1987年のF1世界選手権

1987年のFIAフォーミュラ1
世界選手権
前年:1986翌年:1988
一覧: 開催国 | 開催レース

1987年のF1世界選手権(1987ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第38回大会である。ブラジルジャカレパグア・サーキットで開幕し、最終戦のオーストラリアアデレード市街地コースまで、全16戦で争われた。

1987年のF1世界選手権

シーズン概要

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「4強+1」

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ダブルタイトルを獲得したウィリアムズFW11B・ホンダ(ネルソン・ピケ車)
マクラーレンMP4/3・TAGポルシェ(アラン・プロスト車)
ロータス99T・ホンダ(中嶋悟車)
アロウズA10B・メガトロン(エディ・チーバー車)
リジェJS29・メガトロン(ルネ・アルヌー車)

翌年にターボ(過給)エンジン世代最後のシーズンを迎える事もあり、レギュレーションによりターボ車は積載燃料が195リッター、国際自動車スポーツ連盟英語版(FISA)より支給・装着が義務づけられたポップオフバルブにより、過給圧は4バールに制限された。反対に2年ぶりに使用が解禁されたNA(自然吸気)エンジンの排気量が3,500ccに引き上げられ、性能の格差縮小が図られた。一足先にNAエンジンへ転向するチームもあったが、上位チームは全てターボエンジン搭載車で占められていた。

シーズン序盤戦はマクラーレンTAGポルシェアラン・プロストロータスホンダアイルトン・セナが2勝を分け合いポイント争いをリード。中盤戦以降は連勝したウィリアムズ・ホンダのネルソン・ピケナイジェル・マンセルのほぼ一騎討ちという様相を見せた。マンセルがポールポジション8回・優勝6回と最速ながらリタイアも多かったのに比べ、ピケは優勝3回ながら2位7回という安定感でポイントリードを広げた。

ドライバーズタイトル争いはシーズン終盤までもつれ、マンセルが連勝すれば逆転の可能性もあった。だが、日本GPの予選でマンセルがクラッシュし同レースを欠場することが決まったことで、自動的にピケの1981年1983年に続く3度目のドライバーズタイトルが決定した。

プロストはポルトガルGPジャッキー・スチュワートのF1最多勝記録を16年ぶりに更新する通算28勝目を挙げた。

フェラーリは開幕から速さはあったが、シーズン中盤まではこの年からVバンク角が変更されたニューエンジン関連のトラブルが多くポイントを積み重ねられなかった。第9戦ハンガリーGPゲルハルト・ベルガーが予選2位とセッティングの方向性を見出したのを機に調子が上向き、第13戦ポルトガルGPでは終盤スピンで勝利を逃したものの予選からレースを支配した。第15戦日本GPではベルガーがフェラーリにとって2年半ぶりの優勝をもたらすと、続く最終戦オーストラリアGPも完勝での2連勝を記録。「4強(プロスト、セナ、ピケ、マンセル)+1(ベルガー)」の時代を迎えた。

ホンダエンジンの活躍

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前年に安定したパフォーマンスを見せたホンダエンジン搭載車がこの年も強さを見せ、ウィリアムズとロータスの両チーム併せて11勝を挙げた他、イギリスGPでは初の決勝1-4位独占(マンセル、ピケ、セナ、中嶋)、イタリアGPでは決勝1-3位(ピケ、セナ、マンセル)を達成する等、表彰台の常連となった。ウィリアムズは前年の傑作マシン、FW11を熟成させたFW11Bで9勝を挙げ、シーズンを圧倒。2位に61点差をつけてコンストラクターズタイトルを連覇した。

ロータスはアクティブサスペンションの熟成に手間取りながらも、セナが得意とする公道コース(モナコGPアメリカGP)で2勝を挙げた他、中嶋もデビューイヤーの上にアクティブサスペンションやエンジンを起因とする多くのマシントラブルに襲われたほか、予選では中団に沈むことが多かったにもかかわらず、シーズン当初から堅実にポイントを稼いだ。

この様にホンダエンジンとウィリアムズとのコンビは活躍を見せたものの、イタリアGP期間中に、ホンダは翌1988年のエンジン供給先はロータスとマクラーレンとなることを発表した。1984年以降続いたウィリアムズとの契約は、1年を残して打ち切られることとなった[1][2]

