チャクリー王朝

タイの現王朝
タイ王室から転送)

チャクリー王朝(チャクリーおうちょう)は、1782年タイ仏暦2325年)、ラーマ1世によって興されたタイの現・王朝首都バンコクにあるためバンコク王朝、あるいは、王宮が運河とチャオプラヤー川に囲まれたラッタナーコーシン島にあることからラッタナーコーシン王朝ラタナコーシン王朝とも表記される)という別名がある。2023年現在まで続く王朝で、現在のラーマ10世を含めて、10代の歴代王が名を連ねる。チャクリーとは、ラーマ1世の高貴な称号である。

チャクリー王朝
ราชวงศ์จักรี



バンコクの王宮
タイ王国の旗 タイ
主家アユタヤ王朝
当主称号タイの国王
当主敬称陛下
創設1782年4月6日
家祖ラーマ1世(初代)
現当主ラーマ10世(第10代)
民族タイ人
分家131家
タイ王室

ラーマ10世国王
スティダー王后
シニーナ貴人



歴史

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ラーマ1世

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ビルマから侵入したコンバウン王朝に取って代わりトンブリー王朝がタイを掌握すると、各地に軍閥のような勢力が力を付けてきた。華人マハー・カサットスック公爵(後のラーマ1世)もそのような中の一人であった。トンブリー朝の王・タークシンはその圧倒的なカリスマ性と軍事力で何とかタイ全国を維持していた。しかし、タークシン王は晩年、精神に異常をきたし、そのカリスマ性にかげりが見え始める。その中で、官吏のサン伯爵がタークシン王を寺に幽閉し、自分が摂政に就任。これはマハー・カサットスック公爵がカンボジアの遠征の途上であった。サンカブリー伯爵はついで王位をもねらったが、急報を受けて帰還したマハー・カサットスック公爵によって摂政から降ろされた。

チャクリー王朝のエンブレム。 スダルシャナヴィシュヌの力の象徴である円盤状の武器・チャクラム)の中にあるトリシューラシヴァが持つ三叉戟

ラーマ1世はトンブリー王朝下でも破格の出世を遂げ、タイ史を通して滅多に与えられることのなかった公爵の位を受けた。そのカリスマ性はタークシンに負けず劣らずで、サンカブリー伯爵による反乱軍を制した後、官吏らに推挙され王位に就いたとされる。ここにチャクリー王朝は成立した。前王タークシンはラーマ1世に処刑されトンブリー王朝は滅亡した。

この王朝の体制は絶対王政であるとされるが、実際に王の威光が及んでいる地域はバンコクとその周辺地域のみであった。地方政治は中央に忠誠を誓う地方の豪族・あるいは中央の派遣知事に任ぜられ、その行政は実質野放し状態であった。

ラーマ2世・3世・4世

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ラーマ2世ラーマ3世は詩人であり、ラーマ4世(モンクット王)は仏教改革者あるいは西洋に門戸を開いたという功績がある。一方この時代、王は何十人もの妻と子供を持っていたため、王族の数が多くなり、権力は分散してしまった。中央政府では貴族の権力が強大で、戦時中以外は王の権力が一般に弱かった。王の特権は富と文化の中心であることだけだった。特にこの時代、有力貴族のブンナーク家が王族との婚姻により大きな力を付け、本来王が行うはずの王の承認まで口出しするようになった。

ラーマ5世

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ラーマ5世(チュラーロンコーン大王)は王権と国力を高めるため、近代化政策である「チャクリー改革」を行った。西洋を手本に国内の交通・通信を整え、中央政権支配の基礎を整えた。この時代、ラオスカンボジアと南部の一部をそれぞれフランスイギリス植民地となった。残った領土を死守するため、タイを中央集権国家にすることを決め、各地の王を廃止し、各県を中央政府の支配下に置いた。一方、中央にはびこっていたブンナーク家奴隷解放などの政策により財力を失い、官僚制導入によって、行政的な意味での支配力をほぼ失った。ラーマ5世は自ら文武官吏の長となって、貴族政治から離れた絶対王政をほぼ完全に実現した。

