有馬記念

日本の中央競馬の重賞競走

有馬記念(ありまきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場で実施する中央競馬重賞競走GI)である。

有馬記念(グランプリ)
Arima Kinen[1]
第64回有馬記念
優勝馬:リスグラシュー
鞍上:ダミアン・レーン
開催国日本の旗 日本
主催者日本中央競馬会
競馬場中山競馬場
創設1956年12月23日
2023年の情報
距離芝2500m
格付けGI
賞金1着賞金5億円
賞金総額9億5,500万円
出走条件サラ系3歳以上(国際)(指定)[注 1]
#競走条件も参照
負担重量定量(#負担重量を参照)
出典[2][3]
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寄贈賞は日本馬主協会連合会会長賞、中山馬主協会賞[2][3]

概要 編集

有馬頼寧(1884 - 1957)

1955年(昭和30年)まで、暮れの中山競馬場では中山大障害が最大の呼び物であった[4]。しかし東京優駿(日本ダービー)などと比べ華やかさに欠けていた[4]

このため、中山競馬場の新スタンド竣工を機に当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が「暮れの中山競馬場で日本ダービーに匹敵する大レースを」と提案[4][5]。当時としては他に類を見ないファン投票で出走馬を選出する方式[注 2][注 3]が採用され、1956年(昭和31年)に「中山グランプリ(なかやまグランプリ)」の名称で創設された(名称の選定経緯については後述)[4][6]

しかし、第1回の興奮も冷めやらぬ1957年(昭和32年)1月9日に創設者の有馬が急逝したことを受け[4]、第2回からは有馬の功績を称えて「有馬記念(第○○回グランプリ)[注 4]に改称[4][6]。以来、中央競馬の一年を締めくくるレースとして定着した[4]。施行場は創設時より中山競馬場で変わっておらず[注 5]、施行時期も12月下旬で定着している。

地方競馬所属馬は1995年(平成7年)から出走が可能になった[4]外国馬は2000年(平成12年)から2006年(平成18年)まで、当該年度のジャパンカップを優勝した馬のみに出走資格が与えられていた[4]。2007年(平成19年)からは国際競走となり、外国馬の出走枠も6頭に増やされた[4]

国際的評価 編集

世界の競馬開催国は国際セリ名簿基準書においてパートIからパートIVまでランク分けされており、2014年(平成26年)時点で日本は平地競走が最上位のパートI、障害競走はパートIVにランク付けされている[7]

国際競馬統括機関連盟(IFHA)が公表した「世界のトップ100GIレース」によると、2019年の格付けランキングでは世界6位タイ、日本国内のレースでは宝塚記念についで2位に位置付けられている[8]。2020年は世界10位、日本国内では4位となっている[9]

1996年には売上額が約875億円となり、日本競馬における1レースの売上最高額として、ギネス世界記録に登録された[10]

競走条件 編集

以下の内容は、2023年現在[2][3]のもの。

サラ系3歳以上(出走可能頭数:最大16頭)

  • JRA所属馬(ファン投票選出馬、及びJRA選定馬)
  • 地方競馬所属馬(JRA選定馬のみ)
  • 外国調教馬(最大6頭まで、優先出走)

出走馬の選定方法は以下の通り。

  • 特別登録を行った馬のうちファン投票上位10頭、及び外国馬は優先出走できる[注 6]
  • 上記以外のJRA所属馬・地方競馬所属馬は「通算収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走における収得賞金」の総計が多い順に出走できる。

枠順(馬番号)の決定方法について 編集

2014年(平成26年)は出走馬の枠順(馬番号)決定方法についてJRA初の試みとして、「出走馬の関係者が希望する枠順を選択する方法」とされた。あわせて、BSフジにてテレビでの生中継も実施された[11][12]。手順は以下のとおり。

  1. 枠順(馬番号)を選択する出走馬1頭を抽選で選定
  2. 選定された出走馬の関係者が、希望する枠順を選択

上記を繰り返して、すべての枠順(馬番号)を決定する。

従来「枠順は抽選で決める」としていた競馬施行規程および規約が改正され、2014年(平成26年)11月25日に農林水産省から認可されたことで、このような選定方法が可能になった[12][13][14]

2015年以降は従来通り枠順も抽選に戻ったが、抽選会の生中継は引き続き行われている。抽選会当日の1日の流れとしては[15]

  • 14時までで出馬投票締め切り
  • その後直ちに出走馬(最大16頭)を発表。ただしこの段階ではまだ枠順・馬番は確定しない。
  • 17時ごろから約1時間程度をかけて出走馬の公開枠順抽選会を行う。

馬名の抽選を行う際は、その年のJRAのテレビコマーシャルのイメージキャラクターとして出演した俳優などの著名人がゲストとして行う事が多い。抽選方法は以下の通り。

  1. ゲスト抽選者が出走馬1頭を抽選で選定。
  2. その競走馬の関係者(調教師・騎乗予定の騎手[注 7])が登壇し馬番号の抽選を行い、馬番号を決定。

上記を繰り返し、すべての枠順を決定。

負担重量 編集

  • 定量(3歳56kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減)
  • 負担重量の変遷
    • 第1回:3歳54kg、4歳以上55kg(牝馬2kg減)
    • 第2回 - 第9回、第29回 - 第45回:馬齢重量
    • 第10回 - 第24回:3歳54kg、4歳56kg、5歳以上55kg(牝馬2kg減)
    • 第25回 - 第45回:3歳55kg、4歳57kg、5歳以上56kg(牝馬2kg減)
    • 第46回 - 第67回:3歳55kg、4歳以上57kg(牝馬2kg減)

