織戸学

日本のレーシングドライバー

織戸 学(おりど まなぶ、1968年12月3日[2] - )は、千葉県船橋市出身[2]神奈川県在住[3]レーシングドライバーMAX ORIDOとしても知られる。愛称は「オリダー」「モン吉」。A型[2]

織戸 学
おりど まなぶ
2019年東京オートサロンRS★Rブースにて。左から塚田香澄五十川ちほ日比野哲也、織戸学。
生誕 (1968-12-03) 1968年12月3日(55歳)
日本の旗 日本千葉県
職業レーシングドライバー
配偶者あり[1]
公式サイトMAX織戸公式ウェブサイト
補足
1997年全日本GT選手権GT300チャンピオン
2009年スーパーGTGT300チャンピオン
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織戸 学
YouTube
チャンネル
活動期間2016年-
ジャンルモータースポーツ
登録者数10万人
総再生回数15,362,772回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年10月28日時点。
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プロフィール 編集

デビュー 編集

自動車整備の専門学校を卒業した後、自動車雑誌『CARBOY』主催のドリフトコンテストで頭角を現し、初代グランドチャンプとなった[3]後に坂東正明率いる坂東商会に入社し、21歳の1991年より富士フレッシュマンレースのNA1600クラス[2]でレーシングドライバーとしてデビューした[4]。マシンはAE86レビンのN2仕様で、周囲はベテランドライバーばかりだったため、よく目の敵にされたとビデオオプション[要文献特定詳細情報]で語っている。翌1992年にはシリーズチャンピオンを獲得[3]

1993年にはフレッシュマントロフィーレースinSUZUKAのN2-1600クラスにAE92レビンのN2仕様で参戦[5]。スポット参戦ながらシリーズ3位を獲得[3]

1994年からはスーパーシルビアN2レースに参戦[2]。1995年と翌1996年に連続してシリーズチャンピオンを獲得[6]

デビュー当初は土屋圭市を継ぐ「ポストドリキン」とも呼ばれ[要出典][7]横浜ゴムの開発ドライバーを務めていた土屋がブリヂストンに移籍した際は、その後継ドライバーとして織戸が抜擢される。

全日本GT選手権・SUPER GT 編集

JLOCのランボルギーニ・ガヤルド(2015年)

全日本GT選手権(JGTC、現 SUPER GT)には1996年より参戦し、最初はGT300クラスで日産・シルビアを駆り、翌1997年にはシリーズチャンピオンに輝いた[要検証]

その後、2000年には土屋エンジニアリングよりGT500クラスに参戦[8][9]。2002年サードに移籍し、2003年は第7戦にてGT500初優勝を飾った[8][10]。2004年に再び土屋エンジニアリングに復帰し、2005年には開幕戦で優勝を飾った[8][10]。2006年は、土屋エンジニアリングを立ち上げた土屋春雄の息子である土屋武士とコンビを組んだ。

2008年より、再びRACING PROJECT BANDOHからGT300クラスに参戦し、第5戦の菅生で自身初のポールポジションを獲得。第7戦もてぎでは予選での車両規定違反で最後尾スタートを強いられたが、そこから追い上げを見せて25位スタートからの逆転優勝を飾った。この最後尾スタートからの優勝は、JGTC時代も含め初の快挙であった。2009年は開幕戦で優勝を飾ると、その後も安定した成績を収め、12年ぶりのシリーズチャンピオンに輝いた。第8戦でGT参戦通算100戦目を迎えた。[8][11]。2011年にJLOCに移籍し[8]、ほぼ毎シーズン優勝を含む表彰台を獲得し安定した速さを見せた。しかしタイトル争いに絡むことはできず、2018年3月、所属していたJLOCから離脱したことを自らのFacebookで明らかにした[12]。同月19日、GT500クラスに「LEXUS TEAM WedsSport BANDOH」として参戦するRACING PROJECT BANDOHのエグゼクティブアドバイザーに就任することが発表された[13]。また、横浜タイヤを知り尽くしていることを買われ、同年第5戦富士500マイルにてaprの第3ドライバーとしてトヨタ・プリウスをドライブした。

スーパー耐久 編集

JGTCにデビューした1996年からN1耐久(現 スーパー耐久)にも参戦し、2005年にはSTクラス1のシリーズチャンピオンに輝いている(TEAM ADVAN DENAG #25 ADVAN DENAG GT3/ポルシェ・911GT3)[3]

