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1951年の野球(1951ねんのやきゅう)では、1951年野球界における動向をまとめる。

競技結果 編集

日本プロ野球 編集

ペナントレース 編集

1951年セントラル・リーグ最終成績
順位球団勝率
優勝読売ジャイアンツ79296.731---
2位名古屋ドラゴンズ62483.56418.0
3位大阪タイガース61523.54020.5
4位松竹ロビンス53575.48227.0
5位国鉄スワローズ46592.43831.5
6位大洋ホエールズ40644.38537.0
7位広島カープ32643.33341.0
1951年パシフィック・リーグ最終成績
順位球団勝率
優勝南海ホークス72248.750---
2位西鉄ライオンズ534210.55818.5
3位毎日オリオンズ54515.51422.5
4位大映スターズ41528.44129.5
5位阪急ブレーブス37518.42031.0
6位東急フライヤーズ38568.40433.0
7位近鉄パールス37565.39833.5

日本シリーズ 編集

1951年 日本ワールドシリーズ
日付試合ビジター球団(先攻)スコアホーム球団(後攻)開催球場
10月10日(水)第1戦読売ジャイアンツ5 - 0南海ホークス大阪球場
10月11日(木)第2戦読売ジャイアンツ7 - 0南海ホークス
10月12日(金)移動日
10月13日(土)第3戦南海ホークス2 - 3読売ジャイアンツ後楽園球場
10月14日(日)第4戦雨天中止
10月15日(月)
10月16日(火)南海ホークス4 - 3読売ジャイアンツ
10月17日(水)第5戦南海ホークス2 - 8読売ジャイアンツ
優勝:読売ジャイアンツ(初優勝)

個人タイトル 編集

 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
タイトル選手球団成績選手球団成績
最優秀選手川上哲治巨人山本一人南海
最優秀新人松田清巨人蔭山和夫南海
首位打者川上哲治巨人.377大下弘東急.383
本塁打王青田昇巨人32本大下弘東急26本
打点王青田昇巨人105点飯田徳治南海87点
最多安打後藤次男大阪155本木塚忠助南海130本
盗塁王土屋五郎国鉄52個木塚忠助南海55個
最優秀防御率松田清巨人2.01柚木進南海2.03
最多勝利杉下茂名古屋28勝江藤正南海24勝
最多奪三振金田正一国鉄233個阿部八郎阪急150個
最高勝率松田清巨人.885中谷信夫南海.875

ベストナイン 編集

 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
守備位置選手球団選手球団
投手別所毅彦巨人江藤正南海
捕手野口明名古屋土井垣武毎日
一塁手川上哲治巨人飯田徳治南海
二塁手千葉茂巨人山本一人南海
三塁手藤村富美男大阪蔭山和夫南海
遊撃手平井三郎巨人木塚忠助南海
外野手金田正泰大阪大下弘東急
青田昇巨人別当薫毎日
岩本義行松竹飯島滋弥大映

オールスターゲーム 編集

高校野球 編集

大学野球 編集

社会人野球 編集

メジャーリーグ 編集

できごと 編集

1月 編集

2月 編集

  • 2月6日 - 中日ドラゴンズが名称を「名古屋ドラゴンズ」に改称。これは中部日本新聞社に加え、名古屋鉄道も資本参加することに伴うもので、西暦奇数年は名鉄、偶数年は中日新聞が主導して経営に当たるというものだった[1]
  • 2月19日 - セ、パ両リーグ間での選手引き抜きの泥仕合を理由にセ・リーグ理事長の中村三五郎がオープン戦を中止することを決定[3]
  • 2月24日 - GHQが日本プロ野球に対し、「プロ野球機構の確立」「コミッショナー制の樹立」を勧告[3]

3月 編集

4月 編集

5月 編集

6月 編集

7月 編集

8月 編集

  • 8月1日 - 松竹ロビンス大阪タイガース戦で、松竹の岩本義行が1試合4本塁打18塁打のプロ野球新記録、松竹は同新記録の1試合9本塁打。試合は松竹が17対12で勝利したが、先発の小林恒夫が完投で12失点ながら勝利投手となったが、12失点での勝利投手は2リーグ制以降の最多記録[15][16]
  • 8月2日 - 国鉄の金田正一が対阪神戦でセ・リーグ史上2人目の毎回奪三振13[11]
  • 8月5日 - 大洋の藤井勇が対広島戦(仙台)でNPB史上2人目、セ・リーグ史上初の1試合4二塁打[17]
  • 8月8日 - 巨人は対広島戦(小樽)の7回に球団タイ記録の1イニング10安打。両チーム合わせて1試合12二塁打(巨人8、広島4)はセ・リーグ新記録。試合は20対4で巨人が勝利[18]
  • 8月11日 - 甲子園の大銀傘が8年ぶりに復活[19]
  • 8月14日 - 西鉄対南海戦(平和台)でパ・リーグ新記録の両チーム合わせて1試合12二塁打(西鉄7、南海5)[20]
  • 8月18日 - 名古屋の野口明が対巨人戦(豊橋)で球団初の通算1000試合出場を達成[21]
  • 8月19日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園において行われ、京都府平安埼玉県熊谷に7対4で勝利して、12年ぶり2度目の優勝。
  • 8月19日 - 中日スタヂアムが全焼[1]

