佐々木正洋 (1954年生)

日本のフリーアナウンサー、タレント

佐々木 正洋(ささき まさひろ、1954年7月17日 - )とは、日本フリーアナウンサー、タレント。元テレビ朝日アナウンサー。所属事務所は株式会社ICH

ささき まさひろ
佐々木 正洋
プロフィール
出身地日本の旗 日本 福岡県北九州市
生年月日 (1954-07-17) 1954年7月17日(69歳)
血液型B型
最終学歴福岡県立小倉高等学校
慶應義塾大学法学部政治学科[1]
職歴テレビ朝日アナウンス部
1977年 - 2012年
活動期間1977年 -
ジャンル報道・情報・スポーツ系
公式サイトプロフィール
出演番組・活動
出演経歴ワールドプロレスリング
邦子がタッチ
ワイド!スクランブル」(夕刊キャッチUP)
サンデースクランブル
備考
所属事務所「株式会社ICH

来歴・人物 編集

福岡県北九州市八幡東区出身。福岡県立小倉高等学校慶應義塾大学法学部政治学科[1]卒業後の1977年、テレビ朝日(当時:全国朝日放送)にアナウンサーとして入社した。古舘伊知郎渡辺宜嗣は、テレビ朝日の同期入社。慶應義塾大学では落語研究会の部長として活躍。妻は元フジテレビアナウンサーで2歳年下の古賀万紀子[2]。元NHKアナウンサーの宮本隆治とは中学校から大学まで出身校が全て同じであり、佐々木は宮本の4期後輩である。また、『3年B組金八先生』で乾友彦役を務めた俳優森田順平福岡県知事服部誠太郎は高校の同級生である。

ニュースワイドショースポーツ番組と一通り実況とリポートをこなすが、1990年新日本プロレスの東京ドーム大会の際、『ワールドプロレスリング』の選手控え室リポートにおいて、試合前のアントニオ猪木(当時、参議院議員)に対し、「もし負けるということがあると、これは『勝負は時の運』という言葉で済まないことになりますが」と質問したところ、猪木に「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」と激怒され強烈な張り手を受けて、「出てけ! コラ!」と追い出された。後に、猪木の張り手・ビンタは「闘魂ビンタ」として活を入れてもらうための儀式として素人が求めることも増えたが、公の場でこれを受けた素人は佐々木が初めてである。翌朝、洗顔所で顔を洗うとタオルに血が滲んでいたので病院で検査したところムチウチと診断された。佐々木自身は、その後は通勤中に声を掛けられる事が増え、猪木のビンタのおかげで自身の知名度が上がったと感謝しているほか、前述の試合後に猪木から握手を求められたエピソードを語り、相応のフォローがあったことも明かしている[3]

アフタヌーンショー』では芸能ニュースなどのリポーターを担当。29局ネットで放送していたため、知名度が高かった。

1996年から2012年まで『ワイド!スクランブル』の新聞記事紹介コーナー「夕刊キャッチUP」を担当。最末期ではタイトルコールのナレーションで「佐々木正洋の〜」と冠されるようになる(休暇などで別のアナウンサーが担当する場合、名前はカットされた上でタイトルコールが読み上げられていた)。

2012年3月5日に、同月31日にテレビ朝日を退職したうえで、浅井企画所属のフリーアナウンサーへ転身することが発表された[4]。フリーアナウンサーへ転身後は、九州朝日放送(地元・福岡県にあるテレビ朝日系列局)の紀行番組『前川清の笑顔まんてんタビ好キ』などへ出演のかたわら、東海大学のアナウンサー講座で講師を務めている。

2018年5月に、株式会社ICH所属へ転身した。

フリー転進後の活動 編集

テレビ 編集

舞台 編集

WEB 編集

  • うた桜(FliCK!On!TV、司会)

ラジオ 編集

  • サポートウェルス プラスF(TBSラジオ、2016年10月 - 、司会者)

通販 編集

出版 編集

  • ちょっとしたコツで誰でも「上手な話し方」が身につく(実業之日本社

テレビ朝日時代の出演番組 編集

報道・情報・ワイドショー番組

期間番組名役職備考
1980年4月1985年10月アフタヌーンショー芸能中心のレポーター
1985年11月1986年9月こんにちは2時レポーター
1986年10月1987年3月気分はシャッフル司会
1987年7月1987年9月発汗!シェイプUPレギュラー担当
1988年10月1989年9月ナイトラインスポーツ担当キャスター
1990年10月1992年9月TVいま時あの時データマン担当
1994年4月1995年12月邦子がタッチアシスタント
1994年10月1996年3月朝イチ!N天CNNメインキャスター
1996年4月2012年3月ワイド!スクランブル『夕刊キャッチUP』担当途中6年半は、担当曜日を月~木曜日に縮小
1997年4月1998年9月スーパーJチャンネル天気コーナーにおけるCGキャラクター「源さん」の声および演技担当その他にも、世紀末事件簿や1999年8月28日・29日には蟹瀬誠一の代行キャスターをそれぞれ担当
2005年1月2011年9月サンデースクランブル司会

その他

映画 編集

同期入社 編集

補足 編集

  • 佐々木が入社した1977年は、1980年のモスクワオリンピック独占放送権を得た同社がオリンピックに向けた人材養成を見越して、アナウンサーが大量採用された年である。

脚注 編集

  1. ^ a b 佐々木正洋”. Speakers.jp. 2024年1月4日閲覧。
  2. ^ “元テレ朝・佐々木正洋アナ フリー転身で大失敗 給料半分、次々病気に…”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2018年8月10日). https://www.daily.co.jp/gossip/2018/08/10/0011531402.shtml 2023年8月11日閲覧。 
  3. ^ 元テレ朝・佐々木正洋アナ「僕の名前が知られるようになったのは猪木さんのビンタのおかげ」闘魂注入に感謝 スポーツ報知 2022年10月1日 2022年10月3日 閲覧
  4. ^ テレ朝・佐々木アナ退社 欽ちゃん事務所へ Archived 2012年3月5日, at the Wayback Machine. デイリースポーツ 2012年3月5日閲覧

外部リンク 編集