ローデシア紛争
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ローデシア紛争(ローデシアふんそう)は、1965年から1979年にかけてアフリカのローデシア(現ジンバブエ共和国)で戦われた紛争である。
ローデシア紛争 | |
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ローデシアと周辺国家 | |
戦争:ローデシア紛争 | |
年月日:1965年~1979年 | |
場所:ローデシア | |
結果:ジンバブエ・ローデシア共和国の成立 | |
交戦勢力 | |
ローデシア | ジンバブエ・アフリカ人民同盟 ジンバブエ・アフリカ民族同盟 アフリカ民族会議 モザンビーク |
概要 編集
戦争前のローデシアはイアン・スミス(ローデシア戦線)が南ローデシア植民地政府首相を務める白人優位の地域で有色人種の独立運動は弾圧されていた。宗主国英国は相次ぐアフリカ諸国独立で植民地時代の終焉を悟り、黒人の参政権を保証する形でのローデシア独立を求めた。しかし白人政権はこれを拒否し、1965年11月11日に英国からの一方的独立宣言を行い英国総督を追放した。以降、ローデシア政府軍と中ソの支援を受けたアフリカ人抵抗勢力のゲリラ闘争が本格的となり、近隣諸国を巻き込んだローデシア紛争に発展する。ローデシア紛争は、1979年12月29日の戦闘終結まで継続した。
陣営 編集
- 政府側
- 反政府勢力側
- ジンバブエ・アフリカ人民同盟 (ZAPU) - ソ連が支援する勢力
- ジンバブエ・アフリカ民族同盟 (ZANU) - 中国が支援する勢力
- モザンビーク解放戦線 (FRELIMO) - ローデシアに隣接するポルトガル領東アフリカで独立戦争を戦っていた勢力
- アフリカ民族会議 (ANC) - 南アフリカ共和国で反アパルトヘイト闘争を展開していた勢力。党の軍事部門であるウムコントゥ・ウェ・シズウェ(民族の槍)のメンバーをローデシアに潜入させていた。
また、ローデシアと同じくアパルトヘイト政策を推進していた南アフリカ共和国とアフリカ植民地の独立運動を抑えたいエスタド・ノヴォ体制下のポルトガルが政府側を、ザンビアやタンザニア、リビア、エチオピアなどブラックアフリカ諸国が反政府勢力側を支援したほか、北朝鮮軍が平壌近郊の基地でZANUの兵士に爆発物など兵器の使用訓練を施していた。1979年6月にはキューバとモザンビークがZAPUおよびZANUに対して直接的な軍事支援を申し入れたが双方ともこれを辞退している。また、イギリス本国も、実行されたかどうかは不明確だが、ローデシア政府に対する和平圧力として、反政府ゲリラ組織へのイギリス人顧問の投入や傭兵部隊の導入などを言明していた。
関連項目 編集
- ローデシア問題
- ローデシア・ニヤサランド連邦
- 南ローデシア
- 北ローデシア
- 英領ニヤサランド
- ジンバブエ・ローデシア
- ローデシア軍
- ローデシア空軍
- モザンビーク独立戦争/モザンビーク内戦
- モザンビーク民族抵抗運動(RENAMO) - モザンビーク内戦のさなかに、ローデシア政府の支援を受けていた反政府勢力。
- ヘンリー・キッシンジャー - 米国務長官。1976年4月27日にローデシアの隣国のザンビアを訪問し、イアン・スミス政権に対して黒人多数支配に移行するように圧力を掛け、結果的に白人独裁体制を終焉させるきっかけの一つを作った[1]。
脚注 編集
外部リンク 編集
- Institute of Rhodesian Army - ローデシア紛争 - ウェイバックマシン(2019年3月30日アーカイブ分)