ノーヒットノーラン

投手が相手チームに安打を与えずに試合を終える、野球及びソフトボールの記録

ノーヒットノーランとは、野球ソフトボール試合における記録

本項では一部、ノーヒットノーランに近いが異なる記録である、ノーヒッター(無安打試合; : no-hitter, no-no、メジャーリーグベースボールや世界野球ソフトボール連盟によって定義される)についても記述する。またノーヒットノーランの達成者についてはノーヒットノーラン達成者一覧を参照。

概説 編集

野球・ソフトボールの試合において、投手が相手チームに安打も得点も一切許さず勝利することをノーヒットノーランと言う。ノーランのラン”Run”は、得点を意味する野球用語であり、直訳すると「無安打無得点」。

安打のみならず一人の走者すらも出させずに完封勝利を挙げた場合は完全試合(パーフェクトゲーム)となる。完全試合もノーヒットノーランではあるが、ある具体的な事例について、完全試合とは言わず単に「ノーヒットノーラン」という場合は四球死球失策打撃妨害振り逃げのいずれかによる出塁を許したが生還させなかったことを含意する。日米ともに、完全試合の回数を含めて数えられる。なお、コールドゲーム、あるいは9回もしくは延長戦までおこなっての引き分け試合で無安打無得点を達成した場合は参考記録扱いとなる。

日本のプロ野球においては先発投手完投で達成した場合は個人記録として公認されるが、複数の投手の継投による場合はチームの記録として公認される。社会人や高校などのアマチュア野球では個人記録のみ公認され、継投による達成は参考記録扱いとなる。

女子ソフトボールでは、上野由岐子が7度達成している(完全試合を含めると15度)[1]

メジャーリーグベースボール 編集

メジャーリーグベースボール (MLB) では2020年8月26日現在、完全試合23回を含んで304回達成されている。1991年に発表されたMLBの公式見解において、ノーヒッターとは「9回以上を一人または複数の投手が無安打に抑えた場合」と定義されている[2]。したがって、四死球ボーク、失策、犠打犠飛、野手選択、打撃妨害、捕逸暴投などで得点を許したが相手を無安打に抑えた試合も含まれる。また、継投による場合、チームが敗れた場合にもノーヒッターは記録される[注釈 1]

無安打試合にまつわる記録 編集

最初の無安打試合
達成回数・連続達成記録
通算達成回数で最も多い選手はノーラン・ライアンの計7回。2015年10月4日現在で複数回達成者は37人(継投による達成含む)、3回以上の達成者はノーラン・ライアン、サンディ・コーファックスサイ・ヤングボブ・フェラーラリー・コーコランジャスティン・バーランダーの6人。コーファックス、ヤングは完全試合を含む。
サンディ・コーファックスは、4年連続達成の記録を持つ。
ノーラン・ライアンは3年連続で達成している。そのうち最初の年度の1973年は2回達成。また1973年~1975年の3年連続、1990年~1991年の2年連続と2年以上連続を2回記録した。
ジョニー・ヴァンダー・ミーアは、1938年6月11日と6月15日、先発2試合連続の無安打無得点を達成した(ダブルノーヒッター)。MLBでは唯一の例である。
年間個人最多達成回数は2回でジョニー・ヴァンダー・ミーア、アリー・レイノルズ英語版バージャル・トラクス英語版、ノーラン・ライアン、ロイ・ハラデーマックス・シャーザーが達成。ハラデーは完全試合を含む。
MLB全体での年間最多達成回数は近代野球前が1884年の8回(ノーヒッター2回、ノーヒットノーラン6回)、近代野球では2021年の9回。
継投による達成は2015年8月14日現在で37投手により11回記録されている。そのうちヴァイダ・ブルーマイク・ウィット、ケント・マッカー、コール・ハメルズの4人が単独でのノーヒットノーランも記録。ウィットは完全試合。
初登板(MLBデビュー戦)での達成
1892年10月15日 バンプス・ジョーンズ英語版 シンシナティ・レッズピッツバーグ・パイレーツナリーグ)スコア7-1 近代野球前の記録。1失点でのノーヒッター。

初先発での達成はテッド・ブリーテンスタイン、バンプス・ジョーンズ、ボボ・ホロマン、タイラー・ギルバートの順番で4人が達成しバンプス・ジョーンズのみがMLBデビュー戦での達成となっている。

