開幕投手(かいまくとうしゅ)とは、野球における開幕戦先発投手を指す。

開幕投手はペナントレースの最初の試合(開幕試合)に登板する先発投手であり各チームを代表する投手が投入される[1]。開幕試合は特別な意味を持つという意見と開幕試合も長いペナントレースの単なる1試合であるという意見があるが、実際のところ開幕試合は特別視されている[1]ことが多い。

NPB 編集

日本野球機構 (NPB) 管轄のプロ野球の開幕戦には、各球団ともエースと呼ばれる投手を筆頭に、球団の代表投手を先発させる例が比較的多く、投手にとっても開幕投手に指名されるのは名誉なことであるとされる。そのため新人選手が選ばれることは稀である。それでも1950年代には毎年のように新人選手の開幕投手が登場していたが[2]、それ以降は1962年の城之内邦雄巨人)、ドラフト制施行後は1984年の高野光ヤクルト)、2013年の則本昂大楽天)、2022年の北山亘基日本ハム)の4人のみとなっている[3]

NPBにおいては、金田正一国鉄・巨人)と鈴木啓示近鉄)の14回が開幕投手の最多記録で、鈴木の挙げた開幕戦9勝は日本記録である。また、山田久志阪急)の12年連続開幕投手(1975年 - 1986年)及び5年連続開幕戦勝利も日本記録となっている。

NPB史上において、最年長の開幕投手は1998年の大野豊広島)で42歳7か月。最年少の開幕投手は1952年の大田垣喜夫(広島)で18歳5か月。

歴代開幕投手 編集

1リーグ制(1936年春夏季 - 1944年) 編集

シーズン巨人大阪名古屋金鯱東京セネタース大東京阪急
1936春夏沢村栄治藤村富美男牧野潔古谷倉之助野口明近藤久宮武三郎
1936秋沢村栄治若林忠志加藤智男内藤幸三野口明桜井七之助北井正雄
シーズン巨人大阪名古屋金鯱東京セネタース大東京阪急イーグルス
1937春沢村栄治景浦将森井茂古谷倉之助野口明遠藤忠二郎石田光彦畑福俊英
シーズン巨人大阪名古屋金鯱東京セネタースライオン阪急イーグルス
1937秋沢村栄治若林忠志森井茂鈴木鶴雄野口明菊矢吉男石田光彦藤野文三郎
1938春V.スタルヒン御園生崇男松尾幸造鈴木鶴雄浅岡三郎菊矢吉男宮武三郎中河美芳
シーズン巨人大阪名古屋金鯱東京セネタースライオン阪急南海イーグルス
1938秋前川八郎青木正一森井茂中山正嘉村沢秀雄近藤久小田野柏鈴木芳太郎亀田忠
1939川上哲治若林忠志松尾幸造古谷倉之助浅岡三郎菊矢吉男浅野勝三郎政野岩夫亀田忠
1940V・スタルヒン木下勇村松幸雄中山正嘉金子裕福士勇重松通雄清水秀雄亀田忠
シーズン巨人阪神名古屋大洋軍朝日阪急南海黒鷲
1941須田博若林忠志森井茂三富恒雄菊矢吉男浅野勝三郎神田武夫亀田忠
1942広瀬習一若林忠志河村章野口二郎内藤幸三橋本正吾神田武夫石原繁三
シーズン巨人阪神名古屋西鉄軍朝日阪急南海大和
1943須田博三輪八郎松尾幸造野口二郎林安夫天保義夫清水秀雄片山栄次
シーズン巨人阪神産業朝日阪急南海
1944藤本英雄若林忠志森井茂内藤幸三笠松実清水秀雄