出典:https://www.jra.go.jp/keiba/program/2023/pdf/bangumi/nakayama5.pdf

賞金 編集

2023年の賞金は1着5億円、2着2億円、3着1億3000万円、4着7500万円、5着5000万円[2][3]

中央競馬で施行される競走では、ジャパンカップと同じく最高額の1着賞金が設定されており[16][注 8]、日本の公営競技のレースの中で最高額である。

なお競馬法により、本賞金は馬主8:調教師1:厩務員0.5:騎手0.5[18]という取り決めであるため、騎手が受け取る優勝賞金は5億円の5%に当たる2500万円となる。[注 9]

褒賞金・特別出走奨励金 編集

天皇賞(秋)ジャパンカップ・有馬記念の3競走を同一年にすべて優勝したJRA所属馬には内国産馬2億円、外国産馬1億円の褒賞金が交付される[19]

また、当該年度のGI・JpnI競走で3着以内の成績、または平地の重賞競走で優勝したJRA所属馬がファン投票上位(1位 - 10位)で出走する場合、1位から3位は2000万円、4位・5位は1000万円、6位から10位は500万円の特別出走奨励金を交付する[20]

上記の褒賞金・特別出走奨励金はいずれも、クラス分けに用いる収得賞金には算入されない。

歴史 編集

有馬頼寧と「有馬特例法」 編集

大東亜戦争太平洋戦争第二次世界大戦)後に日本に進駐し間接統治を行っていた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日本国内の競馬施行体で唯一の全国組織であった日本競馬会私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)に抵触する機関として問題視し、閉鎖を指示した。

1948年(昭和23年)7月の(新)競馬法施行に伴い日本競馬会は解散し、以後しばらく競馬は農林省競馬部により運営されることとなった(国営競馬[21]。その後、1951年(昭和26年)に自由党内の競馬小委員会において「競馬民営化論」が提唱され、同年サンフランシスコ平和条約調印により日本の主権が回復されると民営化論はさらに活発化、1954年(昭和29年)には民営(農林省監督)による競馬施行体・日本中央競馬会の発足に至った[22]。しかし国家財政への寄与という名目で控除率が高く設定されたこともあり、客足は地方競馬競輪といった新たな公営競技に向き[23]、民営化後第1回開催の売上は目標額に到達せず、その運営は前途多難なものだった[22]。日本中央競馬会初代理事長には、日露戦争当時から競馬の振興に取り組み、「競馬翁」の異名があった安田伊左衛門が就任したが、翌1955年(昭和30年)4月4日には第1次近衛内閣農相を務めた有馬頼寧が第2代理事長に就任した[22]

競馬が国営であった間、競馬関連の諸施設は部分的な補修、修理が行われていたものの予算の関係上、大規模な改修は行うことができず、なかでも中山競馬場の大スタンドは老朽化が進み危険な状態にあった[22]。しかし当時の日本中央競馬会はその改修に充てる費用を持ちあわせていなかった[22]。そこで新理事長の頼寧は、ときの農相・河野一郎ら政府関係者に働きかけ、「1960年(昭和35年)12月31日までの間、日本中央競馬会は農林大臣の許可を得て行う臨時の競馬開催により得た収益を、政府指定の建造物に限りその改築に充てて可なり、また収益の一部を国庫に納付する義務も負わない」という旨の、「日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律」(いわゆる「有馬特例法」)成立に漕ぎつけた[22]。そして翌1956年(昭和31年)1月1日、中山競馬場の大スタンドがこの法律の適用される「政令指定工作物」の第1号となり[22]、3月22日に特例法による臨時開催が中山で8日間[24]行われたのち、10月13日にスタンド新築を含む第1期工事が竣工した[25]

中山グランプリ創設 - 「有馬記念」へ 編集

中山改築前年の1955年(昭和30年)末、頼寧は競馬会のパーティーにおいて「ファンが決めるレースを中山でやってみたい」という腹案を明かした[23]。頼寧は戦前にプロ野球・東京セネタースのオーナーを務めていたことがあり[23]、野球のオールスターゲームから着想を得て「ファン投票による出走馬選定」という企画に至った[25]。従来の中山では中山大障害皐月賞が二大競走だったが、同じ関東の主要場であり、東京優駿(日本ダービー)天皇賞(秋)優駿牝馬(オークス)という大競走を抱える東京競馬場に比して格が落ちるという意識が中山の関係者間にもあり、この案は好意的に迎えられた[23]。さらにこの競走には、4歳クラシック競走を走り終えた4歳馬と、古馬(5歳以上馬)の最大目標である天皇賞(秋)を終えた馬がぶつかる日本一決定戦という大きな要素も加えられることとなった[23]

第1回の競走名は「中山グランプリ」とされた。フランスには「パリ大賞(Grand Prix de Paris)」という名の大競走があったものの、日本において「グランプリ」という語は、黒澤明監督の映画『羅生門』が1951年(昭和26年)にヴェネツィア国際映画祭の最高賞(グランプリ)を受賞してから巷間に広まり、ために当時は映画絡みの言葉という感が強く、競馬の競走名として適当でないとの見方もあった[25]。このため、「中山グランプリ」はあくまでも仮の名称として、第1回競走の投票用紙には競走名の案を書く欄も設けられた[25]。競走名案には3812通が寄せられ、中山グランプリのほかに中山(大)賞典(記念)、(中山)王冠(賞)、(中山)栄冠(賞)、(中山)クラウン(賞)といったものがあった[25]。しかし妙案がないということで競走名は「中山グランプリ」のまま据え置かれ[25]、1956年(昭和31年)12月23日、新スタンドを備えた中山競馬場において第1回競走が行われた。出走12頭のうち、天皇賞の優勝馬が3頭、クラシック競走の優勝馬が4頭と当時の強豪が一堂に会し、中山では1万人入れば大入りといわれた時代にあって、当日の入場者は2万7801人という盛況であった[23]

