ルディ・フェラー

ドイツのサッカー選手

ルディ・フェラー(Rudi Völler, 1960年4月13日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)出身の元サッカー選手。キャリア通算では、375得点をあげた[1]。現在はドイツ代表でスポーツディレクターを務める。

ルディ・フェラー
2014年のフェラー
名前
本名ルドルフ・フェラー
Rudolf Völler
ラテン文字Rudi Völler
基本情報
国籍ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1960-04-13) 1960年4月13日(64歳)
出身地西ドイツの旗 西ドイツハーナウ
身長177cm
体重71kg
選手情報
ポジションFW
利き足右足
ユース
1966-1975西ドイツの旗 TSV 1860ハーナウ
1975-1977西ドイツの旗 キッカーズ・オッフェンバッハ
クラブ1
クラブ出場(得点)
1977-1980西ドイツの旗 キッカーズ・オッフェンバッハ 73 (19)
1980-1982西ドイツの旗 TSV1860ミュンヘン 70 (46)
1982-1987西ドイツの旗 ヴェルダー・ブレーメン 137 (97)
1987-1992イタリアの旗 ASローマ 142 (45)
1992-1994フランスの旗 オリンピック・マルセイユ 58 (24)
1994-1996ドイツの旗 バイヤー・レバークーゼン 62 (26)
代表歴
1979-1982西ドイツの旗 西ドイツ U-2119 (10)
1980西ドイツの旗 西ドイツ B3 (0)
1982-1994西ドイツの旗 西ドイツ/ドイツの旗 ドイツ90 (47)
監督歴
2000-2004ドイツの旗 ドイツ代表 
2004イタリアの旗 ASローマ
2005ドイツの旗 バイエル・レバークーゼン
2005-2022ドイツの旗 バイエル・レバークーゼン(ディレクター)
2023-ドイツの旗 ドイツ代表(ディレクター)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラブ経歴

編集

ドイツ時代

編集

1977年、地元のクラブ・オッフェンバッハでキャリアをスタート。その後、1977年、17歳の時、2部のキッカーズ・オッフェンバッハでプロデビューを果たした[1]。1980-81シーズン、1部の1860ミュンヘンへ移籍、この年9点をあげたが、チームは2部降格となった[1]。1981-82シーズン、2部で37試合37得点で2部得点王のタイトルを獲得したが、チームは1部再昇格を果たせなかった[1]

1982-83シーズン、オットー・レーハーゲルが活躍に注目し、ヴェルダー・ブレーメンに移籍[1]奥寺康彦とチームメートとなった。このシーズンチームは、得失点差でハンブルガーに次いでリーグ2位、31試合23得点で得点王に輝くとともに、西ドイツ年間最優秀選手にも選出。キャリア最高のシーズンを過ごした[1]。1985年11月23日のバイエルン戦でクラウス・アウゲンターラーから悪質なファールを受けて大怪我を負い、半年間の離脱を強いられた[1]。複帰すると、それまでのスピードが失われた代わりに、ヘディングが上達するなど、怪我前とは別のタイプの選手となっていた[1]。 チームはリーグ最終戦まで首位を走っていたが、最終節でバイエルンに得失点差で逆転され、優勝を逃した[1]。1986-87シーズンまで在籍、174試合119得点の成績を残した[1]

ASローマ

編集

1987-88シーズン、セリエAASローマに移籍、初年度は怪我で僅か5得点と、活躍出来なかった[1]。1988-89シーズン以降は、3シーズン連続で二桁得点を決め、自身の価値を証明した[1]。ファンたちからヴォラ・テデスコ(フライイングジャーマン)というニックネーを付けられ、ファンたちから愛された[1]。1990-91シーズンのUEFAカップではラウンド16のボルドー戦、準々決勝のアンデルレヒト戦でそれぞれハットトリックを決めるなど[2]、同シーズンの大会最多得点となる10ゴールを決め[2]、チームの同大会の決勝進出に貢献(決勝ではインテルに敗れた。)、同シーズンのコッパ・イタリア決勝のサンプドリア戦では、1stレグ、2ndレグ共にPKを決めて[2]優勝を果たすなどチームに貢献した。1992-93シーズンからヴヤディン・ボシュコヴが監督に就任することになり、クラウディオ・カニーヒアの獲得が決まると、外国人枠の関係もあり、来期のスタメンを保証されない状態になることが解ると、チームを離れることを決めた[1]。公式戦通算198試合68ゴールの成績を残した[3]。2014年にチームの殿堂入りを果たした。

マルセイユ

編集

1992-93シーズンにはパパンの後釜としてマルセイユに移籍、リーグでは開幕戦となったトゥールーズ戦でのゴール[4]トゥーロン・ヴァール戦でのハットトリックを含め18ゴールを決め[4]、リーグ優勝に貢献(後に取り消しされた。)更にUEFAチャンピオンズリーグではゴールこそ2ゴールであったが、6アシストを決めて[4]決勝進出に貢献、決勝でACミランを破り優勝を果たした[5]。同年にはヴェルディ川崎入りが決定したとの報道もあった[6]