アクティブサスペンション

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車体姿勢を油圧制御で保持するアクティブサスペンションが本格的に実戦投入された。ロータス(シーズン全戦)とウィリアムズ(イタリアGP・ポルトガルGP)が使用し計3勝を挙げたが、システムの重量や信頼性など熟成不足による課題も多く、ウィリアムズがわずか2戦のみしか使用しなかったように、この時点では他チームに普及するまでに至らなかった。

ロータスのセナが得意な市街地コースではいいところも見せたが、油圧が抜けて亀の子状態になるケースや、コンピュータのトラブルで4輪がそれぞれ別の方向に動くなどのトラブル(両方とも中嶋車)が起き、結局ロータスはこの年限りで、ウィリアムズも翌年中盤に従来のパッシブサスペンションに戻した。

中堅チーム

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ベネトンBMWからフォードのターボエンジンにスイッチし、ロリー・バーン作の空力処理に優れたB187テオ・ファビティエリー・ブーツェンのコンビが好パフォーマンスを見せ、3位表彰台2回とファステストラップ1回を獲得した。優勝こそなかったが、第14戦メキシコGPでは序盤から中盤までブーツェンが首位を快走した。翌年以降、フォードからワークス待遇でエンジン供給を受けることになる。

アロウズブラバムリジェなどの中堅チームも全てターボエンジンを搭載し、デレック・ワーウィックエディ・チーバールネ・アルヌーリカルド・パトレーゼアンドレア・デ・チェザリスピエルカルロ・ギンザーニなどの高い経験値を持つドライバーを擁した。

上位チームがリタイアしたレース(第3戦ベルギーGP・第14戦メキシコGP)でブラバムが3位表彰台2回を獲得するほか、予選では中嶋やヨハンソンを食うことも多かったが、シーズン全般的には3チームともに速さ、信頼性が不足しており、上位チームを脅かすまでには至らなかった(ブラバム:入賞3回・獲得ポイント数10 アロウズ:入賞6回・獲得ポイント11 リジェ:入賞1回・獲得ポイント1)。特にこの年低迷したリジェは、そのまま低迷期を迎えることとなった。

下位チーム

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ミナルディザクスピードオゼッラなどの、ターボエンジンを搭載するものの下位を定位置とするチームも参戦を続け、第2戦サンマリノGPではマーティン・ブランドルがザクスピードで5位、2ポイントを獲得。これは1989年まで参戦したザクスピードにとって唯一のF1でのポイント獲得となった。ミナルディのアレッサンドロ・ナニーニなどの翌年以降他チームで開花する若手ドライバーが光るところを見せたものの、速さや信頼性不足のためにいずれもポイント獲得はならなかった。

自然吸気エンジン向けタイトル

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なお、1987年の1年限りの実施であったものの、自然吸気エンジンを使用するチームとドライバーを対象とした別規定賞典として「ジム・クラーク・トロフィ」(ドライバー向け)と「コーリン・チャップマン・トロフィ」(コンストラクターズ向け)が制定されている。これは、1989年からの過給禁止レギュレーションへの準備段階として、先に自然吸気エンジンを使用するチームとドライバーへの救済措置であったが、翌年は両者の性能差が少なくなった為に実施されなかった。

なお、ジム・クラーク・トロフィは安定した走りで数回ポイント圏に食い込んだティレルジョナサン・パーマーが、コーリン・チャップマン・トロフィはマーチラルース・カルメルAGSなどとの戦いを制したティレルが獲得した。