1リーグ制(1946年 - 1949年) 編集

巨人阪神中部日本パシフィック阪急グレートリングセネタースゴールドスター
1946近藤貞雄渡辺誠太郎森井茂井筒研一天保義夫松川博爾一言多十石田光彦
巨人大阪中日太陽阪急グレートリング東急金星
1947川崎徳次若林忠志松尾幸造池田善蔵天保義夫別所昭白木義一郎江田孝
巨人大阪中日大陽阪急南海急映金星
1948川崎徳次御園生崇男服部受弘真田重蔵天保義夫別所昭吉江英四郎木場巌
巨人大阪中日大陽阪急南海東急大映
1949多田文久三若林忠志服部受弘井筒研一今西錬太郎柚木進白木義一郎V.スタルヒン

2リーグ13 - 15球団制(1950年 - 1957年) 編集

巨人大阪中日大洋国鉄広島松竹西日本南海西鉄阪急東急毎日近鉄大映
1950藤本英雄内山清清水秀雄今西錬太郎成田啓二内藤幸三小林恒夫緒方俊明柚木進木下勇天保義夫白木義一郎榎原好黒尾重明小川善治
巨人大阪名古屋大洋国鉄広島松竹南海西鉄阪急東急毎日近鉄大映
1951別所毅彦内山清近藤貞雄高野裕良田原基稔杉浦竜太郎井筒研一江藤正武末悉昌天保義夫米川泰夫星野武男関根潤三姫野好治
1952藤本英雄三船正俊大島信雄高野裕良金田正一大田垣喜夫荻原隆江藤正川崎徳次天保義夫寺川昭二野村武史沢藤光郎林義一
巨人大阪名古屋洋松国鉄広島南海西鉄阪急東急毎日近鉄大映
1953別所毅彦藤村隆男杉下茂江田貢一宮地惟友長谷川良平柚木進川崎徳次柴田英治米川泰夫野村武史関根潤三林義一
巨人大阪中日洋松国鉄広島南海西鉄阪急東映毎日近鉄大映高橋
1954大友工小山正明石川克彦権藤正利金田正一長谷川良平大神武俊太田正男梶本隆夫米川泰夫清水宏員田中文雄林義一滝良彦
巨人大阪中日大洋国鉄広島南海西鉄阪急東映毎日近鉄大映トンボ
1955別所毅彦西村一孔石川克彦権藤正利金田正一長谷川良平柚木進長坂衛柴田英治米川泰夫荒巻淳武智文雄林義一野村武史
巨人大阪中日大洋国鉄広島南海西鉄阪急東映毎日近鉄大映高橋
1956別所毅彦小山正明杉下茂江田孝金田正一長谷川良平柚木進河村久文梶本隆夫牧野伸荒巻淳武智文雄林義一伊藤四郎
巨人大阪中日大洋国鉄広島南海西鉄阪急東映毎日近鉄大映
1957大友工西尾慈高伊奈努大石正彦田所善治郎長谷川良平野母得見島原幸雄梶本隆夫米川泰夫植村義信武智文雄森口哲夫

