ビーナス・ウィリアムズ

アメリカのテニス選手

ビーナス・エボニー・スタール・ウィリアムズ英語: Venus Ebony Starr Williams, 1980年6月17日 - )は、アメリカカリフォルニア州リンウッド出身の女子プロテニス選手。身長185cm、体重73kg、バックハンド・ストロークは両手打ち。これまでにWTAツアーでシングルス49勝、ダブルス22勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス1位、ダブルス1位。

ビーナス・ウィリアムズ
Venus Williams
ビーナス・ウィリアムズ
基本情報
フルネームVenus Ebony
Starr Williams
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地同・カリフォルニア州
リンウッド
生年月日 (1980-06-17) 1980年6月17日(43歳)
身長185cm
体重73kg
利き手
バックハンド両手打ち
ツアー経歴
デビュー年1994年
ツアー通算71勝
シングルス49勝
ダブルス22勝
生涯獲得賞金42,648,697 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪準優勝(2003・17)
全仏準優勝(2002)
全英優勝(2000・01・05・07・08)
全米優勝(2000・01)
優勝回数7(英5・米2)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪優勝(2001・03・09・10)
全仏優勝(1999・2010)
全英優勝(2000・02・08・09・12・16)
全米優勝(1999・2009)
優勝回数14(豪4・仏2・英6・米2)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪優勝(1998)
全仏優勝(1998)
全英準優勝(2006)
全米ベスト8(1998)
優勝回数2(豪1・仏1)
国別対抗戦最高成績
BJK杯優勝(1999)
キャリア自己最高ランキング
シングルス1位(2002年2月25日)
ダブルス1位(2010年6月7日)
獲得メダル
テニス
オリンピック
2000 シドニー女子 シングルス
2000 シドニー女子 ダブルス
2008 北京女子 ダブルス
2012 ロンドン女子 ダブルス
2016 リオデジャネイロ混合ダブルス
2017年9月10日現在

1990年代後半からアメリカ女子テニス界のトッププレイヤーの一人として活躍。妹のセリーナ・ウィリアムズとともに、女子テニス界に「パワーテニス」を持ち込み、これまでの女子テニスのスタイルを一変させた。

シングルス・ダブルス・混合ダブルスでのグランドスラム優勝合計は23回で、特にセリーナ・ウィリアムズと組んだダブルスの優勝回数は、オープン化以降チーム歴代2位タイの14回。

オリンピック金メダル4個獲得は、男女通して妹のセリーナ・ウィリアムズと並び歴代1位タイ。

選手経歴

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キャリア初期

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5人姉妹の4女として生まれる(異父姉妹である。3人姉妹とビーナス、セリーナで別)。1994年10月、同じ年のマルチナ・ヒンギスと同時期に14歳でプロ転向。しかし学業を優先する父親リチャードの教育方針により、最初の2年間は出場試合数を絞っていた。1997年3月からWTAツアーに本格参戦を開始。同年の全仏オープン4大大会にデビュー(1回戦の相手は日本の沢松奈生子であった)、同年の全米オープンでは、世界ランキング66位のノーシードながら一気に決勝に進出。ヒンギスに 0-6, 4-6 で完敗したが、彼女の登場は当時の女子テニス界に強烈な印象を与えた。当時の目標は、妹のセリーナとともに、“テニス版タイガー・ウッズ”だった。

1998年3月にシングルスで世界トップ10入り。なお、この年の4大大会の混合ダブルス部門は、ビーナスがジャスティン・ギメルストブアメリカ)とのペアで全豪オープン全仏オープンで勝利した後、セリーナはマックス・ミルヌイベラルーシ)とのペアでウィンブルドン全米オープンを連続制覇と、ウイリアムズ姉妹が優勝を独占した年となった。1999年以降、ビーナスは、さらなる躍進を遂げる。1999年3月の「リプトン国際選手権」で、セリーナと初の“姉妹対決の決勝”を戦い勝利するなど、ツアー7勝をあげる。

2000年-2002年 ウィリアムズ姉妹時代

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1999年の全米オープンで、セリーナがグランドスラム初優勝を飾ってからは、2000年以降は徐々に女子テニス界をウィリアムズ姉妹が支配していくことになる。

2000年ウィンブルドン選手権でビーナスが初優勝を果たす[1](この時は準決勝でセリーナと姉妹対決をしている)。続く全米オープンで4大大会連続優勝。シドニー五輪でも単複の金メダルを獲得し、シングルス「35連勝」を記録した。

2001年ウィンブルドンと全米オープンで大会2連覇。2001年全米オープンでは、姉妹の夢であった「4大大会決勝での姉妹対決」を初めて実現、ビーナスが勝利した。2002年2月、黒人の女子テニス選手として初の世界ランキング1位に耀く。しかしこの頃からセリーナとの形勢が逆転。2002年全仏オープンから2003年全豪オープンまで「4大会連続」で姉妹対決の決勝となるが、全て敗退。翌2003年ウィンブルドンでも決勝でセリーナに敗れた。