レバークーゼン

編集

1994-95からバイエル・レバークーゼンに移籍、ラストシーズンは32試合10ゴールの成績を残し、ブンデスリーガ1部では232試合132ゴール、2部では111試合55ゴールの成績を残した[7]

代表経歴

編集

ドイツU-21代表としては、10得点を挙げた[1]。また、1982年のUEFA U-21欧州選手権で決勝に進出した[1]

1982年11月17日にUEFA欧州選手権1984予選、北アイルランド戦でフル代表デビュー[1]。1983年3月30日、同予選のアルバニア戦で初得点を記録した。1984年のUEFA欧州選手権1984ではルーマニア戦で2得点を決めた[1]

1986 FIFAワールドカップでは3ゴールを決め準優勝に貢献[8](準決勝のフランス戦で1ゴール、決勝のアルゼンチン戦では後半開始から出場し1ゴール1アシストを決めたが、2-3と敗れた[9]。)、1988年のUEFA欧州選手権1988では、スペイン戦で2得点を決めた[1]

1990年ワールドカップイタリア大会ではグループリーグで3ゴールを決めるも[8]、決勝トーナメント1回戦でオランダと対戦すると、この試合でオランダのフランク・ライカールトと諍いを起こし、退場処分となった[1]。決勝のアルゼンチン戦ではPKを奪取[10]、これをブレーメが決め1-0で勝利)。1992年、欧州選手権では、グループリーグ初戦のCIS戦で怪我を負い、チームから離脱した。

1994年ワールドカップアメリカ大会では直前に代表へ復帰し、ラウンド16のベルギー戦で2得点をあげて、準々決勝に進出したが、ブルガリアに敗れ、この試合が代表最後の試合となった[1]

ドイツ代表では通算90試合出場47得点を記録した。

代表でのゴール

編集
#DateVenueOpponentScoreResultCompetition
11983年3月30日Qemal Stafa Stadium, ティラナ, アルバニア  アルバニア1–02–1UEFA欧州選手権1984予選
21983年9月7日Népstadion, ブダペスト, ハンガリー  ハンガリー1–11–1フレンドリーマッチ
31983年10月5日Parkstadion, ゲルゼンキルヒェン,ドイツ  オーストリア2–03–0UEFA欧州選手権1984予選
43–0
51983年10月26日Olympic Stadium, ベルリン, ドイツ  トルコ1–05–1
63–0
71984年2月15日ヴァルナ, ブルガリア  ブルガリア2–03–2フレンドリーマッチ
81984年2月29日Heysel Stadium, ブリュセル, ベルギー  ベルギー1–01–0
91984年3月28日Niedersachsenstadion, ハノーヴァー, Germany  ソビエト連邦1–12–1
101984年6月17日Stade Félix-Bollaert, Lens, フランス  ルーマニア1–02–1UEFA欧州選手権1984
112–1
121985年2月24日Estádio da Luz, リスボン, ポルトガル  ポルトガル2–02–11986 FIFAワールドカップ・予選
131985年4月17日Rosenaustadion, Augsburg, ドイツ  ブルガリア1–04–1フレンドリーマッチ
144–1
151985年9月25日Råsunda Stadium, ストックホルム, スウェーデン  スウェーデン1–02–21986 FIFAワールドカップ・予選
161986年5月11日Ruhrstadion, ボーフム, ドイツ  ユーゴスラビア1–11–1フレンドリーマッチ
171986年5月14日Westfalenstadion, ドルトムント, ドイツ  オランダ1–03–1
182–0
191986年6月8日Estadio La Corregidora, ケレタロ, メキシコ  スコットランド1–12–11986 FIFAワールドカップ
201986年6月25日Estadio Jalisco, グアダラハラ, メキシコ  フランス2–02–0
211986年6月29日Estadio Azteca, Mexico City, メキシコ  アルゼンチン2–22–3
221986年10月29日Prater Stadium, ウィーン, Austria  オーストリア1–11–4フレンドリーマッチ
231987年8月12日Olympic Stadium, ベルリン, ドイツ  フランス1–02–1
242–0
251987年9月23日Volksparkstadion, ハンブルグ,ドイツ  デンマーク1–01–0
261988年6月17日Olympic Stadium, ミュンヘン, ドイツ  スペイン1–02–0UEFA欧州選手権1988
272–0
281988年8月31日Olympic Stadium, ヘルシンキ, フィンランド  フィンランド1–04–01990 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
292–0
301989年3月22日Vasil Levski National Stadium, ソフィア, Bulgaria  ブルガリア1–12–1フレンドリーマッチ
311989年10月4日Westfalenstadion, ドルトムント, ドイツ  フィンランド4–06–11990 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
321989年11月15日Müngersdorfer Stadion, ケルン, ドイツ  ウェールズ1–12–1
331990年4月25日Neckarstadion, シュトゥットガルト, ドイツ  ウルグアイ2–13–3フレンドリーマッチ
341990年5月30日Parkstadion, ゲルゼンキルヒェン, ドイツ  デンマーク1–01–0
351990年6月10日Stadio Giuseppe Meazza, ミラノ, イタリア  ユーゴスラビア4–14–11990 FIFAワールドカップ
361990年6月15日Stadio Giuseppe Meazza, ミラノ, イタリア  アラブ首長国連邦1–05–1
375–1
381990年10月10日Råsunda Stadium, ストックホルム, スウェーデン  スウェーデン2–03–1フレンドリーマッチ
391990年10月31日Stade Josy Barthel, Luxembourg, ルクセンブルグ  ルクセンブルク3–03–2UEFA EURO '92予選
401990年12月19日Neckarstadion, シュトゥットガルト, ドイツ  スイス1–04–0フレンドリーマッチ
411991年10月16日Frankenstadion, ニューンベルグ, ドイツ  ウェールズ2–04–1UEFA EURO '92予選
421991年11月20日King Baudouin Stadium, ブリュセル, ベルギー  ベルギー1–01–0
431992年5月30日Parkstadion, ゲルゼンキルヒェン, ドイツ  トルコ1–01–0フレンドリーマッチ
441992年10月14日Rudolf-Harbig-Stadion, ドレスデン, ドイツ  メキシコ1–01–1
451994年5月8日Varsity Stadium, トロント, カナダ  カナダ2–02–0
461994年6月2日Soldier Field, シカゴ, アメリカ  ベルギー1–03–21994 FIFAワールドカップ
473–1