2リーグ12球団制(1958年 - 2004年) 編集

巨人大阪中日大洋国鉄広島南海西鉄阪急東映大毎近鉄
1958藤田元司渡辺省三中山俊丈大石正彦金田正一長谷川良平杉浦忠河村久文梶本隆夫牧野伸荒巻淳山下登
1959伊藤芳明小山正明伊奈努鈴木隆金田正一備前喜夫杉浦忠島原幸雄米田哲也土橋正幸荒巻淳大津守
1960伊藤芳明村山実伊奈努幸田優金田正一備前喜夫杉浦忠稲尾和久梶本隆夫土橋正幸小野正一大津守
巨人阪神中日大洋国鉄広島南海西鉄阪急東映大毎近鉄
1961中村稔小山正明板東英二秋山登北川芳男河村英文J.スタンカ稲尾和久米田哲也久保田治小野正一蔦行雄
1962城之内邦雄小山正明柿本実島田源太郎金田正一大石清J.スタンカ稲尾和久石井茂雄富永格郎坂井勝二板東里視
1963伊藤芳明小山正明河村保彦稲川誠金田正一大石清J.スタンカ稲尾和久梶本隆夫土橋正幸小野正一徳久利明
巨人阪神中日大洋国鉄広島南海西鉄阪急東映東京近鉄
1964高橋明村山実河村保彦稲川誠金田正一池田英俊三浦清弘田中勉米田哲也久保田治堀本律雄久保征弘
1965金田正一G.バッキー柿本実稲川誠村田元一大石清杉浦忠田中勉足立光宏久保田治小山正明徳久利明
巨人阪神中日大洋サンケイ広島南海西鉄阪急東映東京近鉄
1966金田正一村山実山中巽秋山登渋谷誠司池田英俊森中千香良田中勉石井茂雄尾崎行雄妻島芳郎徳久利明
1967城之内邦雄村山実小川健太郎森中千香良村田元一安仁屋宗八皆川睦男田中勉米田哲也森安敏明小山正明鈴木啓示
1968金田正一村山実小川健太郎森中千香良石戸四六大石弥太郎皆川睦男池永正明石井茂雄森安敏明坂井勝二鈴木啓示
巨人阪神中日大洋アトムズ広島南海西鉄阪急東映ロッテ近鉄
1969金田正一江夏豊小川健太郎平岡一郎河村保彦安仁屋宗八泉嘉郎与田順欣米田哲也高橋善正坂井勝二鈴木啓示
巨人阪神中日大洋ヤクルト広島南海西鉄阪急東映ロッテ近鉄
1970高橋一三江夏豊小川健太郎平松政次石岡康三外木場義郎西岡三四郎池永正明米田哲也森安敏明木樽正明鈴木啓示
1971渡辺秀武江夏豊伊藤久敏平松政次松岡弘大石弥太郎西岡三四郎高橋明米田哲也金田留広木樽正明鈴木啓示
1972堀内恒夫古沢憲司水谷寿伸山下律夫松岡弘白石靜生西岡三四郎高橋明足立光宏藤原真成田文男鈴木啓示
巨人阪神中日大洋ヤクルト広島南海太平洋阪急日拓ロッテ近鉄
1973堀内恒夫江夏豊稲葉光雄平松政次松岡弘外木場義郎江本孟紀加藤初足立光宏金田留広木樽正明鈴木啓示
巨人阪神中日大洋ヤクルト広島南海太平洋阪急日本ハムロッテ近鉄
1974高橋一三江夏豊星野仙一平松政次松岡弘佐伯和司江本孟紀三浦清弘竹村一義渡辺秀武成田文男鈴木啓示
1975堀内恒夫江夏豊松本幸行平松政次松岡弘外木場義郎江本孟紀東尾修山田久志高橋直樹村田兆治神部年男
1976堀内恒夫古沢憲司星野仙一平松政次松岡弘外木場義郎山内新一東尾修山田久志高橋直樹村田兆治神部年男
巨人阪神中日大洋ヤクルト広島南海クラウン阪急日本ハムロッテ近鉄
1977堀内恒夫江本孟紀松本幸行渡辺秀武松岡弘外木場義郎山内新一東尾修山田久志高橋直樹村田兆治鈴木啓示
1978堀内恒夫江本孟紀星野仙一平松政次安田猛高橋里志山内新一山下律夫山田久志佐伯和司村田兆治鈴木啓示
巨人阪神中日大洋ヤクルト広島南海西武阪急日本ハムロッテ近鉄
