清水 クーコ(しみず クーコ、1952年昭和27年〉9月10日 - 1991年平成3年〉3月27日)は、日本タレント歌手。本名は親谷 邦子[注釈 1]東京都世田谷区出身[1]

経歴 編集

4人姉妹の末っ子[1]グループ・サウンズブームの時はザ・タイガースのファンで、特に沢田研二ファンだった[3]

スクールメイツで約3年間活動、スクールメイツではリーダーを務めていたことがあった[4]1970年女性コーラスグループのザ・シュークリームホーン・ユキ北原由紀甲山暁美)を結成。この当時は本名および愛称の「クーコ」で活動し、セールスポイントは「ビーバーみたいな前歯」としていた[4]1974年チャーリー石黒の門下生で象印スターものまね大合戦でアシスタントを務めた四人でクーコとエンジェルスを結成する[5]

1976年9月あのねのね清水国明と結婚[6]。結婚直後は活動を休止していたが、翌1977年より活動を再開した[7]1979年頃から別居状態となり[1]1982年9月24日に正式に離婚[1]。子供はいなかった[8]。2回ほど離婚宣言をして、3度目でようやく合意した[9][10]

国明との離婚報道時、双方ともマスコミに対して離婚理由の説明などはせず、ディスコ結婚披露宴のような「離婚パーティー」を開いた。本人曰く「明るい離婚」だったとのことで[9]、その後もあのねのね事務所に籍を置いたままタレント活動を継続し、国明とは良き友人関係を続けたが[9]1988年イギリスへの語学留学を決意したことや、国明の再婚が決まったことなどから、芸能界を引退して渡英した[11]

1990年2月末、ビザの書き換えのため一時帰国した際に、体調が悪いとして検診を受けが発覚、余命半年と宣告された[11]

1991年3月27日子宮頚癌で死去(享年38)。葬儀には梅沢富美男稲川淳二清水アキラせんだみつお大信田礼子ら約200人が参列した。喪主は元夫の国明が務め、最後まで「良きパートナー」を貫いた[11]

人物 編集

肌が年中小麦色だったのが特徴。手足を広げて全身を徹底的に焼いていたという[12]

自ら「ミーハー」という巨人ファン[13]。巨人選手にも友達がいたということで[14]、一時ウォーレン・クロマティとの関係が話題になったことがある[8]

出演作品 編集

映画 編集

テレビドラマ 編集

テレビ番組 編集

ラジオ 編集

音楽 編集

シングル 編集

発売日規格品番タイトル作詞作曲編曲
ザ・シュークリーム名義
日本コロムビア
1971年8月24日P-130A恋の五ヶ条阿久悠鈴木邦彦
Bホットパンツのお嬢さん
1972年1月P-152Aつらい時代の娘たち橋本淳中村泰士高田弘
B二人だけの場所
1972年8月P-158A甘い罠千家和也加瀬邦彦田辺信一
Bイエス・オア・ノウ
クーコとエンジェルス名義
フィリップス・レコード
1973年8月FS-1762A愛のときめき[注釈 2]チャーリー石黒

藤はじめ

Lynsey de Paul渡辺直人
B真夏の奇跡藤はじめ彩木雅夫馬飼野康二
1974年FS-1789A男と女千家和也馬飼野俊一
B東京赤坂3-14-9藤はじめチャーリー石黒馬飼野俊一
シンガースリー(今陽子とクーコ&エンジェルス)名義
キングレコード
非売品NCS-575[注釈 3]Aピンキーの花束かぞえ唄山川啓介いずみたく
清水クーコ名義
ワーナー・パイオニア
1979年L-276WAラッキー・レディ清水クーコ小坂忠井上鑑
Bウィンクひとつ高坂実
オレンジハウスレコード
1981年ORF-1014Aモガ・モボ・ルンバ売野雅勇チト河内大谷和夫
Bボビーにネック・ハンギング[注釈 4]

出版 編集

  • めざめて、女、再び―清水クーコ写真&エッセイ集(マイク岡田・共著、コアラブックス 1985年12月16日初版)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 本名の読みは、「しんたにくにこ」[1]「しんやくにこ」[2]の2通りが掲載されたことがある。
  2. ^ Lynsey de Paul(リンジー・ディ・ポール)「Getting A Drag(恋のためいき)」の日本語カバー。
  3. ^ 片面は、BUZZの「楽園の歌」(作詞・作曲:浜口庫之助)。
  4. ^ テレビ東京「歌えヤンヤン」イメージテーマソング。

出典 編集

  1. ^ a b c d e 週刊平凡』1982年11月4日号 本人のインタビュー(50-51頁)
  2. ^ 週刊明星』1991年5月30日号 52頁
  3. ^ 『めざめて、女、再び―清水クーコ写真&エッセイ集』「私の未公開部分」より。
  4. ^ a b c 月刊平凡』1971年11月号 84頁
  5. ^ 映画情報 38(12)(256);12月号」国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ a b 週刊宝石』1983年7月22日号 180-181頁
  7. ^ a b 週刊大衆』1982年7月26日号「宮尾すすむの美女ニアミス対談」(50頁)
  8. ^ a b 週刊ポスト』1985年11月1日号 214-217頁
  9. ^ a b c 「離婚して得たもの、失ったもの / 清水クーコ」『婦人生活』第37巻第5号、婦人生活社、1983年5月1日、106 - 107頁、NDLJP:2324825/54 
  10. ^ (4ページ目)マスコミ巻き込み 3度目の正直で離婚した清水国明とクーコ|日刊ゲンダイDIGITAL2022年1月26日閲覧。
  11. ^ a b c 週刊明星』1991年4月18日号 31-32頁
  12. ^ 婦人倶楽部』(講談社)1986年10月特大号 42頁
  13. ^ 週刊読売』1986年9月14日号 138-139頁
  14. ^ 『週刊読売 臨時増刊』1987年10月27日号「やったぞV1!王ジャイアンツ」92頁「各回有名人の見たか聞いたかジャイアンツ」