山響

大相撲の年寄名跡

山響(やまひびき)は、日本相撲協会年寄名跡のひとつ。初代・山響が四股名として名乗っていたもので、その由来は定かではない。

1883年2月に横浜巡業から脱走した後渡米してプロレスラープロボクサーとなり、帰国後プロモーターとして、1887年6月に、日本で初めてプロレス・ボクシングの興行を『欧米大相撲』の名称で行った戸田川庄五郎(本名、浜田庄吉。リングネーム、コラキチ・ハマダ)が、山響部屋の所属だったとされる(時期的には5代目の時代)が、それ以外にはかつての山響部屋の存在については確認されていない[1]

2015年11月に20代目が北の湖部屋を継承する形で山響部屋を発足させた。

山響の代々 編集

  • 代目の太字は、部屋持ち親方。
代目引退時しこ名最高位所属部屋現役時の襲名期間備考
初代山響傅内------
2代鳴潮鷹五郎十5---1813年1月-1828年11月(死去)
3代文字ヶ関七之助下1東関-佐渡ヶ嶽部屋1834年1月-1844年10月(死去)
4代?------1862年3月-1879年6月(死去)
5代藤縄團次十9東関部屋1882年1月-1900年9月(死去)
6代嶽ノ越亀吉十1伊勢ノ海部屋1904年1月-1913年4月(死去)
7代碇潟夘三郎前1草風(京都)-出羽海部屋1913年5月-1922年5月借株
9代佐ノ山に名跡変更
8代釋迦ヶ嶽庄太郎前3山科-出羽海部屋1922年5月-1961年1月(停年(定年)退職)
9代信夫山治貞関脇小野川-陣幕-小野川部屋1961年1月-1965年9月(廃業)
10代房錦勝比古関脇若松-西岩-若松部屋1967年2月-1979年8月10代若松に名跡変更
11代大鷲平前3若松部屋1979年9月-1980年9月(廃業)借株
12代黒姫山秀男関脇立浪部屋1982年10月-1983年5月借株
14代出来山に名跡変更
13代大飛進前2大山部屋1983年5月-1986年4月借株
14代大山に名跡変更
14代大剛健嗣前11花籠部屋1986年6月-1988年5月借株
18代北陣に名跡変更
15代朝潮太郎 (4代)大関高砂部屋1989年3月-1990年3月11代若松に名跡変更
16代前乃臻康夫小結高田川部屋1990年3月-1997年1月(解雇)借株
17代鬼雷砲良蔵前4高田川部屋1997年11月-1999年3月(退職)借株
18代豊ノ海真二前1藤島-二子山部屋1999年3月-2002年6月(退職)借株
19代大竜忠博十4大鵬部屋2005年4月-2006年12月借株
12代二子山に名跡変更
20代巌雄謙治前1北の湖部屋2006年12月-

脚注 編集

  1. ^ 明治20年、日本で初のプロレス興行を行った男は“日本人ボクサー第1号”だった - 日刊SPA! 2015年9月11日。記事は小島貞二の研究をもとに記述(出典はリンク先に詳細あり)。

関連項目 編集