カルロス・レシャック

スペインのサッカー選手、監督

カルロス・レシャックまたはカルレス・ラシャックCarlos Rexach, Carles Rexach1947年1月13日 - )は、スペインバルセロナ出身の元同国代表サッカー選手、元サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。名前はカルレスとするのがより正しいが、日本ではカルロスと表記された。

カルロス・レシャック
2008年のレシャック
名前
本名カルラス・ラシャック・イ・セルダー
Carles Rexach i Cerdà
ラテン文字Carles Rexach
基本情報
国籍スペインの旗 スペイン
生年月日 (1947-01-13) 1947年1月13日(77歳)
出身地バルセロナ
身長181cm
体重77kg
選手情報
ポジションFW
ユース
1958-1959スペインの旗 ロセス
1959-1965スペインの旗 バルセロナ
クラブ1
クラブ出場(得点)
1965-1981スペインの旗 バルセロナ 328 (81)
1965-1967スペインの旗 コンダル (loan) 22 (2)
通算350 (83)
代表歴
1965 スペイン U-182 (0)
1967-1970 スペイン U-237 (3)
1969-1978スペインの旗 スペイン15 (2)
監督歴
1982-1983カタルーニャ州の旗 カタルーニャ代表 (ユース)
1983-1984スペインの旗 バルセロナB (アシスタント)
1984-1987スペインの旗 バルセロナ (ユース)
1987-1996スペインの旗 バルセロナ (アシスタント)
1991スペインの旗 バルセロナ (代理監督)
1998日本の旗 横浜フリューゲルス
2001-2002スペインの旗 バルセロナ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

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選手として

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1965年FCバルセロナでプロデビュー。1981年までの間、17シーズン、665試合に出場し、211得点を挙げる。1971年には29試合で17得点を挙げ、ピチーチ(得点王)を獲得した。

選手生活の目立った活躍としては以下のようなものがある。

指導者として

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引退後、1981年1987年まで、バルセロナBの監督を務める。

1987年FCバルセロナのコーチに就任。当時監督を務めていたルイス・アラゴネスヨハン・クライフの下で働き、1990年-1991年シーズンからのリーグ戦4連覇に貢献する。1995年-1996年シーズン途中でクライフが健康上の理由で辞任すると、シーズン終了まで監督を務めた。

1998年横浜フリューゲルスの監督に就任。3-4-3の攻撃型サッカーを導入する。1stステージは序盤は低迷するも、その後7連勝したこともあり10勝7敗とまずますの成績を残したが、2ndステージに入ると守備が破綻して敗戦を重ね、J1参入決定戦がちらつく事態となり、9月28日に不振の責任を取って辞任した。一方で、周囲の反対を押し切って高卒ルーキーの遠藤保仁を開幕戦から先発起用し、後に遠藤が日本代表の主力となるきっかけをつくっている。またこの際にスペインから連れてきたコーチングスタッフの中に、2012-2013年シーズンにバルセロナの監督代行を務めたジョルディ・ロウラがいた。

スペイン帰国後は2001年から2002年にかけてバルセロナの監督を務めた。特筆すべき成績は残せなかったが、当時13歳のリオネル・メッシがバルセロナの加入テストを受けに来た際に、彼の才能を見出し、契約を結ばせたことで知られている。

外部リンク

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