引退後

編集

指導者としては2000年からドイツ代表監督を務め、日韓W杯では準優勝をおさめたが、EURO2004でグループリーグ敗退と振るわず、その責任を取って辞任した。直後に古巣ASローマの監督に就任したものの、成績不振もあって開幕からわずか1ヶ月で辞任。その後はレバークーゼンに戻りスポーツディレクターに就任、2022年まで務めた。

2023年1月、ドイツ代表のスポーツディレクターに就任した[11]。ドイツ代表監督のハンジ・フリックが2023年9月10日に解任されたことを受けて、同年9月12日のフランスとの国際親善試合で1試合限定の暫定監督を務めた[12][13]

タイトル

編集

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u Rudi Völler, il tedesco volante: la Roma, la Champions col Marsiglia e i Mondiali del 1990”. GOAL (2022年4月13日). 2023年8月11日閲覧。
  2. ^ a b c “Rudi Voller All goals Roma”. www.transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/rudi-voller/alletore/spieler/13775/plus/0?saison=&verein=12&liga=&wettbewerb=&pos=&minute=&pos=&torart=&stand= 2020年8月17日閲覧。 
  3. ^ “Happy birthday Rudi Voller”. www.asroma.com. https://www.asroma.com/en/news/2017/4/happy-birthday-rudi-voller- 2020年4月17日閲覧。 
  4. ^ a b c “Rudi Voller 1992-93”. www.transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/rudi-voller/leistungsdatendetails/spieler/13775/plus/0?saison=1992&verein=&liga=&wettbewerb=&pos=&trainer_id= 2020年4月17日閲覧。 
  5. ^ Les notes de Marseille-Milan 1993, avec un Boli époustouflant”. www.francefootball.fr. 2020年4月26日閲覧。
  6. ^ “ビジャは何人目のW杯優勝経験者!? これまで日本サッカーに降臨した「世界チャンピオン」たち”. soccerdigestweb.com. https://www.soccerdigestweb.com/news/detail5/id=51043 2020年4月8日閲覧。 
  7. ^ “Rudi Voller”. www.kicker.de. https://www.kicker.de/rudolf-voeller-13216/spieler 2020年4月17日閲覧。 
  8. ^ a b “Rudi Voller National team”. www.transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/rudi-voller/nationalmannschaft/spieler/13775 2020年4月17日閲覧。 
  9. ^ “Argentian x Germany 1986 World cup Final”. www.transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/spielbericht/index/spielbericht/946179 2020年4月17日閲覧。 
  10. ^ “Argentian x Germany 1990 World cup Final”. www.transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/spielbericht/index/spielbericht/928085 2020年4月17日閲覧。 
  11. ^ 「ファンを取り戻したい」ドイツ代表の新ディレクターはルディ・フェラーに決定”. Goal.com (2023年1月20日). 2023年9月12日閲覧。
  12. ^ ドイツ・フリック監督 日本に完敗翌日に解任 チームディレクターのルディ・フェラー氏が暫定指揮”. スポニチアネックス (2023年9月12日). 2023年9月12日閲覧。
  13. ^ 「守備最優先」「リーダーのミュラー」起用で、不振ドイツがフランスを撃破!”. FUSSBAL.JP (2023年9月13日). 2023年9月15日閲覧。

外部リンク

編集