ところが、第1回中山グランプリからわずか17日後の1957年(昭和32年)1月9日、頼寧が肺炎により急逝した。理事長として1年9カ月という短い在任期間中に様々な功績を残した頼寧の名を称え[25]、同年11月23日に中山グランプリは「有馬記念(グランプリ)」と改称された[24]。その後、有馬記念は日本競馬の根幹競走のひとつとして定着[25]。また、勝馬投票券の売上は日本一を誇る競走となり[23]、1996年(平成8年)度には世界の競馬史上最高額となる875億円を売り上げ、ギネス世界記録に認定登録された[26]。有馬記念は競馬界のみならず日本の年末の風物詩として、社会的な認知を得るに至っている[25]

現在では距離別の競走体系が整備され、同じ12月に香港国際競走が行われることもあり外国調教馬の遠征やスプリント・マイル戦線での活躍馬の出走は少なくなったものの、2019年の第64回には合計11頭のGI級競走優勝馬が出走するなど、日本国内での3歳馬・古馬混合中長距離競走としてはトップクラスの競走としてその地位を確立している。

ただ、年々香港国際競走(特に同距離に近い香港カップ香港ヴァーズ)への出走馬の流出が相次いでいること、日本国外においても、サウジカップ(1000万USドル)、ドバイワールドカップ(696万USドル)、凱旋門賞(285万7000ユーロ)などに代表される世界最高賞金額のレースが増えてきており、「海外の主要競走に対する競争力を高める」目的で、長らく3億円であった優勝本賞金は2022年の第67回に4億円[27]、翌2023年の第68回からは5億円(いずれもジャパンカップと同額)に増額された[28]

中央競馬の「1年を締めくくるGI競走」としての有馬記念 編集

1979年までは年度により、その年の最終開催週の一つ手前の週に行われることもあったが、1980年以後12月23日が当時の平成時代の天皇誕生日の祝祭日であったことによる曜日配列により2012年2013年のみ、祝祭日(振替休日)を含めた3日間連続開催の中日の日曜日に開催[注 10]され、1年の最後の重賞でなかった年もあるが、原則として長らく中央競馬の年度最終開催を飾るGI競走として12月の最終開催日の施行が定着していた。

その後2017年(平成29年)に「ホープフルステークス」がGIに昇格されると、こちらが最終開催日に組まれるようになった。その後は開催日程により有馬記念が開催最終日となる年[注 11]もあるが、年内最後のGI競走としては固定されなくなった[注 12]

また、この有馬記念開催日、あるいは1年の最終日にホープフルステークスが開催される場合の開催各競馬場では1年の締め括りを象徴するタイトルを使用した特別競走がいくつか行われている[29]

なお、この時期は冬至の候と重なるため、日没時間を考慮して、当競走を含む12月開催の中山でのGI競走は、原則として15時30分前後までに発走していたが、2023年は照明設備の拡充に伴い、他の季節のGI競走と同じ、15時40分発走となった[30]

年譜 編集

  • 1956年(昭和31年) - 4歳以上の馬による重賞競走「中山グランプリ」を創設、中山競馬場の芝2600m(内回り)で施行[4]。この年のみ騎手賞に朝日新聞社寄贈賞が贈られる[31]
  • 1957年(昭和32年) - 名称を「有馬記念(グランプリ)」に変更[4]
  • 1960年(昭和35年) - 施行コースを芝2600m(外回り)に変更[4]
  • 1966年(昭和41年) - 施行コースを芝2500m(内回り)に変更[4]。これ以降、この施行距離が定着する。
  • 1981年(昭和56年) - この年から騎手賞としてマツダ賞が贈られる(1992年まで)[32]
  • 1984年(昭和59年) - グレード制導入、GI[注 13]に格付けされる。
  • 1995年(平成7年) - 指定交流競走となり、地方競馬所属馬も出走が可能になる[33]
  • 1996年(平成8年) - 従来の推薦方式を廃止し、ファン投票上位10頭ならびに競走成績を考慮して出走馬の選出が行われる[4]
  • 2001年(平成13年)
  • 2007年(平成19年) - 国際競走に指定され、外国調教馬が6頭まで出走可能となる[34]
  • 2020年(令和2年) - 新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大防止のため、一般席2542席と特設観覧席「グランプリシート」250席の計2792名を上限とした事前抽選による入場制限を実施[35]
  • 2023年(令和5年) - 中山競馬場の照明増強により、発走予定時刻を15時25分から15時40分に変更。

