宇野亜喜良

日本のグラフィックデザイナー、挿絵画家 (1934-)
宇野亞喜良から転送)

宇野 亞喜良(うの あきら、1934年3月13日 - )は日本の挿絵画家グラフィックデザイナー。ペンなどによって描写された人物などが特徴とされる。寺山修司の舞台、宣伝美術を手がけるなどした。

うの あきら
宇野亞喜良
誕生日 (1934-03-13) 1934年3月13日(90歳)
出生地日本の旗 日本愛知県名古屋市
国籍日本の旗 日本
配偶者集三枝子
芸術分野イラストレーター
受賞サンリオ美術賞(1989年)
紫綬褒章1999年
旭日小綬章2010年
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イラストレーター以外にもキュレーター舞台美術芸術監督等も務めている。

現在『月刊てりとりぃ』において連載コラム「話の横道」を連載中[1]。また『週刊てりとりぃ』では、村井邦彦山上路夫日向大介とのコラボレーションで「歌はいかがですか」という企画を連載。これは毎月書き下ろしの短い尺の歌を発表するもので、宇野は挿絵を担当している[2]

来歴・人物 編集

愛知県名古屋市に生まれる。1952年名古屋市立工芸高等学校図案科卒。

父親が室内装飾業を営んでおり、その影響で幼いころから絵を描き始め、画家の宮脇晴に師事。高校卒業後、カルピス食品工業に入社、同社の広告・宣伝に携わる。その後亀倉雄策らが設立に参加した日本デザインセンターに入社する。

1964年、宇野、原田維夫横尾忠則の3人でデザイン事務所「スタジオ・イルフィル」を結成(翌年、解散)。1965年日本デザインセンターを退社し、同世代を代表するイラストレーター、グラフィックデザイナーの横尾忠則和田誠山口はるみ灘本唯人などと共に東京イラストレーターズ・クラブを設立する(1970年解散)。また、寺山修司の「天井桟敷」に横尾などとポスターの制作をする。

1970年代当時、眉を剃り落とすスタイルが「宇野亜喜良スタイル」といわれ、流行した。

1982年、第13回講談社出版文化賞さしえ賞を受賞。

1992年山下明生作の『カモメの家』で第6回赤い鳥さし絵賞を受賞。同年、東京イラストレーターズ・ソサエティ理事長就任(1992年、1994年 - 1997年)。

1999年紫綬褒章を受章。同年より麻布十番納涼祭りポスターうちわデザインを担当している。

2008年舟崎克彦文の『悪魔のりんご』で第13回日本絵本賞を受賞。

2010年旭日小綬章を受章[3]

2015年新宿梁山泊『ジャガーの眼』の美術および結城座『オールドリフレイン』の人形美術に対し第22回読売演劇大賞選考委員特別賞を受賞した[4]

署名はAquiraxで、アキラのフランス語風の表記である。

私生活では3度結婚[5]。現在の妻は1960年代後半から1970年代前半にグラビアモデルからキイハンタープレイガール等のテレビドラマや東映映画等で活躍した元女優・集三枝子[6]。1973年6月に結婚、宇野は39歳、集は24歳で初婚であった[5]

主な作品 編集

主な著作 編集

画集 編集

  • 『MONO AQUIRAX 宇野亜喜良モノクローム作品集』(2003年、愛育社)
  • 『SAMURAI AQUIRAX 宇野亜喜良時代小説挿画集』(2006年、愛育社)
  • 『MONO AQUIRAX+ 宇野亜喜良モノクローム作品集』(2009年、愛育社)

主な作品収蔵先 編集

脚注 編集

外部リンク 編集