両リーグでの達成
ナリーグ、アリーグでそれぞれで達成した投手はサイ・ヤング、ジム・バニング、ノーラン・ライアン、野茂英雄ランディ・ジョンソンの5人。野茂は1996年(ドジャーズ)と2001年(レッドソックス)に記録している。サイ・ヤング、ジム・バニング、ランディ・ジョンソンは完全試合を含む。
完全試合から継投によるノーヒッター達成に変わった例
1917年6月23日のボストン・レッドソックス対ワシントン・セネターズにおいて、レッドソックス先発のベーブ・ルースが先頭打者に四球を与えた後に審判に対する抗議退場となり、代わってマウンドに上がったアーニー・ショア英語版が9回終了まで無安打無得点に抑え達成した。なお、1991年に記録見直しが行われるまで、この試合はショアによる完全試合という扱いであった。
6投手の継投による達成
2003年6月11日のインターリーグの試合で、ヒューストン・アストロズロイ・オズワルトピーター・マンロー英語版カーク・サールースブラッド・リッジオクタビオ・ドーテルビリー・ワグナーの6投手を継投してニューヨーク・ヤンキースを無安打無得点に抑えた。
2012年6月9日のインターリーグの試合では、シアトル・マリナーズケビン・ミルウッドチャーリー・ファーブッシュスティーブン・プライヤールーカス・リットキーブランドン・リーグトム・ウィルヘルムセンの6投手を継投してロサンゼルス・ドジャースを無安打無得点に抑えた。
9回まで両チーム無安打無得点試合
1917年5月2日のシンシナティ・レッズ対シカゴ・カブス戦で、レッズ先発のフレッド・トニー英語版とカブス先発のヒッポ・ボーンが9回まで互いに無安打無得点。10回にボーンが2安打1失点で敗戦投手となり、トニーが延長10回を無安打無得点で抑えた[3]
無安打試合を達成しながら敗北
マイナーリーグ、9回まで27奪三振で達成
1952年5月13日: ロン・ネッチアイマイナーリーグD級のブリストル・ツインズ対ウェルチ・マイナーズの試合で記録。振り逃げを含んでの達成。
この他、1990年7月1日、ニューヨーク・ヤンキースのアンディ・ホーキンス英語版がシカゴ・ホワイトソックス戦で8回無安打に抑えながら、0対4で敗戦した試合がある。ホームのホワイトソックスが勝利し9回裏がない試合だったため、公式の無安打試合となっていない。この試合のホワイトソックスの4得点は、無安打チームが挙げた得点としてはMLB最多である。

日本野球 編集

プロ野球 編集

日本プロ野球では、レギュラーシーズンにおいて(完全試合16人を含む)90人が、合計102回達成。この他、ポストシーズンにおいて1人が1回達成している。

チーム別無安打無得点達成試合数は読売ジャイアンツが17試合で最多、被達成試合数は中日ドラゴンズが14試合で最多となっている。上記のように楽天のみ達成記録がない。被達成については楽天も含め現存チームすべてが記録している。

2024年時点で、1シーズンに達成した投手の最高人数は5人で、1940年と2022年に記録されている[4]

継投による無安打無得点が記録された試合は日本シリーズでの完全試合1試合を含む以下の6試合である。ただし継投による無安打無得点はチームとしての記録として参考記録となり、個人記録にはならない。

達成日達成チーム登板した投手スコア対戦相手球場備考
1941年6月22日黒鷲中河美芳
石原繁三
2-0名古屋後楽園 
1941年8月2日阪急江田孝
森弘太郎
2-0名古屋西宮森は同年10月27日の名古屋戦(西宮)でも単独で達成している。
2006年4月15日日本ハム八木智哉
武田久
MICHEAL
1-0ソフトバンクヤフードーム2リーグ分裂後初。延長12回。八木は10回無安打無失点のまま降板となった。
2017年6月14日巨人山口俊
マシソン
カミネロ
3-0ソフトバンク東京ドーム交流戦史上初。レギュラーシーズンにおいてはセ・リーグ初。山口は翌年7月27日の中日戦(東京ドーム)でも単独で達成している。
2021年8月15日ソフトバンクスチュワート・ジュニア
津森宥紀
嘉弥真新也
松本裕樹
板東湧梧
甲斐野央
0-0日本ハム福岡PayPayドーム単独での達成を含めても史上初となる無安打無得点での引き分け(コールドゲームを除く[注釈 2][注釈 3][5]
6投手の継投での達成はNPB史上最多[6]
ポストシーズン
達成日試合達成チーム登板した投手スコア対戦相手球場備考
2007年11月1日日本シリーズ第5戦中日山井大介
岩瀬仁紀
1-0日本ハムナゴヤドーム完全試合[注釈 4]。この試合でシリーズ優勝決定。
オールスターゲーム

投手に投球回数の制限がある(1人3イニング2/3を超えてはならない)ため必ず継投になるオールスターゲームでも、1回記録されている。

達成日達成チーム登板した投手スコア対戦相手球場備考
1971年7月17日全セ江夏豊阪神
渡辺秀武巨人
高橋一三(巨人)
水谷寿伸(中日)
小谷正勝大洋
5-0全パ西宮第1戦
江夏の9連続奪三振の試合。

