終わり、低調な内容だった。

2016年は、8月17日に左ハムストリングの張りで15日間の故障者リスト入りし、9月1日に復帰したが9月11日に再び15日間の故障者リストに入り、9月17日には60日間の故障者リストに移ってシーズンを終えた。オフの11月3日にFAとなった[41]

2017年3月28日に現役引退を表明した[42]

人物 編集

非常にアクの強い性格の持ち主として知られる。2012年6月に米雑誌メンズ・ジャーナル英語版が現役選手100人を対象に行った「最も嫌われている選手」のアンケートでは34%の得票を集め、2位のアレックス・ロドリゲス(10%)に大差を付けて1位になった[43][44]。選出理由には「メジャー5年未満の選手を何も知らない田舎者のように扱う」ことが挙げられた[45]。また、相手打者を挑発するトラッシュ・トークや、審判を欺くプレーでも悪名高い[46]2011年9月にスポーツ・イラストレイテッド誌が現役選手215人を対象に行なった「最も卑劣な選手」のアンケートでも29%の得票で1位になっている[47]

ジャイアンツ時代はスプリング・トレーニングでコーチの股間を蹴ったことをはじめ[48]、チームメイトの誘いを無視してポーカーに興じて練習をすっぽかしたり、相手打者の研究をするためのビデオを見ようとしなかったりと様々な問題を起こした。ピアジンスキーがチームメイトに謝罪したことで問題は一応解決したことになっていたが、シーズン終了後に自らチームを去った。ホワイトソックス移籍後の2006年には同じシカゴに本拠地を置くチーム同士の対決となったシカゴ・カブス戦で、カブスの捕手マイケル・バレットと殴り合いを演じ、ピアジンスキー、バレットを含む4選手が退場になった。また、2012年にはロン・ワシントン監督が自らをオールスターに選ばなかったことを逆恨みし、公然と批判した[49]

ホワイトソックス時代の監督だったオジー・ギーエンは、ピアジンスキーについて「あいつが敵なら嫌な奴だけど、味方にすれば少しはマシだよ」とコメントしている[50]。本人は批判を意に介せず、「俺は勝つためにここにいるんだし、そのためにできることは何でもやる。何を言われたり書かれようが、それは俺のコントロール範疇外。俺にできるのは勝利のために全力を尽くすことだ。フィールドでの自分の振る舞いには誇りを感じている」と述べている[51]

2011年から2013年FOXスポーツのポストシーズン中継でゲスト解説者を務めた[50]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1998MIN713101300031000110120.300.385.300.685
1999924223620083000010140.273.333.364.697
2000339688122751240111001502141.307.354.455.809
20011144053815111033271685517131644577.289.322.441.763
2002130469440541323166193491223131116114.300.334.439.773
200313753348763152353112267431252412155513.312.360.464.824
2004SF1315104714512828211193770123194152727.272.319.410.729
2005CWS1284974606111821018193560211235126813.257.308.420.728
2006140543509651502401622264103122687210.295.333.436.769
2007136509472541242401419050111325586621.263.309.403.712
2008134570534661503111322260103619587114.281.312.416.728
2009138535504571512211321449113324615218.300.331.425.755
201012850347443128290918456346215263917.270.300.388.688
201112950046438133291818848002623653319.287.323.405.728
201213552047968133184272407700142858788.278.326.501.827
2013TEX134529503481372411721470110611297614.272.297.425.722
2014BOS7227425619651104893100149244011.254.286.348.633
STL3088826202012560100501142.244.295.305.600
'14計1023623382585121511437011414255413.251.288.337.625
2015ATL11343640738122241917549020319273719.300.339.430.769
20168125924715541502752310036132913.219.243.304.547
MLB:19年20597815729080720434072418830629091523285830868129895241.280.319.420.739
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績 編集



捕手(C)






















1998MIN6332011.0000541.200
19999352011.0001211.500
20003216010031.000216106.375
200111061144107.9854654421.323
20021247574133.9962644519.297
20031358434566.9935664620.303
2004SF1186975616.9999665115.227
2005CWS1288034818.99971027923.225
20061327956234.997101159025.217
20071307964626.99814826220.244
20081319135498.99151179621.179
20091318795058.99571299930.233
20101278656155.99531027527.265
20111208176544.99541189424.203
20121268997168.99481037627.262
2013TEX1198926528.9986734924.329
2014BOS644642832.994547389.191
STL23155621.988014122.143
'14計876193453.9925615011.180
2015ATL1077294427.9975886721.239
2016644572345.9925574314.246
MLB19361260082368101.99510214311081350.245
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰 編集