1979新浦寿夫江本孟紀星野仙一平松政次松岡弘福士明夫藤田学東尾修山田久志高橋直樹村田兆治鈴木啓示
1980江川卓小林繁藤沢公也平松政次鈴木康二朗池谷公二郎山内新一東尾修山田久志高橋直樹村田兆治鈴木啓示
1981西本聖小林繁三沢淳斉藤明夫松岡弘池谷公二郎山内新一東尾修山田久志高橋一三村田兆治柳田豊
1982江川卓小林繁小松辰雄斉藤明夫鈴木康二朗北別府学山内新一森繁和山田久志高橋一三村田兆治柳田豊
1983西本聖小林繁小松辰雄遠藤一彦尾花高夫北別府学山内孝徳高橋直樹山田久志工藤幹夫水谷則博谷宏明
1984江川卓野村収鈴木孝政遠藤一彦高野光北別府学山内和宏東尾修山田久志田中幸雄水谷則博鈴木啓示
1985西本聖池田親興小松辰雄遠藤一彦梶間健一大野豊山内孝徳東尾修山田久志津野浩深沢恵雄鈴木啓示
1986江川卓池田親興郭源治遠藤一彦荒木大輔北別府学山内孝徳東尾修山田久志津野浩村田兆治村田辰美
1987西本聖M.キーオ杉本正遠藤一彦荒木大輔北別府学山内孝徳東尾修佐藤義則津野浩村田兆治村田辰美
1988桑田真澄仲田幸司小松辰雄欠端光則尾花高夫北別府学西川佳明工藤公康佐藤義則西崎幸広村田兆治阿波野秀幸
巨人阪神中日大洋ヤクルト広島ダイエー西武オリックス日本ハムロッテ近鉄
1989桑田真澄仲田幸司小野和幸斉藤明夫尾花高夫北別府学山内孝徳工藤公康佐藤義則西崎幸広村田兆治阿波野秀幸
1990斎藤雅樹中西清起西本聖中山裕章内藤尚行大野豊藤本修二渡辺久信星野伸之西崎幸広村田兆治阿波野秀幸
1991槙原寛己野田浩司小松辰雄中山裕章内藤尚行長冨浩志村田勝喜渡辺久信佐藤義則西崎幸広小宮山悟阿波野秀幸
1992槙原寛己葛西稔郭源治野村弘樹西村龍次川口和久村田勝喜工藤公康星野伸之柴田保光小宮山悟小野和義
巨人阪神中日横浜ヤクルト広島ダイエー西武オリックス日本ハムロッテ近鉄
1993斎藤雅樹仲田幸司今中慎二有働克也西村龍次北別府学村田勝喜渡辺久信星野伸之西崎幸広小宮山悟野茂英雄
1994斎藤雅樹湯舟敏郎今中慎二有働克也川崎憲次郎北別府学吉田豊彦郭泰源星野伸之西崎幸広小宮山悟野茂英雄
1995斎藤雅樹湯舟敏郎今中慎二野村弘樹岡林洋一佐々岡真司工藤公康郭泰源佐藤義則西崎幸広伊良部秀輝山崎慎太郎
1996斎藤雅樹藪恵壹今中慎二盛田幸希T.ブロス大野豊工藤公康新谷博星野伸之岩本勉園川一美高村祐
1997斎藤雅樹川尻哲郎山本昌盛田幸希T.ブロス山内泰幸武田一浩西口文也星野伸之西崎幸広小宮山悟高村祐
1998桑田真澄藪恵壹山本昌川村丈夫石井一久大野豊工藤公康西口文也星野伸之岩本勉小宮山悟高村祐
1999B.ガルベス藪恵壹川上憲伸三浦大輔石井一久N.ミンチー西村龍次西口文也小林宏岩本ツトム黒木知宏岡本晃
2000上原浩治星野伸之野口茂樹川村丈夫石井一久佐々岡真司西村龍次松坂大輔小林宏岩本ツトム黒木知宏B.ウォルコット
2001上原浩治星野伸之山本昌小宮山悟石井一久佐々岡真司西村龍次松坂大輔金田政彦金村曉黒木知宏門倉健
2002上原浩治井川慶山本昌三浦大輔藤井秀悟佐々岡真司田之上慶三郎松坂大輔E.ヤーナル岩本勉N.ミンチーS.バーグマン
2003上原浩治井川慶川上憲伸吉見祐治K.ホッジス黒田博樹斉藤和巳松坂大輔吉井理人C.ミラバルN.ミンチーJ・パウエル
2004上原浩治井川慶川崎憲次郎三浦大輔J.ベバリン黒田博樹斉藤和巳松坂大輔具臺晟金村曉清水直行岩隈久志