2003年-2006年 怪我

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その後、セリーナともども体調を崩し、2003年度テニス・ツアーの後半戦を欠場する。ビーナスは2004年1月からツアーに復帰したが、しばらく4大大会で不本意な早期敗退が続いた。ようやく翌2005年ウィンブルドンで復活。第14シードから勝ち進み、準決勝で大会前年優勝者のマリア・シャラポワに快勝し、決勝戦では(5年前の初優勝と同じ顔合わせ)リンゼイ・ダベンポートに 4-6, 7-6, 9-7 で優勝した。

2007年-2009年 復活

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2007年

2006年ウィンブルドンでは3回戦で姿を消したが、2007年では、世界ランキング31位(第23シード)だったが、4回戦でシャラポワ、準々決勝でスベトラーナ・クズネツォワ、準決勝でアナ・イバノビッチ、決勝ではマリオン・バルトリを 6-4, 6-1 で退け、2年ぶり4度目の優勝を達成。コンピューター・ランキングが導入されて以来、ウィンブルドン史上最も低いランキングでの優勝者となった(これは、2年前のビーナス自身による16位での優勝を更新したもの)。2008年ウィンブルドンの決勝戦では、5年ぶりに姉妹対決を実現させ、ビーナスが 7-5, 6-4 のストレート勝ちを収めた。これでビーナスの4大大会シングルス優勝は「7勝」となり、ウィンブルドン女子シングルス「5勝」は、同選手権の単独6位記録となる。2009年ウィンブルドンでは、2年連続の姉妹対決決勝となったが、 6-7, 2-6 で敗れ、3連覇を逃した。

2011年-2013年 再びの怪我・病気

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その後2011年からはケガや病気(シェーグレン症候群:自己免疫疾患の一種)に悩まされ、4大大会でも思ったような成績が残せず、早期敗退が多くなった。2011年のシングルスのシーズン最終ランキングは1996年以来、実に15年振りにトップ100圏外(103位)となったが、2012年ロンドンオリンピックに出場することに並々ならぬ意欲を見せ、これまで以上に大会に出場し、見事、シングルス、ダブルス共に出場を果たし(ダブルスは金メダル)、元世界No.1としてのプライドを見せた。

2014年-2015年 トップ10復帰へ

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2014年2月のドバイ・テニス選手権アリーゼ・コルネに6-3, 6-0で勝利し、プレミア大会としては2010年の同大会に優勝して以来、実に4年ぶりのツアー優勝を飾った。

2015年は1月のオークランドの決勝で第1シードのキャロライン・ウォズニアッキに2–6, 6-3, 6-3で勝利し、46個目のWTAツアータイトルを獲得し、幸先の良いスタートを切った。その勢いのまま2015年全豪オープンで4大大会としては、2010年全米オープン以来5年振りにベスト8へ進出した。QFでは同じアメリカの19歳の若手、マディソン・キーズに4-6, 6-3, 4-6のフルセットで敗れ、全豪オープンとしては2003年大会以来、12年振りとなるベスト4進出を逃した。続く全仏オープンでは1回戦で敗れたが、2015年ウィンブルドンでは4回戦に進出した。3回戦に進出した時点で、大会通算勝利数が75勝となり、シュテフィ・グラフを抜いて歴代3位となった。4回戦ではセリーナとの姉妹対決となり、4-6, 3-6で敗れた(セリーナはこの時点でビーナスと並んで大会通算勝利数が76勝となった。最終的には優勝を果たし79勝とした)。全米オープンは、第23シードで出場し、1、2回戦でフルセットを強いられるものの、2010年大会以来5年ぶりのベスト8へ進出。ウィンブルドンに続いて第1シードのセリーナとの対決となり、2-6, 6-1, 3-6で敗れ、ベスト4進出はならなかったが、お互い鋭い打球の打ち合いとなり、ハイレベルな試合であった。ビーナスが1年の4大大会で、2大会以上のベスト8以上を記録したのは2010年以来5年振りとなり、久しぶりの復活を印象付けた。全米オープン後のプレミア5大会の一つ、武漢オープンでノーシードながら、決勝へ進出。2015年ウィンブルドン準優勝者のガルビネ・ムグルサと対戦し、6-3, 3-0とビーナスがリードしたところで、ムグルサが棄権をし、ビーナスがWTAツアー通算47勝目を挙げた。2009年以来(2010年は出場権を得ていたが、怪我で出場辞退)のWTAツアー選手権を目指したが、10位に留まり出場を果たせなかった。その翌週、2014年まで行われていたWTAトーナメント・オブ・チャンピオンズの後継大会として新設されたWTAエリート・トロフィーへ出場。ラウンドロビンを2勝0敗で勝ち上がり、準決勝でロベルタ・ビンチに6-2, 6-2、決勝でカロリナ・プリスコバに7-5, 7-6で勝利し、初代チャンピオンとなった。この勝利で、ツアー年間最終ランキングが7位となり、トップ10復帰を2011年3月以来、年間最終ランキングトップ10を2010年以来に飾った。

