ヒジュラ暦

純粋太陰暦

ヒジュラ暦(ヒジュラれき、: التقويم الهجريat-taqwīm al-hijrīy: Hijri calendar)またはヒジュラ太陰暦(ヒジュラたいいんれき、: التقويم الهجري القمريat-taqwīm al-hijrīy al-qamrīy: Lunar Hijri calendar)は、主にイスラム教社会で使われている暦法である。イスラム暦(イスラムれき、: التقويم الإسلامي‎、: Islamic calendar, Muslim calendar)とも呼ばれる。

太陰暦[注釈 1]であって、閏月を設ける太陰太陽暦[注釈 2]とは異なる。このため、季節または太陽暦[注釈 3]とのズレを、毎年[注釈 4]約11日ずつ、積み重ねていくこととなる。

紀年法ヒジュラ紀元(ヒジュラきげん)と呼ばれる。ヨーロッパでは、ラテン語: anno Hegirae[注釈 5]を略して、A.H.と表記する。

概要 編集

第2代正統代理人ウマル・イブン・ハッターブが、預言者ムハンマドマッカからマディーナ聖遷(ヒジュラ)したユリウス暦622年を「ヒジュラの年」と定めヒジュラ暦元年とする新たな暦を制定した。なお、ヒジュラがあったとされる正確な日付は同622年7月15日ユリウス通日では1 948 439日)である[1]

以上の「制定」はクルアーンにおける規定に則ったものであり、それは次の通りである。

  1. まず、クルアーン(コーラン)の第9章36節抜粋『本当にアッラーの御許で、(1年の)月数は、12か月である。』[2]を以て、「平年の月数が12暦月である」ということが定められた
  2. 次いで、同37節抜粋『本当に(聖月を)延ばすことは、不信心を増長させ、それで不信者は誤って導かれている。ある年は(聖月を)普通の月とし、(他の年は)聖月とする。』[2]を以て、「閏月の恣意的なタイミングでの挿入によって、聖月を早めたり遅らせたりすること」が禁じられた。すなわち、実質的に「閏年においても、月数を12暦月とすること」が定められた
  3. 上記の2つの規定によって、その制定された暦法は、閏月を置いて季節ないし太陽暦と合わせる太陰太陽暦(日本の旧暦など)とは異なる、太陰暦(純粋太陰暦)となった。

太陰暦は約29.5日である朔望月を基準としているため、には「29日の小の月」と「30日の大の月」とが存在する(月の大小)。これらがおおむね交互に繰り返され、ちょうど12暦月分そろったところで1暦年ができる。そうしてできた1暦年は約354暦日であるから、毎年[注釈 4]約11日ずつ、季節や太陽暦とズレていく。このように季節を反映しないので、農事暦財務暦としては不向きで、ルーミー暦(ユリウス暦をベースにした暦)などによって補われることもあった。現代ではイスラーム圏でもグレゴリオ暦が併用されていることが多く、イランアフガニスタンなど、紀元をヒジュラ暦元年に置く太陽暦であるヒジュラ太陽暦(主にイラン暦と呼称される)を併用する地域もある[注釈 6]

グレゴリオ暦 (CE[注釈 7]) とヒジュラ暦 (AH) の簡易換算式は以下の通りである[3]

グレゴリオ暦 (CE) → ヒジュラ暦 (AH)

ヒジュラ暦 (AH) → グレゴリオ暦 (CE)

グレゴリオ暦の2000年はヒジュラ暦では1421年に相当する。

サウジアラビアなどヒジュラ暦を公式の暦としている国では特許や著作権など法制度上の有効期限がグレゴリオ暦で数えた場合よりも短くなる。たとえば特許が15年間有効とした場合、グレゴリオ暦のそれよりも特許の有効期限が165日ほど短くなる。

なお、太陰太陽暦の多くが(さく;空の月が最も欠けた状態)を月の初めとするのに対し、ヒジュラ暦は三日月状の細いが最初に見える日を月の初めとする[4]

上記のような複雑な計算を必要とするため、ヒジュラ暦のカレンダーを搭載した機械式時計は非常に少ない。スイスパルミジャーニ・フルリエは、ヒジュラ暦の永久カレンダー搭載の腕時計を製作する希少なメーカーである[5][6]