参考 編集

9回二死までを無安打無失点に抑えながら初安打を許した例

達成日投手所属スコア対戦相手球場備考
1940年3月30日菊矢吉男ライオン2-0巨人後楽園水原茂が初安打。しかし、この後一挙三塁を望むものの返球に刺されてゲームセット。
1940年6月16日近藤久ライオン1-0南海西宮国久松一が初安打。
1948年7月18日梶岡忠義大阪6-1阪急西宮宮崎剛が初安打。
1950年3月16日田宮謙次郎大阪7-0国鉄神宮中村栄が内野安打。
9回二死まで完全試合。
田宮は中村を打ち取っていたが、三塁手の藤村富美男の判断ミスにより中村が出塁し、審判が藤村のために安打と判定したものだった。また、田宮にとっては最後の勝利投手で、この後打者に転向。
1950年7月20日阿部八郎阪急5-0近鉄日生伊藤利夫が初安打。
1952年6月15日別所毅彦巨人9-0松竹大阪神崎安隆が内野安打。
9回二死まで完全試合。
なお、神崎はこれがプロ唯一の安打。
1957年6月24日田沢芳夫南海13-0近鉄大阪滝田政治が初安打。
なおバッテリーを組んだのは野村克也。野村は現役時代、一度もノーヒット試合の捕手を務めなかったので、これが最長ノーヒットとなる。
1959年6月12日梶本隆夫阪急7-0近鉄西宮関森正治が初安打
1962年7月12日村田元一国鉄1-0阪神後楽園西山和良が内野安打。
9回二死まで完全試合。
こちらも村田が西山の打球を一塁手の星山晋徳がエラーしたところに、審判が星山のために安打と判定したものだった。
1963年5月26日バッキー阪神0-1大洋甲子園浜中祥和に初安打。
この後の9回裏で阪神は大洋に抑えられ、バッキーは初の「ノーヒットを逃して敗戦投手」となる。
この日の「大洋×阪神」はダブルヘッダー、第1試合は小山正明が1回二死後に近藤和彦に本塁打を打たれただけの1安打勝利、そして大洋は「ダブルヘッダーで16イニング無安打だが片方の試合は勝利」という珍記録。
1963年6月16日徳久利明近鉄7-0阪急日生岡本健一郎が二塁打。
1965年7月15日小山正明東京1-0阪急後楽園ウィンディが初安打。
阪神時代の1956年6月6日の大洋戦(甲子園)、初回先頭打者の沖山光利に被安打されたが、その後はパーフェクトピッチングしたことがあり、史上唯一の「最初と最後に打たれてノーヒットを逃した」となる。
1966年7月31日安仁屋宗八広島2-0巨人広島市民黒江透修が初安打。
1966年9月26日佐藤公博中日1-3巨人後楽園柴田勲が初安打。
この後王貞治を敬遠し、森昌彦と勝負するが、森に逆転サヨナラ3点本塁打を打たれて敗戦投手(バッキーに次ぐ2度目だが、サヨナラゲームは唯一)。
1973年7月1日上田二朗阪神4-0巨人甲子園長嶋茂雄が初安打。
1979年6月9日三沢淳中日1-0巨人ナゴヤ柳田真宏が初安打。
厳密には、柳田初安打の9回表時点で0-0であり、延長戦の可能性もあった(実際は9回裏・田尾安志のサヨナラ安打で中日勝利)。
1983年8月20日仁科時成ロッテ1-0近鉄川崎仲根政裕が初安打。
1984年5月29日仁科時成ロッテ4-0近鉄日生平野光泰が初安打。
2度目の達成未遂は史上初。
1996年5月18日チェコ広島2-0阪神甲子園久慈照嘉が初安打。
2002年8月26日西口文也西武6-0ロッテ西武ドーム小坂誠が初安打。
2004年10月14日吉見祐治横浜4-0広島広島市民福地寿樹が初安打。
なお福地はシーズン唯一の安打。
2005年5月13日西口文也西武6-1巨人西武ドーム清水隆行が本塁打。
2度目の達成未遂は史上2人目。
「交流戦での達成未遂」と「本塁打で阻まれる」は史上初。
巨人はこれで6回目と歴代最多。
2009年7月10日多田野数人日本ハム4-0ロッテ札幌ドーム大松尚逸が初安打。
2013年6月26日古谷拓哉ロッテ4-0オリックス京セラドーム坂口智隆が三塁打。
2022年7月20日椋木蓮オリックス2-0日本ハム京セラドーム佐藤龍世が初安打。
参考
1940年7月9日福士勇ライオン1-1名古屋金鯱後楽園詳細は後述。
1962年4月8日板東英二中日0-1広島中日森永勝也が初安打。
ただし4回に無安打で1失点。もし抑えたら1939年5月6日の南海(阪急戦。後述)以来の「相手を無安打に抑えながら負け」になっていた[7]
9回を無安打無失点に抑えながら延長で初安打を許した例
達成日投手所属スコア対戦相手球場備考
1940年7月9日福士勇ライオン1-1名古屋金鯱後楽園11回二死、佐々木常助が初安打。
11回表ライオンが1点入りリードしたが、佐々木は2-2まで追い込まれたものの安打、続く濃人渉にも打たれて勝ち星も失う。
1943年10月1日真田重蔵朝日3-0南海西宮10回二死、中野正雄が初安打。
初めての勝利投手。
その後大陽時代の1949年9月6日(阪神戦)と、阪神時代の1952年5月7日(広島戦)でノーヒットを達成、始めて「逃した後に達成」(それも最多の2回)となるが、どちらも走者1人出しただけの準完全試合だった(前者は遊撃手の失策、後者は四球)。
1949年10月1日杉下茂
服部受弘
中日0-1東急中日10回無死、服部から大下弘本塁打
1954年8月19日宅和本司南海0-1毎日大阪10回二死、呉昌征が初安打。
1955年5月24日荒巻淳毎日0-4大映後楽園11回一死、増田卓が初安打。
「最終的に4点差」は歴代最多。
1958年5月18日布施勝巳東映0-1南海大阪10回無死、広瀬叔功が初安打。
1958年10月9日児玉泰中日1-1広島中日11回二死、拝藤宣雄(投手)が初安打。
1967年4月25日坂井勝二東京0-2東映東京10回無死、種茂雅之三塁打
1990年5月9日渡辺久信西武2-0日本ハム東京ドーム11回一死、小川浩一が初安打。
1996年6月11日(オリックス戦)でノーヒットを達成、真田以来の「勝利投手」「逃した後に達成」。
2005年8月27日西口文也西武1-0楽天西武ドーム10回無死、沖原佳典が初安打。
9回終了まで完全試合。
2014年5月31日金子千尋
平野佳寿
佐藤達也
オリックス0-1巨人京セラドーム11回一死、佐藤から片岡治大が初安打。
2022年4月17日佐々木朗希
益田直也
西野勇士
ロッテ0-1日本ハムZOZOマリン10回無死、西野から万波中正が本塁打。
2022年5月6日大野雄大中日1-0阪神バンテリンドーム10回二死、佐藤輝明が二塁打。
10回二死まで完全試合。
2023年8月13日柳裕也
マルティネス
中日2-1広島バンテリンドーム10回二死、マルティネスから堂林翔太が本塁打。
無安打に抑えながら四球・失策・盗塁・犠打・進塁打で得点を許した例(ノーヒットアリラン)
達成日投手所属スコア対戦相手球場備考
1939年5月6日宮口美吉
平野正太郎
南海1-2阪急甲子園日本プロ野球公式戦唯一の被安打0敗戦。
1939年8月3日亀田忠イーグルス2-1名古屋金鯱西宮この試合を含め3度ノーヒッターを記録。
1959年5月21日村山実阪神3-2巨人甲子園
1964年5月13日牧野伸
山本重政
近鉄3-1南海日生
9回以上を無安打無失点に抑えたまま9回終了以降に降板した例
達成日投手所属スコア対戦相手球場投球回備考
2006年4月15日八木智哉日本ハム1-0ソフトバンクヤフードーム10継投による無安打無得点。
2014年5月31日金子千尋オリックス0-1巨人京セラドーム99回裏代打で降板、継投による無安打無得点は11回一死まで継続。
2023年8月13日柳裕也中日2-1広島バンテリンドーム99回裏終了後に降板、継投による無安打無得点は10回二死まで継続。
無安打無失点のままスコアレスドローになった例
達成日投手所属スコア対戦相手球場備考
2021年8月15日スチュワート・ジュニア
津森宥紀
嘉弥真新也
松本裕樹
板東湧梧
甲斐野央
ソフトバンク0-0日本ハムPayPayドーム2021年は特別ルールにより延長なし