2016年-現在

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2016年は、2015年に優勝したオークランド、ベスト8だった2016年全豪オープンに2大会連続で初戦敗退を喫し、トップ10から陥落してしまうものの、2月に新設された台湾オープンの決勝で日本の土居美咲に6-4, 6-2で勝利し、ツアー通算49勝目を挙げた。毎年3月に行われるアメリカでのBNPパリバ・オープンに2001年以来、15年ぶりに出場した。これは01年大会のセリーナとの準決勝直前にビーナスが棄権したことにより、決勝時に観客から、セリーナと観客席にいるビーナスに対し、凄まじいブーイングが浴びせられたことで、人種差別だとして、出場をセリーナと共にボイコットしていた(セリーナは15年大会から復帰)。しかし16年大会の登場時には、観客からは拍手と歓声で迎えられた。結果は2回戦で奈良くるみに4-6, 3-6で敗れた(ビーナスが日本人に敗れたのは、この時が初めて)。全仏オープンでは2010年大会以来6年ぶりにシングルス4回戦に進出したが、ティメア・バシンスキーに2-6, 4-6で敗れた。2016年ウィンブルドンでは2009年に準優勝して以来のベスト4に進出。過去8度、準決勝に進出した際には、必ず決勝進出を果たしていたが、2016年全豪オープンチャンピオンのアンゲリク・ケルバーに4-6, 4-6で敗れ、先の試合で勝っていたセリーナの待つ決勝進出とはならなかった。また、同大会の出場で、グランドスラムシングルス出場回数が通算71回となり、メアリー・ジョー・フェルナンデスに並び歴代1位タイの出場回数を記録した。リオデジャネイロ五輪のシングルスでは第5シードで出場したものの、1回戦でキルステン・フリプケンスに6-4, 3-6, 6-7で敗れ、五輪で初めての1回戦敗退となった。全米オープンは第6シードとして順調に勝利していくが、4回戦でカロリナ・プリスコバに6-4, 4-6, 6-7の逆転で敗れた。特に最終第3セットのタイブレークでは、マッチポイントを掴みながらの敗戦であった。

2017年全豪オープンは、第13シードで出場し、上位シードが早期敗退していく中、準々決勝でアナスタシア・パブリュチェンコワに6-4, 7-6で勝利し、続く準決勝は、4回戦で第1シードのアンゲリク・ケルバー、準々決勝で前年全仏チャンピオンのガルビネ・ムグルサに勝って勢いのある同胞のココ・バンダウェイと対戦。粘り強いテニスで6-7, 6-2, 6-3で逆転勝ちした。これにより、四大大会では2009年ウィンブルドン以来8年ぶりの決勝進出、全豪オープンでは2003年以来、実に14年ぶりの決勝進出を果たす(同大会最年長ファイナリスト)。決勝の相手は第2シードのセリーナ・ウィリアムズと四大大会決勝通算9度目の対戦となり、4-6, 4-6で敗れ、2008年ウィンブルドン以来、久しぶりの四大大会優勝と全豪オープン初優勝はならなかった。またこの勝利でセリーナは、シュテフィ・グラフと22度で並んでいたオープン化以降の四大大会優勝記録を更新する、最多23度目の優勝を成し遂げた。3月のBNPパリバ・オープンでは、2回戦で元世界No.1のエレナ・ヤンコビッチに1-6, 7-6, 6-1の大逆転勝利で波に乗り、準々決勝へ進出。準々決勝では、エレーナ・ベスニナ(今大会優勝者)に敗れたものの、同大会ではボイコット前の2001年大会以来のベスト8進出を果たした。翌週の同じくプレミア・マンダトリーに位置するマイアミ・オープンでも好調を維持し、4回戦では第7シードのスベトラーナ・クズネツォワに6-3, 7-6で勝利。2年ぶりにトップ10選手から勝ち星を挙げ、続く準々決勝では、第1シードで世界ランク1位のアンゲリク・ケルバーと対戦。7-5, 6-3でストレート勝ちし、2014年に当時世界ランク1位のセリーナに勝って以来の世界No.1選手からの勝利を挙げ、同時に、36歳9ヵ月での世界No.1選手からの勝利は、最も年長での勝利記録となった。準決勝はジョアンナ・コンタに4-6, 5-7で敗れ、決勝進出はならなかった。全仏オープンでは、通算20回目の出場を果たした史上初めての選手となった。結果は、シングルス4回戦まで進出したが、昨年と同じ4回戦で、同じ相手のティメア・バシンスキーに7-5, 2-6, 1-6の逆転で敗れ、全仏オープン11年ぶりのベスト8進出とはならなかった。

