セルタ・デ・ビーゴ

スペインのサッカークラブ

レアル・クルブ・セルタ・デ・ビーゴスペイン語: Real Club Celta de Vigo, S.A.D.ガリシア語発音: [reˈal ˈkluβ ˈθelta ðe ˈβiɣo])は、スペインガリシア州ポンテベドラ県ビーゴに本拠地を置くサッカークラブ。2012-13シーズンからはプリメーラ・ディビシオンに所属している。

セルタ・デ・ビーゴ
原語表記Real Club Celta de Vigo, S.A.D.
愛称Celestesセレステス(空色)
Celtiñasセルティーニャス(小さなケルト人)
クラブカラー    水色
創設年1923年
所属リーグラリーガ
所属ディビジョン1部2023-24
昨季リーグ順位13位(2022-23
ホームタウンガリシア州の旗 ガリシア州ビーゴ
ホームスタジアム
バライードス
収容人数35,000人
代表者スペインの旗 カルロス・モウリーニョ
監督スペインの旗 クラウディオ・ヒラルデス
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要 編集

RCフォルトゥナ・デ・ビーゴスペイン語版レアル・ビーゴSCスペイン語版の合併により、1923年8月23日に設立された[1]。セルタは、プリメーラで50シーズン以上プレーした11クラブのうちの1つで、プリメーラ通算順位では11位に位置している[2]コパ・デル・レイでは、優勝経験はないものの、4回の準優勝と8回のベスト4進出を果たしている。欧州の舞台では、UEFAヨーロッパリーグ (UEFAカップ時代も含む)に8回出場しており、2016-17シーズンには準優勝も経験した。そのほかUEFAチャンピオンズリーグには1度だけの出場を、2000年にはクラブ史上唯一の国際タイトルであるUEFAインタートトカップ優勝を成し遂げた[3]

2014年に行われたCIS (スペインの社会情勢などを調査する会社)の調査によると、22,104人ものシーズンチケット保持者がおり、これはスペイン国内のサッカークラブで10番目の数である[4]。また、デポルティーボ・ラ・コルーニャとのクラブ間には激しいライバル関係があり、両者が顔を合わせる試合はガリシア・ダービーと呼ばれる[5]

歴史 編集

設立 編集

全国選手権でのより一層の成功を願い、ガリシア州ビーゴにあるいくつかのクラブが合併してより強力なクラブを作るという考えの下で、セルタ・デ・ビーゴが設立された。この運動の旗頭に立ったのはマヌエル・デ・カストロというスポーツライターであり、1915年から合併運動の必要性を記事に書き続けた。運動のスローガンはトド・ポル・イ・パラ・ビーゴ(Todo por y para Vigo、すべてはビーゴのために)であり、レアル・ビーゴ・スポルティングレアル・フォルトゥナFCの監督の支持を取り付けた。1923年6月22日にデ・カストロがマドリードで行われたスペインサッカー連盟(RSFF)の集会で自論を提案すると、満場一致で支持された。1923年7月12日、レアル・ビーゴ・スポルティングとRCフォルトゥナ・デ・ビーゴの年次集会がホテル・モデルノにあるオデオン劇場でそれぞれ開かれ、合併案は承認された。 このようにして現在のセルタが生まれ、「チーム・オブ・ガリシア」と呼ばれた。8月10日には新クラブ名が決められた。「レアル・ウニオン・デ・ビーゴ」、「クルブ・ガリシア」、「レアル・アトランティック」、「ブレオガン」、「レアル・クルブ・オリンピコ」など様々な名称が考案され、レアル・クルブ・オリンピコが人気を得たが、結局ガリシアと繋がりの深い「セルタ」(ケルトを参照)を用いたレアル・クラブ・セルタに決定した。セルタの初代会長はトーレ・セデイラ伯爵のマヌエル・バルセーナ・デ・アンドレスが務めた。総勢64人の選手たちも決定し、レアル・フォルトゥナFCやレアル・ビーゴ・スポルティングの著名な選手たちも含まれた。

