仮乗降場

日本国有鉄道による停車場形態の一つ

仮乗降場(かりじょうこうじょう)とは、日本国有鉄道(国鉄)における停車場の形態の一つ。

仮乗降場から施設はそのままに駅に昇格した留萌本線朱文別駅(2004年6月23日撮影。2016年12月5日廃止)
仮乗降場から昇格した糠南駅。写真中央の白い小屋はヨドコウ物置を改造した待合室。写真右の半壊した木造の小屋は旧・待合室(1998年7月5日)。
プラットホーム長は非常に短い。糠南駅を通過中の3輌編成急行「サロベツ」(1998年7月5日)。
保守が十分で無い上雄信内駅(仮乗降場から昇格)のプラットホーム(1998年7月5日撮影。2001年7月1日廃止。)

概要 編集

仮乗降場は、駅を設ける程では無い場所で、利用者の利便性を高めるために、仮に設置されたものである。一般の鉄道駅が国鉄本社の認可に基づき設置されているのに対し、仮乗降場は地方の鉄道管理局の判断のみで設けることが可能であった[1][2]

後述の経緯からその多くは北海道内の国鉄線で設置され[1]、北海道外に設置されたものは、殆どが国鉄時代に駅に昇格するか、仮乗降場のまま廃止されたため、国鉄分割民営化時点では、北海道外の地域には数える程しか存在していなかった。

仮乗降場は旅客が対象で、専用線から分岐する貨物のみを扱う信号場のようなケースは「仮乗降場」とは呼ばれなかった。

北海道内における設置 編集

北海道では人口密度が低く、本格的に鉄道駅を設置出来る発達した集落が少ないことから、駅間距離が比較的長く、居住地と駅の距離も遠くなりがち(いわゆる陸の孤島)であった。このため、通学客や高齢者等の公共交通手段を必要とする利用者にとっては鉄道へのアクセスに難が生じており、改善の必要性があった。また、季に道路交通が遮断された場合における公共交通手段確保の見地からも、鉄道アクセスの向上が求められた。このように、正式な駅を設置する程の利用は見込めないが、無視出来ない需要があった背景から、道内では容易に作れる仮乗降場の設置が進んだ。1950年代中期からの北海道内への気動車導入(蒸気機関車牽引列車に比べて旅客扱い設備が最低限で済む)はその流れを推進した。

また、かつては信号場に勤務する職員が信号場併設の官舎に家族と一緒に居住する場合があった。北海道では鉄道以外に交通手段のない人里離れた場所に信号場が設置されている場合があり、官舎に居住する職員の家族が通学や買い物をするための乗降用として、信号場に併設する形で仮乗降場が設けられた例もある(例:古瀬駅)。

設置基準の差異 編集

仮乗降場の設置基準は、道内の各鉄道管理局によりばらつきがあり、旭川鉄道管理局[3]が設けた仮乗降場数は、他管理局管轄路線に比して格段に多かった[4]

一方、釧路鉄道管理局管内では、ほぼ同じ目的で設置される仮乗降場と臨時乗降場が混在していて、臨時乗降場は人口増加で国鉄末期に開設されたものが多かった。例えば根室本線帯広市近郊では、稲士別駅は仮乗降場であった一方で、柏林台駅は臨時乗降場として設置された(いずれも国鉄分割民営化と同時に旅客駅に昇格。稲士別駅は2017年廃止。)。

構造・設備 編集

大半の仮乗降場の構造は非常に簡略な設備であった。標準的な仮乗降場は、単行列車(1両編成の列車)がようやく停車出来るような木製ホーム[1]と粗末な標柱、それに数人が入れるかどうかの待合室があるかどうかというものである。

中には「朝礼台」と呼ばれた1両分にも満たないホームや、バスの廃車体を待合室代わりにした(かつての石北本線生野駅など)ようなケースや、そもそも待合室さえない場合(かつての函館本線東山駅など)もあった。どちらかといえば駅よりもバス停に近いと言える[5]。このため、正規の駅に昇格した後も、そういった設備はそのままであった例が多い。

