あのねのね

日本のフォークデュオ (1973-)

あのねのねは、日本のフォークデュオ

あのねのね
別名そのねのね、亜乃根野寝
出身地日本の旗 日本
ジャンルフォークソングコミックソングニューミュージック
活動期間1973年 - 1981年
1998年 - 2001年
2003年2011年2023年
レーベルAAAD-VARKワーナー・パイオニアDAIPRO-X
事務所アワーライフ、ムーン原田伸郎事務所
メンバー清水国明ボーカルギター
原田伸郎ボーカルギター
旧メンバー駿河学(現・笑福亭鶴瓶) 夫妻

主に1970年代中期から1980年代初頭にかけて活動した。

略歴 編集

開校間もない頃の京都産業大学の学生だった清水国明原田伸郎を中心に結成された。結成当初は4~6人編成で、うち2人は笑福亭鶴瓶とその後鶴瓶の妻になる女性であった。デビューまでに清水と原田とのコンビとなった。

原田によれば、元々は原田と京産の同期生で落語研究会仲間でもあった鶴瓶から旅館のバイトを紹介され(鶴瓶が辞めた後釜)、そこで働いていた先輩の清水と意気投合したのが結成のきっかけだという[1]

フォークソングムーブメント末期の1973年、『赤とんぼの唄』でメジャーデビューした。

「赤とんぼの唄」「魚屋のオッサンの唄」などの比較的ブラックなコミックソングの印象が強く、ライブではコミカルなトークも人気を博し、ラジオ番組のパーソナリティやテレビ番組の司会などでも活動した。一方で「雪が降っています」などのスローナンバーも残している。

「つくばねの唄」は、落語欣弥め』を下地にしているが、サビの歌詞がかなり卑猥であるため“放送禁止用語の歌”といわれた。その英語バージョンの“THE SAMURAI”もある。

「そのねのね」という変名でシングル「愛の調べ」とアルバム「そのねのね ファースト・ラスト・アルバム」をリリースしたこともある。こちらはすぎやまこういちらによるシリアス路線だった。

1974年9月にKKベストセラーズから出版した『あのねのね 今だから愛される本』は、65万部を売り上げ[2]、タレントの書いた本としては異例の大ヒットで人気を拡大させた[2]。同著書は当時話題を呼んだゴーストライターではなく[2]、あのねのね自身が公演先の旅館やテレビ局の楽屋で書き綴ったエッセイで[2]、あのねのねの手元には印税が3,600万円が振り込まれた[2]。この大ヒットをきっかけに各出版社がタレント本を大挙出し[2]、芸能界にタレント本ブームが起きた[2]

1975年には学業に専念するためライブメインの活動を休止し、同時に『あのねのねのオールナイトニッポン』のパーソナリティも一時降板している。直前に東京・蔵前国技館で千秋楽コンサートを行った。ライブ活動は休止したものの、河島英五作の「青春旅情」を同年リリースし、「ヤンヤン歌うスタジオ」や「ものまね王座決定戦」などのバラエティ番組へ進出した。

その後、音楽活動の再開後は、「ネコ・ニャンニャンニャン」「みかんの心ぼし」がヒットする。

1980年代後半以降は個々での活動が中心で、コンビとしての活動はとくに行っていないが、2人がテレビやラジオで共演する機会は多く、1998年に「オールナイトニッポンDX」の企画で日本武道館内の会議室でライブを実施した (実際は武道館内で行う予定だったが、リスナーからの募金で使用料を集めたため、予算内に借りられる会議室でのライブとなった)。

2001年に新作シングル「この場所で光を」「愛メール」、オリジナルアルバム「II」、セルフカバーアルバム「せるふかばあ-ANONENONE BEST-」をリリースし、2003年には「結成30周年記念ライブ」を行っている。また、2011年には「TBC夏まつり」でライブを再開した。

楽曲にある犀泪弾(さいるいだん)とは清水国明のペンネームであり、鹿王院嵐山(ろくおういんらんざん)は原田伸郎のペンネームである。

2023年、デビュー50周年に向けたライブを日本各地で開催。集大成の記念コンサートのチケットは完売になるなど話題となった[3]