2リーグ12球団制(2005年 - ) 編集

巨人阪神中日横浜ヤクルト広島ソフトバンク西武オリックス日本ハムロッテ楽天
2005上原浩治井川慶川上憲伸三浦大輔石川雅規黒田博樹和田毅松坂大輔川越英隆C.ミラバル清水直行岩隈久志
2006上原浩治井川慶川上憲伸三浦大輔石川雅規黒田博樹斉藤和巳西口文也川越英隆金村曉久保康友一場靖弘
2007内海哲也下柳剛川上憲伸三浦大輔石井一久黒田博樹斉藤和巳西口文也川越英隆ダルビッシュ有清水直行岩隈久志
2008高橋尚成安藤優也川上憲伸寺原隼人石川雅規大竹寛杉内俊哉涌井秀章金子千尋ダルビッシュ有小林宏之岩隈久志
2009S.グライシンガー安藤優也浅尾拓也三浦大輔石川雅規C.ルイス和田毅涌井秀章小松聖ダルビッシュ有清水直行岩隈久志
2010内海哲也安藤優也吉見一起S.ランドルフ石川雅規前田健太杉内俊哉涌井秀章金子千尋ダルビッシュ有成瀬善久岩隈久志
2011東野峻能見篤史M.ネルソン山本省吾石川雅規前田健太和田毅涌井秀章木佐貫洋ダルビッシュ有成瀬善久岩隈久志
巨人阪神中日DeNAヤクルト広島ソフトバンク西武オリックス日本ハムロッテ楽天
2012内海哲也能見篤史吉見一起高崎健太郎石川雅規前田健太攝津正涌井秀章A.フィガロ斎藤佑樹成瀬善久田中将大
2013宮國椋丞R.メッセンジャー吉見一起藤井秀悟館山昌平B.バリントン攝津正岸孝之金子千尋武田勝成瀬善久則本昂大
2014菅野智之能見篤史川上憲伸三嶋一輝小川泰弘前田健太攝津正岸孝之金子千尋吉川光夫成瀬善久則本昂大
2015菅野智之R.メッセンジャー山井大介久保康友小川泰弘前田健太攝津正牧田和久B.ディクソン大谷翔平涌井秀章則本昂大
2016菅野智之R.メッセンジャー大野雄大井納翔一小川泰弘K.ジョンソン攝津正菊池雄星金子千尋大谷翔平涌井秀章則本昂大
2017M.マイコラスR.メッセンジャー大野雄大石田健大石川雅規K.ジョンソン和田毅菊池雄星金子千尋有原航平涌井秀章美馬学
2018菅野智之R.メッセンジャー小笠原慎之介石田健大D.ブキャナン野村祐輔千賀滉大菊池雄星西勇輝B.ロドリゲス涌井秀章則本昂大
2019菅野智之R.メッセンジャー笠原祥太郎今永昇太小川泰弘大瀬良大地千賀滉大多和田真三郎山岡泰輔上沢直之石川歩岸孝之
2020菅野智之西勇輝大野雄大今永昇太石川雅規大瀬良大地東浜巨Z.ニール山岡泰輔有原航平石川歩則本昂大
2021菅野智之藤浪晋太郎福谷浩司濵口遥大小川泰弘大瀬良大地石川柊太髙橋光成山本由伸上沢直之二木康太涌井秀章
2022菅野智之藤浪晋太郎大野雄大東克樹小川泰弘大瀬良大地千賀滉大髙橋光成山本由伸北山亘基石川歩則本昂大
2023T.ビーディ青柳晃洋小笠原慎之介石田健大小川泰弘大瀬良大地大関友久髙橋光成山下舜平大加藤貴之小島和哉田中将大
2024戸郷翔征青柳晃洋柳裕也東克樹サイスニード九里亜蓮有原航平今井達也宮城大弥伊藤大海小島和哉早川隆久

