ロイ・エマーソン

ロイ・エマーソンRoy Emerson, 1936年11月3日 - )は、オーストラリアクイーンズランド州出身の男子テニス選手。主に1960年代に活躍し、4大大会男子シングルス通算12勝・男子ダブルス16勝を挙げ、総計「28」のグランドスラム・タイトルを獲得した名選手である。グランドスラム優勝12回は2000年にピート・サンプラスが更新するまで33年間歴代1位記録だった。フルネームは Roy Stanley Emerson (ロイ・スタンレー・エマーソン)。“Emmo”(エンモ)という愛称で呼ばれた。エマーソンは豪放洒脱な人柄で、私生活では有名な大酒飲みだったという。 

ロイ・エマーソン
Roy Emerson
ロイ・エマーソン
基本情報
フルネームRoy Stanley Emerson
国籍オーストラリアの旗 オーストラリア
出身地同・クイーンズランド州
居住地アメリカ合衆国・カリフォルニア州ニューポートビーチ
生年月日 (1936-11-03) 1936年11月3日(87歳)
身長183cm
体重79kg
利き手
バックハンド片手打ち
殿堂入り1982年
ツアー経歴
デビュー年1953年
引退年1983年
生涯通算成績601勝221敗
シングルス397勝156敗
ダブルス204勝65敗
生涯獲得賞金値なし
4大大会最高成績・シングルス
全豪優勝 (1961・63-67)
全仏優勝 (1963・67)
全英優勝 (1964・65)
全米優勝 (1961・64)
優勝回数12(豪6・仏2・英2・米2)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪優勝 (1962・66・69)
全仏優勝 (1960-65)
全英優勝 (1959・61・71)
全米優勝 (1959・60・65・66)
優勝回数16(豪3・仏6・英3・米4)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪準優勝(1956)
全仏準優勝(1960)
国別対抗戦最高成績
デビス杯優勝(1959-62・64-67)
キャリア自己最高ランキング
シングルス1位(1964年)

来歴 編集

エマーソンはオーストラリアの牧場育ちで、子供の頃は父親の農場で牛の乳搾りをしていた。1959年から男子国別対抗戦・デビスカップオーストラリア代表選手になる。1961年全豪選手権(現在の全豪オープン)と全米選手権(現在の全米オープン)で4大大会年間2冠を獲得。当時のテニス界では、トップ選手たちの大半が頂点を極めた時点でプロに転向する道を選んでいた。しかし、当時のテニス4大大会(全豪選手権、全仏選手権、ウィンブルドン選手権、全米選手権)の出場資格はアマチュア選手のみに限定されていたため、プロ選手たちは4大大会から遠ざかっていく。当時のオーストラリア・テニス界で顕著な存在だったロッド・レーバーケン・ローズウォールなどはプロに転向したが、エマーソンはアマチュア選手としてとどまった。こうして1961年から1967年までの間に、エマーソンは4大大会でシングルス「12勝」を挙げた。その間に、全豪選手権で1963年 - 1967年までの大会5連覇を達成している。

1968年にテニス界は「オープン化」という措置を取り、プロ選手たちの4大大会出場を解禁する。大会の名称も変更されて、全豪オープン全仏オープンウィンブルドン選手権全米オープンとなった。こうしてレーバーやローズウォールなど、プロに転向していた強豪選手たちが再び4大大会の舞台に戻ってくる。それ以後、エマーソンは4大大会のシングルス・タイトルを獲得できなかった。1968年以後は、テニス界の「オープン化時代」(Open Era)と呼ばれ、それ以前の時代とは明確に区別される。エマーソンの4大大会シングルス優勝はすべて「オープン化時代」以前のものであったため、ライバルたちに比べて評価が低く、長い間忘れられていた。

ロイ・エマーソンは4大大会男子ダブルスでも、全豪3勝・全仏6連覇・ウィンブルドン3勝・全米4勝を挙げ、この分野でもキャリア4冠を達成した選手である。彼の最初期のダブルス・パートナーはニール・フレーザーで、1959年ウィンブルドン全米選手権に2連勝した後、1960年全仏選手権1962年全豪選手権を制覇した。こうしてエマーソンとフレーザーは、「同一ペアで」キャリア4冠を達成した史上3組目のダブルスペアになる。フレーザーがプロテニス選手に転向した後は、フレッド・ストールと組んで1965年全仏選手権1966年全豪選手権・全米選手権の1965年1966年2年連続優勝を記録したが、ストールとのコンビではウィンブルドン優勝がない。ロッド・レーバーとは1961年全仏選手権の後、1969年全豪オープン1971年ウィンブルドンを制したが、レーバーとの組み合わせでは全米選手権を取れなかった。したがって、エマーソンにはキャリア4冠のパートナー(フレーザー)と3冠のパートナー2人(ストールとレーバー)がいたことになる。全仏選手権の男子ダブルスに6連覇した1960年から1965年までの間、1963年スペインマニュエル・サンタナと組んだこともあった。