ラーマ6世

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ラーマ6世(ワチラーウット王)は父王が築いた絶対王権によりやりたい放題だった。チャクリー王朝史上初めての留学生であった。愛国精神を強調し、財政の続く限りスアパー団(青年自警団)などの愛国主義に満ちた無意味な浪費を続けたため、官僚の不信感が高まった。華人系のチャクリー王朝はラーマ5世の代まで中国風の姓「鄭」を名乗り、優遇された華人が暴利を貪っていた。これに対し、ラーマ6世はこの華人優遇政策を一転し、論文『東洋のユダヤ人』を著して華人を批判した。一方で華人のタイへの同化を計り、属地主義を導入した。また、後継者を残すことを重要視せず結果として王位継承を複雑にしてしまったという問題もあった。こうした意見もある一方で事実としてタイの軍隊の近代化に高等教育の実施、省庁の整備など財政面以外での内政の評価は依然高く、見方によって評価が分かれる君主である。

ラーマ7世

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ラーマ7世(プラチャーティポック王)も留学により、より新しい西洋の教育を受けていた。このため、ラーマ5世、6世が「民主主義はタイの風土に合わない」と述べていたのとは異なり、民主主義には元来積極的であった。治世中にはラーマ6世の財政浪費が祟り、官僚の大幅な人員整理を行ったため、ラーマ6世時代から集積する官僚の鬱憤が次第に高まっていった。そのため、本格的な民主主義を実現しようと、憲法を公募し、その草案に加筆した上で発表しようとしたが、発表直前に残存していた王族勢力の猛反対に遭い、憲法布告をあきらめた。これを見た官僚勢力は猛烈に反発し、官僚のプラディットマヌータム男爵は陸軍勢力の陸軍大佐パホンポンパユハセーナー伯爵、 陸軍少佐ピブーンソンクラーム男爵と共同でタイ立憲革命を起こした。これにより、チャックリー王朝の絶対王政は崩壊した。

ラーマ8世

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その後のチャクリー王朝の王は単なる傀儡として扱われた。ラーマ8世時にはその権威は完全に失墜し、太平洋戦争中には、日本との友好象徴として祭り上げられた。その後ラーマ8世は戦後、謎の変死を遂げることとなった[1]

ラーマ9世

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後継のラーマ9世は憲法の枠内での立憲君主として振る舞い、国王の権威を大きく回復した。即位してから20年続いた摂政時代には特に目立った行動はなかったものの、1992年政変暗黒の5月事件」の時には、当事者のスチンダー・クラープラユーンチャムロン・シームアンの調停役を行った。このときの様子はテレビで放映され、当事者2人が国王の前に泣きながらひざまずいている姿は、国民に「タイ国王ここにあり」と見せしめ、一部では政治介入に危惧する声はあるものの、国王の評価が非常に上がり国民に尊敬されるチャクリー史上初めての国王らしい王となった。[要出典]

ラーマ10世

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2016年10月13日のラーマ9世崩御後、1ヶ月半ほどの空位を経て、12月1日にラーマ10世が即位した。2020年代に入ると学生らの間に、それまでタブー視されてきた王室批判や王室改革を求めるデモ活動と称した革命活動が一時期活発になったが、次第に勢いは沈下し、事態を重く見た王室がより一層公務を行うようになったため、一部の精鋭化した活動家を除き事態は収拾に向かいつつある。