  • GK: イシドロ、リロ、ルビド
  • DF: オテーロ、パサリン、フアニート・クレメンテ、ダニエル、カイト
  • MF: ハコボ・トーレス、バルビーノ、ケラルト、エルミーダ、ポンボ、クルセス、コルドバ、マシモ、ビエンベニード
  • FW: レイゴーサ、チアローニ、ポサーダ、ポロ、コレーア、ヘラルディート、ラモン・ゴンサレス、カリーデ、ピニージャ、サルバドール、チチャ、ミゲリート、カサル
  • 監督: フランシス・カギー

エウロセルタ 編集

1990年代後半から2000年代前半はセルタの歴史上もっとも好成績を残した期間である。1997-98シーズンにリーグ戦6位となって26年ぶりにUEFAカップ出場権を獲得すると、1998年夏には攻撃サッカーで知られるビクトル・フェルナンデス監督を招聘し、1998-99シーズンのUEFAカップではベスト8に躍進した。1997-98シーズンから2002-03シーズンまで6シーズン連続で7位以内でシーズンを終え、1998-99シーズンから5シーズン連続でUEFAカップに出場し、スペインメディアにエウロセルタ(EuroCelta)と呼ばれた。主要選手にはロシア代表アレクサンドル・モストヴォイヴァレリー・カルピンイスラエル代表ハイム・レヴィヴォなどがいた。

栄光からの転落 編集

2002-03シーズンにリーグ戦4位となり、クラブ史上初のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。ACミランAFCアヤックスクラブ・ブルッヘと同組となったグループリーグではAFCアヤックスを破る金星を挙げ、ACミランに次ぐ2位で決勝トーナメント進出を決めたが、決勝トーナメント1回戦ではアーセナルFCに2試合合計2-5で敗れた。リーグ戦では悲惨な成績に終わり、19位と不振を極めてセグンダ・ディビシオン(2部)降格となった。2004-05シーズンに2位となって1シーズンでのプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を果たすと、2005-06シーズンは6位でUEFAカップ出場権を獲得した。2006-07シーズンのUEFAカップでは1回戦でスタンダール・リエージュを倒し、グループリーグではニューカッスル・ユナイテッドFCに次ぐ2位となって決勝トーナメントに進出した。決勝トーナメント1回戦ではベスト4となったヴェルダー・ブレーメンに敗れたが、セビージャFC(優勝)、RCDエスパニョール(準優勝)、CAオサスナ(ベスト4)とともにスペイン勢の躍進を印象付けた。しかし、同シーズンのリーグ戦では18位となり、またもや欧州カップ戦に出場したシーズンにセグンダ・ディビシオン降格となった。

ラ・リーガ復帰と欧州進出 編集

2012年6月3日、およそ5年間のセグンダ暮らしを経てプリメーラに復帰した。プリメーラ復帰1年目はリーグ序盤戦から苦戦を強いられるも、リーグ最終節のプリメーラ残留がかかった大一番、RCDエスパニョール戦に1-0で勝利し、辛くもプリメーラ残留を決めた。

2015-16シーズン、エウロセルタのメンバーだったエドゥアルド・ベリッソを監督に迎えた。このシーズン、イアゴ・アスパスダニエル・ヴァスらの活躍もあってリーグ6位フィニッシュと大健闘。UEFAヨーロッパリーグ出場権を手にした。そのヨーロッパリーグでも躍進を遂げ、ベスト16でシャフタール・ドネツクを、ベスト8でKRCヘンクを破って決勝進出が期待されたセルタだったが、そのベスト4で最終的に大会優勝を果たすマンチェスター・ユナイテッドFCに敗れ、惜しくも決勝進出とはならなかった。

ユニフォーム 編集

セルタのユニフォームが現在の配色となったのは、クラブ創設者の1人であるフアン・バリーニョ・レドの案だった。しかし、最初の試合で使われたユニフォームは赤いシャツに黒のズボンそして青と白のソックスだった。水色のユニフォームを初めて使用したのはBチームであり、その後トップチームもユニフォームを水色に変更した[6]