1982年国際テニス殿堂入り。それから16年後の1998年ウィンブルドン5度目の優勝で4大大会通算「11勝」に到達したピート・サンプラスが、これまで男子歴代1位であったエマーソンの通算優勝記録「12勝を更新する」目標を掲げたことがきっかけで、長い間忘れられていたエマーソンの名前が「サンプラスの目標」として語られるようになった。サンプラスは1999年のウィンブルドンで通算12勝に並び、2000年のウィンブルドンにてついに先人の大記録を更新する。2002年全米オープン優勝を最後に現役を退いたサンプラスは、最終的に「14勝」でエマーソンを2つ上回った。(さらに7年後、ロジャー・フェデラー2009年ウィンブルドン優勝で通算15勝目を挙げ、サンプラスをも抜いて男子歴代1位記録を更新した。)

4大大会優勝 編集

  • 全豪選手権 男子シングルス:6勝(1961年・1963年-1967年)/男子ダブルス:3勝(1962年・1966年・1969年)
  • 全仏選手権 男子シングルス:2勝(1963年・1967年)/男子ダブルス:6勝(1960年-1965年)
  • ウィンブルドン選手権 男子シングルス:2勝(1964年&1965年)/男子ダブルス:3勝(1959年・1961年・1971年)
  • 全米選手権 男子シングルス:2勝(1961年・1964年)/男子ダブルス:4勝(1959年&1960年・1965年&1966年)
大会対戦相手試合結果
1961年全豪選手権 ロッド・レーバー1-6, 6-3, 7-5, 6-4
1961年全米選手権 ロッド・レーバー7-5, 6-3, 6-2
1963年全豪選手権 ケン・フレッチャー6-3, 6-3, 6-1
1963年全仏選手権 ピエール・ダーモン3-6, 6-1, 6-4, 6-4
1964年全豪選手権 フレッド・ストール6-3, 6-4, 6-2
1964年ウィンブルドン選手権 フレッド・ストール6-4, 12-10, 4-6, 6-3
1964年全米選手権 フレッド・ストール6-4, 6-2, 6-4
1965年全豪選手権 フレッド・ストール7-9, 2-6, 6-4, 7-5, 6-1
1965年ウィンブルドン選手権 フレッド・ストール6-2, 6-4, 6-4
1966年全豪選手権 アーサー・アッシュ6-4, 6-8, 6-2, 6-3
1967年全豪選手権 アーサー・アッシュ6-4, 6-1, 6-4
1967年全仏選手権 トニー・ローチ6-1, 6-4, 2-6, 6-2

4大大会シングルス成績 編集

略語の説明
 W  F SFQF#RRRQ#LQ A Z#PO G  S  B NMS P NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会195419551956195719581959196019611962196319641965196619671968196919701971
全豪オープン1R2R2RAQFQFSFWFWWWWWA3RAQF
全仏オープン1RAA3RAQF3RQFFWQFSFQFWQF4RAA
ウィンブルドン2RA3R4RASFQFQF4RQFWWQF4R4R4RQF4R
全米オープン3RAQF4RAQF3RWF4RWQFSFQF4RQF4R
テニス4大大会男子シングルス優勝記録
順位回数選手名
1位24勝 ノバク・ジョコビッチ *
2位22勝 ラファエル・ナダル *
3位20勝 ロジャー・フェデラー
4位14勝 ピート・サンプラス
5位12勝 ロイ・エマーソン
6位タイ11勝 ロッド・レーバー | ビョルン・ボルグ
8位10勝 ビル・チルデン
9位タイ8勝 マックス・デキュジス | アンリ・コシェ | フレッド・ペリー | ケン・ローズウォール | ジミー・コナーズ | イワン・レンドル | アンドレ・アガシ
*は現役選手

男子ダブルスの4冠達成ペア 編集

外部リンク 編集

記録
先代
ビル・チルデン
グランドスラム最多タイトル獲得
1967年1月30日 – 2000年6月26日
次代
ピート・サンプラス