月名・イスラーム教の祭礼 編集

以下に、月名とその意味、および祭礼を示す。カタカナ表記は、ここに挙げたものに限らず、さまざまな方式がある。アラビア語のラテン文字転写は DMG / ALA-LC の両方を示しておく。1つだけ記載のものは両者に共通。

月名と祭礼
月名祭礼[7]聖なる月か[8]
カタカナアラビア語意味[8]
第1月ムハッラムمحرّم (Muḥarram)戦いを禁じられた月10日
アーシューラー
 (フサイン殉教祭)』
該当
第2月サファルصفر (Ṣafar)略奪のために家をあける月
第3月ラビーア・アル=アウワル (ラビーウル=アウワルなども)ربيع الأول (Rabīʿ al-Awwal)春の第1月12日
マウリド・アン=ナビー
 (ムハンマド生誕祭)』
第4月ラビーア・アッ=サーニー (ラビーウッ=サーニーなども)

あるいは

ラビーア・アル=アーヒル(ラビーウル=アーヒルなども)

ربيع الثاني (Rabīʿ aṯ-Ṯānī / Rabīʿ al-Thānī)

あるいは

ربيع الآخر (Rabīʿ al-Āḫir / Rabīʿ al-Ākhir)

春の第2月
第5月ジュマーダー・アル=ウーラー (ジュマーダル=ウーラーなども)جمادى الأولى (Ǧumādā l-Ūlā / Jumādā al-Ūlā)第1の大地がかたまる月
第6月ジュマーダー・アッ=サーニヤ(ジュマーダッ=サーニヤなども)

あるいは

ジュマーダー・アル=アーヒラ(ジュマーダル=アーヒラなども)

جمادى الثانية (Ǧumādā ṯ-Ṯāniya / Jumādā al-Thāniyah)

あるいは

جمادى الآخر (Ǧumādā l-Āḫira / Jumādā al-Ākhirah)

第2の大地がかたまる月
第7月ラジャブرجب (Raǧab / Rajab)戦いを慎む月27日から
『イスラー・ワ・ミーラージュ
 (預言者の天国昇天)』
該当
第8月シャアバーンشعبان (Šaʿbān / Shaʿbān)戦いをやめる月
第9月ラマダーンرمضان (Ramaḍān暑さで大地がこげる月ラマダーン(断食月)』
第10月シャウワールشوّال (Šawwāl /Shawwāl)ラクダの世話をする月1日から
イード・アル=フィトル
第11月ズー・アル=カアダ(ズル=カアダなども)ذو القعدة (Ḏū l-Qaʿda / Dhū al-Qaʿdah)戦いをやめ、家に留まる月該当
第12月ズー・アル=ヒッジャ(ズル=ヒッジャなども)ذو الحجّة (Ḏū l-Ḥiǧǧa / Dhū al-Ḥijjah)巡礼の月9日
『ウクーフ
 (巡礼(ハッジ)の中心的行事)』

10日から
イード・アル=アドハー
 (犠牲祭)』
該当
出典別の月名の一覧
出典1[9]出典2[8]出典3[10]出典4[11]
第1月ムハッラムムハッラムムハッラムムハッラム
第2月サファルサファルサファルサファル
第3月ラビーウ・アルアウワルラビー・アルアッワルラビーウル=アウワルラビー・アルアッワル
第4月ラビーウ・アッサーニーラビー・アルアーヒルラビーウッ=サーニーラビー・アッサーニー
第5月ジュマーダー・アルウーラージュマーダー・アルウーラージュマーダル=アウワルジュマーダ・アルアッワル
第6月ジュマーダー・アルアーヒラジュマーダー・アルウフラージュマーダッ=サーニージュマーダ・アッサーニー
第7月ラジャブラジャブラジャブラジャブ
第8月シャアバーンシャーバーンシャアバーンシャーバーン
第9月ラマダーンラマダーンラマダーンラマダーン
第10月シャウワールシャッワールシヤウワールシャッワール
第11月ズー・アルカアダズー・アルカーダズル=カイダズー・アルカーダ
第12月ズー・アルヒッジャズー・アルヒッジャズル=ヒッジャズー・アルヒッジャ