開催地及び勝者

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ラウンドレース開催日開催地ポールポジションファステストラップ優勝者コンストラクターレポート
1 ブラジルグランプリ4月12日ジャカレパグア ナイジェル・マンセル ネルソン・ピケ アラン・プロスト マクラーレン-TAG詳細
2 サンマリノグランプリ5月3日イモラ アイルトン・セナ テオ・ファビ ナイジェル・マンセル ウィリアムズ-ホンダ詳細
3 ベルギーグランプリ5月17日スパ・フランコルシャン ナイジェル・マンセル アラン・プロスト アラン・プロスト マクラーレン-TAG詳細
4 モナコグランプリ5月31日モナコ ナイジェル・マンセル アイルトン・セナ アイルトン・セナ ロータス-ホンダ詳細
5 デトロイトグランプリ6月21日デトロイト ナイジェル・マンセル アイルトン・セナ アイルトン・セナ ロータス-ホンダ詳細
6 フランスグランプリ7月5日ポール・リカール ナイジェル・マンセル ネルソン・ピケ ナイジェル・マンセル ウィリアムズ-ホンダ詳細
7 イギリスグランプリ7月12日シルバーストン ネルソン・ピケ ナイジェル・マンセル ナイジェル・マンセル ウィリアムズ-ホンダ詳細
8 ドイツグランプリ7月26日ホッケンハイムリンク ナイジェル・マンセル ナイジェル・マンセル ネルソン・ピケ ウィリアムズ-ホンダ詳細
9 ハンガリーグランプリ8月9日ハンガロリンク ナイジェル・マンセル ネルソン・ピケ ネルソン・ピケ ウィリアムズ-ホンダ詳細
10 オーストリアグランプリ8月16日エステルライヒリンク ネルソン・ピケ ナイジェル・マンセル ナイジェル・マンセル ウィリアムズ-ホンダ詳細
11 イタリアグランプリ9月6日モンツァ ネルソン・ピケ アイルトン・セナ ネルソン・ピケ ウィリアムズ-ホンダ詳細
12 ポルトガルグランプリ9月20日エストリル ゲルハルト・ベルガー ゲルハルト・ベルガー アラン・プロスト マクラーレン-TAG詳細
13 スペイングランプリ9月27日ヘレス ネルソン・ピケ ゲルハルト・ベルガー ナイジェル・マンセル ウィリアムズ-ホンダ詳細
14 メキシコグランプリ10月18日メキシコシティ ナイジェル・マンセル ネルソン・ピケ ナイジェル・マンセル ウィリアムズ-ホンダ詳細
15 日本グランプリ11月1日鈴鹿 ゲルハルト・ベルガー アラン・プロスト ゲルハルト・ベルガー フェラーリ詳細
16 オーストラリアグランプリ11月15日アデレード ゲルハルト・ベルガー ゲルハルト・ベルガー ゲルハルト・ベルガー フェラーリ詳細

エントリーリスト

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エントラントコンストラクタシャシーエンジンタイヤドライバー
マールボロ・マクラーレン・インターナショナルマクラーレンMP4/3TAG TTE PO1(V6ターボ)(ポルシェ)G1. アラン・プロスト
2. ステファン・ヨハンソン
データ・ジェネラル・チーム・ティレルティレルDG016フォードDFZ(V8)G3. ジョナサン・パーマー
4. フィリップ・ストレイフ
キヤノン・ウィリアムズ・ホンダ・チームウィリアムズFW11BホンダRA167E(V6ターボ)G5. ナイジェル・マンセル
(5.) リカルド・パトレーゼ
6. ネルソン・ピケ 
モーターレーシング・ディベロップメントブラバムBT56BMW M12/13/1(直4ターボ)G7. リカルド・パトレーゼ
(7.) ステファノ・モデナ
8. アンドレア・デ・チェザリス
ウェスト・ザクスピード・レーシングザクスピード861B
871
ザクスピード F1[3](直4ターボ)G9. マーティン・ブランドル
10. クリスチャン・ダナー
キャメル・チーム・ロータス・ホンダロータス99TホンダRA167E(V6ターボ)G11. 中嶋悟
12. アイルトン・セナ
チーム・El Charro・AGSAGSJH22フォードDFZ(V8)G14. パスカル・ファブル
(14.) ロベルト・モレノ
レイトンハウス・マーチ・レーシングチームマーチ87P
871
フォードDFZ(V8)G16. イヴァン・カペリ
USF&G・アロウズ・メガトロンアロウズA10メガトロン(BMW)M12/13(直4ターボ)G17. デレック・ワーウィック
18. エディ・チーバー
ベネトン・フォーミュラLtdベネトンB187フォードGBA(V6ターボ)G19. テオ・ファビ
20. ティエリー・ブーツェン
ステバーニ・オゼッラ・スクアドラ・コルセオゼッラFA1F
FA1G
FA1H
アルファロメオ890T(V8ターボ)G21. アレックス・カフィ
22. ガブリエル・タルキーニ
(22.) フランコ・フォリーニ
ミナルディチームSpAミナルディM186[4]モトーリ・モデルニ615-90(V6ターボ)G23. エイドリアン・カンポス
24. アレッサンドロ・ナニーニ
リジェ・ロトリジェJS29B
JS29C
メガトロン(BMW)M12/13(直4ターボ)G25. ルネ・アルヌー
26. ピエルカルロ・ギンザーニ
スクーデリア・フェラーリSpA SEFACフェラーリF187フェラーリTipo033D(V6ターボ)G27. ミケーレ・アルボレート
28. ゲルハルト・ベルガー
ラルース・カルメルローラLC87フォードDFZ(V8)G29. ヤニック・ダルマス
30. フィリップ・アリオー
エンツォ・コローニ・レーシングカー・システムコローニFC187フォードDFZ(V8)G32. ニコラ・ラリーニ