歴代王

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肖像国王在位の開始戴冠式在位の終了
1 プッタヨートファーチュラーローク
大王
(ラーマ1世)
1782年4月6日1782年6月10日
(1回目)
1785年
(2回目)
1809年9月7日
(27年)
2 プッタルートラーナパーライ
(ラーマ2世)
1809年9月7日1809年9月17日1824年7月21日
(14年)
3 チェーサダーボーディン
(ラーマ3世)
1824年7月21日1824年8月1日1851年4月2日
(26年)
4
モンクット
大王
(ラーマ4世)
1851年4月2日1851年5月15日1868年10月1日
(17年)
5
チュラーロンコーン
大王
(ラーマ5世)
1868年10月1日1868年11月11日
(1回目)
1873年11月16日
(2回目)
1910年10月23日
(42年)
6
ワチラーウット
(ラーマ6世)
1910年10月23日1910年11月11日
(1回目)
1911年11月28日
(2回目)
1925年11月26日
(15年)
7
プラチャーティポック
(ラーマ7世)
1925年11月26日1926年2月25日1935年3月2日
(9年)
8アーナンタマヒドン
(ラーマ8世)
1935年3月2日1946年6月9日
(11年)
9
プーミポン・アドゥンヤデート
大王
(ラーマ9世)
1946年6月9日1950年5月5日2016年10月13日
(70年)
10
ワチラーロンコーン
(ラーマ10世)
2016年10月13日
(7年)
2019年5月4日

副王

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チャクリー王朝には他のインドシナの上座部仏教国同様、副王(ウパラージャ英語版)の制度があった。以下にチャクリー王朝期における副王を挙げる。副王から国王になったのはラーマ2世ただ一人で、副王の周りには反国王派などのたまり場となることが多く弊害が多かった(たとえば、ワンナー事件タイ語版など)。そのためラーマ5世時を最後に任命されなくなった。同時に、西洋を真似て摂政王太子制度が導入された。

副王

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肖像副王在位期間
1 スラシンハナート英語版1782年1803年11月3日
2 イッサラスントーン1806年1809年9月7日
3 セーナーヌラック英語版1809年9月7日1817年7月16日
4
サックディポンセープ英語版1824年7月21日1832年5月1日
5
ピンクラオ英語版1851年5月25日1866年1月7日
6
ウィチャイチャーン1868年10月2日1885年8月28日

副王代理

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肖像副王代理在位期間
1 アヌラックテーウェート英語版1785年1806年12月20日

王太子

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肖像王太子在位期間
1 ワチルンナヒット英語版1886年1月14日1894年1月4日
2 ワチラーウット1894年1月20日1910年10月23日
3 ワチラーロンコーン1972年12月28日2016年10月13日