1か月の長さと置閏 編集

月と季節の関係は、預言者ムハンマドが断ち切った。そこで行われたのが、調整を禁じることであり、純粋に天体の月に頼ること、そして信頼できる目撃者が夜空に新しいを観測したときにを始めることであった。

しかし、予測不可能な観測に基づいた暦が天文学には無益であるため、1つの理論モデルが考え出された。それは奇数の月を30日、偶数の月を29日とし、全部で354日とするものである。朔望月は実際は29日と半日よりも少し長いため、このモデルにおける1年は12の月期分に0.36708日分、つまり8時間48分36秒よりもちょっと少ない値分、足りない。それを補うために、年によっては最後の月を29日ではなく30日としている。この追加日は現時点、30年周期で11回、すなわち2, 5, 7, 10, 13, 16, 18, 21, 24, 26, 29年目に置かれている。追加日のお陰で不足分は0.0124日=17分51.36秒までに縮まっているが、イスラムの歴史を通じこれが統一的な習慣になったことはない[11]

追加日の累計回数と閏年の関係 編集

を「(ヒジュラ暦元年からの)追加日(閏日)の累計回数」とし、 を「追加日が挿入される年」(閏年)とすると、床関数と天井関数を用いることで、以下の数式が成り立つ(オンライン整数列大辞典の数列 A057347[注釈 8]

実際、 を1から順に11まで増加させると、 の値は上記と同じく、

2, 5, 7, 10, 13, 16, 18, 21, 24, 26, 29

となる。

一方、「ヒジュラ暦での年数」を基に「(ヒジュラ暦元年からの)追加日(閏日)の累計回数」を求めるには、前者を [注釈 9]、後者を と置いた時、床関数と天井関数を用いた、

という数式を使えばよい[注釈 8][注釈 10]

西暦対応表 編集

以下に、ヒジュラ暦と西暦(グレゴリオ暦)の対応表を示す。

ただし、次の2点に注意すること。

  1. 表内の日付は協定世界時によるため、9時間の時差がある(日本時間は協定世界時に比べて9時間早い)。
  2. ヒジュラ暦において1日は、西暦のように午前0時から始まるのではなく日没から始まる。したがって、表内の日付は正確なものではなく、概ねその前日の日没から始まるものとして考える。地域や宗派などによっては、1日あるいは2日程度の誤差があり得る[7]

540日前-10日前 編集

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グレゴリオ暦-ヒジュラ暦間の日付対照表(540日前-10日前)
相対的な日付グレゴリオ暦ヒジュラ暦相対的な日付グレゴリオ暦ヒジュラ暦
540日前2022年11月15日1444年4月20日270日前2023年8月12日1445年1月25日
530日前2022年11月25日1444年5月1日260日前2023年8月22日1445年2月5日
520日前2022年12月5日1444年5月11日250日前2023年9月1日1445年2月15日
510日前2022年12月15日1444年5月21日240日前2023年9月11日1445年2月25日
500日前2022年12月25日1444年6月1日230日前2023年9月21日1445年3月6日
490日前2023年1月4日1444年6月11日220日前2023年10月1日1445年3月16日
480日前2023年1月14日1444年6月21日210日前2023年10月11日1445年3月26日
470日前2023年1月24日1444年7月2日200日前2023年10月21日1445年4月6日
460日前2023年2月3日1444年7月12日190日前2023年10月31日1445年4月16日
450日前2023年2月13日1444年7月22日180日前2023年11月10日1445年4月26日
440日前2023年2月23日1444年8月2日170日前2023年11月20日1445年5月7日
430日前2023年3月5日1444年8月12日160日前2023年11月30日1445年5月17日
420日前2023年3月15日1444年8月22日150日前2023年12月10日1445年5月27日
410日前2023年3月25日1444年9月3日140日前2023年12月20日1445年6月7日
400日前2023年4月4日1444年9月13日130日前2023年12月30日1445年6月17日
390日前2023年4月14日1444年9月23日120日前2024年1月9日1445年6月27日
380日前2023年4月24日1444年10月3日110日前2024年1月19日1445年7月8日
370日前2023年5月4日1444年10月13日100日前2024年1月29日1445年7月18日
360日前2023年5月14日1444年10月23日90日前2024年2月8日1445年7月28日
350日前2023年5月24日1444年11月4日80日前2024年2月18日1445年8月8日
340日前2023年6月3日1444年11月14日70日前2024年2月28日1445年8月18日
330日前2023年6月13日1444年11月24日60日前2024年3月9日1445年8月28日
320日前2023年6月23日1444年12月4日50日前2024年3月19日1445年9月9日
310日前2023年7月3日1444年12月14日40日前2024年3月29日1445年9月19日
300日前2023年7月13日1444年12月24日30日前2024年4月8日1445年9月29日
290日前2023年7月23日1445年1月5日20日前2024年4月18日1445年10月9日
280日前2023年8月2日1445年1月15日10日前2024年4月28日1445年10月19日

