第31回NHK紅白歌合戦

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第31回NHK紅白歌合戦』(だいさんじゅういっかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1980年昭和55年)12月31日NHKホールで行われた、通算31回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHK生放送された。

第31回NHK紅白歌合戦
会場のNHKホール
ジャンル大型音楽番組
司会者 総合 中江陽三
 紅組 黒柳徹子
 白組 山川静夫
出演者出場歌手参照
審査員審査員参照
オープニング乾杯の歌
エンディング蛍の光
国・地域日本の旗 日本
言語日本の旗日本語
製作
制作NHK
放送
放送チャンネルNHK総合テレビ
音声形式ステレオ放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1980年12月31日
放送時間水曜21:00 - 23:45
放送枠NHK紅白歌合戦
放送分165分
回数NHK紅白歌合戦第31
NHK紅白歌合戦公式サイト
番組年表
前作第30回NHK紅白歌合戦(1979年)
次作第32回NHK紅白歌合戦(1981年)
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第31回NHK紅白歌合戦
ジャンル大型音楽番組
放送方式生放送
放送期間1980年12月31日
放送時間1980年12月31日
放送局NHKラジオ第1
公式サイト公式サイト
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出演者 編集

司会者 編集

黒柳は22年ぶり2度目、山川は9年連続9度目(白組司会は7年連続7度目)、中江は2年連続3度目の担当となった。
黒柳はテレビ朝日徹子の部屋』、TBSザ・ベストテン』などの司会ぶりが評価され、紅組司会の第一候補としてアプローチを受け、司会に復帰した。その他の司会候補としては、竹下景子(この年の『思い出のメロディー』司会)、松坂慶子(『魅惑のファンタジー』司会)、加賀美幸子(NHKアナウンサー、『テレビファソラシド』進行役)、大竹しのぶ(この年の大河ドラマ獅子の時代』出演)、星野知子(この年上期の連続テレビ小説なっちゃんの写真館』ヒロイン)、森光子ジュディ・オングらが候補に挙がっており、当初は「竹下と松坂の一騎討ち」とされていた[1]

出場歌手 編集

      初出場      返り咲き

紅組白組
曲順歌手曲順歌手
2榊原郁恵3ROBOT(ロボット)1郷ひろみ8How many いい顔
4松田聖子青い珊瑚礁3田原俊彦哀愁でいと
6石野真子2ハートで勝負5野口五郎9コーラス・ライン
8高田みづえ3私はピアノ7海援隊2贈る言葉
10岩崎良美あなた色のマノン9西城秀樹7サンタマリアの祈り
12岩崎宏美6摩天楼11沢田研二8TOKIO
14八神純子パープルタウン13クリスタルキング大都会
16五輪真弓恋人よ15さだまさし2防人の詩
18ロス・インディオス&シルヴィア別れても好きな人17もんた&ブラザーズダンシング・オールナイト
20小柳ルミ子10来夢来人19内山田洋とクール・ファイブ9魅惑・シェイプアップ
22太田裕美5南風 - SOUTH WIND -21新沼謙治5さすらい派
24桜田淳子7美しい夏23布施明14愛よその日まで
26研ナオコ4夢枕25加山雄三7湯沢旅情
28島倉千代子24女がひとり27フランク永井24恋はお洒落に
30ジュディ・オング2麗華の夢29ゴダイゴ2ポートピア
32金沢明子2津軽あいや節31菅原洋一14ラ・クンパルシータ
34石川さゆり4鴎という名の酒場33細川たかし6ほたる草
36都はるみ16大阪しぐれ35北島三郎18風雪ながれ旅
38水前寺清子16三百六十五歩のマーチ37三波春夫23チャンチキおけさ
40森昌子8波止場通りなみだ町39千昌夫8味噌汁の詩
42青江三奈14酔心41村田英雄19夫婦酒
44小林幸子2とまり木43森進一13恋月夜
46八代亜紀8雨の慕情45五木ひろし10ふたりの夜明け
  • この年のアンケート上位は以下[2]
順位紅組白組
歌手出場歌手出場
1位八代亜紀五木ひろし
2位森昌子西城秀樹
3位松田聖子郷ひろみ
4位山口百恵×野口五郎
5位榊原郁恵森進一