ユニフォームの変遷 編集

2011-12
2012-13
2013-14
2014-15
2015-16
2016-17
2017-18
2019-19
2019-20

胸スポンサーとサプライヤー 編集

セルタはスペインの主要なサッカークラブで最も長く1社との胸スポンサー契約を続けているクラブである。1986年、ビーゴに工場を置き、ビーゴ最大の雇用者数を誇るシトロエンがユニフォームの胸スポンサーとなった[7]。その年からアンブロがユニフォームサプライヤーとなったが、アンブロもまたビーゴ近郊のレドンデーラに工場を置く企業である。

期間サプライヤー胸スポンサー
1982–1986アディダスなし
1986–2010アンブロシトロエン
2010–2013Li-Ning
2013–2016アディダス
2016–Estrella Galicia

施設 編集

スタジアム 編集

セルタのホームゲームは、市街地から郊外へおよそ3kmの位置にあるエスタディオ・デ・バライードス (スポンサーの関係からアバンカ・バライードスとも呼ばれる)にて行われる。29,000人を収容でき、ピッチサイズは105×69メートルである。

スタジアム内にある公式ショップ

このスタジアムは、1928年12月30日、レアル・ウニオンとの試合で初めて使用され、その試合にはセルタが7-0で大勝した[8]。1920年代、クラブのサポーター数が急増したことで建築家のヘナロ・デ・ラ・フエンテ・アルバレス氏が設計し、何度かの計画変更を経て1928年に竣工した。完成当時は22,000人を収容する規模だった。全席座席タイプとなっており、座席1つ1つに管理番号が振られている[9]

1930年代に大規模な改修が行われ、1945年7月にはスタジアムの所有権をセルタが買い取り、正式にクラブの所有物となった。それ以降、定期的にスタジアムの改修、修繕が行われた。1982年、国内で1982 FIFAワールドカップが開かれることを機に、スタジアムをUEFAの基準に合わせる工事が計画され、西側スタンドの座席をより快適な座席に一新した。この頃の収容人数は38,000人を誇るなど、かなり大規模なスタジアムだったが、1990年代に課された立ち見席撤廃の方針により、収容人数が減らされ、現在の22,000人に落ち着いた[10]

2003年の夏、セルタが史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ参戦が決まり、それに合わせてUEFA規定のスタジアムに再度改修することが発表された。ポンテベドラ県が費用を全額負担して行われ、ロッカールーム、ミックスゾーン、通路などが主な改善点だった。また、ピッチを取り囲む溝を埋め、スタンドとピッチが近くなる、いわゆるイングランドスタイルのスタジアムへと変更された[11]

スポーツ施設 編集

エスタディオ・バレーロ

セルタがエスタディオ・バライードス以外に使用している施設には、シウダ・デポルティーバ・アフォウテサと呼ばれるトレーニンググラウンドがある。ビーゴに隣接するモスにあり、セルタのトップチームとBチームがトレーニングを行うために使用される[12]。また、ビーゴ市内のカンデアン地区にはBチーム以下のカンテラーノが練習場として訪れるア・マドロアスポーツ複合施設がある。

また、同じくビーゴ市内のラバドレス地区にはBチームがホームスタジアムとしてプレーするカンポ・ムニシパル・デ・バレーロがある。小規模なスタジアムであり、収容人数は1,171人で、ピッチサイズも101×66メートルほどしかない。

クラブ記録 編集

クラブ名の変遷 編集

クラブ創設以降、数回の名称変更が行われている。現在のRCセルタ・デ・ビーゴ S.A.D.となったのは1992年以降のことである。

  • クルブ・セルタ : (1923-1924) レアル・ビーゴSCとRCフォルトゥナ・デ・ビーゴの合併後に考えられたクラブ名
  • レアル・クルブ・セルタ : (1924-1931) 当時のスペイン国王アルフォンソ13世から"レアル"の名を与えられて改名された。
  • クルブ・セルタ : (1931-1940) スペインが共和国になったため、王を意味する単語は取り除かれた。
  • レアル・クルブ・セルタ・デ・ビーゴ : (1940-1992) スペイン内戦を経て王政復古がなされたため、レアルの名を再び取りつけた。
  • レアル・クルブ・セルタ・デ・ビーゴ, S.A.D. : (1992-) 株式会社化。S.A.D.はスポーツ株式会社を意味する。