二軍 編集

[8]二軍イースタン・リーグウエスタン・リーグでも1962年に巨人山崎正之が完全試合で達成して以来、完投・継投を含め複数回達成されているが、このうち1試合だけ「両チーム無安打試合」が記録されている。これは日本プロ野球では唯一のケースである(2021年シーズン終了時点)。

達成日投手所属スコア対戦相手球場備考
1994年4月26日山部太ヤクルト1-0西武大宮市営西武先発竹下潤も無安打で完投
(失点1は、失策による走者を犠打で生還させたもの)。
ノーヒットノーラン初達成者(イースタン・リーグ初達成者)
ウエスタン・リーグ初達成者
複数回達成者

前述の竹下潤も1993年9月14日ヤクルト戦で無安打無得点を達成しており、無安打試合は二度記録している。

一軍で無安打無得点達成経験がある選手では、1970年に一軍で達成している渡辺秀武が1968年に二軍で達成しており、唯一の記録となっている。

独立リーグ 編集

四国アイランドリーグplus 編集

四国アイランドリーグplusでは、これまで4人が達成している(うち1人は、リーグの公式戦として扱われるNPB三軍との交流戦)。

達成日投手所属スコア対戦相手球場
2006年6月3日高梨篤高知6-0香川高知
2010年9月24日前川勝彦香川8-0愛媛レクザム
2012年4月29日安里基生徳島3-0高知JAバンク徳島
2021年5月9日藤井皓哉高知6-0ソフトバンク三軍タマホームスタジアム筑後