D1グランプリ 編集

D1グランプリ(D1GP)では、シリーズが始まった2001年から2004年までは、土屋圭市・鈴木学と共に審査員を務めていたが、2005年から選手として参戦を開始した[14]。マシンは、トヨタ・スープラ (JZA80) を使用。ボディーやロールケージ土屋エンジニアリングが、エンジンのチューニングはオートプロデュースBOSSが手掛けた[15][16]AE86シルビアなどD1GPの主流である車種に比べ車重が重いため、SUPER GTのGT500マシンから流用したカーボン製のドアやリアハッチを使用するなどして軽量化を図っている。また、出力も当時のD1GPマシンとしては非常に高い680馬力までパワーアップされている[16]

2005年は、開幕戦アーウィンデール・スピードウェイは、マシンが未完成であった影響もあり単走1回戦敗退に終わった。しかし、第2戦お台場と第3戦SUGOでは追走進出を果たした。さらにHKSボアアップキットでエンジン(2JZ-GTE)の排気量を3,000ccから3,400ccに増やし、ホリンジャー製のシーケンシャルミッションを新たに搭載した第5戦エビスでは、1回戦を100点で通過し、追走でも三木竜二谷口信輝手塚強といった有力ドライバーを下して準優勝を果たした。シリーズ12位でシーズンを終えた。

2006年・2007年は参戦を休止し、2008年にはSUPER GTと同じRACING PROJECT BANDOHから、マシンもGTと同じレクサス・IS350をベースとした車両でシリーズに復帰。第5戦のオートポリスにのみスポット参戦したが、マシントラブルによりリタイアとなった。2009年は、GTでのドリフトデモランやDtoDなどで使用していたアリストをD1のレギュレーションに合わせ参戦したが、第7戦の4位が最高でシリーズ15位に終わった。

2010年には、マシンをスープラに戻し参戦。第4戦では準優勝を果たし、年間シリーズ8位となった。2011年もスープラで参戦。第3戦オートポリス[注釈 1]ではD1GP初優勝を飾った[注釈 2][17]

2012年は、トヨタ・86にマシンチェンジ。エンジンはノーマルのFA20からレクサス・IS Fに搭載されている2UR-GSEをチューニングしたものに換装されている。開幕戦こそ完成したばかりの状態ということもありエンジントラブルが出たものの、徐々にマシンの熟成が進みコンスタントにポイントを獲得、シリーズ16位でシーズンを終えた。

2013年はマシンはそのままであるが、エンジンをシボレー・コルベット用のV8エンジンへと変更した事で更なるパワーアップを行っており、第4戦では準優勝を果たした。2014年も86で参戦し、シリーズ13位。

2015年は、第4戦エビスでシーズン初優勝を飾った[18]。10月15日、自身のブログにてD1グランプリ引退を表明[19]。最終戦では86がエンジンブローで走れなくなりリタイアしたものの、翌日開催されたワールドチャンピオンズのフィナーレでは、2005年シーズンに使用していたスープラで「メモリアル追走」を披露した。

その他 編集

全日本ラリー選手権に参戦する織戸の86(2019年飛騨高山)

2004年にはル・マン24時間レースチョロQレーシングよりポルシェ・911黒澤治樹・西沢和之と参戦、総合12位/GTクラス2位に入った。

2013年2月には、横浜市都筑区にプロ用ドライビングシミュレーターを備えたレーシングドライバー向けトレーニング施設として「130R YOKOHAMA」をオープンした。また、富士スピードウェイなどでレーシングドライバー向けのトレーニングを開催している。

86/BRZレースにも開催初年度の2013年から漫画『クローズ×WORST』とのコラボレーションであるTOMMY‘SRACING withクローズエクスプロードから参戦。未経験者ばかりのチームであったが、初年度から優勝を果たした。さらに男性音楽グループONE☆DRAFT(徳間ジャパン)とのコラボを実現し『ONE WAY』をチーム応援オフィシャルソングとして迎えるという企画も実現している。2015年からはタイヤ販売店のK-oneのチームであるK-one Racingに移籍し、2021年現在も参戦を継続している。

2015年、2019年、2021年には全日本ラリー選手権にK-one Racingより参戦している[20][21]

