御手洗辰雄
ジャーナリスト、政治評論家
🔥 Top keywords: デジモンストーリー ロストエボリューションヴァンガード火曜日の女シリーズ藤原宮子豊見城警察署メインページ特別:検索木村カエラ見上愛池脇千鶴河合優実三上悠亜若葉竜也秋田八幡平クマ牧場ピザの定理松田元太アーロン・ジャッジ吹石一恵田中道子IVE (音楽グループ)古畑任三郎Su-57 (航空機)ガイナックスINI髙橋藍松岡茉優国道66号線 (アメリカ合衆国)紫式部有岡大貴特別:最近の更新シックス・センス宮沢りえ虎に翼マニー・パッキャオ石丸伸二土居志央梨小林興起山口良忠永山瑛太ケイト・ロータス木竜麻生アンチヒーロー (テレビドラマ)松下洸平怪獣8号
御手洗 辰雄(みたらい たつお、1895年(明治28年)3月23日[1] - 1975年(昭和50年)9月7日[1])は、日本のジャーナリスト。政治評論家。
経歴 編集
大分県大分市出身[2]。旧制大分中学校を経て[3]、慶応義塾大学に入るが、1912年(大正2年)に中退[1][2][3]。地元の大分新聞(現・大分合同新聞)を経て[1][2][3]、上京し、1917年(大正6年)報知新聞社に入り[1][2][3]、社会部、政治部記者となり[1][3]、1922年(大正11年)社会部長となる[1][4][5]。1928年(昭和3年)に社内紛争のため退社[1][4]。その後は東京毎夕新聞、国民新聞、二六新報の各編集局長などを務め[4]、同郷の菊池寛の勧めにより『文藝春秋』に「城南隠士」のペンネームで政治評論を寄稿した[5]。1936年(昭和11年)に朝鮮に渡り、京城日報副社長となる[4][注 1]。1939年(昭和14年)同社長[1][4][5]、1942年(昭和17年)に退社[1]、翌年東京新聞論説委員長となる[1]。
戦後、公職追放となり[4]、1951年(昭和26年)追放解除[6]。追放解除後は政治評論家となり、選挙制度審議会委員、日本相撲協会運営審議委員会委員、横綱審議委員会委員、東芝機工(株)会長などを歴任した[1][5]。
脚注 編集
注釈 編集
- ^ 『20世紀日本人名事典 そ~わ』2421頁では「(昭和)9年」。