ダブルス

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ビーナスの最大の武器は、時速200kmを超える高速サーブである。最大のライバルであるマルチナ・ヒンギスの頭脳プレーに打ち勝つため、持ち前の大きな体格を活かした強力なパワーテニスを編み出してきた。だが、その一方で、姉妹ともに多くの故障に悩まされてきた。

姉妹の4大大会ダブルス優勝は14度あり、シドニー五輪北京五輪ロンドン五輪のダブルス金メダルも獲得した。初めて姉妹ダブルスで4大大会に出場した1998年全豪オープンでは、3回戦で日本雉子牟田直子&宮城ナナ組に敗れている。1999年全仏オープンの女子ダブルス決勝でマルチナ・ヒンギス&アンナ・クルニコワ組を破って初優勝して以来、無敵の強さを誇ってきた。しかし、2003年ウィンブルドン女子ダブルス3回戦で、姉妹はロシアペアのエレーナ・デメンチェワ&リナ・クラスノルツカヤ組に敗退して以降、姉妹のどちらかの体調不良により、姉妹でエントリーできないことが多かった。5年後の2008年ウィンブルドンで、リサ・レイモンドアメリカ)&サマンサ・ストーサーオーストラリア)組を 6-2, 6-2 で圧倒、姉妹で6年ぶり3度目の女子ダブルス優勝を果たした。同年の北京五輪の女子ダブルスでも、2大会ぶり2個目の金メダルを獲得した。2009年全豪オープンでは、姉妹は決勝で杉山愛&ダニエラ・ハンチュコバ組を 6-3, 6-3 で破り、6年ぶり3度目の優勝を果たした。その後2009年ウィンブルドンから2010年全仏オープンまで4大大会女子ダブルス4連勝を達成。その後、2012年ウィンブルドンでは、3年ぶり5度目の優勝を果たした。同年、同地で行われたロンドン五輪においても、2大会連続3個目の金メダルを獲得。これにより姉妹とも五輪通算4個の金メダルを獲得、これは男女通じてテニス選手で史上最多である。

2016年はリオデジャネイロオリンピックも見据え2014年全米オープン以来、セリーナと組んでのダブルスに出場。全仏オープンは3回戦で敗退するものの、2016年ウィンブルドンでは、決勝を含め6試合中5試合がシードチームとの対戦だったが、いずれも勝利し、2012年大会以来6度目の優勝を飾った。これでセリーナと組んだチームでのグランドスラム優勝回数は14回となり、オープン化以降同一チームとしての優勝回数は歴代2位タイとなった(歴代1位はマルチナ・ナブラチロワパム・シュライバーの20回)。

リオデジャネイロ五輪では、姉妹の宿願であるダブルス3連覇を目指して、第1シードとして出場するものの、まさかの1回戦でストレートで敗れ、3連覇はならなかった。ビーナスはシングルスも1回戦で敗れていたため、勝利することなく、大会を終えるところだったが、混合ダブルスにラジーブ・ラムと組んで出場。五輪で混合ダブルスに出場したことは初めてだったが、決勝に進出し、同じアメリカ代表のベサニー・マテック=サンズ&ジャック・ソック組と対戦。結果は7-6, 1-6, [7-10]の逆転で敗れ、史上初のテニス選手としての5つ目の金メダル獲得はならなかった。それでも、通算獲得メダル数が「5個」となり、イギリスのキャスリーン・マッケイン・ゴッドフリーと並び、男女通じての最多獲得数となった。

日本との関係

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ビーナスは日本を訪れた回数が少なく、これまで4度しか来日がない。初来日は2004年2月の東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントであったが、この時期は長期の故障から復帰したばかりで、準々決勝の試合前に棄権している。2007年10月、ビーナスはジャパン・オープンに初出場し、彼女の来日としては3年ぶり2度目となったが、急遽の出場要請だったこともあり(本来は休養する予定だった)決勝でビルジニ・ラザノフランス)に 6-4, 6-7, 4-6 で敗れ準優勝に終わっている。3度目の来日は2009年東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントに第2シードとして出場したが、2回戦でカルラ・スアレス・ナバロに6-7, 5-7で敗れた。4度目も2013年9月の東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントであったが、準決勝でペトラ・クビトバに 6-3, 3-6, 6-7 で敗れ、1年ぶりとなるツアー決勝進出を逃した。