中には、正規の鉄道駅として開設され一定の構造設備を持ちながら、乗降客が少ない等の理由で信号場に格下げされ、客の乗降を仮乗降場扱いで継続した例(宗谷本線神路信号場、石北本線上越信号場など)や、併設して官舎が存在するなどの事情で、信号場が新たに仮乗降場の扱いで客扱いを開始したものもある(函館本線仁山信号場(→仁山駅)根室本線古瀬信号場(→古瀬駅)など)。

また、一見すると仮乗降場に似た簡素な設備で建設されていながら、当初より正規の駅として設置されたものもあり、こういった例は道外でも見られた(かつての予讃線八十場駅など)。

その他 編集

仮乗降場は、隣接する正規の駅の駅名標の隣駅表示に記載されないことが多く、全国版の時刻表でも同様だった[1]後述)。そのため、日常的な利用者以外にとっては突然現れる謎の駅というべき存在だった。地図研究家の今尾恵介のように、時刻表にない仮乗降場の「発見」が北海道鉄道旅行の楽しみだったと回想する者もいる[1]

このような事情から、その実態が良く分からない仮乗降場もいくつか存在する(胆振線尾路遠仮乗降場など)。

仮乗降場のうち利用者の多いものは順次一般の鉄道駅に格上げされていったが、国鉄の分割民営化まで残っていたものは一斉に民営化と同時に鉄道駅に格上げされることとなった[1]。これについては後述する

その扱い 編集

運賃計算上の扱い 編集

仮乗降場はあくまで地方鉄道管理局の判断により設けられたものであり、国鉄当局の設置した「駅」では無い。このため運賃計算上必要な「営業キロ」が設定されておらず[1]、運賃は仮乗降場で降りる場合だと次の鉄道駅まで、乗降所から乗る場合だとその手前の鉄道駅からの営業キロでそれぞれ計算されていた。

例外として、小松島線の終点に位置した小松島港仮乗降場は、手前の小松島駅と同一(駅構内)と見なされていた。また、士幌線電力所前仮乗降場は、少し離れて位置する黒石平駅の代替として設置されたことから、黒石平駅と同一と見なされていた(詳細は「電力所前仮乗降場」参照)。

乗車券の発売 編集

現在のようにワンマン運転が普及していなかった頃、仮乗降場から乗車した場合は車内で車掌から乗車券を購入することが原則であった。しかしながら乗降客の多い一部の仮乗降場では近隣の商店や個人に乗車券の発売が委託されていた。このような場合、券面に表示される発駅の駅名は仮乗降場の名前では無く、上記の運賃計算上の扱いで運賃を計算する駅の駅名が表記されることになるが、ごく稀に仮乗降場の名前が表記された乗車券が発売された例があった(羽幌線番屋ノ沢仮乗降場相生線旭通仮乗降場など)。

時刻表上での扱い 編集

日本交通公社(現・JTB)発行の国鉄監修の時刻表や、その他の弘済出版社(現・交通新聞社)などが発行していた全国版の時刻表では、仮乗降場は一部を除いて掲載されていなかった。北海道地域のみを掲載した『北海道時刻表』(日本交通公社)や『道内時刻表』(弘済出版社)などには多くが載っていたものの、『北海道時刻表』『道内時刻表』に表記されている名称と実際に駅名標に表記されている名称に違いがあったり(湧網線堺橋仮乗降場名寄本線富丘駅など)、これらの北海道版時刻表にさえ載っていなかったりしたものもある(士幌線新士幌仮乗降場白糠線共栄仮乗降場根室本線稲士別仮乗降場[6]など)。

駅名標での扱い 編集

仮乗降場は駅名標における隣駅の表示では表記されないことが通常であった。この原則は仮乗降場の駅名標でも適用され、隣り合う仮乗降場同士で互いが表記されないといった奇妙なケースもあった。なお、会津線の舟子仮乗降場(現在の会津鉄道大川ダム公園駅)のように括弧書きで小さく表記された例もあった。