摂政

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肖像摂政在位期間注意
チュラーロンコーン国王 (ラーマ5世)
シースリヤウォン公爵英語版1868年10月1日1873年11月16日国王成人するまで王務を代理
サオワパーポーンシー王妃1897年4月7日1897年12月16日国王のヨーロッパ視察中に王務を代理
ワチラーウット王太子1907年3月27日1907年11月17日国王のヨーロッパ視察中に王務を代理
ワチラーウット国王 (ラーマ6世)
スコータイ公
プラチャーティポック
サックディデート王子
1925年1925年11月25日国王の病気の間に任命された
プラチャーティポック国王 (ラーマ7世)
ナコーンサワン公
ボリパットスクッムパン王子英語版
1932年4月9日1932年5月8日国王の夏休み期間中に任命された
ナリッサラーヌワッティウォン公
ジットジャラン王子
1934年1月12日1935年3月2日国王不在時の王務代理
アーナンタマヒドン国王 (ラーマ8世)
アヌワットチャートゥロン公
オスカルヌティット王子タイ語版
1935年3月2日1935年8月12日摂政評議会議長。在任中に死去
アーティットティッパアーパー王子英語版1944年7月31日摂政評議会議議長(1935年8月12日 - )。辞任
ヨムマラート侯爵タイ語版1938年12月30日在任中に死去
ウィッチャイェーンヨーティン侯爵タイ語版1935年8月21日1942年7月21日在任中に死去
プラディットマヌータム男爵1941年12月16日1945年12月20日国王が帰国したため辞職
プーミポン・アドゥンヤデート国王 (ラーマ9世)
スターマウィニトチャイ子爵タイ語版1946年6月9日1946年6月16日臨時摂政
ノンラーチャスワット伯爵タイ語版
サグアン・チュータテーミータイ語版
チャイナート公
ランシットプラユーラサック王子英語版
1946年6月16日1947年11月7日国王は大学に戻るため、二人の摂政評議会を任命
マーナワラーチャセーウィー伯爵タイ語版
枢密院1947年11月9日1949年6月23日1. チャイナート公ランシットプラユーラサック王子
2. ピッタヤラープルティヤーゴン公ターニーニワット王子
3. アディゾーンウドムサッグ公アロンゴット王子
4. マーナワラーチャセーウィー伯爵
5. アドゥンデートチャラット男爵
からなる
チャイナート公
ランシットプラユーラサック王子英語版
1949年6月23日1950年3月24日戴冠式のため国王が帰国したため一時辞職
1950年6月5日1951年3月17日在任中に死去
ピッタヤラープルティヤーゴン公
ターニーニワット王子英語版
1951年3月12日1952年12月19日国王が帰国したため辞職
シリキット王妃1956年10月22日1956年11月5日国王の出家中
シーナカリン王太后1959年12月18日1959年12月21日国王と王妃ベトナム訪問
1960年2月9日1960年2月16日国王と王妃のインドネシア訪問
1960年3月2日1960年3月5日国王と王妃のビルマ連邦への訪問
1960年6月14日1960年11月8日国王と王妃のアメリカ合衆国ヨーロッパ訪問
1962年3月11日1962年3月22日国王と王妃のパキスタン訪問
1962年6月20日1962年6月27日国王と王妃のマラヤ連邦訪問
1962年8月17日1962年9月13日国王と王妃のニュージーランドオーストラリア訪問
ピッタヤラープルティヤーゴン公
ターニーニワット王子英語版
1963年5月27日1963年6月8日国王と王妃の日本国中華民国訪問
1963年7月9日1963年7月14日国王と王妃のフィリピン訪問
シーナカリン王太后1964年9月12日1964年10月6日国王と王妃のコンスタンティノス2世アンナ=マリア王妃の結婚式のためのギリシャ王国訪問とオーストリア訪問
1966年7月15日1966年9月1日国王と王妃のイギリス訪問
1967年4月23日1967年4月30日国王と王妃のイラン帝国訪問
1967年6月6日1967年6月24日国王と王妃のアメリカ合衆国カナダ訪問
ワチラーロンコーン国王 (ラーマ10世)
プレーム・ティンスーラーノン大将2016年10月13日2016年12月1日2016年10月13日ラーマ9世崩御したことに伴い、ワチラーロンコーン王太子が王位を継承するまでの間、憲法の規定に従って枢密院議長であるプレームが暫定摂政として国王の職務を一時的に代行した。その後、ワチラーロンコーン王太子が12月1日に「ラーマ10世」として即位の宣誓をしたため、暫定摂政を退任した。

王室の財産

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王位継承順位 (2016年10月13日)
順位継承資格者タイ爵位分家性別生年月日/現年齢現国王から見た続柄
1位 ティパンコーンラッサミチョトทีปังกรรัศมีโชติマヒドン男性2005年4月29日19歳親等1/第7子(第1王子)
2位 パッチャラキッティヤパーพัชรกิติยาภาラーチャサリニーシリパット女公マヒドン女性1978年12月7日45歳親等1/第1子(第1王女)
3位 シリワンナワーリーสิริวัณณวรีマヒドン女性1978年12月7日37歳親等1/第6子(第2王女)
4位 シリントーンสิรินธรテープラッタナラーチャスダー女公マヒドン女性1955年4月2日69歳親等2/王妹/ラーマ9世第3子
5位 チュラポーンจุฬาภรณวลัยลักษณ์スリーサワーンカワット女公マヒドン女性1957年7月4日66歳親等2/王妹/ラーマ9世第4子