記録

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※オープン化以降

4大大会通算最多出場「75回」2017年全米まで
ウィンブルドン 最も低い世界ランクで優勝「31位」
ウィンブルドン 最も低いシードで優勝「第23シード」
ウィンブルドン 最長試合時間決勝戦 「2時間45分(対リンゼイ・ダペンポート 2005年)」
ウィンブルドン 女子最速サーブ「129 mph (207.6 km/h)」
全米オープン 女子最速サーブ「129 mph (207.6 km/h)」
オリンピック金メダル「4個」
セリーナ・ウィリアムズとタイ記録。
オリンピックダブルス金メダル「3個」
マイアミ・マスターズ シングルス「22連勝」
シュテフィ・グラフとタイ記録。
ドバイ・テニス選手権 シングルス「16連勝」
ドバイ・テニス選手権 1セットも落とさずに優勝「2回」
ジュスティーヌ・エナンとタイ記録。
ドバイ・テニス選手権 ノーシードで優勝&ワイルドカードで優勝
コネティカット・オープン シングルス「4連覇」
キャロライン・ウォズニアッキとタイ記録。
コネティカット・オープン 1セットも落とさずに優勝「2回」
ロジャーズ・カップ最年長決勝進出「34歳2ヵ月」

WTAツアー決勝進出結果

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シングルス: 83回 (49勝34敗)

