ジャン=バティスト・フォール

ジャン=バティスト・フォール(Jean-Baptiste Faure フランス語: [ʒɑ̃batist fɔʁ] 1830年1月15日 - 1914年11月9日[1])は、フランスの著名なバリトンオペラ歌手。美術蒐集家としても非常に重要な人物であった。またクラシックの歌曲の作曲も行った。

ジャン=バティスト・フォール
Jean-Baptiste Faure
パリとロンドンでオペラのキャリアが絶頂期だった頃の写真
基本情報
生誕1830年1月15日
フランス王国 ムーラン
死没 (1914-11-09) 1914年11月9日(84歳没)
フランスの旗 フランス共和国 パリ
ジャンルクラシック
職業バリトン歌手、作曲家
未完成のフォールの肖像画。エドゥアール・マネ画。

キャリア 編集

フォールはアリエ県ムーランに生まれた。幼少期には聖歌隊に所属し、1851年にパリ音楽院に入学すると、翌年にはオペラ=コミック座ヴィクトル・マセの『Galathée』からPygmalionを歌い、オペラデビューを果たした。7年以上にわたってオペラ=コミック座に留まり、アダンの『山小屋』のマクス、トマの『ル・カイド』のミシェルなどのバリトンの役を歌った。この頃には同劇場で行われた7つの作品初演のうち、オベールの『マノン・レスコー』のエリニー侯爵(1856年)、マイアベーアの『ディノラ』のオエル(1859年)を演じた[2]

1860年にはオエル役でロンドンロイヤル・オペラ・ハウス、また1861年にはパリオペラ座でのデビューを飾っている。1869年までは全シーズン舞台に上がり、その後1872年から1876年、そして1878年にも歌唱を披露している。加えて1877年までハー・マジェスティーズ劇場ドルリー・レーンシアター・ロイヤルなど、ロンドン内外の舞台に立っていた。

パリではモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の他、『北極星』、『ユグノー教徒』、『ラ・ファヴォリート』など、数多くのオペラに出演した。

加えて、マイアベーア、ヴェルディ、トマなどの有名作曲家の書いたオペラの役の初演として歴史に名を遺している。『アフリカの女』(1865年)、『ドン・カルロ』(1867年)、『ハムレット』(1868年)における主要なバリトンの役がそれにあたる。

1886年のマルセイユヴィシーでの公演を最後に舞台を退いたと記録されている。

その他業績 編集

フォールは歌曲の作曲も行い、後世に残る楽曲もある。『Sancta Maria』、『Les Rameaux』、『Crucifix』などであり、後の2曲についてはエンリコ・カルーソーら他が録音を遺している。また『Les Rameaux』にはヘレン・トレットバー英語版による英訳も存在する[3]。1876年にはオペラ座で彼の舞台の主演を務めたガブリエーレ・クラウスにワルツ=伝説曲『Stella』を献呈している[4]

印象派の絵画の熱心な蒐集家であったフォールは、複数回にわたりエドゥアール・マネの肖像画のモデルとなり、傑作『草上の昼食』や『笛を吹く少年』を含む計67点のモネの作品を所有していた。またクロード・モネの作品も『アルジャントゥイユの橋フランス語版』に加えて62作品を所有していた。彼のコレクションの一部(ドガシスレーピサロアングルプリュードンらの作品も含まれる)は、エトルタにある彼の別荘「Les Roches」に保管されている。彼はこの地にある有名な崖の絵の作製を40回もモネに委嘱している[5]

フォールは第一次世界大戦の開戦間もない1914年にパリで自然的要因により没した。『ニューヨーク・タイムズ』紙の死亡記事よると、彼はレジオンドヌール勲章のオフィシエに叙されていたという。彼は歌手のコンスタンス・カロリーヌ・ルフェーブル(1828年-1905年)と結婚していた。

役柄 編集

判明している役柄をまとめた下表には、複数の言語で演じたことによる重複が含まれる。記載された西暦は彼がその配役デビューを果たした年を示している[6]