1987年のドライバーズランキング

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ドライバーズポイントは1位から順に6位まで 9-6-4-3-2-1 が与えられた。ベスト11戦がポイントランキングに数えられた。

順位ドライバーBRA
SMR
BEL
MON
DET
FRA
GBR
GER
HUN
AUT
ITA
POR
ESP
MEX
JPN
AUS
ポイント[5]
1 ネルソン・ピケ2DNSRet2222112134215Ret73 (76)
2 ナイジェル・マンセル61RetRet511Ret1413Ret11DNS61
3 アイルトン・セナRet2Ret1143325275Ret2DSQ57
4 アラン・プロスト1Ret1933Ret7361512Ret7Ret46
5 ゲルハルト・ベルガー4RetRet44RetRetRetRetRet42RetRet1136
6 ステファン・ヨハンソン342Ret78Ret2Ret7653Ret3Ret30
7 ミケーレ・アルボレート83Ret3RetRetRetRetRetRetRetRet15Ret4217
8 ティエリー・ブーツェン5RetRetRetRetRet7Ret4451416Ret5316
9 テオ・ファビRetRetRet8Ret56RetRet374Ret5RetRet12
10 エディ・チーバーRetRet4Ret6RetRetRet8RetRet6849Ret8
11 ジョナサン・パーマー10RetRet5117857141410Ret7847
12 中嶋悟76510RetNC4RetRet131189Ret6Ret7
13 リカルド・パトレーゼRet9RetRet9RetRetRet5RetRetRet1331196
14 アンドレア・デ・チェザリスRetRet3RetRetRetRetRetRetRetRetRetRetRetRet84
15 フィリップ・ストレイフ1189RetRet6Ret49Ret12127812Ret4
16 デレック・ワーウィックRet11RetRetRetRet5Ret6RetRet1310Ret10Ret3
17 フィリップ・アリオー108RetRetRetRet6Ret12RetRet66RetRet3
18 マーティン・ブランドルRet5Ret7RetRetNCNCRetDSQRetRet11RetRetRet2
19 イヴァン・カペリDNSRetRet6RetRetRetRet101113912RetRetRet1
20 ルネ・アルヌーDNS61110RetRetRetRet1010RetRetRetRetRet1
21 ロベルト・モレノRet61
- ヤニック・ダルマス91450*
- クリスチャン・ダナー97RetEX8RetRetRetRet99RetRetRetRet70
- ピエルカルロ・ギンザーニRet712RetRetDSQRet1288RetRetRet13Ret0
- パスカル・ファブル121310131299Ret13NCDNQDNQRetDNQ0
- アレッサンドロ・ナニーニRetRetRetRetRetRetRetRet11Ret1611RetRetRetRet0
- アレックス・カフィRet12RetRetRetRetRetRetRetRetRetRetDNQRetRetDNQ0
- エイドリアン・カンポスDSQRetRetDNSRetRetRetRetRetRetRetRet14RetRetRet0
- フランコ・フォリーニRetRetDNQ0
- ニコラ・ラリーニDNQRet0
- ガブリエル・タルキーニRet0
- ステファノ・モデナRet0
順位ドライバーBRA
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ポイント
結果
金色勝者
銀色2位
銅色3位
ポイント獲得
完走
完走扱い(全周回数の90%以上走行)
規定周回数不足(NC)
リタイア(Ret)
予選不通過(DNQ)
予備予選不通過(DNPQ)
失格(DSQ)
スタートせず(DNS)
レース中止(C)
水色プラクティスのみ(PO)
金曜日テストドライバー(TD)
2003年以降
空欄プラクティス出走せず(DNP)
除外 (EX)
到着せず (DNA)
欠場 (WD)