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大会グレード
2008年以前2009年以後
グランドスラム (7–9)
オリンピック (1–0)
WTAファイナルズ (1–2)
グランドスラムカップ (1–1)
ティア I (6–3)プレミア・マンダトリー (0-2)
プレミア5 (3-1)
WTAエリート・トロフィー (1-0)
ティア II (17–11)プレミア (1–2)
ティア III (5–1)インターナショナル (5–2)
ティア IV & V (1–0)
結果No.決勝日大会サーフェス対戦相手スコア
準優勝1.1997年9月7日 全米オープンハード マルチナ・ヒンギス0–6, 4–6
準優勝2.1998年1月18日 シドニーハード アランチャ・サンチェス・ビカリオ1–6, 3–6
優勝1.1998年2月23日 オクラホマシティハード (室内) ヨアネット・クルーガー6–3, 6–2
優勝2.1998年3月16日 マイマミハード アンナ・クルニコワ2–6, 6–4, 6–1
準優勝3.1998年5月17日 ローマクレー マルチナ・ヒンギス3–6, 6–2, 3–6
準優勝4.1998年7月27日 スタンフォードハード リンゼイ・ダベンポート4–6, 7–5, 4–6
優勝3.1998年9月28日 ミュンヘンハード (室内) パティ・シュナイダー6–2, 3–6, 6–2
準優勝5.1998年10月12日 チューリッヒカーペット (室内) リンゼイ・ダベンポート5–7, 3–6
準優勝6.1999年2月21日 ハノーファーカーペット (室内) ヤナ・ノボトナ4–6, 4–6
優勝4.1999年2月28日 オクラホマシティハード (室内) アマンダ・クッツァー6–4, 6–0
優勝5.1999年3月15日 マイアミハード セリーナ・ウィリアムズ6–1, 4–6, 6–4
優勝6.1999年4月26日 ハンブルククレー マリー・ピエルス6–0, 6–3
優勝7.1999年5月3日 ローマクレー マリー・ピエルス6–4, 6–2
準優勝7.1999年7月26日 スタンフォードハード リンゼイ・ダベンポート6–7(1), 2–6
準優勝8.1999年8月8日 サンディエゴハード マルチナ・ヒンギス4–6, 0–6
優勝8.1999年8月23日 ニューヘイブンハード (室内) リンゼイ・ダベンポート6–2, 7–5
準優勝9.1999年10月3日 ミュンヘンハード セリーナ・ウィリアムズ1–6, 6–3, 3–6
優勝9.1999年10月11日 チューリッヒハード (室内) マルチナ・ヒンギス6–3, 6–4
優勝10.2000年6月26日 ウィンブルドン リンゼイ・ダベンポート6–3, 7–6(3)
優勝11.2000年7月24日 スタンフォードハード リンゼイ・ダベンポート6–1, 6–4
優勝12.2000年7月31日 サンディエゴハード モニカ・セレシュ6–0, 6–7(3), 6–3
優勝13.2000年8月21日 ニューヘイブンハード モニカ・セレシュ6–2, 6–4
優勝14.2000年8月28日 全米オープンハード リンゼイ・ダベンポート6–4, 7–5
優勝15.2000年9月28日 シドニー五輪ハード エレーナ・デメンチェワ6–2, 6–4
準優勝10.2000年10月16日 リンツカーペット (室内) リンゼイ・ダベンポート4–6, 6–3, 2–6
優勝16.2001年3月19日 マイアミハード ジェニファー・カプリアティ4–6, 6–1, 7–6(4)
優勝17.2001年4月30日 ハンブルククレー メガン・ショーネシー6–3, 6–0
優勝18.2001年6月25日 ウィンブルドン ジュスティーヌ・エナン6–1, 3–6, 6–0
優勝19.2001年7月30日 サンディエゴハード モニカ・セレシュ6–2, 6–3
優勝20.2001年8月20日 ニューヘイブンハード リンゼイ・ダベンポート7–6(6), 6–4
優勝21.2001年8月27日 全米オープンハード セリーナ・ウィリアムズ6–2, 6–4
優勝22.2002年1月6日 ゴールドコーストハード ジュスティーヌ・エナン7–5, 6–2
優勝23.2002年2月4日 パリカーペット (室内) エレナ・ドキッチ不戦勝
優勝24.2002年2月11日 アントワープカーペット (室内) ジュスティーヌ・エナン6–3, 5–7, 6–3
優勝25.2002年4月8日 アメリアアイランドクレー ジュスティーヌ・エナン2–6, 7–5, 7–6(5)
準優勝11.2002年4月29日 ハンブルククレー キム・クライシュテルス6–1, 3–6, 4–6
準優勝12.2002年6月9日 全仏オープンクレー セリーナ・ウィリアムズ5–7, 3–6
準優勝13.2002年7月7日 ウィンブルドン セリーナ・ウィリアムズ6–7(4), 3–6
優勝26.2002年7月22日 スタンフォードハード キム・クライシュテルス6–3, 6–3
優勝27.2002年7月29日 サンディエゴハード エレナ・ドキッチ6–2, 6–2
優勝28.2002年8月19日 ニューヘイブンハード リンゼイ・ダベンポート7–5, 6–0
準優勝14.2002年9月8日 全米オープンハード セリーナ・ウィリアムズ4–6, 3–6
準優勝15.2003年1月26日 全豪オープンハード セリーナ・ウィリアムズ6–7(4), 6–3, 4–6
優勝29.2003年2月10日 アントワープカーペット (室内) キム・クライシュテルス6–2, 6–4
準優勝16.2003年4月28日 ワルシャワクレー アメリ・モレスモ7–6(6), 0–6, 0–3 途中棄権
準優勝17.2003年7月6日 ウィンブルドン セリーナ・ウィリアムズ6–4, 4–6, 2–6
優勝30.2004年4月12日 チャールストンクレー コンチタ・マルティネス2–6, 6–2, 6–1
優勝31.2004年4月26日 ワルシャワクレー スベトラーナ・クズネツォワ6–1, 6–4
準優勝18.2004年5月3日 ベルリンクレー アメリ・モレスモ不戦敗
準優勝19.2004年7月12日 スタンフォードハード リンゼイ・ダベンポート6–7(4), 7–5, 6–7(4)
準優勝20.2005年2月14日 アントワープカーペット (室内) アメリ・モレスモ6–4, 5–7, 4–6
優勝32.2005年5月15日 イスタンブールクレー ニコル・バイディソバ6–3, 6–2
優勝33.2005年7月9日 ウィンブルドン リンゼイ・ダベンポート4–6, 7–6(4), 9–7
準優勝21.2005年8月1日 スタンフォードハード キム・クライシュテルス5–7, 2–6
優勝34.2007年2月24日 メンフィスハード (室内) シャハー・ピアー6–1, 6–1
優勝35.2007年7月7日 ウィンブルドン マリオン・バルトリ6–4, 6–1
優勝36.2007年9月30日 ソウルハード マリア・キリレンコ6–3, 1–6, 6–4
準優勝22.2007年10月6日 東京ハード ビルジニ・ラザノ6–4, 6–7(7), 4–6
優勝37.2008年7月5日 ウィンブルドン セリーナ・ウィリアムズ7–5, 6–4
優勝38.2008年10月19日 チューリッヒハード (室内) フラビア・ペンネッタ7–6(1), 6–2
優勝39.2008年11月9日 ドーハハード ベラ・ズボナレワ6–7(5), 6–0, 6–2
優勝40.2009年2月21日 ドバイハード ビルジニ・ラザノ6–4, 6–2
優勝41.2009年2月28日 アカプルコクレー フラビア・ペンネッタ6–1, 6–2
準優勝23.2009年7月5日 ウィンブルドン セリーナ・ウィリアムズ6–7(3), 2–6
準優勝24.2009年8月2日 スタンフォードハード マリオン・バルトリ2–6, 7–5, 4–6
準優勝25.2009年11月1日 ドーハハード (室内) セリーナ・ウィリアムズ2–6, 6–7(4)
優勝42.2010年2月20日 ドバイハード ビクトリア・アザレンカ6–3, 7–5
優勝43.2010年2月27日 アカプルコクレー ポロナ・ヘルツォグ2–6, 6–2, 6–3
準優勝26.2010年4月3日 マイアミハード キム・クライシュテルス2–6, 1–6
準優勝27.2010年5月16日 マドリードクレー アラバン・レザイ2–6, 5–7
優勝44.2012年10月21日 ルクセンブルクハード(室内) モニカ・ニクルスク6–2, 6–3
準優勝28.2014年1月4日 オークランドハード アナ・イバノビッチ2–6, 7–5, 4-6
優勝45.2014年2月22日 ドバイハード アリーゼ・コルネ6–3, 6–0
準優勝29.2014年8月10日 モントリオールハード アグニエシュカ・ラドワンスカ4–6, 2–6
準優勝30.2014年9月14日 ケベック・シティーハード (室内) ミリヤナ・ルチッチ4-6, 3-6
優勝46.2015年1月10日 オークランドハード キャロライン・ウォズニアッキ2–6, 6-3, 6-3
優勝47.2015年10月3日 武漢ハード ガルビネ・ムグルサ6-3, 3-0 途中棄権
優勝48.2015年11月8日 珠海ハード(室内) カロリナ・プリスコバ7–5, 7-6(6)
優勝49.2016年2月14日 高雄ハード 土居美咲6-4, 6-2
準優勝31.2016年7月24日 スタンフォードハード ジョアンナ・コンタ5–7, 7–5, 2–6
準優勝32.2017年1月28日 全豪オープンハード セリーナ・ウィリアムズ4-6, 4–6
準優勝33.2017年7月15日 ウィンブルドン ガルビネ・ムグルサ5–7, 0–6
準優勝34.2017年10月29日 シンガポールハード (室内) キャロライン・ウォズニアッキ4–6, 4–6