選手記録 編集

現在、クラブに所属している選手で最も多くの公式戦に出場した選手はウーゴ・マージョである。クラブ通算では歴代3位の記録を誇っており、現在も更新し続けている。また、イアゴ・アスパスは、セルタの歴代最多得点記録を保持している選手であり、歴代2位のラモン・ポロの159ゴールとの差を広げ続けている。

クラブカラーとバッジ 編集

設立時のセルタは赤いシャツ、黒いパンツ、青いソックスを着用していた。この組み合わせは後に変更され、ガリシア州旗に象徴される空色と白色の伝統的な組み合わせが採用されたが、いつ変更されたのかは定かではない。ラシン・フェロルなどガリシア州の多くのクラブと同じく、クラブのバッジは聖ジェームズの赤十字を基調としており、十字の上にはCS(Club Celtaの頭文字)とデザインされた青色の盾が置かれている。1923年にはアルフォンソ13世の庇護を受け、バッジに王冠を抱き、クラブ名にレアルを加えてレアル・クラブ・セルタ・デ・ビーゴとなった。スペイン内戦時はクラブ名から「レアル」が取り除かれ、王冠も外されたが、王政復古後に再び付けくわえられた。

ライバル 編集

同じガリシア州のデポルティーボ・ラ・コルーニャとの対戦はガリシア・ダービーと呼ばれる。

2017-18シーズン開始時点
クラブ試合数得点失点
デポルティーボ・ラ・コルーニャ76301828101105

タイトル 編集

国内タイトル 編集

  • ガリシア州選手権 [13]
優勝 (6): 1923-24, 1924–25, 1925–26, 1929–30, 1931–32, 1933–34
  • アストゥル=ガリェゴ選手権
優勝 (1): 1934-35
  • コパ・フンタ・デ・ガリシア
優勝 (2): 2007, 2008

国外タイトル 編集

優勝 (1): 2000

プレシーズンタイトル 編集

  • トロフェオ・シウダ・デ・ビーゴ
優勝 (17):
  • トロフェオ・メモリアル・キノーチョ
優勝 (14): 1995, 1996, 1998, 1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010
優勝 (1): 1999
  • トロフェオ・ハコベオ
優勝 (1): 1999

個人タイトル 編集

ピチーチ賞 編集

サモラ賞 編集

成績 編集

近年の成績 編集

シーズンリーグ国王杯
ディビジョン順位備考
2012-13プリメーラ17位3810721375237ベスト16
2013-148位3814717495449ベスト32
2014-158位38131213474451ベスト16
2015-166位3817912515960ベスト4
2016-1713位3813619536945ベスト4
2017-1813位38131015596049ベスト16
2018-1917位38101117536238ベスト32
2019-2017位3871615374937ベスト32
2020-218位381411135557532回戦敗退
2021-2211位38121016434346ベスト32
2022-2313位38111017435343ベスト32
2023-2438