ジム・クラーク・トロフィー

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  • 自然吸気エンジンのドライバーズタイトル
順位ドライバーBRA
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AUT
ITA
POR
ESP
MEX
JPN
AUS
ポイント
1 ジョナサン・パーマー1RetDNS112121332Ret21195
2 フィリップ・ストレイフ212RetRet1Ret12Ret13232Ret74
3 フィリップ・アリオー21RetRetRetRet3Ret2RetRet11RetRet43
4 イヴァン・カペリDNSRetRet2RetRetRetRet31213RetRetRet38
5 パスカル・ファブル3333232Ret4NCDNQDNQRetDNQ35
6 ロベルト・モレノRet34
- ヤニック・ダルマス4320*
- ニコラ・ラリーニDNQRet0
順位ドライバーBRA
SMR
BEL
MON
DET
FRA
GBR
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HUN
AUT
ITA
POR
ESP
MEX
JPN
AUS
ポイント

*ポイント無効(ローラは1カーエントリー登録のため、追加された2台目で参戦したダルマスに選手権ポイントは与えられなかった。)

1987年のコンストラクターズランキング

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コンストラクターズポイントは1位から順に6位まで 9-6-4-3-2-1 が与えられた。ドライバーズタイトルとは異なり全戦がカウントされた。

順位コンストラクター車番BRA
SMR
BEL
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FRA
GBR
GER
HUN
AUT
ITA
POR
ESP
MEX
JPN
AUS
ポイント
1 ウィリアムズ-ホンダ561RetRet511Ret1413Ret11DNS9137
62DNSRet2222112134215Ret
2 マクラーレン-TAG11Ret1933Ret7361412Ret7Ret76
2342Ret78Ret2Ret7653Ret3Ret
3 ロータス-ホンダ1176510RetNC4RetRet131189Ret6Ret64
12Ret2Ret1143325275Ret2DSQ
4 フェラーリ2783Ret3RetRetRetRetRetRetRetRet15Ret4253
284RetRet44RetRetRetRetRet42RetRet11
5 ベネトン-フォード19RetRetRet8Ret56RetRet374Ret5RetRet28
205RetRetRetRetRet7Ret4451416Ret53
6 ティレル-フォード310RetRet5117857141410Ret78411
41189RetRet6Ret49Ret12127812Ret
7 アロウズ-メガトロン17Ret8RetRetRetRet5Ret6RetRet1310Ret10Ret11
18RetRet4116RetRetRet8RetRet6849Ret
8 ブラバム-BMW7Ret9RetRet9RetRetRet5RetRetRet13311Ret10
8RetRet3RetRetRetRetRetRetRetRetRetRetRetRet8
9 ローラ-フォード2991453
30108RetRetRetRet6Ret12RetRet66RetRet
10 ザクスピード9Ret5Ret7RetRetNCNCRetDSQRetRet11RetRetRet2
1097RetEX8RetRetRetRet99DNSRetRetRet7
11 リジェ-メガトロン25DNS61110RetRetRetRet1010RetRetRetRet91
26Ret712RetRetDSQRet1288RetRetRet139
12 AGS-フォード14121310131299Ret13NCDNQDNQRetDNQRet61
13 マーチ-フォード16DNSRetRet6RetRetRetRet101113912RetRetRet1
- ミナルディ-モトーリ・モデルニ23DSQRetRetDNSRetRetRetRetRetRetRetRet14RetRetRet0
24RetRetRetRetRetRetRetRet11Ret1611RetRetRetRet
- オゼッラ-アルファロメオ21Ret12RetRetRetRetRetRetRetRetRetRetDNQRetRetDNQ0
22RetRetRetDNQ
- コローニ-フォード32DNQRet0
順位コンストラクター車番BRA
SMR
BEL
MON
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GBR
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HUN
AUT
ITA
POR
ESP
MEX
JPN
AUS
ポイント