分家

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太上王家

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トンディー太上王
タイ家祖
1ナリンタラーングンนรินทรางกูรトンチーン王子
ナリンロンナレート公
2テープハッサディンเทพหัสดินターン王子
テープハリラック公
3モントリーグンมนตรีกุลチュイ王子
ピタックモントリー公
4イサラーングンอิศรางกูรゲート王子
イサラーヌラック公
5ナリンタラグンนรินทรกุลグ王女
ナリンタラテーウィー女公
6チェーサダーングンเจษฎางกูรラー王子
チャクチェサダー公

国王家

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ラーマ1世国王
タイ家祖
1インタラーングンอินทรางกูรタップティッム王子
インタラピピット公
2タップパグンทัพพะกุลタップ王子
チットパックディー公
3スリヤグンสุริยกุลスリヤー王子
ラームイサレット公
4チャタグンฉัตรกุลチャト王子
スリンタララック公
5プンブンพึ่งบุญガイソーン様
6ダーラーゴンดารากรダーラーゴン王子
スリーステップ公
7ドゥアンチャクดวงจักรドゥアンチャク王子
ナロンハリラック公
8スタットสุทัศน์スタット王子
ガイソーンウィシット公
ラーマ2世国王
タイ家祖
1マーラーグンมาลากุลマハーマーラー王子
バムラープポラパック公
2アーポーングンอาภรณ์กุลアーポーン王子
3グルアイマイกล้วยไม้グルアイマイ王子
スントーンティボディー公
4グスマーกุสุมาグスマー王子
セッブスントーン公
5デーチャーティウォンเดชาติวงศ์マン王子
デーチャーディソーン公
6ハノムワンพนมวันハノムワン王子
ピピットポックプーベン公
7グンチョンกุญชรグンチョン王子
ピタックテーウェト公
8レーヌナンเรณุนันทน์れーヌー王子
9ニヤミットนิยมิศรニアム王子
10ティンナゴンทินกรティンナゴン王子
プワネットナリンタラリット公
11パイトゥンไพฑูรย์パイトゥン王子
サニットナレーン公
12マハーグンมหากุลトー王子
マヒッサワリンタラーマレート公
13ワッチャリーウォンวัชรีวงศ์ガラーン王子
テーウェトワッチャリン公
14チュムセーンชุมแสงチュムセーン王子
サップパシンプリーチャー公
15サニットウォンสนิทวงศ์ヌウム王子
ウォンサーティラートサニット公
16モラゴットมรกฏモラゴット王子
サティトサターポン公
17ニンララットนิลรัตน์ニンララット王子
アロンゴットキットプリーチャー公
18アルンウォンอรุณวงศ์アルンウォン王子
ウォーラサックダーピサーン公
19ガピットターกปิตถาガピットター王子
プバンボーリーラック公
20プラーモートปราโมชプラーモート王子
ウォーラチャクタラーヌパップ公
ラーマ3世国王
タイ家祖
1シリウォンศิริวงศ์シリウォン王子
マタヤーピタック公
2ゴーメンโกเมนゴーメン王子
チェターティベン公
3カネーチョンคเนจรゴーメン王子
アマレンタラバディン公
4ゴンロットงอนรถゴンロット王子
5ラダーワンลดาวัลย์ラダーワン王子
プミンタラパックディー公
6チュムサーイชุมสายチュムサーイ王子
ラッチャシハウィグロッム公
7ピヤーゴンปิยากรピアック王子
8ウライポンอุไรพงศ์ウライ王子
アトゥンラヤラックサナソッムバット公
9アンノップอรรณพアンノップ王子
ウドッムラッタナラースリー公
10ラムヨーンลำยองラムヨーン王子
11スバンสุบรรณスバン王子
プワナイナルベンタラピバーン公
12シンハラーสิงหราシンハラー王子
ボディンタラハイサーンソーポン公
13チョムプーネットชมพูนุชチョムプーネット王子
チャルンポンプンサワット公
ラーマ4世国王
タイ家祖
1チャガパンจักรพันธุ์チャートゥロンラッサミー王子