国鉄の分割民営化と仮乗降場 編集

国鉄分割民営化によるJR発足当日(1987年4月1日)付で、特定地方交通線も含めた仮乗降場は正式な駅に格上げされた。但し深名線政和温泉駅などのように、季節営業をしていた仮乗降場を中心に臨時駅に移行されたケースもある。この時点では営業キロを設定せず、運賃計算上は仮乗降場時代と同様であった。停車列車も、引き続き普通列車の一部が通過するなど扱いは大きく変わらなかった。

このうち営業キロについては、1990年(平成2年)3月10日付でこの日までに廃止されたものを除いて設定された[7]

残存した元仮乗降場は、その後沿線のさらなる過疎化進行等により、利用客僅少を理由に廃止されたものも多く存在する。また、特に2010年代以降は利用僅少となった駅の廃止が急速に進められており、仮乗降場に出自を持つ駅も多くが廃止対象となっている。例として2021年3月に廃止となったJR北海道の13駅のうち、11駅が仮乗降場に出自を持つ駅であった。

北海道の現存する仮乗降場に出自を持つ駅の一覧 編集

改築等により元からの正式な駅と遜色無い見た目になった駅もあれば、仮乗降場時代からの設備がほぼそのまま維持されている駅もある。

路線駅名備考
函館本線大中山駅
仁山駅信号場の旅客扱いが起源
渡島沼尻駅信号場の旅客扱いが起源
光珠内駅
札沼線北海道医療大学駅駅昇格後に駅設備を大幅に増改築
室蘭本線小幌駅信号場の旅客扱いが起源
北舟岡駅信号場の旅客扱いが起源
崎守駅駅昇格時に新線切替
千歳線長都駅駅開業の直前に仮乗降場として暫定的に営業していたもの
留萌本線北秩父別駅
釧網本線桂台駅
宗谷本線旭川四条駅駅昇格時に高架化
北永山駅駅昇格後に移転改築あり
瑞穂駅
智北駅駅昇格後に移転改築あり
天塩川温泉駅
糠南駅
石北本線柏陽駅駅昇格後に高架化
西女満別駅

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 【47都道府県の謎】北海道には時刻表に載らない駅があった?/旧国鉄時代の仮乗降場 利用者減少の波にのまれ『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」2021年6月12日4面(2020年6月26日閲覧)
  2. ^ 1969年昭和44年)10月1日臨時乗降場に統一されるまで本社設定の認可に基づく仮乗降場も存在した。
  3. ^ 管轄区域は、函館本線滝川駅以北、札沼線浦臼駅以北、留萌本線羽幌線深名線宗谷本線美幸線天北線名寄本線渚滑線興浜北線興浜南線富良野線石北本線池北線の一部、相生線であった。
  4. ^ 気動車化進行時期に旭川鉄道管理局の第3代局長を務めた斉藤治平(1954年10月 - 1957年8月に旭川鉄道管理局長。国鉄バス運行を管理する自動車局総務課長からの転任であった)は、仮乗降場の設置に積極的であり、1950年代後期の旭川局管内路線に新設事例が多かった一因とされる。彼は旭鉄局長時代、管内へのレールバス導入につきメーカーと直接交渉を試みる(通常はあり得ない越権行為)など、ローカルサービスの向上に果敢に取組んでいた。岡田誠一『国鉄レールバス その生涯』(ネコ・パブリッシング、2000年)pp.11-14。
  5. ^ もっとも、正規の鉄道駅でも国鉄時代の予讃本線(当時)香西駅讃岐府中駅八十場駅讃岐塩屋駅などのように仮乗降場なみの構造設備しか無いケースもあった。
  6. ^ 後に正式な駅に昇格した際に全国の時刻表に載るようになった。
  7. ^ 池北線大森仮乗降場笹森仮乗降場は、1989年北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の転換時に営業キロが設定された。

関連項目 編集

外部リンク 編集