今日-540日後 編集

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グレゴリオ暦-ヒジュラ暦間の日付対照表(今日-540日後)
相対的な日付グレゴリオ暦ヒジュラ暦相対的な日付グレゴリオ暦ヒジュラ暦
今日2024年5月8日1445年10月29日 —  —  —
10日後2024年5月18日1445年11月10日280日後2025年2月12日1446年8月13日
20日後2024年5月28日1445年11月20日290日後2025年2月22日1446年8月23日
30日後2024年6月7日1445年11月30日300日後2025年3月4日1446年9月4日
40日後2024年6月17日1445年12月10日310日後2025年3月14日1446年9月14日
50日後2024年6月27日1445年12月20日320日後2025年3月24日1446年9月24日
60日後2024年7月7日1445年12月30日330日後2025年4月3日1446年10月4日
70日後2024年7月17日1446年1月10日340日後2025年4月13日1446年10月14日
80日後2024年7月27日1446年1月20日350日後2025年4月23日1446年10月24日
90日後2024年8月6日1446年1月30日360日後2025年5月3日1446年11月5日
100日後2024年8月16日1446年2月10日370日後2025年5月13日1446年11月15日
110日後2024年8月26日1446年2月20日380日後2025年5月23日1446年11月25日
120日後2024年9月5日1446年3月1日390日後2025年6月2日1446年12月5日
130日後2024年9月15日1446年3月11日400日後2025年6月12日1446年12月15日
140日後2024年9月25日1446年3月21日410日後2025年6月22日1446年12月25日
150日後2024年10月5日1446年4月1日420日後2025年7月2日1447年1月6日
160日後2024年10月15日1446年4月11日430日後2025年7月12日1447年1月16日
170日後2024年10月25日1446年4月21日440日後2025年7月22日1447年1月26日
180日後2024年11月4日1446年5月2日450日後2025年8月1日1447年2月6日
190日後2024年11月14日1446年5月12日460日後2025年8月11日1447年2月16日
200日後2024年11月24日1446年5月22日470日後2025年8月21日1447年2月26日
210日後2024年12月4日1446年6月2日480日後2025年8月31日1447年3月7日
220日後2024年12月14日1446年6月12日490日後2025年9月10日1447年3月17日
230日後2024年12月24日1446年6月22日500日後2025年9月20日1447年3月27日
240日後2025年1月3日1446年7月3日510日後2025年9月30日1447年4月7日
250日後2025年1月13日1446年7月13日520日後2025年10月10日1447年4月17日
260日後2025年1月23日1446年7月23日530日後2025年10月20日1447年4月27日
270日後2025年2月2日1446年8月3日540日後2025年10月30日1447年5月8日

曜日名 編集

ヒジュラ暦での曜日名は専らアラビア語による[7][12][注釈 11]

ヒジュラ暦の曜日の名称
日本語原義アラビア語翻字
ラテン文字カタカナ
土曜日シャバト[注釈 12]السبتal-Sabtアッ=サブト
日曜日الأحدal-Ahadアル=アハド
月曜日الاثنينal-Ithnaynアル=イスナイン
火曜日الثلاثاءal-Thalatha'アッ=サラーサー
水曜日الأربعاءal-Arba'a'アル=アルバアー
木曜日الخميسal-Khamisアル=ハミース
金曜日集まる[注釈 13]الجمعةal-Jum'aアル=ジュムア

