ブールジュ

フランスの都市

ブールジュブルジュBourges)は、フランスサントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏シェール県にある都市。かつてのベリー地方の中心地。

ブールジュ

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région)サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏
(département)シェール県
(arrondissement)Arrondissement of Bourges
小郡 (canton)5
INSEEコード18033
郵便番号18000
市長任期パスカル・ブラン
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr)Bourges Plus
人口動態
人口66 666人
2012年
人口密度970人/km2
住民の呼称Berruyers[1]
地理
座標北緯47度05分04秒 東経2度23分47秒 / 北緯47.084444度 東経2.396389度 / 47.084444; 2.396389座標: 北緯47度05分04秒 東経2度23分47秒 / 北緯47.084444度 東経2.396389度 / 47.084444; 2.396389
標高平均:? m
最低:120 m
最高:169 m
面積市: 68.74km2 (2 748ha)
ブールジュの位置(フランス内)
ブールジュ
ブールジュ
公式サイトhttp://www.ville-bourges.fr/
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歴史 編集

ケルト人ビトゥリゲス族が設けたオッピドゥム(集落)が起源であり、当時はアウァリクムラテン語Avaricum)と呼ばれていた。共和政ローマ時期のガリア戦争ではカエサル率いるローマ軍ウェルキンゲトリクスガリア軍との戦いの舞台ともなった(アウァリクム包囲戦)。

ブールジュの名前は「ビトゥリゲス族」からとも、ドイツ語で「城」を意味するBurg(フランス語:bourg)からともされる。

ガリア戦争後も引き続き発展し、道路を通じてカエサロドゥヌム(現トゥール)、ケナブム(現オルレアン)、アウグストリトゥム(現リモージュ)などと結ばれていた。3世紀より司教座がおかれ、のちに大司教座へと昇格した。

1415年、アジャンクールの戦いの結果、ブルゴーニュ派パリを支配されたシャルル7世がこの地に逃れた。以後、アルマニャック派の拠点となる。1438年、ガリカニスムを謳う「ブールジュの国事詔書」がシャルル7世により公布された。

15世紀の貴族ジャック・クールや19世紀印象派の画家ベルト・モリゾはブールジュの出身である。

人口統計 編集

1962年1968年1975年1982年1990年1999年2006年2011年
60 63270 81477 30076 43275 60972 48070 82866 666

参照元:1962年から1999年まで人口の2倍カウントなし。自治体人口については以下の日付。1999年までEHESS[2]、2004年以降INSEE[3][4]

観光 編集

1195年から1255年にかけて建設されたゴシック・スタイルのサン=テチエンヌ大聖堂があり、1992年に「ブールジュ大聖堂」の名で世界遺産に登録されている。

大学 編集

関係者 編集

出身者
ゆかりある人物

姉妹都市 編集

ギャラリー 編集

脚注 編集

外部リンク 編集