レース戦歴 編集

  • 1992年 - 富士フレッシュマンレース NA1600クラスシリーズチャンピオン[3]
  • 1993年 - フレッシュマントロフィーレースinSUZUKA N2-1600クラス(第3戦より、3回優勝、シリーズ3位)[3]
  • 1995年 - スーパーシルビアN2シリーズチャンピオン[22]
  • 1996年
    • スーパーシルビアN2シリーズチャンピオン[23]
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(Rd.4)(TEAM-JUN/JUNートラスト スカイライン)[3] / GT300クラス(Rd.5,6)(TEAM TAISAN Jr./つちやMR2)[3]
    • N1耐久選手権 クラス2[3]
  • 1997年 - 全日本GT選手権・GT300クラス(RS-Rレーシングwith BANDOH/RS☆Rシルビア)(シリーズチャンピオン・2勝)[3]
  • 1998年 - 全日本GT選手権・GT300クラス(Rd.4〜7)(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツセリカ)(ランキング2位)[3]
  • 1999年
    • 全日本GT選手権・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツセリカ)(シリーズ3位・1勝)[3]
    • NASCARウィンストンカップウェストシリーズ(スポット参戦)[3]
  • 2000年
  • 2001年
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(土屋エンジニアリング/FK/マッシモADVAN スープラ)(シリーズ19位)[3]
    • マカオ・ギアレース(TEAM DD #10 トヨタ・アルテッツア、2位)[3]
  • 2002年
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA TEAM SARD/デンソーサードスープラ GT)(シリーズ14位)[3]
    • スーパー耐久 グループNプラス(ADVAN ALTEZZA)シリーズチャンピオン[24]
  • 2003年
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA TEAM SARD/デンソーサードスープラ GT)(シリーズ6位・1勝)[3]
    • スーパー耐久 クラス1(ポルシェGT3)[3]
  • 2004年
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM ADVAN・ツチヤ/ECLIPSE ADVAN スープラ)(シリーズ12位)[3]
    • ル・マン24時間レース GTクラス(チョロQレーシング #77 ポルシェ911GT3 RSR、総合12位・クラス2位)[3]
  • 2005年
    • SUPER GT・GT500クラス(TEAM ADVAN・ツチヤ/CLIPSE ADVAN スープラ)(シリーズ13位・1勝)[3]
    • D1グランプリ(スープラ)(シリーズ12位)[3]
    • スーパー耐久(STクラス1(TEAM ADVAN DENAG #25 ADVAN DENAG GT3/ポルシェ911GT3、シリーズチャンピオン)[3]
  • 2006年 - SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM TSUCHIYA/ECLIPSE ADVAN スープラ)(シリーズ19位)[3]
  • 2007年 - SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM TSUCHIYA/ECLIPSE ADVAN SC430)(シリーズ17位)[3]
  • 2008年
    • SUPER GT・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツセリカ・ウェッズスポーツIS350)(シリーズ12位・1勝)[3]
    • D1グランプリ(IS350)[3]
  • 2009年