2017年8月29日の香川対巨人三軍の定期交流戦(丸亀市民球場、リーグ公式戦の一環)では香川が4人の投手の継投で[9]、2020年8月15日の香川対徳島戦(レクザムスタジアム、7イニング制)では香川が3人の投手の継投で[10]、2022年5月31日の徳島対ソフトバンク三軍の定期交流戦(むつみスタジアム)では徳島が6人の投手の継投で[11]、それぞれ無安打無失点を達成している。

リーグ所属選手によるものではないが、2019年4月16日の高知対ソフトバンク三軍の定期交流戦(高知市野球場)では、ソフトバンクの渡辺健史がリーグ史上初の完全試合を達成した[12]

ベースボール・チャレンジ・リーグ 編集

ベースボール・チャレンジ・リーグでは、これまで7人が達成している。

達成日投手所属スコア対戦相手球場
2010年5月29日清水貴之群馬7-0新潟高崎城南
2012年9月23日隆史富山2-0福井福井フェニックス
2013年7月15日寺田哲也新潟11-0群馬渋川
2014年8月12日堤雅貴群馬3-0信濃長野県営
2017年4月22日トルス英語版新潟6-0武蔵悠久山
2019年6月25日トーレス群馬7-0茨城水戸
2023年8月25日福井優也福島1-0新潟しらさわグリーンパーク

2018年4月13日の富山GRNサンダーバーズ滋賀ユナイテッドベースボールクラブ戦(高岡西部総合公園野球場)では、富山の投手4人による継投でのノーヒットノーランが記録された[13]

また、参考記録として以下の記録がある。

達成日投手所属スコア対戦相手球場備考
2021年8月11日山本雅士神奈川5-0新潟星槎中井7イニング制ダブルヘッダー第1試合、参考記録ながら完全試合
関西独立リーグ (2代目) 編集

関西独立リーグ (2代目)では、これまで1人が達成している。

達成日投手所属スコア対戦相手球場
2020年8月22日河内山拓樹[14]6-0兵庫南港中央

2022年9月6日の06BULLS対堺シュライクス戦(花園中央公園野球場)では、堺の投手4人の継投でのノーヒットノーランが記録された[15]

九州アジアリーグ 編集

九州アジアリーグでは9回まで成立した試合での達成者はまだいないが、5回終了(7回制試合の得点差コールド)での参考記録として以下がある[16][17]

達成日投手所属スコア対戦相手球場備考
2024年4月27日西垣彰太北九州下関12-0宮崎筑豊緑地7イニング制ダブルヘッダー第1試合、得点差コールドにより5回終了の参考記録

社会人野球 編集

都市対抗野球 編集

都市対抗野球大会では、これまでに完全試合2人を含む5人が達成している。

開催年大会投手チーム試合スコア相手球場備考
1940年第14回市田夏生大阪市中山製鋼1回戦2-0京都市・京都協会後楽園
1954年第25回岡本教平川崎市トキコ2回戦1-0高砂町鐘淵化学後楽園
1957年第28回村上峻介二瀬町日鉄二瀬1回戦1-0高砂市・鐘化カネカロン後楽園完全試合
2011年第82回森内壽春仙台市JR東日本東北1回戦4-0横浜市三菱重工横浜京セラドーム大阪完全試合
2017年第88回阿部良亮さいたま市日本通運2回戦2-0門真市パナソニック東京ドーム

また、1971年の第42回大会で、大阪市・電電近畿が大阪市・日本生命戦で、無安打勝利をしている。スコアは1-0だった。

日本選手権 編集

社会人野球日本選手権大会では、これまでに完全試合1人を含む4人が達成している。

開催年大会投手チーム試合スコア相手球場備考
2009年第36回木林敏郎三菱重工神戸1回戦1-0鷺宮製作所京セラドーム大阪
2016年第42回加賀美希昇JR西日本2回戦5-0JR東日本東北京セラドーム大阪
猿渡真之大阪ガス準々決勝3-0鷺宮製作所
2017年第43回西村祐太JR東日本東北1回戦2-0新日鉄住金広畑京セラドーム大阪完全試合

大学野球 編集

全日本大学野球選手権大会 編集

全日本大学野球選手権大会ではこれまでに完全試合4人を含む8人が達成している。

開催年大会投手大学試合スコア相手校球場備考
1965年第14回芝池博明専修大学東都準決勝6-0東海大学首都神宮完全試合
1969年第18回久保田美郎関西大学関西1回戦5-0千葉商科大学千葉神宮完全試合
1976年第25回森繁和駒澤大学(東都)1回戦2-0近大工学部広島六神宮完全試合
1988年第37回葛西稔法政大学東京六1回戦4-0近大工学部(広島六)神宮 
2004年第53回一場靖弘明治大学(東京六)2回戦2-0広島経済大学(広島六)神宮完全試合
2011年第60回久保田高弘近大工学部(広島六)1回戦3-0名桜大学九州地区東京ドーム 
2022年第71回渡部雄大東海大札幌(札幌1回戦2-0環太平洋大学中国神宮同日にNPBで今永昇太も達成
2023年第72回真城翔大天理大学阪神1回戦4-0西南学院大学九州六東京ドーム 