チャガパットディポン公
2パーヌパンภาณุพันธุ์パヌランスリーサワーンウォン王子
パヌパントゥウォンウォラデット公
3チトラポンจิตรพงศ์ジットジャラン王子
ナリッサラーヌワッティウォン公
4ノッパウォンนพวงศ์ノッパウォン王子
マへスワンシワウィラート公
5スプラディトสุประดิษฐ์スプラディト王子
ウィサヌナートニパトン公
6キサダーゴンกฤดากรキサダーピニハーン王子
ナレートウォラリット公
7カッカナーンคัคณางค์カッカナーンカユコン王子
ピチットプリーチャーゴン公
8スックサワットศุขสวัสดิスックサワットディー王子
アディソーンウドッムデート公
9タウィーウォンทวีวงศ์タウィータワンヤラップ王子
プタレートタムロンサック公
10トンヤイทองใหญ่トンゴンゴーンヤイ王子
プラチャクシンラパーゴッム公
11ガセームサンเกษมสันต์ガセームサンソーパーク王子
ポッムワラヌラック公
12ガマラートกมลาศน์ガマラートルーサン王子
ラチャサックサモソン公
13ガセームスリーเกษมศรีガセームスリースパヨック王子
ティワゴンウォンプラワット公
14スリータワットศรีธวัชスリーシットティトンチャイ王子
シリタットチャサンガート公
15トンテームทองแถมトンテームタワンヤウォン王子
サッパサートスパキット公
16チュムポンชุมพลチュムポンソッムポート王子
サッパシットティプラソン公
17テーワグンเทวกุลテーワンウタイウォン王子
テーワウォンワローパガーン公
18サワットディグンสวัสดิกุลサワットディプラワット王子
ソマタアモンパン公
19チャンタラタットจันทรทัตチャンタラタットチュターターン王子
ウィウィトワンナプリーチャー公
20チャヤーングンชยางกูรチャイヤーヌシット王子
ポンサーディソンマヒッブ公
21ウォラワンวรวรรณワラワナーコーン王子
ナラーティッププラパンポン公
22ディサグンดิศกุลディッサワラグマーン王子
ダムロンラーチャーヌパープ公
23ソーパーンโสภางค์スリーサオワパーン王子
24ソーナグンโสณกุลソーナバンディト王子
ピタヤラーブプルティタダー公
25ワッタナウォンวัฒนวงศ์ワッタナーヌウォン王子
マルポンシリパット公
26サワットディワットสวัสดิวัตน์サワットディソーポン王子
サワットディワッダナウィシット公
27チャイヤンไชยันต์チャイヤンタモンコン王子
マヒソーンラチャハルタイ公
ラーマ5世国王
タイ家祖
1キティヤーゴンกิติยากรキティヤーゴンウォララック王子
チャンタブリー公
2ラピーパットรพีพัฒน์ラピーパッタナサック王子
ラーチャブリー公
3プラウィトประวิตรプラウィトワッタノドッム王子
プラーチーン公
4チラプラワットจิรประวัติチラプラワットウォラデート王子
ナコーンチャイシー公
5アーパーゴンอาภากรアーパーゴンキアッティウォン王子
チュムポーン公
6ボリパットบริพัตรボリパットスクッムパン王子
ナコーンサワン公
7チャトチャイฉัตรชัยブラチャトチャイヤーゴン王子
カムペーンペット公
7.1ブラチャトบุรฉัตรプレームブラチャト王子
8ペンパットเพ็ญพัฒน์ペンパッタナポン王子
ピチャイ公
9チャカポンจักรพงษ์チャカポンプーワナート王子
ピッサヌローク公
10ユコンยุคลユコンティカッムポン王子
ロッブリー公
11ウティチャイวุฒิชัยウティチャイチャルムラープ王子
シンハ公
12スリヨンสุริยงスリヨンプラユラポン王子
チャイヤー公
13ランシットรังสิตランシットプラユーラサック王子
チャイナート公
14マヒドンมหิดลマヒドンアドゥンラデート太上王
15チュタートゥトจุฑาธุชチュタートゥトタラディロック王子
ペッチャブーン公
ラーマ7世国王
タイ家祖
1サックディデート・パヌパンศักดิเดช ภาณุพันธุ์チラサックスプラパート王子
ラーマ9世国王
タイ家祖
1ウィワッチャラウォンวิวัชรวงศ์ワチラーロンコーン国王
1.1ワチラーロンコーンวชิราลงกรณ์ワチラーロンコーン国王