古典アラビア語での日付の数え方 編集

古典アラビア語では、現代のものとは異なる、別の日付の数え方も存在した[11]。それは以下の通りである。

  1. 月の初日が(日中において)「一晩が過ぎ去った」と表される。
  2. 同様に、14日まで「何晩過ぎ去った」という形で続く。
  3. 15日は「真ん中」と呼ばれる。
  4. 16日以降は、「14晩残っている」のように、数が減らされながら呼ばれる。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 月の満ち欠けのみに基づく暦法。
  2. ^ 月の満ち欠けに基づきつつも、閏月によって季節とも合わせる暦法。
  3. ^ 季節のみに基づく暦法。
  4. ^ a b ここでの「毎年」は、「太陰暦たるヒジュラ暦」と「太陽暦(例えば世界的に使われているグレゴリオ暦など)」のどちらを基準とするのかを問わない。具体的には、「ヒジュラ暦上の特定の日付(月と日)を太陽暦上の日付に変換する場合に、ヒジュラ暦基準で1年経過するごとに、太陽暦の日付が約11日ずつ遅れていくように見えること」と、その逆としての「太陽暦上の日付をヒジュラ暦上の特定の日付に変換する場合に、太陽暦基準で1年経過するごとに、ヒジュラ暦の日付が約11日ずつ進んでいくように見えること」の両方を意味する。
  5. ^ 直訳すると「聖遷の年」である。
  6. ^ 上記のようにクルアーンで純粋太陰暦の使用が決められているため、純粋太陰暦たるヒジュラ暦の使用はイスラム教徒にとって必須となる。しかしながら、1日5回の礼拝のタイミングは、地域によっては季節に左右され得るので、そのタイミングの推測には、季節を基準とする太陽暦も必要になると思われる。
  7. ^ Common Era(共通紀元)の略。西暦#中立的な表現を参照。
  8. ^ a b 右端の式は、「Graham, Knuth, & Patashnik, Ex. 3.12」により、そのすぐ左側にある式を変形したもの。
  9. ^ その年の最終日が到来していない時は前年の年数で考える。
  10. ^ 便宜上、この注釈では、前述の に、 に置き換える。また、任意の非負整数を とする。この時、 の逆関数であるためには、 という周期性を考えれば が成り立つので、整数 が1~10の時に が成り立てばよい。 (つまり、 )の式では、それが成り立つ。
  11. ^ 表内の通りでも良いし、それらの前に「日」を意味する「يوم‎」(ヤウム、Yawm)を付けても良い。
  12. ^ ユダヤ教安息日
  13. ^ イスラームにおいて金曜日は、モスクに「集まっ」て、合同礼拝する日である。

出典 編集

  1. ^ 渡邊敏夫『暦入門―暦のすべて』(初版)雄山閣出版、東京都、1994年4月、76頁。ISBN 978-4639012191 
  2. ^ a b 第9章悔悟章 34-92”. 2021年8月18日閲覧。
  3. ^ ハワード・R・ターナー「図説科学で読むイスラム文化」
  4. ^ 暦Wiki/イスラム暦 - 国立天文台暦計算室”. 2018年10月18日閲覧。
  5. ^ 不規則なヒジュラ暦を永久カレンダーで実現 ブランドトップの新作プレゼン【パルミジャーニ・フルリエ】、プレジデントスタイル
  6. ^ TONDA HIJRI PERPETUAL CALENDAR PLATINUM, Parmigiani Fleurier
  7. ^ a b c ヒジュラ(イスラーム)暦・西暦換算表 - ジェトロ・アジア経済研究所”. 2020年4月13日閲覧。
  8. ^ a b c 佐藤次高 著、岡田芳朗 編『暦の大事典』朝倉書店、2014年、160頁。ISBN 978-4-254-10237-6 
  9. ^ ヒジュラ暦から西暦変換”. 2020年6月5日閲覧。
  10. ^ 7. イスラム暦について☆”. 2019年1月15日閲覧。
  11. ^ a b c Leofranc Holford-Strevens 著、正宗聡 訳『暦と時間の歴史』丸善出版株式会社、2013年、141, 142頁。ISBN 978-4-621-08709-1 
  12. ^ フスハー(正則語) 文法 曜日,月:解説”. 2019年10月28日閲覧。

外部リンク 編集