大柴滋夫
🔥 Top keywords: デジモンストーリー ロストエボリューションヴァンガード火曜日の女シリーズ藤原宮子豊見城警察署メインページ本橋由香特別:検索岡部たかしジュラシック・ワールド/新たなる支配者伊藤俊人ジュラシック・ワールド大塚剛央大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件ぷす力道山三淵嘉子YOU (タレント)ツユ蓮舫伊藤歩相沢友子井上裕貴ジュラシック・パーク今いくよ・くるよ徳山秀典ジュラシック・ワールド/炎の王国虎に翼水谷瞬岡田紗佳WANDS激走戦隊カーレンジャー内田有紀川﨑理加古畑任三郎向井理セクシー田中さん芦原妃名子ユニクロ小橋賢児渋谷莉孔玄倉川水難事故関数 (数学)田村正和
大柴 滋夫(おおしば しげお、1917年(大正6年)11月11日 – 1998年(平成10年)11月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、社会民主連合副代表。
大柴 滋夫 おおしば しげお | |
---|---|
生年月日 | 1917年11月11日 |
出生地 | 山梨県北巨摩郡小淵沢村(現北杜市) |
没年月日 | 1998年11月12日(81歳没) |
死没地 | 東京都品川区 関東逓信病院 |
出身校 | 早稲田大学政治経済学部 |
前職 | 日本社会党職員 |
所属政党 | (日本社会党→) (左派社会党→) (日本社会党→) (社会市民連合→) 社会民主連合 |
称号 | 正四位 勲二等旭日重光章 |
選挙区 | 旧東京2区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1960年11月21日 - 1969年12月2日 1972年12月11日 - 1979年9月7日 |
来歴 編集
山梨県北巨摩郡小淵沢村(現北杜市)生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。故郷の貧しい農村の状況を見て社会主義革命による変革を望み、1945年に日本社会党に入党。社会党が左右に分裂した際は左派社会党に所属した。以後党本部書記の地位に15年間あった他、中央執行委員・組織部長・総務部長などを歴任する。
1953年の第26回衆議院議員総選挙から旧東京2区(定数3)で立候補し、1960年の第29回衆議院議員総選挙で初当選。1963年の第30回衆議院議員総選挙では、自由民主党の菊池義郎、宇都宮徳馬を抑えトップ当選(大柴の当選により、割を食う形で社会党のベテラン加藤勘十が次点で落選した)。しかし旧東京2区の定数が5議席に増やされた1967年の第31回衆議院議員総選挙では、得票数が前回に比べて約2万7千票少なく、前回次点で落選した加藤の得票数も下回る4位で辛勝し、続く1969年の第32回衆議院議員総選挙では次点で落選した。
1972年の第33回衆議院議員総選挙では、得票数3位で当選し、3年ぶりに返り咲いた。1976年の第34回衆議院議員総選挙では、最下位の得票数5位で4選。翌1977年、江田三郎の死を契機に社会党を離党。社会市民連合に参加し、代表委員に就任。1978年、社会民主連合の結党により同党副代表に就任したが、1979年の第35回衆議院議員総選挙では落選し、政界を引退した。引退後は山梨学院大学で教鞭を執る。
1998年11月12日、腎不全のため東京都品川区の関東逓信病院で死去、81歳[1]。死没日をもって正四位に叙される[2]。