副王家

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スラシンハナート副王
タイ家祖
1アスニーอสุนีアスニー王子
セーニーテップ公
2サンカタットสังขทัตサンカタット王子
ナラヌシット公
3パッタマシンปัทมสิงห์ブアン王子
4ニーラシンนีรสิงห์ネン王子
セーナーヌラック副王
タイ家祖
1イサラセーナーอิศรเสนาポンイサレート王子
ガサットスリーサックディデート公
2バンヨンガセーナーบรรยงกะเสนาプラヨン王子
ティべートボウォン公
3パヤックカセーナーพยัคฆเสนาスアン王子
4プッマリンภุมรินทรプッマリン王子
5ランシセーナーรังสิเสนาヤイ王子
6サハーウットสหาวุธチュムセーン王子
7ユカントーンยุคันธรユカントーン王子
アナンタカーンリット公
8シーサンสีสังข์シーサン王子
9ラチャニーゴンรัชนีกรラチャニーゴン王子
10ローンソンรองทรงローンソン王子
シットティスクッムガーン公
サックディポンセープ副王
タイ家祖
1アヌチャサックอนุชศักดิ์ヌット王子
2ガムプーกำภูガムプー王子
3ゲーサラーเกสราゲーサラー王子
アーヌパープピサーンサック公
4イサラサックอิศรศักดิ์イサラーポン王子
5ナンティサックนันทิศักดิ์ルアンカノーン王子
ピンクラオ二王
タイ家祖
1ナワラットนวรัตนナオワラット王子
サティトタムロンサワット公
2スターロッスสุธารสスターロッス王子
3トーサニーโตษะณีย์トーシニー王子
4ウォララットวรรัตน์ウォララット王子
ピサーンボウォンサック公
5パーヌマートภาณุมาศパーヌマート王子
6ハッサディンหัสดินทร์ハッサディン王子
ボリラックナリンタラリット公
7ナンタワンนันทวันナンタワン王子
8ユコンタラーノンยุคนธรานนท์ユコントーン王子
9チャルンロートจรูญโรจน์チャルンロートルアンスリー王子
チャラッスポーンパティパーン公
10プロムメートพรหมเมศプロムメート王子
11サーイサナンสายสนั่นサーイサナン王子
ウィチャイチャーン副王
タイ家祖
1ウィライウォンวิไลยวงศ์ウィライウォラウィラース王子
2ガーンチャナウィチャイกาญจนวิชัยガーンチャノパースラッサミー王子
チャンチャイボウォンヨット公
3ラッチャニーรัชนีラッチャニーチェムチャラット王子
ピッタヤーロンゴン公
4ガンラヤーナウォンกัลยาณวงศ์ガンラヤーナプラワット王子
ガウィスポットプリーチャー公
5スタッサニーสุทัศนีย์スタッサナニパトーン王子
6ウォラウットวรวุฒิウォラウットアーポーン王子
7ルットチャウィチャイรุจจวิชัยルチャーウォラチャウィー王子
8ウィスットティวิสุทธิボウォンウィスット王子

副王代理家

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アヌラックテーウェート副王代理
タイ家祖
1パーラガウォンปาลกะวงศ์パーン王子
ナラテーウェート公
2セーニーウォンเสนีย์วงศ์デーン王子
セーニーボリラック公

王朝旗

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王室旗

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脚注

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出典

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  1. ^ これに関して、あくまでも暗殺説を唱える人は、日本との友好的な印象が敗戦後にはマイナスに作用したため殺されたと主張する人もいる(この記述はタイでは違法

参考文献

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関連項目

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