歴代優勝馬 編集

優勝馬の馬齢は、2000年(平成12年)以前も現行表記に揃えている。

競走名は第1回が「中山グランプリ」[4]、第2回以降は「有馬記念」。

回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主単勝オッズ単勝人気1着本賞金
第1回1956年12月23日中山芝・内2600mメイヂヒカリ牡42:43 1/5蛯名武五郎藤本冨良新田松江1.7[36]1200万円
第2回1957年12月22日中山芝・内2600mハクチカラ牡42:49 0/5保田隆芳尾形藤吉西博1.31
第3回1958年12月21日中山芝・内2600mオンワードゼア牡42:49 1/5八木沢勝美二本柳俊夫樫山純三4.42
第4回1959年12月20日中山芝・内2600mガーネツト牝42:50.9伊藤竹男稗田敏男畑江五郎30.89
第5回1960年12月18日中山芝・外2600mスターロツチ牝32:44.5高松三太松山吉三郎藤井金次郎25.09300万円
第6回1961年12月24日中山芝・外2600mホマレボシ牡42:40.8高松三太稗田敏男川口文子5.01500万円
第7回1962年12月23日中山芝・外2600mオンスロート牡52:44.4山岡忞中村広田村喜志2.31600万円
第8回1963年12月22日中山芝・外2600mリユウフオーレル牡42:42.5宮本悳橋本正晴三好笑子3.42
第9回1964年12月27日中山芝・外2600mヤマトキヨウダイ牡42:45.1梶与四松稲葉幸夫門井みち4.83700万円
第10回1965年12月26日中山芝・外2600mシンザン牡42:47.2松本善登武田文吾橋元幸吉1.41800万円
第11回1966年12月25日中山芝・内2500mコレヒデ牡42:37.0保田隆芳尾形藤吉千明康5.02900万円
第12回1967年12月24日中山芝・内2500mカブトシロー牡52:39.7大崎昭一久保田彦之(有)志賀15.141200万円
第13回1968年12月22日中山芝・内2500mリュウズキ牡42:46.2森安弘明矢倉玉男福井章哉13.261500万円
第14回1969年12月21日中山芝・内2500mスピードシンボリ牡62:35.1野平祐二野平省三和田共弘14.571700万円
第15回1970年12月20日中山芝・内2500mスピードシンボリ牡72:35.7野平祐二野平省三和田共弘8.432000万円
第16回1971年12月19日中山芝・内2500mトウメイ牝52:36.0清水英次坂田正行近藤克夫3.512400万円
第17回1972年12月17日中山芝・内2500mイシノヒカル牡32:38.5増沢末夫浅野武志石嶋清仁5.313000万円
第18回1973年12月16日中山芝・内2500mストロングエイト牡42:36.4中島啓之奥平真治(有)ハイランド牧場56.9103400万円
第19回1974年12月15日中山芝・内2500mタニノチカラ牡52:35.9田島日出雄島崎宏谷水雄三4.524000万円
第20回1975年12月14日中山芝・内2500mイシノアラシ牡32:38.1加賀武見浅野武志石嶋清仁17.774600万円
第21回1976年12月19日中山芝・内2500mトウショウボーイ牡32:34.0武邦彦保田隆芳(株)トウショウ産業4.215000万円
第22回1977年12月18日中山芝・内2500mテンポイント牡42:35.4鹿戸明小川佐助高田久成2.615200万円
第23回1978年12月17日中山芝・内2500mカネミノブ牡42:33.4加賀武見阿部新生角替光二24.095500万円
第24回1979年12月16日中山芝・内2500mグリーングラス牡62:35.4大崎昭一中野隆良半沢吉四郎6.62
第25回1980年12月21日中山芝・内2500mホウヨウボーイ牡52:33.7加藤和宏二本柳俊夫古川嘉治10.246000万円
第26回1981年12月20日中山芝・内2500mアンバーシャダイ牡42:35.5東信二二本柳俊夫吉田善哉12.836500万円
第27回1982年12月26日中山芝・内2500mヒカリデュール牡52:36.7河内洋須貝彦三橋本善吉7.437000万円
第28回1983年12月25日中山芝・内2500mリードホーユー牡32:34.0田原成貴服部正利熊本芳雄14.537200万円
第29回1984年12月23日中山芝・内2500mシンボリルドルフ牡32:32.8岡部幸雄野平祐二シンボリ牧場2.317500万円
第30回1985年12月22日中山芝・内2500mシンボリルドルフ牡42:33.1岡部幸雄野平祐二シンボリ牧場1.217800万円
第31回1986年12月21日中山芝・内2500mダイナガリバー牡32:34.0増沢末夫松山吉三郎(有)社台レースホース7.748000万円
第32回1987年12月27日中山芝・内2500mメジロデュレン牡42:33.9村本善之池江泰郎メジロ商事(株)24.1108500万円
第33回1988年12月25日中山芝・内2500mオグリキャップ牡32:33.9岡部幸雄瀬戸口勉佐橋五十雄3.729500万円
第34回1989年12月24日中山芝・内2500mイナリワン牡52:31.7柴田政人鈴木清保手浜弘規16.741億300万円
第35回1990年12月23日中山芝・内2500mオグリキャップ牡52:34.2武豊瀬戸口勉近藤俊典5.541億1000万円
第36回1991年12月22日中山芝・内2500mダイユウサク牡62:30.6熊沢重文内藤繁春橋元幸平137.9141億2000万円
第37回1992年12月27日中山芝・内2500mメジロパーマー牡52:33.5山田泰誠大久保正陽(有)メジロ牧場49.4151億3000万円
第38回1993年12月26日中山芝・内2500mトウカイテイオー牡52:30.9田原成貴松元省一内村正則9.44
第39回1994年12月25日中山芝・内2500mナリタブライアン牡32:32.2南井克巳大久保正陽山路秀則1.21
第40回1995年12月24日中山芝・内2500mマヤノトップガン牡32:33.6田原成貴坂口正大田所祐13.061億3200万円
第41回1996年12月22日中山芝・内2500mサクラローレル牡52:33.8横山典弘境勝太郎(株)さくらコマース2.21
第42回1997年12月21日中山芝・内2500mシルクジャスティス牡32:34.8藤田伸二大久保正陽(有)シルク8.14
第43回1998年12月27日中山芝・内2500mグラスワンダー牡32:32.1的場均尾形充弘半沢(有)14.54
第44回1999年12月26日中山芝・内2500mグラスワンダー牡42:37.2的場均尾形充弘半沢(有)2.81
第45回2000年12月24日中山芝・内2500mテイエムオペラオー牡42:34.1和田竜二岩元市三竹園正繼1.711億8000万円
第46回2001年12月23日中山芝・内2500mマンハッタンカフェ牡32:33.1蛯名正義小島太西川清7.13
第47回2002年12月22日中山芝・内2500mシンボリクリスエス牡32:32.6O.ペリエ藤沢和雄シンボリ牧場3.72
第48回2003年12月28日中山芝・内2500mシンボリクリスエス牡42:30.5O.ペリエ藤沢和雄シンボリ牧場2.61
第49回2004年12月26日中山芝・内2500mゼンノロブロイ牡42:29.5O.ペリエ藤沢和雄大迫忍2.01
第50回2005年12月25日中山芝・内2500mハーツクライ牡42:31.9C.ルメール橋口弘次郎(有)社台レースホース17.14
第51回2006年12月24日中山芝・内2500mディープインパクト牡42:31.9武豊池江泰郎金子真人ホールディングス(株)1.21
第52回2007年12月23日中山芝・内2500mマツリダゴッホ牡42:33.6蛯名正義国枝栄高橋文枝52.39
第53回2008年12月28日中山芝・内2500mダイワスカーレット牝42:31.5安藤勝己松田国英大城敬三2.61
第54回2009年12月27日中山芝・内2500mドリームジャーニー牡52:30.0池添謙一池江泰寿(有)サンデーレーシング4.02
第55回2010年12月26日中山芝・内2500mヴィクトワールピサ牡32:32.6M.デムーロ角居勝彦市川義美8.42
第56回2011年12月25日中山芝・内2500mオルフェーヴル牡32:36.0池添謙一池江泰寿(有)サンデーレーシング2.212億円
第57回2012年12月23日中山芝・内2500mゴールドシップ牡32:31.9内田博幸須貝尚介小林英一2.71
第58回2013年12月22日中山芝・内2500mオルフェーヴル牡52:32.3池添謙一池江泰寿(有)サンデーレーシング1.61
第59回2014年12月28日中山芝・内2500mジェンティルドンナ牝52:35.3戸崎圭太石坂正(有)サンデーレーシング8.74
第60回2015年12月27日中山芝・内2500mゴールドアクター牡42:33.0吉田隼人中川公成居城要17.082億5000万円
第61回2016年12月25日中山芝・内2500mサトノダイヤモンド牡32:32.6C.ルメール池江泰寿里見治2.613億円
第62回2017年12月24日中山芝・内2500mキタサンブラック牡52:33.8武豊清水久詞(有)大野商事1.91
第63回2018年12月23日中山芝・内2500mブラストワンピース牡32:32.2池添謙一大竹正博(有)シルクレーシング8.93
第64回2019年12月22日中山芝・内2500mリスグラシュー牝52:30.5D.レーン矢作芳人(有)キャロットファーム6.72
第65回2020年12月27日中山芝・内2500mクロノジェネシス牝42:35.0北村友一斉藤崇史(有)サンデーレーシング2.51
第66回2021年12月26日中山芝・内2500mエフフォーリア牡32:32.0横山武史鹿戸雄一(有)キャロットファーム2.11
第67回2022年12月25日中山芝・内2500mイクイノックス牡32:32.4C.ルメール木村哲也(有)シルクレーシング2.314億円
第68回2023年12月24日中山芝・内2500mドウデュース牡42:30.9武豊友道康夫(株)キーファーズ5.225億円