過去の成績 編集

シーズンディビジョン順位国王杯
1923-24ガリシア州1部1位ベスト8
1924-251位ベスト4
1925-261位ベスト4
1926-272位ベスト8
1927-282位ベスト8
1928-292セグンダ9位ベスト32
1930-313テルセーラ1位ベスト32
1931-322セグンダ9位ベスト4
1932-337位ベスト32
1933-344位ベスト16
1934-351位ベスト16
1935-361位ベスト16
1939-401プリメーラ10位ベスト16
1940-4110位ベスト4
1941-425位1回戦敗退
1942-435位ベスト16
1943-4414位ベスト16
1944-452セグンダ3位1回戦敗退
1945-461プリメーラ10位ベスト16
1946-479位ベスト8
シーズンディビジョン順位国王杯
1947-481プリメーラ4位準優勝
1948-4911位ベスト16
1949-507位ベスト16
1950-518位1回戦敗退
1951-529位1回戦敗退
1952-5313位不参加
1953-5410位ベスト16
1954-5511位ベスト16
1955-5610位ベスト16
1956-5713位ベスト8
1957-587位ベスト16
1958-5816位ベスト16
1959-602セグンダ2位1回戦敗退
1960-612位ベスト32
1961-626位ベスト32
1962-636位1回戦敗退
1963-649位ベスト16
1964-655位ベスト32
1965-662位ベスト32
1966-673位1回戦敗退
シーズンディビジョン順位国王杯
1967-682セグンダ3位ベスト4
1968-692位不参加
1969-701プリメーラ10位ベスト16
1970-716位ベスト16
1971-7210位ベスト8
1972-7315位ベスト16
1973-7412位ベスト32
1974-7517位ベスト16
1975-762セグンダ2位ベスト16
1976-771プリメーラ17位ベスト16
1977-782セグンダ3位3回戦敗退
1978-791プリメーラ16位ベスト16
1979-802セグンダ17位ベスト16
1980-813セグンダB1位3回戦敗退
1981-822セグンダ1位3回戦敗退
1982-831プリメーラ17位ベスト16
1983-842セグンダ6位1回戦敗退
1984-853位3回戦敗退
1985-861プリメーラ18位ベスト8
1986-872セグンダ1位3回戦敗退
シーズンディビジョン順位国王杯
1987-881プリメーラ7位ベスト16
1988-898位ベスト8
1989-9019位ベスト16
1990-912セグンダ14位5回戦敗退
1991-921位3回戦敗退
1992-931プリメーラ11位3回戦敗退
1993-9415位準優勝
1994-9513位4回戦敗退
1995-9611位ベスト16
1996-9716位ベスト4
1997-986位ベスト16
1998-995位ベスト16
1999-007位ベスト16
2000-016位準優勝
2001-025位ベスト32
2002-034位ベスト32
2003-0419位ベスト8
2004-052セグンダ2位ベスト64
2005-061プリメーラ6位ベスト16
2006-071ベスト32
シーズンディビジョン順位国王杯
2007-082セグンダ16位2回戦敗退
2008-0917位ベスト32
2009-1012位ベスト16
2010-116位2回戦敗退
2011-122位ベスト32
2012-131プリメーラ17位ベスト16
2013-149位ベスト32
2014-158位ベスト16
2015-166位ベスト4
2016-1713位ベスト4
2017-1813位ベスト16
2018-1917位ベスト32
2019-2017位ベスト32
2020-218位2回戦敗退
2021-2211位ベスト32
2022-2313位ベスト32
2023-24

現所属メンバー 編集

2024年1月31日現在[14]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
2DF カール・スタルフェルト
3DF オスカル・ミンゲサ
4DF ウナイ・ヌニェス
5MF レナト・タピア ( )
6FW カルロス・ドトール
7FW カルレス・ペレス
8MF フラン・ベルトラン
9FW タデオ・アジェンデ ( )
10FW イアゴ・アスパス
11FW フランコ・セルビ ( )
12FW アナスタシオス・ドゥヴィカス
13GK イバン・ビジャール
No.Pos. 選手名
14MF ルカ・デ・ラ・トレ ( )
15DF ジョセフ・エイドゥー
16MF ジャイウソン
17FW ジョナタン・バンバ ( )
18FW ヨルゲン・ストランド・ラーセン
19MF ヴィリオット・スウェドベリ
20DF ケビン・バスケス
21DF ミハイロ・リスティッチ ( )
22DF ハビエル・マンキージョ
23DF マヌ・サンチェス
24FW ミゲル・ロドリゲス
25GK ビセンテ・グアイタ