主な弟子など 編集

清水の弟子
原田の弟子
その他

主な出演作品 編集

バラエティ番組 編集

テレビドラマ 編集

ラジオ 編集

映画 編集

CM 編集

ディスコグラフィ 編集

シングル 編集

発売日規格規格品番タイトル作詞作曲編曲
キャニオンレコード / Aard-Vark
1973年3月10日EPAV-13A赤とんぼの唄清水国明原田伸郎
B魚屋のオッサンの歌
ワーナー・ブラザース / Elektra
1973年6月10日EPL-1136Aさよならの唄清水国明原田伸郎
Bあのねのねのしんきょく[注 3]
1974年2月25日EPL-1174A空飛ぶ円盤の唄清水国明原田伸郎すぎやまこういち
B流転のうた三浦一久
1974年6月10日EPL-1189Aでんでん虫の唄清水国明原田伸郎あのねのね
B質問の唄東海林修
1974年11月10日EPL-1219A雪が降っていますあのねのね青木望
Bやすらぎを求めて
1975年4月10日EPL-1241Aつくばねの唄あのねのね
B傷だらけの追憶原田伸郎
1975年8月10日EPL-1260A青春旅情[注 4]河島英五瀬尾一三
B泣かないであのねのね
1976年EPL-1301EAロンリーボーイ[注 5]清水国明東海林修
Bザ・サムライ[注 6]あのねのね
英訳:フェリックス・マルチネス
あのねのね
1976年8月EPL-34EA人間は何て悲しいんだろう[注 7]松本隆加藤和彦瀬尾一三
B我がプロポーズ
1977年7月EPL-96EAオレはお前さ天晴屋権左衛門馬飼野康二
B切符あのねのねNORMAN馬飼野康二
1978年10月EPL-237EA嫁ぐ朝に[注 8]あのねのね
B僕は二枚目半
1979年2月25日EPL-258EAネコ・ニャンニャンニャン犀泪弾鹿王院嵐山まこと
Bヤンヤンロック[注 9]あのねのねミック・リチャード
1979年7月EPL-302EAザ・ネコニャン音頭犀泪弾鹿王院嵐山国伸まこと
B愛夢猫星(アイム・キャット・スター)
1979年11月28日EPL-322EAパンツ丸見え体操清水国明原田伸郎佐々木まこと
BLong Playing
1980年9月25日EPL-368EAみかんの心ぼし[注 10]原田伸郎佐々木まこと
Bみかんの心ぼし PART2
1981年4月25日EPL-1514Aいたぁーいなにすんのあのねのね佐々木まこと
B赤ベエ・キーちゃん・ラブストーリー
1981年6月EPL-1589A羽根を汚した天使達へ森雪之丞佐々木まこと
B幸せ来ますように清水国明
ダイプロ・エックス
2001年3月28日CDDXDL-30101この場所で光を[注 11]GAKU-MCタダシ
2復活
3この場所で光を(カラオケ)タダシ
2001年6月21日CDDXDL-30161愛メール(Acoustic ver.)清水国明原田伸郎
2愛メール
3愛メール(Acoustic ver. カラオケ)

アルバム 編集

発売日タイトル規格規格品番
日本コロムビア / DENON
1973年2月10日ビューティフル・オン・ステージLPCD-5045
CT12CPJ295
キャニオンレコード / Aard-Vark
1973年9月10日初体験出血コンサートLPAV-3006
初体験出血コンサート実況録音盤LPAV-3020
1975年未成年立入禁止コンサートLPAV-3034
ワーナー・ブラザース / Elektra
1973年9月25日あのねのねコンサート〜初体験出血コンサートライブ

※ 『大きな栗の木の下で』の替え歌「大きな栗とリスの唄」は本作に収録。

LPL-6089E
1975年4月25日満一才の誕生日LPL-5056-7E
1974年12月21日いつまでもあると思うな人気と仕事LPL-8047E
1975年4月25日千秋楽LPL-8056E
1976年1月今昔物語大全集〜満2才、3才の誕生日〜LPL-5509
1976年共鳴: あのねのね 新世界へ ナッシュビルからの出発LPL-10045E
1977年さよならは白い雪文字LPL-10056E
1978年五周年特別記念盤 青春旅情LP
1995年1月25日CDTKCA-70577
バンダイミュージック
1998年2月21日ギョ!あのねのね ベスト・コレクションCDAPCA-1067
DAIPRO-X
2001年9月21日せるふかばあ~ANONENONE BEST~CDDXCL-57

書籍 編集

  1. あのねのね 今だから愛される本(1974年9月、KKベストセラーズ)
  2. 帰ってきたあのねのね 今だから愛される本 (1976年、KKベストセラーズ)
  3. あのねのねのどっちがアホか 今だから笑われる本(1978年12月、KKベストセラーズ)
  4. あのねのねのいまギャグ感覚 入門・珍詩作講座(1981年5月、KKベストセラーズ)

エピソード 編集

  • 弟子ではないが小室哲哉河島英五がかつてバックバンドを担当していたことでも知られる。
  • 河島英五があのねのねの前座をつとめたことがある。また、一時期同じ事務所でもあった。河島英五が1年先に入っていた。
  • 嘉門タツオ石橋貴明とんねるず)も弟子ではなかったものの両者とも清水国明の自宅に居候していたことがあり、あのねのねも嘉門の元所属事務所であった代官山プロダクションに業務提携扱いで所属していたことがある。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 正式なコメディアンの弟子ではないが、一時期あのねのね事務所に所属していた。
  2. ^ 同時間帯に清水が文化放送の裏番組に出演していたための措置。
  3. ^ 日本民間放送連盟要注意歌謡曲指定(放送禁止)を受けた[4]
  4. ^ あのねのね プラス1(河島英五)名義。
  5. ^ 「あのねのねの復活とアメリカ合衆国建国200年を記念」という名目で出された。1万枚限定[5]
  6. ^ 「つくばねの唄」の英語詞バージョン[5]
  7. ^ ナッシュビル録音。
  8. ^ 総合結婚式場「月華殿」CMソング。
  9. ^ ヤンヤン歌うスタジオ』テーマ曲。
  10. ^ 原田ソロバージョン(ソロアルバム『30-0』に収録)、PART3(『せるふかばあ』に収録)も存在。
  11. ^ ブック・オフ(ブックオフコーポレーション)CMソング。

出典 編集

  1. ^ ラジオパラダイス』(三才ブックス)1987年3月号 pp.75 - 81
  2. ^ a b c d e f g “これが本とのタレント発揮で—す 出版ラッシュで"二足のわらじ"?! なんと65万部売る 筆頭はあのねのね 桜田淳子 海老名美どり 浅田美代子 山本コータロー…ETC 次はリンダに"狙いうち"”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 13. (1975年1月22日) 
  3. ^ これで見納め?あのねのねデビュー50周年コンサートが完売御礼”. ナタリー (2023年9月19日). 2023年12月19日閲覧。
  4. ^ 吉野健三『歌謡曲 流行らせのメカニズム』晩聲社 (ヤゲンブラ選書) 、1978年、136頁。
  5. ^ a b 「レコードプレゼント」『オール大衆』第29巻第6号、経済通信社、1976年3月15日、39頁、NDLJP:2246956/20 

関連項目 編集