    • SUPER GT・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツIS350)(シリーズチャンピオン・1勝)[3]
    • D1グランプリ(BANDOH with NATS/アリスト)(シリーズ15位)[3]
  • 2010年
    • SUPER GT・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツIS350)(シリーズ8位)[3]
    • D1グランプリ(RIRE, M7 YOKOHAMA NATS With MAX/ADVAN MAXスープラ)(シリーズ8位)[3]
  • 2012年
    • SUPER GT・GT300クラス(JLOC/マネパ ランボルギーニガヤルドRG-3)(シリーズ8位)[3]
    • D1グランプリ(DRIVE M7 ADVAN MAX ORIDO RACING/DRIVE M7 ADVAN 86)(シリーズ16位)[3]
  • 2014年
    • SUPER GT・GT300クラス(JLOC/マネパ ランボルギーニ GT3)(シリーズ16位)
    • D1グランプリ(MAX ORIDO RACING/MAX ORIDO RACING 86)(シリーズ13位)
    • 86/BRZレース(シリーズ3位)
    • フォーミュラ・ドリフトアジアラウンド オーストラリア
  • 2015年
    • SUPER GT・GT300クラス(JLOC/マネパ ランボルギーニ GT3)(シリーズ15位)
    • D1グランプリ(MAX ORIDO TOPTUL RACING/TOPTUL M7 NATS 86)(シリーズ23位)
    • 86/BRZレース・プロフェッショナルシリーズ(シリーズ8位)
    • 全日本ラリー選手権・JN-4クラス 久万高原ラリー(k-one/モルフォ頭文字DサミーK186)(リタイア)
  • 2016年
  • 2017年
    • SUPER GT・GT300クラス(JLOC/マネパ ランボルギーニ GT-3)(シリーズ10位)
    • 86/BRZレース・プロフェッショナルシリーズ(シリーズ14位)
  • 2018年
    • SUPER GT・GT300クラス(apr/TOYOTA PRIUS apr GT)Rd.5〜(0ポイント)
    • 86/BRZレース・プロフェッショナルシリーズ(シリーズ3位)
    • スーパー耐久・ST-1クラス(D'station Racing/D'station Porsche991GT3 Cup)(クラスチャンピオン)
  • 2019年
    • SUPER GT・GT300クラス(apr/TOYOTA GR SPORT PRIUS PHV apr GT)(0ポイント)
    • 86/BRZレース・プロフェッショナルシリーズ(シリーズ15位)
    • 全日本ラリー選手権・JN-3クラス M.C.S.C.ラリーハイランドマスターズ(k-one/サミー☆k-one☆MAX86)(総合19位・クラス8位)
    • スーパー耐久・ST-1クラス(D’station/D’station Porsche)(クラスチャンピオン)
  • 2020年
    • SUPER GT・GT300クラス(apr/TOYOTA GR SPORT PRIUS PHV apr GT)(シリーズ29位)
    • 86/BRZレース・プロフェッショナルシリーズ(シリーズ16位)
    • スーパー耐久・ST-Zクラス(D’station/D’station Vantage GT4)(シリーズ2位)
  • 2021年
    • SUPER GT・GT300クラス(apr/TOYOTA GR SPORT PRIUS PHV apr GT)(シリーズ21位)
    • 全日本ラリー選手権・JN3クラス(k-one/パチスロ頭文字 D 86)ラリーモントレー(リタイア)
    • スーパー耐久・ST-Zクラス(D’station/D’station Vantage GT4)(シリーズ2位)
  • 2022年
    • SUPER GT・GT300クラス(apr/apr GR86 GT)(シリーズ19位)
    • スーパー耐久・ST-1クラス(D’station/D’station Vantage GT8R)(シリーズ2位)

