ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ

ブラジルのサッカー選手

フッキHulkブラジルポルトガル語発音: [ˈhuwki])こと、ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザGivanildo Vieira de Souza1986年7月25日 - )は、ブラジルパライバ州カンピナグランデ出身のサッカー選手アトレチコ・ミネイロ所属。ブラジル代表。ポジションはフォワード。愛称ハルク

フッキ
FCゼニト退団セレモニーにて(2016年)
名前
本名ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ
Givanildo Vieira de Souza
カタカナフッキ
ラテン文字HULK
基本情報
国籍ブラジルの旗 ブラジル
ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1986-07-25) 1986年7月25日(37歳)
出身地カンピナグランデ
身長180cm
体重95kg
選手情報
在籍チームブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ
ポジションFW
背番号7
利き足左足
ユース
2002ブラジルの旗 サンパウロFC
2003-2004ブラジルの旗 ECヴィトーリア
クラブ1
クラブ出場(得点)
2004-2005ブラジルの旗 ヴィトーリア 2 (0)
2005日本の旗 川崎フロンターレ (loan) 9 (1)
2006-2008日本の旗 川崎フロンターレ 2 (0)
2006日本の旗 北海道コンサドーレ札幌 (loan) 38 (25)
2007日本の旗 東京ヴェルディ1969 (loan) 42 (37)
2008日本の旗 東京ヴェルディ1969 13 (7)
2008-2012ポルトガルの旗 FCポルト 99 (54)
2012-2016ロシアの旗 FCゼニト・サンクトペテルブルク 97 (56)
2016-2020中華人民共和国の旗 上海上港集団足球倶楽部 100 (51)
2021-ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ 94 (46)
代表歴2
2012 ブラジル U-23 OA6 (1)
2009-ブラジルの旗 ブラジル49 (11)
獲得メダル
サッカー
オリンピック
2012 ロンドン男子
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 2021年10月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

2007年、J2得点王。2010-11、ポルトガル・プリメイラリーガ・得点王。2014-15、ロシア・プレミアリーグ得点王。2021年、ブラジル・セリエA得点王・MVP。

経歴

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クラブ

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ヴィラノヴェンセFCポルトガル)のジュニアユースなどを経て、16歳でECヴィトーリアとプロ契約。

Jリーグ

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2005年2月、川崎フロンターレへレンタル移籍し18歳で来日。ブラジル時代は主に中盤のポジションでプレーし、川崎でも当初はミッドフィールダー登録でC契約選手であった。当時はジュニーニョマルクスアウグストと3人の外国人選手がいたため出場機会に恵まれなかったが、彼らが欠場した試合では結果を残した。

2006年に川崎へ完全移籍した上でJ2コンサドーレ札幌へレンタル移籍、リーグ2位の25得点を挙げる。翌2007年は同じくJ2の東京ヴェルディ1969へレンタル移籍し、リーグ42試合出場で37得点(J2歴代最多タイ=2004年にジュニーニョが記録)と前年度を上回り、東京VのJ1昇格に貢献する。

2008年に川崎へ復帰したが、開幕戦から結果を出すことができずチームも勝てない状態が続いた。さらには当時の監督・関塚隆と起用法などをめぐり対立、リーグ戦出場わずか2試合で、3月26日に川崎を退団。同年4月1日に、前年に所属していた東京Vへ復帰[1]。ここでもコンスタントに結果を出す一方、4月12日の第6節、FC東京との東京ダービーで累積警告で退場すると審判に対して不信感を持ち、移籍報道が出るなどして東京Vを退団しポルトガルのFCポルトへ移籍する[2]

FCポルト

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ヨーロッパに拠点を移してからの序盤は初出場でゴールを決めるが、その後はベンチを温める日が続いた。しかし2008年11月9日のポルトガルカップ4回戦のスポルティングCPとの試合において、0-1でリードされている展開で50mのドリブル突破から左足の弾丸シュートを決め、チームを勝利に導いたことで評価を覆し、レギュラーに定着する。