エピソード 編集

チーム 編集

  • 1960年の大洋ホエールズの開幕投手は本来秋山登が務める予定だったが、中日ドラゴンズとの開幕試合前の練習中に中日コーチの牧野茂のノックバットが秋山の顔面に直撃し昏倒。投げられる状態ではなくなってしまった為、急遽幸田優が開幕投手となった。この他にも、本来開幕投手の予定と公言された投手がその後負傷し、別の投手を開幕投手に起用したケースがいくつか存在する。
  • 1970年の開幕投手のうち、中日の小川健太郎西鉄ライオンズ池永正明東映フライヤーズ森安敏明の3人はいずれも黒い霧事件の影響でシーズン中に永久失格処分を受け、阪神の江夏豊はシーズン後に戒告処分を受けた。西鉄からはその前年の開幕投手の与田順欣も永久失格処分を受けている。また、1991年の横浜大洋ホエールズの開幕投手の中山裕章もこのシーズン終了後に不祥事が発覚し、プロ野球を一時去った(1994年に中日で復帰)。
  • 1996年の千葉ロッテマリーンズは、前年1995年から2年連続で当初務める予定だった伊良部秀輝が故障で登板回避になり、開幕3連戦の他のローテーションは動かせないということで、小宮山悟エリック・ヒルマンではなく、4番手の園川一美を開幕投手に起用した(開幕2日前に急遽決まった)。その際に対戦相手の福岡ダイエーホークス監督の王貞治に読みを外された悔しさもあって「開幕投手には格というものがあるだろう」と言われてしまった。ただ、試合は園川は勝利投手にはなれなかったものの、ロッテは勝利した。
  • 2004年の中日ドラゴンズは、本来なら川上憲伸が開幕投手最有力だったが、3年間一軍登板実績がなかった川崎憲次郎を開幕投手に起用した。この年監督に就任した落合博満が補強なしの全選手横一線のチームに刺激を与えることと、先発投手の情報漏洩がないかどうかを確認するための起用だったという。この起用は投手起用を基本的にヘッドコーチ森繁和に任せていた落合が、監督生活で唯一自ら決めた投手起用であったという。川上は第3戦に先発した[4]
  • 2006年の千葉ロッテマリーンズは、対福岡ソフトバンクホークス戦において、先発3本柱である清水直行渡辺俊介小林宏之WBCに供出し、ボビー・バレンタイン監督の意向でWBC出場の投手は開幕カードを休ませることにしたため、前年度の新人王である、プロ2年目の久保康友を開幕投手に抜擢した。同様の理由で他の年も先発主力投手がWBCに出場したため別の投手を開幕投手に起用した球団がいくつか存在する。

個人 編集

  • 2リーグ分裂後「同一投手による複数球団での開幕投手」は渡辺秀武(巨人・日本ハム・大洋)と涌井秀章(西武・ロッテ・楽天)の3球団が最多。特に涌井は西武で5度、ロッテで4度務めており「複数球団で複数回の開幕投手」も達成している。2021年には楽天でも開幕投手を務めて勝利投手となり、史上初の3球団で開幕戦勝利を記録している。
  • 読売ジャイアンツ斎藤雅樹は、1993年から1997年まで5年連続で開幕投手を務め、1994年からは3年連続完封勝利。1997年の開幕戦はヤクルトスワローズ戦で、小早川毅彦に3打席連続本塁打を打たれ、敗戦投手となる。
  • 西村龍次が開幕投手を務めるとその年はチームが優勝するジンクスがあり、西村はダイエー時代に3年連続で開幕投手に起用された。特に2000年は登板機会が開幕戦のみでシーズン0勝だったにもかかわらず、翌2001年の開幕投手に起用されている(ただし、西村はヤクルトスワローズ時代に15勝を挙げリーグ最多完封を記録するなど実績は有している)。
  • 横浜ベイスターズ三浦大輔は、2005年には最優秀防御率を獲得、通算でも7度の2桁勝利を挙げるなどの活躍をしているにもかかわらず、開幕戦に限っては7戦全敗と相性が悪かった。2007年には対読売ジャイアンツ戦において、初回先頭打者である高橋由伸に投じた初球を本塁打を打たれた。