有馬記念の記録 編集

  • レースレコード - 2:29.5(第49回優勝馬ゼンノロブロイ)[4][37] なお、このタイムは中山競馬場3歳以上芝2500mのコースレコードである。
    • 優勝タイム最遅記録 - 2:46.2(第13回優勝馬リュウズキ)[38]
  • 最年長優勝馬 - 7歳
    • スピードシンボリ(第15回)
  • 最多優勝馬 - 2勝
    • スピードシンボリ(第14回・第15回)、シンボリルドルフ(第29回・第30回)、オグリキャップ(第33回・第35回)、グラスワンダー(第43回・第44回)、シンボリクリスエス(第47回・第48回)、オルフェーヴル(第56回・第58回)
  • 最多優勝騎手 - 4勝
    • 池添謙一(第54回・第56回・第58回・第63回)[39]
    • 武豊(第35回・第51回・第62回・第68回)[40]
  • 最多勝調教師 - 4勝
    • 池江泰寿(第54回・第56回・第58回・第61回)[39][41]
  • 最多優勝馬主 - 5勝
    • (有)サンデーレーシング(第54回・第56回・第58回・第59回・第65回)
  • 最多勝利種牡馬 - 5勝
  • 最年少勝利騎手 - 武豊(第35回・21歳9ヶ月8日)
  • 最年長勝利騎手 - 武豊(第68回・54歳9ヶ月9日)
  • 単勝支持率歴代トップ - ハクチカラ(第2回)76.1%[42]
  • 親子制覇
    • シンボリルドルフ - トウカイテイオー
    • ディープインパクト - ジェンティルドンナ・サトノダイヤモンド
    • ハーツクライ - リスグラシュー・ドウデュース
    • キタサンブラック - イクイノックス
  • 兄弟制覇
  • 騎手・調教師の両方で優勝
    • 保田隆芳(第2回・第11回、第21回)、野平祐二(第14回・第15回、第29回・第30回)