ローラは1カーエントリー登録のため、追加された2台目で参戦したダルマスに選手権ポイントは与えられなかった。

コーリン・チャップマン・トロフィー

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  • 自然吸気エンジンのコンストラクターズタイトル
順位コンストラクター車番BRA
SMR
BEL
MON
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FRA
GBR
GER
HUN
AUT
ITA
POR
ESP
MEX
JPN
AUS
ポイント
1 ティレル-フォード31RetRet112121332Ret211169
4212RetRet1Ret12Ret13232Ret
2 ローラ-フォード2943243
3021RetRetRetRet3Ret2RetRet11RetRet
3 AGS-フォード143333232Ret4NCDNQDNQRetDNQRet341
4 マーチ-フォード16DNSRetRet2RetRetRetRet31213RetRetRet38
- コローニ-フォード32DNQRet0
順位コンストラクター車番BRA
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ITA
POR
ESP
MEX
JPN
AUS
ポイント

トピック

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  • 中嶋悟がロータス・ホンダより日本人初のフル参戦を行なったことや、1977年以来10年ぶりとなるF1日本グランプリが鈴鹿サーキットでが開催されたこと、フジテレビジョンによる全戦テレビ中継が開始されたことから、バブル景気に沸く日本において「F1ブーム」が始まることとなった。
  • 日本の不動産企業「レイトンハウス」がメインスポンサーとなり、マーチがF1に復帰した。なお同社はその後マーチを買収することになる。
  • F1用シャシーの開発が間に合わなかったレイトンハウス・マーチは、開幕戦ブラジルGPをF3000シャシーにF1用エンジンを搭載した暫定マシンで出走した。このマシンは第3戦ベルギーでは決勝レースを走った[6]。またエンジンも序盤ではF1用3500ccのDFZがチームに1基しかない場合もあり、急遽手配した耐久レース用の3300ccエンジン(コスワース・DFL)で出走した公式セッションがあった[7]
  • 中嶋のマシンにのみシーズンを通じてFOCA映像配信用の車載カメラがテスト的に搭載されたが、重量バランスや空力に悪影響を与える結果となり、1989年から使用される空力に悪影響を与えにくい形状の車載カメラを開発することになったほか、車載カメラを搭載しないマシンには同重量のバラストを搭載するなど以後のレギュレーション整備がされることになった。
  • イギリスGPでは多くのドライバーがマシントラブルでリタイヤする中、中嶋は2周遅れながら4位に入賞し、ホンダの1・2・3・4フィニッシュの一端を担った(同僚のセナも1周遅れの3位に入った)。中嶋は前年にシルバーストーンでF3000のレース経験があった為、それまでとは違う「序盤から飛ばして燃費のことは後で考える(本人談)」作戦を採った。中嶋自身のベストラップは最終盤の残り3周のタイミングで記録されたが、ホンダの桜井淑敏は「レース終盤で燃料セーブのためにペースを落としトップのネルソン・ピケに抜かせたことで2周遅れにならなければ、燃料が足りずフィニッシュライン300m手前で止まってしまい完走できなかっただろう」と述べた。
  • オーストリアGPの予選中、野生のシカが侵入しコースを横切り、ステファン・ヨハンソンが運転するマクラーレンと衝突する事故が発生。速度はおよそ280km/h出ていたためマシンは全損、ヨハンソンは肩の打撲と肋骨骨折を負った[8]。シカは絶命していた。決勝ではスタート直後にホームストレートで多重クラッシュが発生し再スタートが行われた。2度目のスタート直後にも同様の事故が起き、再度の再スタートが行われるなど、事故が相次いだ。オーストリアGPはこの年を最後に、1997年まで中断された。
  • 第14戦メキシコGPから第16戦オーストラリアGPまでの遠征ではミナルディが財政状況からスペアカーを持ち込めず、2台のレースカーのみを運搬した。これはメキシコ-日本-オーストラリアの3連戦で1台当たり120万円の輸送費がかかり、これを輸送の実務担当であるFOCAに支払えなかったための策だった。ミナルディは鈴鹿でタイヤ用のバーニングヒータ(保温庫)に使う航空機燃料を購入する費用も苦しかったため、より安価で済むヘリコプター用燃料で代用するほど倹約していた[9]
  • 6月から9月にかけて、2シーズン前まで参戦していたRAMの創設者ジョン・マクドナルドが新たにマネージャーとして活動しているミドルブリッジ・インターナショナル・レーシングのF1参戦計画が報じられ、ドライバーにエマニュエル・ピロ、1年型落ちとなるベネトン・B186を使用し第11戦イタリアGPからの4戦に出場することが決まり[10]、J.マクドナルドが奔走しコンコルド協定でスタートグリッドが27台になる同意も得られ全チームの承認サインもなされていた。また第15戦日本GPでは鈴木亜久里を2台目のドライバーに起用する構想もあった。メインスポンサーにはトラサルディがつき白と黒のツートンカラーリングを施したB186の披露も済まされ準備万端であった。しかし第10戦オーストリアGPでの多重クラッシュで2度スタートがやり直しになったことを理由に、一度は参戦を承認したFISAが「安全面を考慮するとスタート台数を増やすのは妥当ではない」としてミドルブリッジおよびピロのF1参戦を認めない方針に転換する騒動があった[11]。なお、このミドルブリッジ計画ではメガトロン・バッジではなくBMWとしてエンジン供給することになっていたため、同シーズン唯一のBMWユーザーだったブラバムのバーニー・エクレストンは参戦承認サインはしたものの不服だったという[12]
  • この年F1決勝レースにデビューした主な選手は中嶋悟、ガブリエル・タルキーニロベルト・モレノステファノ・モデナヤニック・ダルマス。その一方でベネトンのテオ・ファビはこの年限りでF1から去り、マシン開発手腕を買われてアメリカのチャンプカー・ワールド・シリーズポルシェエンジンプロジェクトに移ることとなった。
  • この年限りでポルシェとBMWがターボエンジン供給を終了した。ポルシェは上記のようにチャンプカー・ワールド・シリーズのエンジンプロジェクトへと移り、BMWベースのメガトロンターボはアロウズへのエンジン供給を翌年も続けた。
  • BMWエンジンを失うこととなったブラバムチームが、この年の最終戦を最後に1989年開幕戦までの1シーズン活動停止した。
  • この年初めて日本GPを開催することになった鈴鹿サーキットは、F1開催に向けてコースレイアウト変更やピットエリア、グランドスタンドの改修を行った上に、大きな問題もなくレース運営を行ったことから、FIAより「ベストオーガナイザー賞」を授与された。