ダブルス: 23回 (22勝1敗)

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大会グレード
2008年以前2009年以後
グランドスラム (14–0)
オリンピック (3–0)
ティア I (1–0)プレミア・マンダトリー (1-0)
プレミア5 (0-0)
ティア II (1–1)プレミア (1–0)
ティア III (1–0)インターナショナル (0–0)
ティア IV & V (0–0)
結果No.決勝日大会サーフェスパートナー対戦相手スコア
優勝1.1998年2月23日 オクラホマシティハード
(室内)
セリーナ・ウィリアムズ カタリナ・クリステア
クリスティン・カンス
7–5, 6–2
優勝2.1998年10月12日 チューリッヒカーペット (室内) セリーナ・ウィリアムズ マリアン・デ・スウォート
エレナ・タタルコワ
5–7, 6–1, 6–3
優勝3.1999年2月21日 ハノーファーカーペット (室内) セリーナ・ウィリアムズ アレクサンドラ・フセ
ナタリー・トージア
5–7, 6–2, 6–2
優勝4.1999年6月6日 全仏オープンクレー セリーナ・ウィリアムズ マルチナ・ヒンギス
アンナ・クルニコワ
6–3, 6–7(2–7), 8–6
準優勝1.1999年8月8日 スタンフォードハード セリーナ・ウィリアムズ リンゼイ・ダベンポート
コリーナ・モラリュー
4–6, 1–6
優勝5.1999年9月12日 全米オープンハード セリーナ・ウィリアムズ チャンダ・ルビン
サンドリーヌ・テスチュ
4–6, 6–1, 6–4
優勝6.2000年7月9日 ウィンブルドン セリーナ・ウィリアムズ ジュリー・アラール=デキュジス
杉山愛
6–3, 6–2
優勝7.2000年9月28日 シドニー五輪ハード セリーナ・ウィリアムズ クリスティ・ボーグルト
ミリアム・オレマンス
6–1, 6–1
優勝8.2001年1月26日 全豪オープンハード セリーナ・ウィリアムズ リンゼイ・ダベンポート
コリーナ・モラリュー
6–2, 4–6, 6–4
優勝9.2002年7月7日 ウィンブルドン セリーナ・ウィリアムズ ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
パオラ・スアレス
6–2, 7–5
優勝10.2003年1月24日 全豪オープンハード セリーナ・ウィリアムズ ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
パオラ・スアレス
4–6, 6–4, 6–3
優勝11.2008年7月5日 ウィンブルドン セリーナ・ウィリアムズ リサ・レイモンド
サマンサ・ストーサー
6–2, 6–2
優勝12.2008年8月17日 北京五輪ハード セリーナ・ウィリアムズ アナベル・メディナ・ガリゲス
ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
6–2, 6–0
優勝13.2009年1月30日 全豪オープンハード セリーナ・ウィリアムズ 杉山愛
ダニエラ・ハンチュコバ
6–3, 6–3
優勝14.2009年7月4日 ウィンブルドン セリーナ・ウィリアムズ サマンサ・ストーサー
レネ・スタブス
7–6(7–4), 6–4
優勝15.2009年8月2日 スタンフォードハード セリーナ・ウィリアムズ 詹詠然
モニカ・ニクレスク
6–4, 6–1
優勝16.2009年9月14日 全米オープンハード セリーナ・ウィリアムズ カーラ・ブラック
リーゼル・フーバー
6–2, 6–2
優勝17.2010年1月29日 全豪オープンハード セリーナ・ウィリアムズ カーラ・ブラック
リーゼル・フーバー
6–4, 6–3
優勝18.2010年5月15日 マドリードクレー セリーナ・ウィリアムズ ヒセラ・ドゥルコ
フラビア・ペンネッタ
6–2, 7–5
優勝19.2010年6月3日 全仏オープンクレー セリーナ・ウィリアムズ クベタ・ペシュケ
カタリナ・スレボトニク
6–2, 6–3
優勝20.2012年7月7日 ウィンブルドン セリーナ・ウィリアムズ アンドレア・フラバーチコバ
ルーシー・ハラデツカ
7–5, 6–4
優勝21.2012年8月5日 ロンドン五輪 セリーナ・ウィリアムズ アンドレア・フラバーチコバ
ルーシー・ハラデツカ
6–4, 6–4
優勝22.2016年7月9日 ウィンブルドン セリーナ・ウィリアムズ ティメア・バボシュ
ヤロスラワ・シュウェドワ
6–3, 6–4