2008-09のプリメイラ・リーグで21試合出場でリーグ6位の8得点を挙げるだけでなく、同じチームでチーム得点王の9得点のFWルイス・ゴンサレスやCLで6得点のFWリサンドロ・ロペスなどのアシストをするなど、チームプレーもこなすようになった。UEFAが選出する、UEFAチャンピオンズリーグ 2008-09の「トップ10・ライジングスターズ(注目の若手10選手)」にも選出された[3]

2009年12月20日、SLベンフィカ戦の試合後にフッキらFCポルトの5選手がスタジアム警備員への暴行を働くという出来事が起き、フッキに対してポルトガル国内の公式戦への無期限の出場停止が言い渡された。翌2010年2月19日、ポルトガルリーグ規律委員会は正式に4か月(期限は4月20日迄)の出場停止処分を科したと発表した[4]。しかし、ポルト側はポルトガルリーグ司法委員会に上訴し3月25日、3試合の出場停止とする判断に変更された。これを受けてリーグのエルミニオ・ルレイロ会長が辞任し、またポルト側はリーグへの賠償金請求を検討していると報道された[5]

2010-11シーズンはラダメル・ファルカオと2トップを組み開幕から得点を量産し、ヨーロッパリーグプレーオフのヘンク戦でハットトリックを達成するなど、フッキも開幕からの公式戦16試合で16得点を記録し2010年9月から2011年1月まで、5ヶ月連続でプリメイラ・リーガの月間最優秀選手に選ばれた。5ヶ月連続受賞、6度の受賞はともにポルトガル新記録となった。最終的にリーグでは26試合で23得点13アシストを挙げ、得点王を獲得した。またヨーロッパリーグでも8得点4アシストの活躍をみせ、ポルトの国内外3冠に貢献した。

FCゼニト・サンクトペテルブルク

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2012年9月3日、ロシアサッカー・プレミアリーグFCゼニト・サンクトペテルブルクへ5年契約で移籍した[6]

2015年2月17日、ゼニトと2017年まで契約を結んでいたが、2年間の契約延長に合意した。ゼニトとの契約は2018-19シーズンが終了する2019年6月30日までとなる[7]

上海上港

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2016年6月29日、中国スーパーリーグ上海上港へ移籍することで合意したと発表した。移籍金は5600万ユーロと報道された。背番号は8番に決まった。しかしデビュー戦で早々負傷し離脱したこともあり、7試合の出場で期待外れの結果に終わった(得点面では4得点と活躍していたが出場が少なかった)。

2017年、FCポルト、ゼニトで師事したアンドレ・ビラス・ボアスが監督に就任。ダリオ・コンカの退団で背番号10番へ変更するとフッキも本領を発揮する。圧倒的な個人能力を武器にリーグ戦17得点をマークし、ACLでも11試合9得点を記録しクラブのベスト4進出に貢献した。

2018年、ビラスボアスが辞任し、後任監督にはFCポルトで師事したヴィトール・ペレイラが就任。フッキはキャプテンに就任した。

2020年12月8日、契約満了により退団することが発表された[8]

アトレチコ・ミネイロ

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2021年1月29日、母国のアトレチコ・ミネイロへ加入[9]。同シーズンではチーム快進撃の原動力となり、50年ぶりのブラジルリーグ・セリエA優勝に貢献[10]。自身も19ゴールで得点王とMVP、ベストイレブンの3冠に輝いた[11]

2023年は34試合出場で15得点11アシストを記録した。

代表

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2014 FIFAワールドカップに出場したフッキ

2009年10月、ブラジル代表に初選出され、11月14日、ドーハでのイングランドとの親善試合で代表デビューを果たした。

2012年5月26日のデンマークとの親善試合で代表初得点となる先制点を挙げるともう1得点も加え、全3得点に絡む活躍をみせた[12]

2014年母国で開催されたワールドカップにも出場した[13]

2021年8月末、同シーズンの活躍を評価され、カタール・ワールドカップ南米予選の追加招集にて5年ぶりに名を連ねた[14]