明治神宮野球大会 編集

開催年大会投手所属スコア対戦校
1972年第3回田村政雄中央大学2-0東海大学
1972年第3回山口高志関西大学1-0慶應義塾大学
1991年第22回若松幸司慶應義塾大学4-0広島経済大学
2012年第43回多和田真三郎富士大学3-0国際武道大学

東京六大学野球 編集

東京六大学野球では完全試合3人を含む23人で計24回達成している。

シーズン投手大学スコア相手校備考
1925年秋湯浅禎夫明治大学9-0立教大学 
1925年秋湯浅禎夫明治大学1-0東京帝国大学 
1926年春安田義信明治大学7-0法政大学 
1927年春東武雄東京帝国大学1-0立教大学 
1928年秋中村峰雄明治大学2-0法政大学 
1929年秋鬼塚格三郎明治大学7-0法政大学 
1941年春高塚誠治慶應義塾大学5-0東京帝国大学 
1942年春藤本英雄明治大学3-0立教大学 
1948年秋平古場昭二慶應義塾大学6-0東京大学 
1949年春加藤雄司慶應義塾大学6-0法政大学 
1954年春藤田元司慶應義塾大学7-0東京大学 
1955年春東実立教大学6-0東京大学 
1957年秋杉浦忠立教大学8-0早稲田大学 
1964年春渡辺泰輔慶應義塾大学1-0立教大学完全試合
1966年秋星野仙一明治大学5-0立教大学 
1970年春横山忠夫立教大学10-0東京大学 
1989年秋若松幸司慶應義塾大学14-0東京大学 
1998年秋福山龍太郎法政大学7-0立教大学 
1999年秋木塚敦志明治大学11-0東京大学 
2000年秋上重聡立教大学7-0東京大学完全試合
2004年春日野泰彰立教大学7-0早稲田大学 
2010年春竹内大助慶應義塾大学7-0東京大学 
2013年春高梨雄平早稲田大学3-0東京大学完全試合
2013年秋加嶋宏毅慶應義塾大学5-0東京大学 
2016年秋加藤拓也慶應義塾大学8-0東京大学 

また継投による無安打無得点も2回達成されている。ただしこれは参考記録扱いで、達成人数には含めない。

シーズン投手大学スコア相手校
1951年春井上安男
畑間正夫
明治大学8-0東京大学
1970年春工藤真
長谷部優
慶應義塾大学3-0東京大学

※1942年までの大学は全て旧制。

東都大学野球 編集

東都大学野球1部では、完全試合2人を含む10人で計11回達成している。また、2部において完全試合を2人が2回、3部において完全試合を2人が2回、1部と2部の入れ替え戦において2人が2回、2部と3部の入れ替え戦において1人が1回達成している。

シーズン投手大学リーグ相手校備考
1941年春一言多十専修大学1部國學院大學 
1941年秋石原秀夫中央大学1部東京農業大学 
1953年秋河内忠吾日本大学1部駒澤大学完全試合
1954年春島津四郎日本大学1部東京農業大学 
1954年不明伊藤芳明中央大学1部東京農業大学 
1955年春島津四郎日本大学1部駒澤大学完全試合
1955年秋林茂青山学院大学3部不明完全試合
1957年秋高林康治日本大学1部駒澤大学 
1958年春若生照元中央大学1部東京農業大学 
1961年春大石泰章亜細亜大学3部不明完全試合
1965年秋渡辺一雄東京農業大学2部不明完全試合
1979年春香坂英典中央大学1部東洋大学 
1990年春和田孝志東洋大学1部亜細亜大学 
1994年春綱島好太大正大学2部3部入れ替え戦拓殖大学 
1996年春倉則彦東洋大学1部2部入れ替え戦国士舘大学 
2002年秋梅津智弘國學院大學2部拓殖大学完全試合
2004年秋山木正博亜細亜大学1部東洋大学 
2008年春渡辺洋平中央大学1部2部入れ替え戦駒澤大学 