4大大会優勝

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ビーナスの女子シングルス

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  • ウィンブルドン:5勝(2000年・2001年・2005年・2007年・2008年) [準優勝3度:2002年・2003年・2009年]
  • 全米オープン:2勝(2000年・2001年) [準優勝2度:1997年・2002年]
全豪オープン準優勝2度:2003年・2017年、全仏オープン準優勝1度:2002年)
大会対戦相手試合結果
2000年ウィンブルドン リンゼイ・ダベンポート6-3, 7-6
2000年全米オープン リンゼイ・ダベンポート6-4, 7-5
2001年ウィンブルドン ジュスティーヌ・エナン6-1, 3-6, 6-0
2001年全米オープン セリーナ・ウィリアムズ6-2, 6-4
2005年ウィンブルドン リンゼイ・ダベンポート4-6, 7-6, 9-7
2007年ウィンブルドン マリオン・バルトリ6-4, 6-1
2008年ウィンブルドン セリーナ・ウィリアムズ7-5, 6-4

姉妹の女子ダブルス

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混合ダブルス

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大会成績

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シングルス

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4大大会

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略語の説明
 W  F SFQF#RRRQ#LQ A Z#PO G  S  B NMS P NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会199719981999200020012002200320042005200620072008200920102011201220132014201520162017201820192020202120222023通算成績
全豪オープンAQFQFASFQFF3R4R1RAQF2RQF3RA3R1RQF1RF1R3R1R2RAA54–21
全仏オープン2RQF4RQF1RF4RQF3RQF3R3R3R4RA2R1R2R1R4R4R1R1R1R1RAA48–24
ウィンブルドン1RQFQFWWFF2RW3RWWFQF4R1RA3R4RSFF3R1RNH2RA1R90–19
全米オープンFSFSFWWFA4RQFASFQF4RSF2R2R2R3RQF4RSF3R2R1RA1R79–20

: 1999年全米3回戦の不戦勝と2011年全米2回戦の不戦敗は通算成績に含まない

年間最終戦

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大会1998199920002001200220032004200520062007200820092010201120122013201420152016201720182019202020212022通算成績
WTAツアー選手権ASFASFADid Not QualifyAWFADid Not QualifyFDid Not Qualify14-7
WTAエリート・トロフィーNot HeldDid Not QualifyADNQWADid Not QualifyNot Held4-0

オリンピック

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大会1996200020042008201220162020通算成績
夏季オリンピックAG3RQF3R1RA13-4

ダブルス

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4大大会

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大会1997199819992000200120022003200720082010201020112012201320142015201620172018202120222023通算成績
全豪オープンA3RSFAWAWAQFWWAQFAA36-4
全仏オープンAWAA3RWA1RA3RA3R1RA18-5
ウィンブルドンA1RAW3RW3R2RWWQFAWA2RAWAA45-6
全米オープン1RAWSF3RAAWA3RSFQFAA1R27-7

オリンピック

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大会1996200020042008201220162020通算成績
夏季オリンピックAG1RGG1RA15-2

混合ダブルス

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4大大会

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大会199719981999-20052006通算成績
全豪オープンAW5–0
全仏オープンAW6–0
ウィンブルドン1RSFQF3RF13–5
全米オープンAQF2–1

オリンピック

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大会201220162020通算成績
夏季オリンピックASA3-1

脚注

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  1. ^ 40歳でプレーを続ける元世界女王「テニスとは深い関係にある」”. テニスデイリー (2021年5月23日). 2021年5月30日閲覧。

外部リンク

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