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

リザーブチーム 編集

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
28DF カルロス・ドミンゲス
30MF ウーゴ・ソテロ
No.Pos. 選手名
33FW ウーゴ・アルバレス

ローン移籍 編集

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
4DF ウナイ・ヌニェス (アスレティック・ビルバオ)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--DF ホセ・フォンタン (カルタヘナ)
--DF セルヒオ・カレイラ (エルチェ)
--MF ミゲル・バエサ (ミランデス)
No.Pos. 選手名
--FW フレン・ロベテ (アンドラ)
--FW ラウタロ・デ・レオン (ミランデス)
--FW ゴンサロ・パシエンシア (ボーフム)

スタッフ 編集

役職氏名
監督 クラウディオ・ヒラルデス
GKコーチ ナンド・ビジャ
フィジカルコーチ オクタビオ・マネーラ
ギド・クレターリ
テクニカルコーチ ボルハ・オウビーニャ

歴代監督 編集

歴代所属選手 編集

GK 編集

DF 編集

MF 編集

FW 編集

関連項目 編集

関連する書物 編集

  • González Villar, Celso (Galician). Albores do fútbol Vigues 
  • Cros, Jaime (1973) (Spanish). El Celta y la Liga. ムルシア: APANDA de Artes Gráficas, S.A.. ISBN 8460558517 
  • Cros, Jaime (1974) (Spanish). Celta 74 
  • Álvarez, Eugenio (2004) (Spanish). A historia do Celta (1992-2004). ビーゴ. pp. 272 
  • Ball, Phil (2001). “Raining Champions”. Morbo: The Story of Spanish Football. キングス・リン: WSC Books. pp. 165–181. ISBN 0954013468 

脚注 編集

  1. ^ Vigo Sporting y Fortuna, los precursores del Celta”. Moiceleste.com (2011年8月23日). 2021年3月14日閲覧。
  2. ^ Estadísticas LaLiga Santander”. ラ・リーガ公式サイト. 2021年3月14日閲覧。
  3. ^ El Celta ganaba la Intertoto tal día como hoy” (スペイン語). ラ・ボス・デ・ガリシア (2017年8月22日). 2021年3月14日閲覧。
  4. ^ Barómetro de junio de 2014”. CIS. 2021年3月14日閲覧。
  5. ^ Historia e historias del derbi gallego” (スペイン語). エル・パイス (2017年12月22日). 2021年3月14日閲覧。
  6. ^ Todo por y para Vigo” (スペイン語). ファロ・デ・ビーゴ (2013年8月23日). 2021年3月14日閲覧。
  7. ^ El Celta contempla otros patrocinios para su equipaje tras dos décadas con Umbro farodevigo.es、2010年3月23日
  8. ^ Una fecha histórica” (スペイン語). ファロ・デ・ビーゴ (2019年6月9日). 2021年3月14日閲覧。
  9. ^ ALGUNOS APUNTES SOBRE LA HISTORIA DE BALAÍDOS” (スペイン語). VigoEmpresa.com. 2021年3月14日閲覧。
  10. ^ “[http://www.vigoempresa.com/asi-habla-balaidos-un-articulo-de-fernando-rey-tapias/ ASÍ HABLA BALAIDOS…Un artículo de Fernando Rey Tapias]” (スペイン語). VigoEmpresa.com. 2021年3月14日閲覧。
  11. ^ Balaídos estrena "maquillaje" en el partido contra el Wigan” (スペイン語). ファロ・デ・ビーゴ (2012年8月11日). 2021年3月14日閲覧。
  12. ^ Afouteza: el Celta estrena su nueva Ciudad Deportiva en Mos esta semana” (スペイン語). treintayseis (2020年11月25日). 2021年3月14日閲覧。
  13. ^ Spain - List of Champions of Galicia RSSSF
  14. ^ PLANTILLA” (スペイン語). Celta de Vigo. 2023年9月2日閲覧。
  15. ^ ただし、Bチーム。

外部リンク 編集