また継投による無安打無得点も1部で2回達成されている(ただしこれは参考記録扱いで、達成人数には含めない)。

シーズン投手大学リーグ相手校
1947年秋田宮謙次郎
児玉光彦
日本大学1部中央大学
1955年秋宮本進
草刈廣
学習院大学1部日本大学

※1942年までの大学は全て旧制。

高校野球 編集

選抜高等学校野球大会 編集

選抜高等学校野球大会(センバツ・春の甲子園)では完全試合2人を含む12人が達成している。

開催年大会投手学校試合スコア相手校備考
1931年第8回灰山元治広島商広島2回戦4-0坂出商香川 
1933年第10回河合信雄一宮中愛知1回戦3-0松山商愛媛 
1933年第10回森田俊男海草中和歌山1回戦3-0桐生中群馬 
1938年第15回野口二郎中京商(愛知)準々決勝4-0海草中(和歌山) 
1951年第23回野武貞次鳴尾兵庫1回戦5-0静岡城内静岡 
1955年第27回今泉喜一郎桐生(群馬)準々決勝12-0明星大阪 
1967年第39回野上俊夫市和歌山商(和歌山)2回戦5-0三重三重 
1976年第48回戸田秀明鉾田一茨城1回戦1-0糸魚川商工新潟 
1978年第50回松本稔前橋(群馬)1回戦1-0比叡山滋賀完全試合
1991年第63回和田友貴彦大阪桐蔭(大阪)1回戦10-0仙台育英宮城 
1994年第66回中野真博金沢石川1回戦3-0江の川島根完全試合
2004年第76回ダルビッシュ有東北(宮城)1回戦2-0熊本工熊本 

また継投による無安打無得点も1回達成されている(ただしこれは参考記録扱いで、達成人数には含めない)。

開催年大会投手学校試合スコア相手校
1955年第27回谷本隆路
広島尚保
浪華商(大阪)1回戦6-0立教東京
参考 編集
9回を無安打無失点に抑えながら延長で初安打を許した例
開催年大会投手学校試合スコア相手校備考
1933年第10回吉田正男中京商2回戦1-0興国商13回一死に初安打される
2009年第81回中野隆之PL学園2回戦1-2南陽工10回一死に初安打される
2018年第90回増居翔太彦根東2回戦0-1花巻東10回無死に初安打される

※1938年までの学校は全て旧制。

全国高等学校野球選手権大会 編集

全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)では22人が計23回達成している。完全試合は達成されていない。

開催年大会投手学校試合スコア相手校備考
1916年第2回松本終吉市岡中(大阪)準々決勝8-0一関中岩手 
1927年第13回八十川胖広陵中(広島)2回戦8-0敦賀商福井 
1928年第14回伊藤次郎平安中京都準決勝6-0北海中北海道 
1932年第18回楠本保明石中(兵庫)1回戦4-0北海中(北海道) 
1932年第18回水澤清長野商長野2回戦6-0遠野中(岩手) 
1932年第18回岡本敏男熊本工(熊本)準々決勝3-0石川師範(石川) 
1933年第19回吉田正男中京商(愛知)1回戦11-0善隣商朝鮮 
1934年第20回長谷川治海南中(和歌山)2回戦5-0神戸一中(兵庫) 
1936年第22回小林悟桜和歌山商(和歌山)2回戦10-0福井商(福井) 
1938年第24回浦野隆夫大分商大分1回戦4-0台北一中台湾 
1939年第25回嶋清一海草中(和歌山)準決勝8-0島田商(静岡) 
1939年第25回嶋清一海草中(和歌山)決勝5-0下関商山口2試合連続で達成、決勝では初
1951年第33回服部茂次熊谷埼玉準決勝4-0県和歌山商(和歌山) 
1957年第39回清沢忠彦岐阜商岐阜1回戦7-0津島商工(愛知) 
1957年第39回王貞治早稲田実(東京)2回戦1-0寝屋川(大阪)延長11回(延長戦での達成は初)
1958年第40回森光正吉高知商高知2回戦5-0松阪商(三重) 
1969年第51回降旗英行松商学園(長野)1回戦14-0三笠(北海道) 
1973年第55回有田二三男北陽(大阪)3回戦1-0高鍋宮崎 
1981年第63回工藤公康名古屋電気(愛知)2回戦4-0長崎西長崎 
1982年第64回新谷博佐賀商佐賀1回戦7-0木造青森9回二死から死球を与えて、史上初の完全試合を逃す
1987年第69回芝草宇宙帝京(東京)2回戦3-0東北(宮城) 
1998年第80回杉内俊哉鹿児島実鹿児島1回戦4-0八戸工大一(青森)プロ入り後、巨人在籍時の2012年にも達成
高校野球の全国大会とプロ野球の双方での達成は史上初
1998年第80回松坂大輔横浜神奈川決勝3-0京都成章(京都)決勝では59年ぶり2回目

また継投による無安打無得点も1回達成されている。ただしこれは参考記録扱いで、達成人数には含めない。

開催年大会投手学校試合スコア相手校
1933年第19回楠本保
中田武雄
明石中(兵庫)2回戦10-0水戸商(茨城)
参考 編集
9回を無安打無失点に抑えながら延長で初安打を許した例
開催年大会投手学校試合スコア相手校備考
1954年第36回田村義道北海準々決勝0-1新宮12回一死に初安打される
1984年第66回安部伸一1回戦0-1法政一10回二死に初安打される