記録 編集

背番号 編集

  • 9(1998年 - 1999年)
  • 26(2000年 - 2003年)
  • 36(2004年)
  • 12(2005年 - 2013年、2014年途中 - 同年終了)
  • 40(2014年 - 同年途中)
  • 35(2014年途中 - 同年途中)
  • 15(2015年 - 2016年)

脚注 編集

  1. ^ Giants give up Nathan in deal for catcher”. ESPN (2003年11月15日). 2014年12月26日閲覧。
  2. ^ "Giants acquire All-Star catcher A.J. Pierzynski from Minnesota" (Press release). MLB.com (San Francisco Giants). 2003年11月14日. 2014年12月26日閲覧
  3. ^ "Giants request release waivers on A.J. Pierzynski" (Press release). MLB.com (San Francisco Giants). 2004年12月14日. 2014年12月26日閲覧
  4. ^ "White Sox agree to terms on one-year contract with catcher A.J. Pierzynski" (Press release). MLB.com (Chicago White Sox). 2005年1月6日. 2014年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月26日閲覧
  5. ^ 2006年は400万ドル、2007年と2008年はそれぞれ550万ドル。
  6. ^ "White Sox agree to terms on three-year contract with catcher A.J. Pierzynski" (Press release). MLB.com (Chicago White Sox). 2005年12月19日. 2014年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月26日閲覧
  7. ^ Scores for May 20, 2006”. ESPN (2006年5月20日). 2014年12月26日閲覧。
  8. ^ Cubs, White Sox brawl after home-plate collision (MLBによる公式動画)”. Youtube (MLB.com) (2013年4月28日). 2014年12月26日閲覧。
  9. ^ Leslie Parker (2006年5月27日). “Pierzynski fined, Barrett gets 10 games”. MLB.com. 2014年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月26日閲覧。
  10. ^ Mark Newman (2006年7月7日). “Nomar, A.J. named Final Vote winners”. MLB.com. 2014年12月26日閲覧。
  11. ^ Scott Merkin (2007年4月20日). “Pierzynski adds no-hitter to resume”. MLB.com. 2014年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月26日閲覧。
  12. ^ Scores for Jun 7, 2007”. ESPN (2007年6月7日). 2014年12月26日閲覧。
  13. ^ Pierzynski disciplined”. MLB.com Press Release (2007年6月9日). 2014年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月26日閲覧。
  14. ^ Bruce Levine (2010年5月18日). “Plenty of interest in Pierzynski”. ESPN. 2014年12月26日閲覧。
  15. ^ Pierzynski: 'I'm guy they can move'”. ESPN Chicago (2010年4月21日). 2014年12月26日閲覧。
  16. ^ 2011年は200万ドル、2012年は600万ドル。
  17. ^ "White Sox Agree to Terms With A.J. Pierzynski" (Press release). MLB.com (Chicago White Sox). 2010年12月3日. 2014年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月26日閲覧
  18. ^ "White Sox Place A.J. Pierzynski On 15-Day Disabled List; Purchase Contract Of Donny Lucy From Class AAA Charlotte" (Press release). MLB.com (Chicago White Sox). 2011年8月16日. 2014年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月26日閲覧
  19. ^ "White Sox make four roster moves" (Press release). MLB.com (Chicago White Sox). 2011年9月2日. 2014年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月26日閲覧
  20. ^ http://scores.espn.go.com/mlb/recap?gameId=320421112
  21. ^ 通算12勝遅咲き右腕ハンバー完全試合 nikkansports.com 2012年4月23日
  22. ^ http://mlb.mlb.com/mlb/gameday/index.jsp?gid=2012_08_05_anamlb_chamlb_1&mode=wrap#gid=2012_08_05_anamlb_chamlb_1&mode=recap&c_id=cws
  23. ^ "A.J. Pierzynski wins first career Silver Slugger Award" (Press release). MLB.com (Chicago White Sox). 2012年10月9日. 2014年12月26日閲覧
  24. ^ Bruce Levine (2012年12月13日). “Pierzynski unlikley to return to White Sox”. ESPN Chicago. 2014年12月26日閲覧。
  25. ^ "Rangers sign C A.J. Pierzynski to one-year contract" (Press release). MLB.com (Texas Rangers). 2012年12月26日. 2014年12月26日閲覧
  26. ^ Richard Durrett (2012年12月26日). “A.J. Pierzynski deal is now official”. ESPN Dallas Fort Worth. 2014年12月26日閲覧。
  27. ^ ハッシーはインディアンス在籍時の1981年にレン・バーカーの完全試合で捕手を務め、エクスポズ在籍時の1991年にデニス・マルティネスの完全試合で捕手を務めている。
  28. ^ Todd Wills (2013年4月3日). “Buzz: A.J. Pierzynski just misses history, too”. ESPN Dallas Fort Worth. 2014年12月26日閲覧。
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関連項目 編集

外部リンク 編集