有田 沙織(ありた さおり、女性、1984年7月10日 - )は、日本の元バレーボール選手。

有田 沙織
Saori Arita
基本情報
国籍日本の旗 日本
生年月日 (1984-07-10) 1984年7月10日(39歳)
出身地鹿児島県隼人町(現霧島市
ラテン文字Saori Arita
身長180cm
体重71kg
血液型A型
選手情報
所属埼玉上尾メディックス
愛称サオリ
役職コーチ
ポジションWS
指高234cm
利き手
スパイク305cm
ブロック296cm 
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来歴

鹿児島県隼人町(現霧島市)出身。小学校6年生よりバレーボールを始める。熊本信愛女学院高校時代、左利きのスパイクを武器に大林2世と注目される。

2003年、NECレッドロケッツに入団。2004年アテネオリンピック世界最終予選全日本代表に選出。「アテネの秘密兵器」と目され代表メンバー入りが有力視されていたが、同年4月の全日本代表中国遠征でバックアタックを打った際に左膝を負傷し離脱、検査の結果左膝前十字靭帯断裂と診断され、アメリカで手術を受けた。半年後、驚異的な回復力をみせて予定より早くコートに復帰したが、この大怪我はその後の選手生活に暗い影を落とすことになる。

第12回Vリーグで戦列に復帰し、2008年の全日本候補に選抜されたが、怪我により代表を辞退した。その後再び復帰し、2008/09Vプレミアリーグでは、シーズン後半からスタメンに定着し、同リーグと第58回黒鷲旗大会で3位となった。

2010年6月にNECを退団し、2011年8月、上尾メディックスに入団。

2013年7月、上尾メディックスを退部[1]したが、2014年6月に現役復帰した[2]

2017年、Vリーグ機構の移籍公示リストで上尾メディックス退団が公表され[3]、コーチに就任した[4][5]

2020年8月時点では霧島市に帰郷しており、地元の病院(旧国分市にある霧島整形外科病院)に勤務しているという[6]

人物・エピソード

球歴

所属チーム

個人成績

Vプレミアリーグレギュラーラウンドにおける個人成績は下記の通り[7]

シーズン所属出場アタックブロックサーブレセプション総得点備考
試合セット打数得点決定率効果率決定/set打数エース得点率効果率受数成功率
2003/04NEC186244218642.1%%280.45183105.46%9.4%14565.5%224
2004/05181322627.3%%00.00700.00%7.1%785.7%6
2005/06238256322139.3%%310.38307103.26%10.7%39866.3%262
2006/072710581232039.4%%380.36396133.28%11.5%37168.5%371
2007/082610681431438.6%%330.31371164.31%10.9%36958.5%363
2008/0921641987738.9%%50.086011.67%13.0%875.0%83
2009/10287635913337.0%%150.2012497.26%14.0%1450.0%157
2011/12上尾チャレンジリーグの為、記録を記載せず
2012/13
2014/153614535.7%%10.17200.00%25.0%3100.0%6
2015/161117311032.3%%00.001300.00%7.7%2152.4%10

関連項目

脚注

  1. ^ 上尾メディックス公式サイト「退団選手のお知らせ」
  2. ^ 上尾メディックス. “2014.6.12 新加入選手のお知らせ。”. 2014年6月12日閲覧。
  3. ^ 移籍公示選手(女子)リスト一覧  2017年6月7日更新”. Vリーグ機構. 2017年6月7日閲覧。
  4. ^ 選手引退ならびにコーチ就任のお知らせ”. 埼玉上尾メディックス (2017年6月9日). 2018年7月24日閲覧。
  5. ^ コーチ 有田沙織”. 埼玉上尾メディックス. 2018年7月24日閲覧。
  6. ^ @iina_kirishima (2020年8月14日). "17:15~いいな♨️きりしまは、霧島整形外科 有田沙織 さんにインタビュー・・・". X(旧Twitter)より2021年8月15日閲覧
  7. ^ Vリーグ機構. “選手別成績”. 2016年2月2日閲覧。

外部リンク