※1939年までの学校は全て旧制中学。

明治神宮大会 編集

明治神宮野球大会(秋季高校野球)では、これまで1人が達成している。

開催年大会投手学校試合スコア相手校備考
1974年第5回金子隆日大山形山形準決勝12-0崇徳広島 

韓国野球 編集

韓国野球委員会 編集

KBOリーグでは2017年現在、14人が達成している。

台湾野球 編集

中華職業棒球大聯盟 編集

中華職業棒球大聯盟では2018年現在、10人が達成している。

国際試合 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 例: ノーヒットながら押し出しによる得点を与えた場合、無安打1得点=ノーヒット1ランもあり得るため「ノーヒッター」としているが、日本では過去に4例しかないため「ノーヒッター」という言い方はしない。
  2. ^ 0-0でのノーヒットノーランは、1937年4月8日の藤村富美男、1975年6月21日の江夏豊が、ともに5回降雨コールドで達成している。
  3. ^ 新型コロナウイルス感染症拡大防止措置で、規定により同点の場合でも9回終了時で試合終了となる。
  4. ^ 日本では先発投手1人による記録のみが完全試合と定義されているため、記録上は完全試合とされていない。
  5. ^ ワールド・ベースボール・クラシックに準じたルールがあり、投手には投球数制限があるため、事実上1名での完封は不可能。

出典 編集

  1. ^ 上野由岐子“シブコパワー”でノーヒットノーラン 通算7度目!完全復活だ」『デイリースポーツ online』2019年9月9日。2023年4月11日閲覧
  2. ^ Rules, Regulations and Statistics」『Major League Baseball』(英語)。2023年4月11日閲覧
  3. ^ 講談社宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」926ページ
  4. ^ 今季のカープ支えた上本の〝超二流〟の働き」『デイリースポーツ online』株式会社デイリースポーツ、2022年9月22日。2022年12月7日閲覧
  5. ^ 「想像以上のピッチング」工藤監督を驚かせたスチュワートの剛腕 5回「ノーノー」9K」『西日本スポーツ』2021年8月16日。2021年8月16日閲覧
  6. ^ ソフトB 史上初9回0―0ノーヒットノーラン達成 6投手継投リレーは史上最多」『スポーツニッポン』2021年8月15日。2021年8月15日閲覧
  7. ^ 『プロ野球記録大鑑』講談社、1979年4月25日、558頁。 
  8. ^ この節の出典はベースボールマガジン2012年11月号72ページ
  9. ^ 【ゲームレポート】原田、3000人を酔わせる奪三振ショー!巨人3軍を粉砕し、ノーヒットリレー完成(8月30日 香川オリーブガイナーズ)」『4SPO』2017年8月30日。2018年4月16日閲覧
  10. ^ 8/15 香川OG−徳島IS」『四国アイランドリーグplus 公式サイト』。2023年4月11日閲覧
  11. ^ 5/31 徳島IS-ソフトバンク」『四国アイランドリーグplus 公式サイト』。2023年4月11日閲覧
  12. ^ 広尾晃観客255人の中で生まれた偉業 ホークス4年目・育成左腕が3軍で完全試合を達成」『Full-Count』2019年4月18日。2019年4月18日閲覧
  13. ^ BCリーグ 富山サンダーバーズ 無安打リレーで今季初勝利」『チューリップテレビニュース』チューリップテレビ、2018年4月14日。2018年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月11日閲覧
  14. ^ 【結果】堺シュライクスvs兵庫ブルーサンダーズ 関西独立リーグ 公式戦 野球 2020年8月22日」『Player!』。2023年4月11日閲覧
  15. ^ さわかみ関西独立リーグ2022年公式戦 2022/9/6(火) 花園セントラルスタジアム」『一球速報.com』。2023年4月11日閲覧
  16. ^ 2024 ヤマエグループ九州アジアリーグ 2024/4/27(土)宮崎VS北九州 - 一球速報.com
  17. ^ “北九州下関フェニックスが16安打13得点で大勝! 宮崎は投手陣が振るわず”. 西スポOTTO!. (2024年5月17日). https://nishispo.nishinippon.co.jp/article/835606 2024年5月18日閲覧。 (西垣が前回登板時に5回ノーヒットと記載あり)
  18. ^ 日米野球交流史. ベースボール・マガジン社. p. 14、99. ISBN 978-4583612973 
  19. ^ 日米野球交流史. ベースボール・マガジン社. p. 52-53、107 
  20. ^ 侍ジャパン“ノーヒットノーラン”継投で24年ぶり勝ち越し」『スポーツニッポン』2014年11月15日。2024年5月15日閲覧
  21. ^ Baseball Americas Qualifier」『WBSC』(英語)、2021年6月1日。2021年6月1日閲覧

関連項目 編集

外部リンク 編集