歴代ファン投票1位馬 編集

馬齢は2000年(平成12年)以前も現行表記にそろえている。

回数開催年ファン投票1位性齢得票数結果出典
第1回1956キタノオー牡36,1592着[43]
第2回1957ハクチカラ牡47,3561着
第3回1958カツラシユウホウ牡318,952不出走
第4回1959ハククラマ牡311,43812着
第5回1960コダマ牡317,0826着
第6回1961シーザー牡412,7734着
第7回1962オンスロート牡515,6171着
第8回1963メイズイ牡318,3092着
第9回1964メイズイ牡418,4483着
第10回1965シンザン牡426,8531着
第11回1966ナスノコトブキ牡322,5105着
第12回1967スピードシンボリ牡422,1434着
第13回1968アサカオー牡323,0986着
第14回1969マーチス牡421,79810着
第15回1970アカネテンリュウ牡420,2952着
第16回1971アカネテンリュウ牡525,215出走取消
第17回1972イシノヒカル牡317,0221着
第18回1973ハイセイコー牡324,1433着
第19回1974ハイセイコー牡422,4002着
第20回1975キタノカチドキ牡417,0778着
第21回1976トウショウボーイ牡319,9571着
第22回1977テンポイント牡422,5411着
第23回1978プレストウコウ牡475,25712着
第24回1979サクラショウリ牡490,3016着
第25回1980カツラノハイセイコ牡4154,6402着
第26回1981ホウヨウボーイ牡6185,7472着
第27回1982モンテプリンス牡5113,66711着
第28回1983アンバーシャダイ牡6147,4843着
第29回1984ミスターシービー牡4171,9793着
第30回1985シンボリルドルフ牡4140,7531着
第31回1986ミホシンザン牡4168,2103着
第32回1987サクラスターオー牡3141,494競走中止
第33回1988タマモクロス牡4183,4732着
第34回1989オグリキャップ牡4197,6825着
第35回1990オグリキャップ牡5146,7381着
第36回1991メジロマックイーン牡4155,3532着
第37回1992トウカイテイオー牡4177,92611着
第38回1993ビワハヤヒデ牡3146,2182着
第39回1994ナリタブライアン牡3178,4711着
第40回1995ヒシアマゾン牝4173,6895着
第41回1996マヤノトップガン牡4155,1227着
第42回1997エアグルーヴ牝4142,5963着
第43回1998エアグルーヴ牝5165,3575着
第44回1999スペシャルウィーク牡4165,7342着
第45回2000テイエムオペラオー牡4109,1401着
第46回2001テイエムオペラオー牡593,2175着
第47回2002ナリタトップロード牡691,1224着
第48回2003シンボリクリスエス牡4125,1161着
第49回2004ゼンノロブロイ牡4100,0521着
第50回2005ディープインパクト牡3160,2972着
第51回2006ディープインパクト牡4119,9401着
第52回2007ウオッカ牝3105,44111着
第53回2008ウオッカ牝4136,619不出走
第54回2009ウオッカ牝5105,059不出走
第55回2010ブエナビスタ牝4111,3232着[44]
第56回2011ブエナビスタ牝5109,2477着[45]
第57回2012オルフェーヴル牡490,474不出走[46]
第58回2013オルフェーヴル牡581,1981着[47]
第59回2014ゴールドシップ牡566,7963着[48]
第60回2015ゴールドシップ牡6120,9818着[49]
第61回2016キタサンブラック牡4137,3532着[50]
第62回2017キタサンブラック牡5124,6411着[51]
第63回2018レイデオロ牡4110,2932着[52]
第64回2019アーモンドアイ牝4109,8859着[53]
第65回2020クロノジェネシス牝4214,4721着[54]
第66回2021エフフォーリア牡3260,7421着[55]
第67回2022タイトルホルダー牡4368,3049着[56]
第68回2023イクイノックス牡4342,637不出走[57]

※2010年(平成22年)以降の出否、着順については各回競走結果の出典を参照。

脚注・出典 編集

注釈 編集

  1. ^ 八大競走の中では最も出走条件が緩やかで、クラシックに出走できない騸馬でも出走が可能である(八大競走と同等のジャパンカップも創設時から同。天皇賞も2008年から騸馬が解禁されている。またクラシックや天皇賞に外国産馬(マル外)が出走できなかった時代も、有馬記念とジャパンカップには出走できた。)。
  2. ^ この他に推薦委員会による選出もあったが、形骸化したため1996年より廃止された。
  3. ^ 日本の公営競技において、初めてファン投票による競走対象の選定を行ったのは競輪オールスター競輪)である。
  4. ^ ただし、マスコミなどでは「第○○回有馬記念」と表記され、「(中山)グランプリ」の文言は殆ど登場しない場合が多い。
  5. ^ スタンドなどの大規模改築で開催が不可能な年度があっても、できる限り年末の中山開催ができるようにするためで、これまで東京競馬場など他場で代替となった例は一度もない(同じように日本ダービーもできるだけ東京競馬場で行えるようにするため、東京競馬場の竣工した1934年以後は他場振替は行われておらず、改築や、馬インフルエンザによる開催代替が発生しても、開催時期をずらして東京競馬場で開催した事例がある。)
  6. ^ 中央競馬がアラブ系競走を行っていた時代にはアングロアラブの出走も可能であり、「アラブの怪物」の異名を持つセイユウがファン投票による権利を持っていたものの、アラブの読売カップ(秋)連覇を優先し出走を辞退している。
  7. ^ 基本的に抽選会場に出席するが、栗東トレセン所属の調教師・騎手であるときは、衛星中継で出演する場合がある(ただし、新型コロナウィルスの対策の一環として、2020-2022年は一般ファンの招待はもとより、すべての関係者の会場の登壇もなく、関係者はすべて衛星中継回線、ないしは電話(2021年は全員が電話出演)での出場となったため、ゲストのうちのもう一人が枠順の抽選を行った)。
  8. ^ 2023年の地方競馬で施行する競走では、JBCクラシック(JpnI)・東京大賞典(GI)の1着賞金1億円が最高額[17]
  9. ^ なお、競輪KEIRINグランプリ(2023年)の優勝賞金は1億3000万円(その他副賞500万円。総計1憶3500万円)、競艇グランプリ(同左)のそれは1億1000万円で、それぞれ優勝選手個人で受け取る額である(世界の公営競技においても、1レースにおける優勝賞金額ではKEIRINグランプリが第1位、競艇のグランプリが第2位である)。
  10. ^ その場合、年内最終日の月曜日には「阪神カップ」が行われた。最も、中央競馬の開催は2007年に一部改訂され、「1開催8日間」固定から、年間10会場・総合計288日間を超えない範囲であれば、「1開催4-12日間で自由に設定」できるようになり、祝祭日を含めた3日間連続開催が年最大4回行われているためでもある。
  11. ^ 具体的には12月27日12月28日が日曜日と重複する場合が該当する。(最初の実例は2020年
  12. ^ 古馬と3歳馬の混合の芝GIに限れば、年内最後であることには変わりがない。
  13. ^ 当時の格付表記は、JRAの独自グレード。