脚注

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  1. ^ フジテレビ オフィシャル F1 YEARBOOK 87-88 (初版 ed.). 東京都新宿区河田町: 株式会社フジテレビ出版. (1987-12-21). pp. p.150. ISBN 4-594-00191-2 
  2. ^ Henry, Alan (1998) (英語). FORMULA 1 THE TURBO ERA. Hazleton Publishing. pp. p.86. ISBN 1-874557-97-7 
  3. ^ 単にこう呼ばれるが正式名称は無い。(イアン・バムゼイ 著、三重宗久 訳『世界のレーシングエンジン』株式会社グランプリ出版、東京都新宿区、1990年、p.198頁。ISBN 4-906189-99-7 )
  4. ^ Auto e Piloti del Minardi Team 1987 Modello M186 ミナルディ公式ウェブサイト
  5. ^ ベスト11戦がポイントランキングに数えられる有効ポイント制。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
  6. ^ クソマーダーと別れの日も近い レイトンハウス日記 広報担当・安川実 F1GPX '87ベルギーGP号 28頁 1987年6月5日発行
  7. ^ PADDOCK NEWS レイトンハウス・マーチはスポーツカーだ F1GPX '87サンマリノGP号 6頁 1987年5月20日発行
  8. ^ 精彩を欠くマクラーレン 打撲だけと思われたヨハンソンは当初の診断より重く、肋骨2本折れていた F1GPX '87イタリアGP号 27頁 1987年9月25日発行
  9. ^ 極東ニッポンでミナルディ苦戦談 別冊オートテクニック F1GPXpress 第15戦日本速報版 36頁 山海堂 1987年11月15日発行
  10. ^ E.ピロが新生チームでオーストリアGPから参戦か GPX 1987イギリスGP号 29頁 山海堂 1987年8月5日発行
  11. ^ 無念!!ミドルブリッジF1出走かなわず GPX 1987年イタリアGP号 30頁 山海堂 1987年9月25日発行
  12. ^ ピッロがBMW搭載でバーニーはご機嫌ナナメ GPX 1987西ドイツGP号 28頁 山海堂 1987年8月15日発行

外部リンク

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