地久節(ちきゅうせつ)は、皇后誕生日を祝う日。「地久」は老子の「天長地久」より採られている。皇后誕生日(こうごうたんじょうび)ともいう。

令和時代における日付は、今上天皇の后雅子の誕生日にあたる「12月9日」である(2019年令和元年〉 - )。

概要 編集

天長節天皇誕生日)と異なり、皇室祭祀令に基づく宮中祭祀や、休日法の定める国民の祝日ではないが、男女別学が主流だった戦前期の女子校などにおいて、天長節に準じた扱いで祝賀の儀式が行われることがあった。

1930年昭和5年)12月23日、大日本連合婦人会が結成されると、皇太后(貞明皇后)の女官長を辞職したばかりの島津ハルが理事に就任した[1]。島津ハルは島津長丸男爵夫人で、香淳皇后の縁者でもあった[注釈 1]。同会は、当時の地久節(香淳皇后の誕生日である3月6日)を母の日に定めた[1]

しかし、母の日は連合国軍占領下の日本1949年(昭和24年)頃からアメリカ合衆国に倣って「5月第2日曜日」に変更されている。

1948年(昭和23年)7月20日に施行された国民の祝日に関する法律が「天長節」ではなく「天皇誕生日」の名称を用いたことを受けて、「地久節」も「皇后誕生日」の名称を用いることが一般的になっている。

歴代皇后の地久節:皇后誕生日(近代以後) 編集

歴代皇后の地久節・皇后誕生日(近代以後、5代)
元号在位皇后西暦 (和暦)日付生年没年月日
明治 昭憲皇太后1868年(明治元年) - 1911年(明治44年)5月9日1849年
(旧暦:嘉永2年4月17日
1914年(大正3年)4月9日(64歳没)
大正 貞明皇后1913年(大正2年) - 1926年(大正15年)6月25日1884年(明治17年)1951年(昭和26年)5月17日(66歳没)
昭和 香淳皇后1927年(昭和2年) - 1988年(昭和63年)3月6日1903年(明治36年)2000年(平成12年)6月16日(97歳没)
平成 上皇后美智子1989年(平成元年) - 2018年(平成30年)10月20日1934年(昭和9年)
(89歳)
令和 皇后雅子2019年(令和元年) -12月9日1963年(昭和38年)
(60歳)

参考文献 編集

  • 原武史『皇后考』講談社、2015年2月。ISBN 978-4062193948 

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 香淳皇后の実母邦彦王妃俔子島津家の出身であり、ハルは香淳皇后の従叔母にあたる。

出典 編集

  1. ^ a b 2017 原 p.424

関連項目 編集