ソート可能
配役作品名作曲者
Amletoアムレート(ハムレットのイタリア語版)トマ1871年
Alfonso D'Este, Duke of Ferraraルクレツィア・ボルジアドニゼッティ1876年
Alphonse XI, King of Castilleラ・ファヴォリートドニゼッティ1860年
Assurセミラーミデロッシーニ1875年
Borroméeマルコ・スパダオベール1853年
Cacicoグワラニー族ゴメス1872年
Charles VIIジャンヌ・ダルクメルメ1872年
CrèvecœurQuentin Durwardジュヴァール1858年
Don Giovanniドン・ジョヴァンニモーツァルト1861年
Don Juanドン・ジュアン(ドン・ジョヴァンニのフランス語版)モーツァルト1866年
Dulcamara愛の妙薬ドニゼッティ1864年
Falstaff夏の夜の夢トマ1854年
Fernando泥棒かささぎロッシーニ1860年
Figaroフィガロの結婚モーツァルト1866年
Gaspard魔弾の射手ウェーバー1872年
Guillaume Tellウィリアム・テルロッシーニ1861年
Hamletハムレットトマ1868年
Hoëlディノラマイアベーア1859年
Hoëlディノラ(イタリア語版)マイアベーア1860年
Iagoオテロロッシーニ1870年
Il conte di Neversユグノー教徒(イタリア語版)マイアベーア1876年
Julien de MédicisPierre de Médicisポニャトフスキ1861年
JustinLe chien du jardinierグリサール1855年
Le Comte de Neversユグノー教徒マイアベーア1863年
Le duc de GreenwichJenny Bellオベール1855年
Le Marquis d'Hérignyマノン・レスコーオベール1856年
Lotarioミニョントマ1870年
LysandreJoconde ou Les coureurs d'aventuresイズアール1857年
Malipieriエイデオベール1853年
Max山小屋アダン1853年
Méphistophélèsファウストグノー1863年
Michelル・カイドアダン1852年
Néluskoアフリカの女マイアベーア1865年
PaddockLa coupe du roi de Thuléウジェーヌ・ディアス1873年
PedroLa mule de Pedroマセ1863年
Peters Michaeloff (Peter the Great)北極星マイアベーア1854年
Pharaonエジプトのモーゼロッシーニ1863年
Pietro北極星(イタリア語版)マイアベーア1864年
Pietroポルティチの唖娘オベール1863年
Pietroマサニエッロ(ポルティチの唖娘のイタリア語版)オベール1853年
Pietro ManelliLa Tonelliトマ1853年
PolusLa fiancée de Corintheデュプラート1867年
PygmalionGalathéeマセ1852年
Riccardo清教徒ベッリーニ1863年
Rodolfo夢遊病の女ベッリーニ1864年
Rodrigue, Marquis of Posaドン・カルロヴェルディ1867年
St. Brisユグノー教徒(イタリア語版)マイアベーア1860年
Torridaマルコ・スパダオベール1854年
ValbreuseLe sylpheクラピソン1856年

出典 編集

  1. ^ Baker, Theodore; rev. by Nicolas Slonimsky (1994) The Concise Edition of Baker's Biographical Dictionary of Musicians; 8th ed. New York: Schirmer Books, p. 289.
  2. ^ Soubies, A. & Malherbe, C. Histoire de l'Opéra comique; La seconde salle Favart 1840–1887. Flammarion, Paris, 1893.
  3. ^ The palms; Les rameaux / Historic American Sheet Music / Duke Digital Repository” (英語). Duke Digital Collections. 2021年6月6日閲覧。
  4. ^ Stella (Faure, Jean-Baptiste)の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
  5. ^ in Sophie Monneret, L'Impressionnisme et son époque, Denoël, 1978
  6. ^ De Curzon, Henri. "Jean-Baptiste Faure" (translated by Theodore Baker), The Musical Quarterly, Vol IV, No. 2 (April 1918), pp. 271–281 (at the Internet Archive). New York: Schirmer Books.

外部リンク 編集