人物・エピソード

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登録名の「Hulk」は、フッキが少年時代に愛読していたアメリカン・コミック超人ハルク(The Incredible Hulk)』の主人公ハルクのことで、フッキの母親によって付けられたニックネームである。ブラジルでは「Hulk」を[ˈʁuwki][15]「フウキ」のように発音するが、ポルトガルでは[ˈuɫk][16]「ウルク」に近い発音となる(なおポルトガル語では通常子音の h は発音しない)。日本時代の登録名「フッキ」は、2005年の初来日の際、川崎フロンターレのスタッフが「(ウルクでは)読みにくいから、Hも読もう」と登録名にしたのが始まり[17]

  • ブラジル代表に初招集された際の監督であるドゥンガはフッキのことを高く評価しており、ロナウドの後継者になりうると評している[18]
  • 東京ヴェルディ時代のチームメートであった平本一樹にはチームをハチャメチャにした男と評されている[19]
  • ミズノのスパイク「モレリアneo」を使用していたが、現在はコンケーブのhalo(ハロー)を使用。
  • 東北地方太平洋沖地震の3日後、3月14日UDレイリア戦の終了間際にPKを獲得し、自らキッカーとなり得点を決めた。その直後、フッキはゴールを祝福することもなく静かにテレビカメラへと歩み寄り、ユニフォームをめくり上げ「日本、私の心は泣いている。我々は皆さんとともにある。ともに戦おう」というメッセージを送った[20]
  • 2011年6月には出身地のカンピナグランデに、自身の頭文字と背番号を組み合わせた「H12」という名のサッカースクールを設立した[21]
  • ブラジル代表に選出される以前にポルトガル代表入りのオファーを受けたことがあるが、断ったことを明かしている[22]
  • 2012年11月5日、妹がブラジルで誘拐されるという事件が起きたが[23]、翌日無事に解放された[24]
  • 白血病を患っているFCゼニト・サンクトペテルブルクサポーターである少年のために、自ら街の中で踊り、募金活動を行った[25]

個人成績

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クラブ

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
ブラジルリーグ戦 ブラジル杯オープン杯期間通算
2004ヴィトーリアセリエA
2005セリエB
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2005川崎19J1911022123
2006札幌10J23825-314126
2007東京V94237-004237
2008川崎11J12000-20
東京V911731-148
ポルトガルリーグ戦 リーグ杯ポルトガル杯期間通算
2008-09ポルト12SP2581071339
2009-101950032227
2010-11262331743628
2011-12261621102917
2012-1332--32
ロシアリーグ戦 ロシア杯オープン杯期間通算
2012-13ゼニト29プレミア18731-218
2013-147241600-2416
2014-15281520-3015
2015-16271742-3119
通算ブラジルセリエA
ブラジルセリエB
日本J122841222811
日本J28062-318363
ポルトガルSP99546218712363
ロシアプレミア975593-10658
総通算2981791962310340195
その他の公式戦
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点出場得点
UEFAUEFA ELUEFA CL
2008-09ポルト12-100
2009-10-83
2010-11155-
2011-122064
2012-13ゼニト294251
2013-147-105
2014-15-103
2015-16-74
通算UEFA2175620
その他の国際公式戦

年表

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代表

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※2021年9月時点


ブラジル代表国際Aマッチ
出場得点
200920
201160
2012106
2013142
201491
201542
201630
202110
通算4911

代表での得点

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#開催日開催地対戦国スコア結果大会
12012年5月26日 ハンブルクフォルクスパルクシュタディオン デンマーク1–03–1親善試合
22–0
32012年6月9日 イーストラザフォードメットライフ・スタジアム アルゼンチン3–23–4
42012年9月7日 サンパウロエスタジオ・ド・モルンビー 南アフリカ共和国1–01–0
52012年9月10日 レシフェエスタジオ・ド・アルーダ 中国4–08–0
62012年10月11日 マルメスウェドバンク・スタディオン イラク4–06–0
72013年11月16日 マイアミサンライフ・スタジアム ホンジュラス5–05–0
82013年11月19日 トロントロジャース・センター チリ1–02–1
92014年6月3日 ゴイアニアエスタジオ・セッラ・ドゥラーダ パナマ3–04–0
102015年9月5日 ハリソンレッドブル・アリーナ コスタリカ1–01–0
112015年9月8日 フォックスボロジレット・スタジアム アメリカ合衆国1–04–1