全日本GT選手権/SUPER GT 編集

チーム使用車両クラス123456789順位ポイント
1996年TEAM-JUN日産・スカイラインGT-RGT500SUZFSWSENFSW
13
NC0
TEAM TAISAN Jr.トヨタ・MR2GT300SUG
4
MIN19位10
1997年RS-Rレーシング with BANDOH日産・シルビアGT300SUZ
1
FSW
2
SEN
2
FSW
3
MIN
1
SUG
5
1位90
1998年RACING PROJECT BANDOHトヨタ・セリカGT300SUZFSWSENFSW
7
TRM
2
MIN
2
SUG
3
2位46
1999年GT300SUZ
1
FSW
2
SUG
Ret
MIN
3
FSW
Ret
TAI
5
TRM
2
3位70
2000年ENDLESS+土屋エンジニアリングトヨタ・スープラGT500TRM
13
FSW
10
SUG
14
FSW
8
TAI
8
MIN
7
SUZ
13
18位11
2001年土屋エンジニアリングGT500TAI
9
FSW
11
SUG
11
FSW
PO
TRM
7
SUZ
7
MIN
10
19位11
2002年TOYOTA TEAM SARDGT500TAI
3
FSW
Ret
SUG
12
SEP
Ret
FSW
15
TRM
5
MIN
7
SUZ
5
14位33
2003年GT500TAI
14
FSW
3
SUG
14
FSW
3
FSW
7
TRM
7
AUT
1
SUZ
9
6位57
2004年TEAM ADVAN・ツチヤGT500TAI
14
SUG
2
SEP
Ret
TOK
13
TRM
12
AUT
3
SUZ
10
12位31
2005年GT500OKA
1
FSW
14
SEP
15
SUG
9
TRM
15
FSW
Ret
AUT
Ret
SUZ
14
13位26
2006年TOYOTA TEAM TSUCHIYAGT500SUZ
8
OKA
9
FSW
6
SEP
10
SUG
12
SUZ
Ret
TRM
12
AUT
15
FSW
9
19位18
2007年レクサス・SC430GT500SUZ
9
OKA
6
FSW
Ret
SEP
5
SUG
8
SUZ
Ret
TRM
8
AUT
10
FSW
12
17位20
2008年RACING PROJECT BANDOHトヨタ・セリカGT300SUZ
7
OKA
Ret
12位40
レクサス・IS350FSW
9
SEP
Ret
SUG
15
SUZ
19
TRM
1
AUT
10
FSW
5
2009年GT300OKA
1
SUZ
8
FSW
5
SEP
2
SUG
5
SUZ
6
FSW
4
AUT
3
TRM
3
1位85
2010年GT300SUZ
3
OKA
14
FSW
4
SEP
9
SUG
Ret
SUZ
4
FSW
C
TRM
7
8位33
2011年JLOCランボルギーニ・ガヤルド RG-3GT300OKA
3
FSW
14
SEP
7
SUG
16
SUZ
3
FSW
19
AUT
16
TRM
16
11位26
2012年ランボルギーニ・ガヤルド LP600+ GT3GT300OKA
17
FSW
Ret
SEP
Ret
SUG
3
SUZ
3
FSW
Ret
AUT
7
TRM
3
8位39
2013年ランボルギーニ・ガヤルド GT3 FL2GT300OKA
Ret
FSW
12
SEP
5
SUG
18
SUZ
4
FSW
Ret
AUT
12
TRM
5
14位22
2014年GT300OKA
11
FSW
Ret
AUT
11
SUG
1
FSW
21
SUZ
13
CHA
18
TRM
11
16位20
2015年GT300OKA
Ret
FSW
Ret
CHA
17
FSW
7
SUZ
4
SUG
4
AUT
Ret
TRM
7
15位26
2016年ランボルギーニ・ウラカンGT3GT300OKA
9
FSW
25
SUG
6
FSW
4
SUZ
9
CHA
10
TRM
3
TRM
Ret
11位30
2017年GT300OKA
19
FSW
25
AUT
16
SUG
Ret
FSW
7
SUZ
2
CHA
5
TRM
Ret
10位28
2018年aprトヨタ・プリウスGT300OKAFSWSUZCHAFSW
Ret
SUG
16
AUT
26
TRM
21
NC0
2019年GT300OKA
Ret
FSW
21
SUZ
21
CHA
22
FSW
25
AUT
Ret
SUG
25
TRM
21
NC0
2020年GT300FSW
21
FSW
17
SUZ
Ret
TRM
24
FSW
20
SUZ
20
TRM
10
FSW
13
29位1
2021年GT300OKA
Ret
FSW
18
SUZ
6
TRM
8
SUG
20
AUT
23
TRM
16
FSW
16
21位8
2022年トヨタ・GR86GT300OKA
13
FSW
18
SUZ
8
FSW
15
SUZ
3
SUG
20
AUT
17
MOT
Ret
19位28
2023年GT300OKA
13
FSW
18
SUZ
9
FSW
13
SUZ
17
SUG
Ret
AUT
16
MOT
-
21位17

ル・マン24時間レース 編集

チームコ・ドライバー使用車両クラス周回総合順位クラス順位
2004年 チョロQレーシング 黒澤治樹
西澤和之
ポルシェ・911 GT3RSGT32212位2位

著書 編集

  • 『織戸学・ドリコンチャンプテクニック』(三推社、1994年7月)
  • 『織戸 学・ドリフト必勝テクニック』(三推社、1998年4月)