演奏 編集

審査員 編集

ゲスト出演者 編集

大会委員長 編集

  • 田中武志・NHK放送総局長

当日のステージ 編集

  • 黒柳の発案で、先攻・後攻を本番に決定するという試み[注釈 3]がなされた。そのため、今回の台本は、紅組が先行になった場合と、白組が先行となった場合の2種類が予め用意されていたという。本番オープニングでダーツ(宝くじの抽選会で使われているものと同型)を使った結果、白組が先攻となった。更に今回は攻守交代が1回も行われず、トリまでこの順番で進行した。
  • 田原俊彦のステージでは、たのきんトリオとしてともに売り出していた野村義男と近藤真彦が応援として登場し、「哀愁でいと」の2番を、田原、近藤、野村の3名で歌唱した。[7]
  • 松田聖子の衣装は、帽子のデザインが赤ちゃんのような顔のまわりをぐるりと囲むものだった。後に本人は「あの帽子はぎりぎりまで被るかどうか悩んだ」と語っている。
  • 石野真子のステージでは、黒柳がバックダンサー役のサンデーズを紹介するも、石野の歌い出し部分に被ってしまった。
  • 海援隊のステージでは、司会の山川が曲紹介で「今日は『3年白組金八先生』です」と話した。当時、アナウンサーや記者がNHKの番組内で民放の番組名、商標、固有名詞などを用いることは"ご法度"とされていた。
  • 黒柳は五輪真弓の曲紹介の時に、「歌手の皆さんも頑張ってますので応援よろしくお願いします」と、手話を交えてのスピーチをした。
  • 高田みづえのステージでは「私はピアノ」に因んで、八神純子と太田裕美がピアノ連弾で伴奏を担当、また曲に入る前には、高田の楽曲「潮騒のメロディー」のワンフレーズを二人で奏でた。なお八神と太田を紹介する時、黒柳は八神を「八代さん」と言い間違えた。
  • 太田裕美のステージでは、太田は応援役の「カリフォルニア・スケート・パーク」と共にローラースケートを履いて入場した。太田は第39回1988年)初出場の光GENJIよりも8年早くローラースケートを使用した。
  • 新沼謙治の曲紹介に仮面ライダーV3のお面が登場した。[8]
  • 菅原洋一は、タンゴ誕生100年にちなんで「ラ・クンパルシータ」を歌唱した[9]
  • 名物の紅組メンバーによるダンスは、今回はラインダンスではなくフレンチ・カンカンとなった(ラストは水前寺清子が倒れてロス・インディオスに担架で運ばれるオチ)。一方の白組は組体操ではなく「忍者」で、頭領役の三波伸介の号令の下、白い忍び装束を着た白組歌手がアクションを披露、最後は「紙テープによる蜘蛛の巣」を投げて終わった(珍しくオチ無し)。
  • トリは前回と同じく、五木ひろしと八代亜紀が担当した。
  • 紅組が優勝(通算17勝14敗)。

後日譚 編集

  • 電光掲示板による勝負判定は、今回で一旦区切りをつけた(抽選で選ばれた視聴者からの電話を得点集計センターで集計)。翌年の第32回から「日本野鳥の会」による得点集計に移行した
  • 第23回1972年)にてんぷくトリオの一人として応援出場し、今回まで9連続応援役を務め、1970年代紅白に欠かせない応援役となった三波伸介は、今回が最後の出演となった。
  • 1989年と1994年に、『思い出の紅白歌合戦』(BS2)で再放送された。なお再放送時には初回では使われなかった歌詞テロップを添えたが、石野真子の『ハートで勝負』の時、「危ないラブハンター」の部分のテロップが「危ないラブレター」と誤記された。
  • 第9回1958年)以来22年ぶりに紅組司会を務めた黒柳のこの記録は司会返り咲きまでの当時最長インターバル記録となった。以後黒柳は第34回1983年)まで4年連続で紅組司会を担当[注釈 4]した後、32年後の第66回2015年)で総合司会として司会復帰し、この記録を自身が更新した。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 当年10月に引退。
  2. ^ 出場歌手の松田聖子に加えて川﨑麻世渋谷哲平山崎誠藤慎一郎倉田まり子佐藤恵利が参加。同じサンデーズのメンバーだった田原俊彦は敵方の出場歌手である事から参加していない。なお当初は松田ではなくサンデーズメンバーだった浜田朱里が参加する予定であったが、浜田がリハーサル中に負傷したため松田が代役となった。
  3. ^ 先攻・後攻を本番に決めるというのは、第18回1967年)と第20回1969年)で既に行われており、どちらもじゃんけんで決めていた。
  4. ^ 山川も第33回1982年)まで白組司会を続投。

出典 編集

  1. ^ 合田, p. 137.
  2. ^ 合田, pp. 137–138.
  3. ^ 合田, p. 138.
  4. ^ a b 合田, pp. 138–139.
  5. ^ 『怪物番組 紅白歌合戦の真実』幻冬舎、2004年11月15日、138・139頁。 
  6. ^ a b 合田, p. 187.
  7. ^ 同様の企画は「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)でも行われた。
  8. ^ その後V3自体は第43回1992年)、第49回1998年)、第53回2002年)にゲスト出演している。
  9. ^ 朝日新聞』1980年12月8日付東京夕刊、11頁。

参考文献 編集

  • NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)
  • 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』全音楽譜出版社、2012年12月15日。ISBN 978-4-11-880178-0 

関連項目 編集

外部リンク 編集