出典 編集

  1. ^ The LONGINES World's Top 100 Group/Grade 1 Races for 3yos and upwards - 2019” (PDF). 国際競馬統括機関連盟(IFHA). 2020年11月18日閲覧。
  2. ^ a b c d 重賞競走一覧(レース別・関東)” (PDF). 日本中央競馬会. p. 46. 2023年9月11日閲覧。
  3. ^ a b c d 令和5年第5回中山競馬番組” (PDF). 日本中央競馬会. 2023年9月11日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q レースについて:有馬記念 今週の注目レース”. 日本中央競馬会. 2023年9月11日閲覧。
  5. ^ 「有馬記念創設の歴史」 有馬記念全史 14頁
  6. ^ a b 「有馬記念創設の歴史」 有馬記念全史 15頁
  7. ^ INTERNATIONAL GRADING AND RACE PLANNING ADVISORY COMMITTEE "INTERNATIONAL CATALOGUING STANDARDS and INTERNATIONAL STATISTICS 2014" (PDF) - The Jockey Club Information Systems, Inc. 2015年3月7日閲覧
  8. ^ 世界のトップ100 GIレースがIFHAから発表!”. JRA. 2020年11月23日閲覧。
  9. ^ International Federation of Horseracing Authorities”. www.ifhaonline.org. 2021年1月26日閲覧。
  10. ^ 北島三郎、数百万の馬が9億獲得のボロ儲け…波乱連発の有馬記念、5年連続的中の「裏情報」? - Business Journal 2016年12月19日発信、2017年1月12日閲覧
  11. ^ 有馬記念枠順決定の方法およびテレビ中継について - 日本中央競馬会、2014年12月9日閲覧
  12. ^ a b 有馬枠順抽選に新機軸、希望馬番選べる 25日BSフジで生中継 - スポニチアネックス、2014年12月9日閲覧
  13. ^ 日本中央競馬会競馬施行規程 第87条” (PDF). 日本中央競馬会. p. 25 (2015年6月6日). 2015年10月6日閲覧。
  14. ^ 日本中央競馬会の競馬の施行等に関する規約 第44条” (PDF). 日本中央競馬会. p. 11 (2014年11月25日). 2015年10月6日閲覧。
  15. ^ 有馬記念公開枠順抽選の実施(2022年)
  16. ^ 令和5年度重賞競走一覧” (PDF). 日本中央競馬会. 2023年9月11日閲覧。
  17. ^ 2023年ダート交流重賞競走一覧”. 地方競馬全国協会. 2023年9月11日閲覧。
  18. ^ 競馬のG1賞金ランキングと賞金分配の仕組み|有馬記念とジャパンカップが1位(デイリーブックメーカー)
  19. ^ 同一年度に本会が定める競走に優勝した馬に対する褒賞金交付基準” (PDF). 日本中央競馬会 (2002年1月1日). 2015年12月14日閲覧。
  20. ^ 有馬記念競走における特別出走奨励金交付基準” (PDF). 日本中央競馬会 (2014年1月1日). 2015年12月14日閲覧。
  21. ^ 中山競馬場70年史』58-59頁
  22. ^ a b c d e f g 中山競馬場70年史』64-66頁
  23. ^ a b c d e f g 第1回有馬記念(中山グランプリ)とその時代 - 『世界一馬券が売れるレース』の原点を探る
  24. ^ a b 中山競馬場70年史』139-140頁
  25. ^ a b c d e f g h i 中山競馬場70年史』69-72頁
  26. ^ 有馬記念“ミニ”クロニクル
  27. ^ 有馬記念・ジャパンCの1着賞金4億円に JRA、22年から”. 日本経済新聞 (2021年11月18日). 2023年10月9日閲覧。
  28. ^ 【JRA】23年から有馬記念、ジャパンCが5億円 ダービーは3億円に増額 それぞれ今年から1億円増”. スポーツ報知 (2022年11月18日). 2023年10月9日閲覧。
  29. ^ 2021年12月26日のレース番組一覧。中山で有馬記念のアンダーカードとして「グッドラックハンデキャップ」「20〇〇フェアウェルステークス」が組まれている。
  30. ^ 令和5年度秋季競馬番組の概要について<4 回中山・4 回阪神(9 月)~5 回中山・5 回阪神(12 月)>
  31. ^ 中央競馬全重賞成績集、773頁。
  32. ^ 中央競馬全重賞成績集、822-844頁。
  33. ^ 中央競馬全重賞成績集
  34. ^ 第5回中山競馬成績集計表” (PDF). 日本中央競馬会. pp. 3675-3677. 2016年12月13日閲覧。(索引番号: 33093)
  35. ^ "有馬記念ウィーク限定!"グランプリシート"にご招待!【中山競馬場】". 日本中央競馬会. 19 November 2020. 2020年11月20日閲覧
  36. ^ https://db.netkeiba.com/race/195606030410/
  37. ^ 有馬記念全史 152頁
  38. ^ グレード制導入後では2:37.2(第44回優勝馬グラスワンダー)
  39. ^ a b 「別冊宝島」競馬激闘史 122頁 有馬記念データ
  40. ^ 連続記録はオリビエ・ペリエの3年連続(第47回〜第49回)
  41. ^ 連続記録は藤沢和雄の3年連続(第47回〜第49回)
  42. ^ 【有馬記念Q&A】単勝100円の元返しは過去あった? - スポニチアネックス、2015年12月14日閲覧
  43. ^ 有馬記念ファン投票ベストテン全史
  44. ^ 【有馬記念】ブエナ雪辱へ堂々のファン投票1位”. スポーツニッポン (2010年12月10日). 2014年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月11日閲覧。
  45. ^ ブエナビスタが2年連続1位 有馬記念ファン投票”. スポーツニッポン (2011年12月8日). 2014年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月11日閲覧。
  46. ^ 【有馬記念ファン投票】〜最終結果発表、オルフェーヴル1位”. netkeiba.com (2012年12月6日). 2014年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月13日閲覧。
  47. ^ 【有馬記念】ファン投票・最終発表〜1位オルフェ、2位キズナ、3位ゴールド”. netkeiba.com (2013年12月5日). 2014年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月13日閲覧。
  48. ^ 【有馬記念】ファン投票最終集計〜1位ゴールドシップ、2位ジェンティルドンナ”. netkeiba.com (2013年12月11日). 2014年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月13日閲覧。
  49. ^ 【有馬記念】ラスト走ゴールドシップが1位 ファン投票最終結果”. スポニチアネックス. スポーツニッポン新聞社 (2015年12月10日). 2015年12月28日閲覧。
  50. ^ 【有馬記念】ファン投票最終結果発表~1位キタサンブラック”. netkeiba.com (2016年12月8日). 2016年12月8日閲覧。
  51. ^ 有馬記念ファン投票 最終結果発表!日本中央競馬会、2017年12月7日閲覧[リンク切れ]
  52. ^ 有馬記念ファン投票 最終結果発表!”. 日本中央競馬会 (2018年12月6日). 2018年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月6日閲覧。
  53. ^ 有馬記念ファン投票 最終結果発表!”. 日本中央競馬会 (2019年12月5日). 2020年11月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月5日閲覧。
  54. ^ 有馬記念ファン投票 最終結果発表!”. 日本中央競馬会 (2020年12月10日). 2021年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月10日閲覧。
  55. ^ 有馬記念ファン投票 最終結果発表!”. 日本中央競馬会 (2021年12月9日). 2021年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月10日閲覧。
  56. ^ 有馬記念ファン投票 最終結果発表!”. 日本中央競馬会 (2022年12月8日). 2022年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月8日閲覧。
  57. ^ 有馬記念ファン投票 最終結果発表!”. 日本中央競馬会 (2023年12月7日). 2023年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月7日閲覧。