考え方 編集

  • 岡田彰布によると、開幕投手を指名するタイミングは、チームや監督によってさまざまであり、「春季キャンプ前(オフシーズンのうち)に指名」「春季キャンプ中に指名」「開幕直前に指名」と3つのパターンがあるという[5]。これは、開幕戦に対する考え方として、「シーズン全体のうちの1試合」ととらえるか、「最も重要な試合」ととらえるかによって異なるとのことである[5]。なお、岡田自身は、開幕戦は「最も重要な試合」という考えを持っていることから、開幕投手は「小細工も奇襲もせず、うちのチームは今季はこの選手をエースとして使い続ける」という明確なメッセージを込めて起用するとのことであり、実際、阪神、オリックス時代を通して、原則として「春季キャンプ期間中の早い段階」で開幕投手を指名したとのことである[5]。これにより、当該選手が開幕戦から逆算した調整ができることと共に、本人の士気の向上、及び、周囲に対するプラスの刺激の創出にもつながり、それがチーム力を向上させることになると述べている[5]。そのため、2017年シーズンに、DeNAアレックス・ラミレス監督が、春季キャンプを待たずして石田健大を開幕投手に指名した姿勢を高く評価しているという[5][6]。もっとも、オープン戦開幕を待たずして、早い段階で開幕投手を決めることにはリスクもあるとのこととも述べており、実際、岡田自身、オリックス時代の2012年シーズンに、開幕投手に指名されていた金子千尋が、故障及びそれに伴う調整遅れになったことから開幕投手の回避に追い込まれて(代役はアルフレッド・フィガロが務めた)、それがこのシーズンの終了を待たずしての(実質的な)解任へとつながったと述べている[5]

MLB 編集

歴代開幕投手 編集

記録 編集

MLBにおける開幕投手の回数[7]

順位回数選手名最終記録年球団
116トム・シーバー1986年複数
214ウォルター・ジョンソン1926年ワシントン・セネタース
スティーブ・カールトン1986年フィラデルフィア・フィリーズ
ジャック・モリス1990年複数
ランディ・ジョンソン2006年複数
613ロビン・ロバーツ1966年複数
ロジャー・クレメンス2003年複数
812ピート・アレクサンダー1925年複数
バート・ブライレブン1980年複数
ジャスティン・バーランダー2020年複数
1111ファーガソン・ジェンキンス1979年複数
デニス・マルティネス1993年複数
CC・サバシア2014年複数
フェリックス・ヘルナンデス2018年シアトル・マリナーズ
  • 太字は現役選手
  • 2021年開幕戦終了時点

エピソード 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 長谷川晶一『プロ野球語辞典』誠文堂新光社 p.47 2017年
  2. ^ 1950年代の新人選手の開幕投手は、1950年の成田啓二(国鉄)と榎原好(毎日)、1951年の杉浦竜太郎(広島)、1952年の三船正俊(阪神)と大田垣喜夫(広島)、1954年の梶本隆夫(阪急)、1955年の西村一孔(阪神)1956年の牧野伸(東映)、1958年の杉浦忠(南海)や伊藤芳明(巨人)。
  3. ^ 新外国人の開幕投手は1987年のマット・キーオ(阪神)、2000年のボブ・ウォルコット(近鉄)、2018年のブライアン・ロドリゲス(日本ハム)の3人。
  4. ^ 森繁和著、参謀―落合監督を支えた右腕の「見守る力」講談社、2012年、P61
  5. ^ a b c d e f 週刊ベースボール』2017年1月30日号、36頁 - 37頁。
  6. ^ 【DeNA】ラミレス監督、今季エース&開幕投手に石田指名「非常に才能がある」」スポーツ報知、2017年1月9日。2017年1月20日閲覧
  7. ^ Most Opening Day starts by a pitcher”. MLB.com (2021年3月19日). 2021年9月20日閲覧。

参考資料 編集

関連項目 編集