9月 編集

  • 9月1日 - 阪急の野口二郎が対近鉄戦でNPB史上8人目の通算1000試合出場を達成[6]
  • 9月4日 - 巨人の藤本英雄が対大洋戦でNPB史上5人目の通算1000奪三振を達成[6]
  • 9月5日 - 国鉄の金田正一が対大阪戦(大阪球場)でノーヒットノーランを達成、日本プロ野球史上23人目、球団史上初[22]
  • 9月7日 - 阪急の野口二郎が対東急戦でNPB史上2人目の通算500試合登板を達成[6]
  • 9月23日 - この年シーズン後に行われる日米野球のため、ペナントレースはセ・パ共にこの日、セ・リーグは10月9日、パ・リーグは10月7日に開催される試合をもってシーズン打ち切りを発表し、この段階で首位に立っていたセ・リーグは読売ジャイアンツが18試合を残し、パ・リーグは南海ホークスが21試合を残してそれぞれリーグ優勝を達成[23]
  • 9月27日 - 巨人の青田昇が対松竹戦でNPB史上8人目の通算1000安打を達成[6]
  • 9月28日 - 南海の蔭山和夫が対近鉄戦(大阪)で5打数で5安打2本塁打3三塁打で、パ・リーグ新記録の1試合17塁打[24]
  • 9月28日 - 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースのアリー・レイノルイズが対ボストン・レッドソックス戦において7月に続く、シーズン2度目のノーヒットノーランを達成。スコアは8対0。
  • 9月30日 - 阪神の藤村富美男が対国鉄戦でNPB史上9人目の通算1000試合出場を達成[6]

10月 編集

11月 編集

  • 11月13日 - 全パ・リーグ対メジャーリーグ選抜戦(岡山球場)で全パが日本のプロ野球チームとしては初めてアメリカのプロ野球チームから勝利する[4]

12月 編集

  • 12月1日 - 野球選手統一契約書が発効[4]
  • 12月25日 - 広島の長谷川良平が同月15日までに契約手続きを行わなかったとして、自由選手として移籍を表明。翌年3月にコミッショナー裁定で広島残留が決まる[7]

誕生 編集

1月 編集

2月 編集

3月 編集

4月 編集

5月 編集

6月 編集

7月 編集

8月 編集

9月 編集

10月 編集

11月 編集

12月 編集

死去 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c セリーグHistory Archived 2013年11月19日, at the Wayback Machine. セ・リーグ公式サイト
  2. ^ 中日ドラゴンズ 編『中日ドラゴンズ70年史』中日新聞社、2006年、50頁。ISBN 4806205141 
  3. ^ a b c d ドラゴンズ70年史 2006, p. 50.
  4. ^ a b c d e パシフィック・リーグ略史(1949年〜2000年)”. パシフィック野球連盟公式サイト. 2015年11月13日閲覧。
  5. ^ 『広島東洋カープ60年史 HISTORY 1950-2009』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、35頁。ISBN 9784583616001 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 18 達成記録一覧 Archived 2013年12月26日, at the Wayback Machine. セ・リーグ公式サイト
  7. ^ a b c カープ60年史 2009, p. 35.
  8. ^ 宇佐美徹也『日本プロ野球記録大鑑』講談社、1993年、692頁。ISBN 4062061082 
  9. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 435.
  10. ^ 中断試合”. パシフィック野球連盟公式サイト. 2015年11月13日閲覧。
  11. ^ a b 宇佐美徹也 1993, p. 692.
  12. ^ これまでのナイター開催は神宮後楽園の2球場。
  13. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 190.
  14. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 711.
  15. ^ 1リーグ時代の1949年川崎徳次が13失点で勝利投手。
  16. ^ 宇佐美徹也 1993, pp. 407, 893.
  17. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 339.
  18. ^ 宇佐美徹也 1993, pp. 304, 340.
  19. ^ 阪神タイガースヒストリー1950-1954”. 阪神タイガース公式サイト. 2015年11月13日閲覧。
  20. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 340.
  21. ^ ドラゴンズ70年史 2006, p. 284.
  22. ^ 無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン)”. 日本野球機構公式サイト. 2015年11月13日閲覧。
  23. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 135.
  24. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 514.
  25. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 410.
  26. ^ ■ 1951年度日本シリーズ 試合結果(第5戦)”. 日本野球機構公式サイト. 2015年11月13日閲覧。