各回競走結果の出典 編集

馬主名義
  • 中山競馬場70年史』:1956年 - 1960年
  • 日本馬主協会連合会(編)『日本馬主協会連合会40年史』日本馬主協会連合会、2001年。 :1961年 - 2000年
  • 日本馬主協会連合会(編)『日本馬主協会連合会50年史』日本馬主協会連合会、2011年。 :2001年 - 2010年

参考文献 編集

  • 中山競馬場70年史編集委員会(編)『中山競馬場70年史』日本中央競馬会中山競馬場、1998年。 
  • 阿部珠樹「第1回有馬記念(中山グランプリ)とその時代 - 『世界一馬券が売れるレース』の原点を探る」『優駿』2008年1月号、日本中央競馬会、32-34頁。 
  • 「有馬記念ファン投票ベストテン全史」『優駿』2011年1月号、日本中央競馬会、35-37頁。 
  • 日夏ユタカ「有馬記念“ミニ”クロニクル」『優駿』2011年1月号、日本中央競馬会、38頁。 
  • 『週刊Gallop臨時増刊 「有馬記念全史」』、産業経済新聞社、2004年12月6日、雑誌82947-1/6。 

関連項目 編集

サッポロ生ビール<黒ラベル>第52回有馬記念缶。2006年第51回優勝馬ディープインパクトが描かれている。

有馬記念以外の公営競技におけるグランプリ大会 編集

  • 東京大賞典 - 地方競馬の1年間を締め括る競走。2019年にKEIRINグランプリの売上を抜いた。
  • KEIRINグランプリ - 競輪の1年間を締めくくる競走。2018年まで売上が東京大賞典を上回っていた。
  • スーパースター王座決定戦 - オートレースの1年を締めくくるグランプリ競走。
  • 賞金王決定戦競走 - 競艇におけるグランプリトーナメント。2014年から呼称として「グランプリ」が採用されている。賞金ランキング上位18位までの選手が「グランプリ」の部、19-60位までに入った選手(+グランプリの部における1stステージ=1・2日目敗退6選手が3日目から加わる)が「グランプリシリーズ」の部に出場し、2つのSG優勝者を争う。
  • 賞金女王決定戦競走 - 競艇の女子選手のグランプリトーナメント。2014年から呼称として「クィーンズ・クライマックス」が採用されているが事実上の女子のグランプリ決定戦。賞金ランキング上位12位までが「クィーンズ・クライマックス」の部(プレミアムGI)、13-54位までの選手は「クィーンズ・クライマックスシリーズ」の部(GIII)に出場する。
    ※開催日・時間的な都合上、スーパースター王座決定戦と賞金女王決定戦が、公営競技における1年を締めくくるグランプリ決定戦と位置付けられている場合がある。

外部リンク 編集