エピソード 編集

  • 初めてマレーシアセパンサーキットでのレースに出場する際に、「暑さ対策に岩塩をなめておくと良い」と聞いた織戸は、当時は岩塩というものが何か分からなかったため、レース前に茶碗一杯分の塩を採ってしまった。全身にピリピリとした感覚を覚えた後、猛暑のはずなのに強烈な寒さに襲われたという。その後、ヘリコプタークアラルンプールの病院に搬送され、一時は死亡確率4割という危険な状態に陥った。
  • 漫画『頭文字D』の大ファンでもあり、「頭文字D Battle stage」では雑談会で土屋圭市、今村陽一と共に出演している。また、86/BRZレースや全日本ラリーでは『頭文字D』のラッピングをマシンに貼って参戦していたことがある。
  • 雑誌『Option』の企画にて、飯田章と「水戸納豆レーシング」というAE86のチームを結成し、公道やサーキットを暴走していた事がある。本人曰く、一番嫌な企画だったとのこと。
  • 愛車の一つであるA80型スープラを購入したきっかけは、企画にてパワーハウスアミューズがチューニングしたスープラに乗った際、あまりの出来の良さに感激したためである[26]
  • 株式会社元気制作のレースゲームにライバルキャラクターとして度々出演している。『首都高バトル01』や『レーシングバトル -C1 GRAND PRIX-』において、実際の織戸の愛車である「RIDOX SUPRA」と共に登場する。「街道バトルシリーズ」には織戸本人は登場しないものの、愛車「RIDOX SUPRA」は収録されている。
  • 2001年のマカオ・ギアレースではチェッカーを受けた後、リスボアコーナーで谷口信輝と共に2台のトヨタ・アルテッツァで華麗なドーナッツターンを披露して、マカオの観客を沸かせた[27]
  • D1GPでは、クラッシュ率の高さから松川和也選手と並びクラッシュキングと評されていた。
    • D1GPのデビュー戦となる2005年の開幕戦では壁に接触し、そのままの勢いでスポンジバリアを跳ね飛ばした
    • 2009年の第3戦の朝に行われた練習走行では、縁石に乗った衝撃で足回りが破損しタイヤが外れた。後方を走っていた斎藤太吾選手のマシンと外れたタイヤが接触し、太吾選手のマシンの助手席の窓ガラスが割れてしまった。
    • 2010年の第2戦の直前に行われた鈴木学が同乗走行を行う企画では、壁に突っ込む大クラッシュをした。同乗していた鈴木は肋骨を2本折るなどの怪我を負った。
  • プロレスラーの蝶野正洋とは、自宅が非常に近い(1軒挟んで隣同士)ことから交友があり、2022年時点で「12年来の仲」だという[28]
  • レーシングカーをもっと身近に感じて欲しいという思いから、童夢との共同開発でハイエースに乗るボディサイズのマイクロ・フォーミュラである、Cheetah(チーター)を制作。[29]
  • 家族は妻と2女。次女の織戸茉彩はレーシングドライバーの道に進んでおり、インタープロトシリーズ併催の「KYOJO CUP」やヤリスカップなどに参戦しているほか[30]横浜ゴムの公式TikTokチャンネルなどでMCを務めている[31]
  • 2023年8月19日に行われたGTワールドチャレンジ・アジア第5ラウンドGT4クラス決勝レース1にて、シリーズチャンピオン争いをしていた織戸はポールポジションからスタートし最終ラップまでトップを快走。2位のマシンに33秒もの大差をつけて走行していたものの、チェッカーフラッグ直前でマシンが原因不明のスローダウン。織戸はマシンを停めたが、マシンからは降りずに全車がチェッカーを受けたことを確認した後、酷暑の中マシンをチェッカーまで約700mもの距離をマシンを押して歩いた。
    • レース後のインタビューで織戸は「昔ね、漫画の『バリバリ伝説』でバイクを押してゴールしたところを見たことがあって。だからみんながゴールしてから、『どうしてもチェッカーだけは受けないといけない』と思って、ハートだけで行きました」と語っている[32]
    • 翌日のレース2では優勝しシリーズチャンピオンを獲得した[33]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 東日本大震災の影響で第1戦、第2戦のお台場が延期となったためオートポリスでの第3戦が実質上の開幕戦となる
  2. ^ ただし追走1回戦の途中、悪天候により追走は打ち切り。単走での順位を総合順位として採用されたためハーフポイントとなった。

出典 編集

  1. ^ 塚本 2019, p. 79.
  2. ^ a b c d e 織戸学 ドライバーズコラム 第1回 プロドライバーとしての半生(前編)”. GAZOO.com (2015年12月1日). 2021年10月30日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am プロフィール”. 2021年10月30日閲覧。
  4. ^ 塚本 2019, pp. 20–22.
  5. ^ 塚本 2019, p. 24.
  6. ^ 塚本 2019, pp. 26–27.
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  31. ^ 「織戸学の愛娘がドリフト本格デビュー!?」ヨコハマタイヤの動きが相変わらず怪しい・・・ - WebOption・2023年4月20日
  32. ^ “漢”織戸学が魂のチェッカー。BMW M4が優勝目前でGT4ジャパン勝利を逃すも、その姿が感動呼ぶ - autosport web・2023年8月19日
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参考文献 編集

  • 塚本剛哲 編『織戸学ドライビングストーリー』三栄〈サンエイムック〉、2019年。ASIN B07RNZCR5TISBN 9784779639401 

外部リンク 編集