兵庫県立尼崎高等学校

兵庫県尼崎市にある高等学校

兵庫県立尼崎高等学校(ひょうごけんりつ あまがさき こうとうがっこう)は、兵庫県尼崎市北大物町にある公立高等学校大正末期1923年に尼崎市立の中学校(旧制)として創立した。通称は「県尼」(けんあま、市立の尼崎高校〈いちあま〉と区別するため)。

兵庫県立尼崎高等学校
2018年平成30年〉1月撮影
地図北緯34度43分19.1秒 東経135度25分34.2秒 / 北緯34.721972度 東経135.426167度 / 34.721972; 135.426167座標: 北緯34度43分19.1秒 東経135度25分34.2秒 / 北緯34.721972度 東経135.426167度 / 34.721972; 135.426167
過去の名称尼崎市立尼崎中学校
兵庫県立尼崎中学校
国公私立の別公立学校
設置者兵庫県の旗兵庫県
学区第2学区
校訓自主・根性・聡明
設立年月日1923年大正12年)
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学科内専門コース教育と絆コース
学校コードD128210000451 ウィキデータを編集
高校コード28126D
所在地660-0804
兵庫県尼崎市北大物町18番1号
外部リンク公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要 編集

1923年大正12年)尼崎市に尼崎市立尼崎中学校(旧制)として創立した(文部省告示第183号3月20日付で開校を認可[1]。のちに兵庫県立尼崎中学校に改称[2])。

太平洋戦争後の学制改革に伴い、新制の高校「兵庫県立尼崎高等学校」に改編。全日制普通科を設置した。

昭和20年代、30年代はスポーツも強く、県大会で決勝戦へ進出する常連校で、硬式野球部は甲子園(大会)に春・夏あわせて5回出場(昭和30年と昭和34年には、準決勝まで進出)。プロ野球界に進んだ卒業生もいる。

校訓は、「自主」を柱にして、「根性」と「聡明」の3つ。

教育課程は、普通科1学年240名[3]と別枠で、“教育と絆”コース(教育総合類型を2014年から改編。1学年あたり40名[3])があり、保育士や小学校・中学校・高等学校の教員になりたい生徒が教員養成系の大学短期大学を目指すコースである(推薦入試で生徒を募集[4])。

沿革 編集

大正時代、尼崎市への県立中学校(旧制)設置の要望が高まり、1916年に県に陳情したが財政難を理由に拒否。第2代市長の上村盛治を中心に市立で中学校を建設する市民運動が発生し寄附も相次いだ。それでも建設資金が不足したため、運送業を営む佐古寛一(のちの日本通運取締役)が中心となり「芝居」を興業して残る資金を調達。市民ら649名の寄付をもとに学校が発足した[5]

年表 編集

基礎データ 編集

交通アクセス 編集

鉄道 編集

象徴 編集

制服 編集

制服1998年平成10年)にデザインが一新された。

学校施設 編集

かつての校舎は鉄筋3階建てで、阪神間で最初の鉄筋の建物だった(現存していない)。

学校行事 編集

修学旅行では、2002年(平成14年)10月、大韓民国への修学旅行を実施した。

不祥事 編集

推薦入試で英語に出題ミス 編集

平成27年(2015年)度の推薦入試で英語の出題に不備があった。アルファベットを並べ替えて、正しい単語の綴りを答える設問だったが、不要なアルファベットを含めて出題されていた[7]

高校関係者と組織 編集

関連団体 編集

  • 兵庫県立尼崎高等学校同窓会 - 同窓会。固有の団体名は無し

高校関係者一覧 編集

政治・行政
経済
教育・学問
文化・芸能
スポーツ
その他

脚注 編集

  1. ^ a b 官報大正12年(1919年)3月20日第3189号
  2. ^ a b 官報昭和5年(1930年)1月23日第123号
  3. ^ a b 2020年度 兵庫県公立高校 募集人員”. 育伸社. 2020年11月17日閲覧。
  4. ^ 平成 27年度教育類型・コース通信 県尼発、「先生」へのみち”. 兵庫県立尼崎高等学校. 2020年11月18日閲覧。
  5. ^ 県尼の歩み 銅板の由来”. 兵庫県立尼崎高等学校. 2020年11月18日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j 沿革概要”. 兵庫県立尼崎高等学校. 2020年11月18日閲覧。
  7. ^ 公立高校推薦入試で問題にミス 兵庫県立尼崎・龍野北の2校で”. 産経新聞産経ニュース (2015年2月15日). 2020年11月17日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集