タイトル

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クラブ

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FCポルト
FCゼニト・サンクトペテルブルク
上海上港集団足球倶楽部
アトレチコ・ミネイロ

代表

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ブラジル代表

個人

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関連項目

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脚注

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  1. ^ この時のフッキの移籍金はJリーグ最高額の5億円と報道された。
  2. ^ FCポルト公式サイトでのプレスリリース 2008年7月26日付(英語)
  3. ^ UEFA.com (2009年3月9日). “Top ten rising stars”. 2011年6月21日閲覧。
  4. ^ FootballWeekly (2010年2月20日). “フッキに4カ月の出場停止処分”. 2011年6月21日閲覧。
  5. ^ FootballWeekly (2010年3月25日). “フッキの処分軽減で、リーグ会長辞任”. 2010年9月3日閲覧。
  6. ^ Goal.com (2012年9月4日). “ゼニト、フッキ獲得を発表”. 2012年9月4日閲覧。
  7. ^ ブラジル代表のフッキがゼニトと2019年までの契約延長で合意 soccerking 2015年2月17日
  8. ^ 公告 • 【相逢又告别,归帆又离岸】道一声祝福与珍重”. 上海上港公式サイト (2020年12月8日). 2020年12月8日閲覧。
  9. ^ Hulk reforça o ataque atleticano”. Clube Atlético Mineiro (2021年1月29日). 2021年1月30日閲覧。
  10. ^ 50年ぶりのブラジル全国選手権優勝に沸くアトレチコ・ミネイロ”. footballista (2021年12月6日). 2021年12月28日閲覧。
  11. ^ “元Jリーガー”フッキ、母国ブラジルリーグで大活躍! 19ゴールで得点王&MVPを獲得”. Soccer-king (2021年12月11日). 2022年1月13日閲覧。
  12. ^ SOCCER KING (2012年5月27日). “ブラジルがデンマークから3発快勝…フッキが全得点に絡む活躍”. 2012年5月27日閲覧。
  13. ^ “Brazil 1–1 Chile”. BBC Sport. (2014年6月28日). https://www.bbc.co.uk/sport/0/football/27952759 2019年6月20日閲覧。 
  14. ^ フッキが5年ぶりのセレソン復帰!…ブラジル代表が9選手の追加招集を発表”. Soccer-king (2021年8月28日). 2022年1月13日閲覧。
  15. ^ O Natal na ESCOLA de futebol do HULK TV Itararé
  16. ^ Maicon: «Hulk e Moutinho? Porto é Porto!» Televisão Independente (TVI)
  17. ^ ワールドサッカーダイジェスト2009年11月5日号[要ページ番号]
  18. ^ SOCCER KING (2011年6月20日). “ブラジルの伝説的FWロナウドの後継者は元Jリーガーのフッキ?”. 2011年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月21日閲覧。
  19. ^ 「懐かしの名(迷!?)選手、覚えてますか? 平本一樹&飯尾一慶×菅原 智&冨樫剛一コーチ 歴代外国籍選手番付」『Jリーグサッカーキング』、朝日新聞出版東京都、2010年12月、36頁。 
  20. ^ 元Jリーガーのフッキがメッセージ「私の心は泣いている」”. サッカーキング (2011年3月17日). 2011年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月6日閲覧。
  21. ^ SOCCER KING (2011年6月16日). “元Jリーガーのフッキが出身地にサッカースクールを開校”. 2011年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月21日閲覧。
  22. ^ Goal.com (2011年10月12日). “フッキ:「ポルトガル代表のオファーを断った」”. 2011年10月12日閲覧。
  23. ^ Goal.com (2012年11月6日). “フッキの妹がブラジルで誘拐か”. 2012年11月7日閲覧。
  24. ^ Goal.com (2012年11月7日). “誘拐のフッキ妹が無事に解放される”. 2012年11月7日閲覧。
  25. ^ Goal.com (2015年9月25日). “フッキがロシアの街並みでサプライズ フッキがロシアの街並みでサプライズ”. 2015年9月25日閲覧。

外部リンク

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