高橋明 (投手)

日本のプロ野球選手 (1942-2006)

高橋明(たかはし あきら、1942年5月29日 - 2006年7月31日)は、山口県出身のプロ野球選手投手)。

高橋 明
基本情報
国籍日本の旗 日本
出身地山口県防府市
生年月日1942年5月29日
没年月日 (2006-07-31) 2006年7月31日(64歳没)
身長
体重
179 cm
64 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1961年
初出場1961年
最終出場1972年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物 編集

防府高校では1959年、2年生時に夏の甲子園県予選準決勝に進出するが下松工に惜敗、西中国大会には進めなかった。

1961年読売ジャイアンツ(巨人)に入団[1]

1963年から先発の一角を占め、同年は14勝を記録してリーグ優勝に貢献[1]西鉄ライオンズとの日本シリーズでは3試合に登板。第5戦では先発し、井上善夫と投げ合い1失点完投勝利。第7戦にも先発、稲尾和久に投げ勝ち3失点ながら完投。胴上げ投手となりシリーズ最優秀投手賞に輝いた。翌年も開幕投手をつとめ12勝を挙げる。

1965年から不調が続き先発を外れる。

1968年には先発に復帰し9勝、同年の阪急ブレーブスとの日本シリーズは3試合にリリーフとして登板。

1969年も10勝を記録、同年の阪急ブレーブスとの日本シリーズは第1戦で堀内恒夫をリリーフし勝利投手、第3戦では先発し勝星はつかなかったが6回途中まで好投。第5戦にも先発するが2回にウインディ本塁打を浴び降板した。

1970年はリリーフに回り登板機会も減少。

1971年に巨人・川上哲治監督と西鉄・稲尾和久監督との間で、「投手がいなくて困っているだろう」という理由で西鉄ライオンズに移籍[1]。移籍1年目には14勝、シーズン38勝しか挙げられなかったチームの中で勝ち頭となった。

1972年には1勝に終わり、同年限りで現役引退[1]

2006年7月31日、胃がんのため東京都内の病院で死去[2]。64歳没。

エピソード 編集

高橋は1971年に西鉄に移籍したが、当時の西鉄には既に1968年のドラフト14位で入団した外野手高橋明という同姓同名の選手が在籍していた。このため、球場のスコアボードや新聞紙上では、投手のほうは「高橋明」、外野手のほうは「高橋外」と表記された。なお、2人とも1972年限りで引退している。

これは投手の高橋が日本シリーズで最優秀投手賞を獲得するなど活躍しており、また巨人では高橋一三も主力投手として活躍していたため、すでに「高橋明」の表記で人物を特定できたことが理由だと思われる。

巨人に同期入団した大熊伸行と一緒にいることが多かったため、落語の代表的な登場人物「熊さん八っつぁん」から「ハチ」とあだ名されたこともあった(大熊が「熊さん」)[3]

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
1961巨人2000000--------153.0501001005515.002.00
196211100002----.00010223.2281401121017155.631.35
1963422612351413----.519826208.2186113144822171652.801.04
1964352510251214----.462742181.0190172731901171613.031.20
1965322220047----.364564136.0140122824770049473.111.24
196614300030----1.00017344.1335941161013122.450.95
196724200010----1.00022155.24813803291028254.021.01
1968371430098----.529616155.0131172824752055502.901.03
1969329300105----.667457111.2100162903531146443.541.16
197019100032----.60014033.23228212110982.121.19
1971西鉄432711221413----.519851204.2209224548741094853.731.24
1972201110118----.11131067.197132412130058506.721.80
通算:12年311141427137172----.49750171224.2119912924222325431135164673.431.18
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰 編集

背番号 編集

  • 50 (1961年 - 同年7月24日)
  • 60 (1961年7月25日 - 同年終了)
  • 43 (1962年 - 1966年)
  • 20 (1967年 - 1970年)
  • 14 (1971年 - 1972年)

脚注 編集

  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、319ページ
  2. ^ "高橋明氏死去/元プロ野球巨人投手". 四国新聞社. 2006年7月31日. 2023年4月22日閲覧
  3. ^ よみがえる1958-69年のプロ野球 別冊ベースボール Part6 1963年編(ベースボール・マガジン社、2023年11月刊)48頁

関連項目 編集

外部リンク 編集