下村正太郎 (12代)
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12代 下村 正太郎(しもむら しょうたろう、1927年11月20日 - 2007年5月13日)は、実業家。大丸名誉顧問・元社長・会長。
来歴・人物 編集
京都府出身。大丸の創業家12代目当主。府立一中を経て、大阪大学経済学部卒業後、1951年に大丸の主力行である三菱銀行へ入社した。その後、1965年に大丸へ中途入社して取締役となり、常務、専務を経て、1984年に社長就任。
梅田店出店のため、就任直前の1984年2月期の大丸は赤字決算に転落した。しかし、就任直後の1984年上半期(3~8月)の売上高は前年同期の7%増となった。このまま業績を回復軌道に乗せるため、1万人の労使あげて、サービス向上の「スクラム10,000運動」を始めた。梅田店と阪急百貨店うめだ本店の競争に続き、有楽町マリオンに有楽町阪急が出店することで東京駅(東京店)・有楽町でも阪急百貨店とのし烈な競争が懸念される中、「店頭のお客さんを名前で呼べるような応対をするのが目標。梅田戦争に続く有楽町戦争は、全社員のスクラムで打ち勝つつもり」と述べた[1]。
1995年の阪神・淡路大震災では主力6店舗のひとつ、神戸店が損壊した。この際、被災した消費者の声を品揃えに生かして、店舗縮小の危機を乗り切った。明石への出店を断念した一方、神戸店の再建を主導し、より好立地のはずのそごう神戸店(2019年以降の神戸阪急)を上回る地域一番店にした。1997年まで社長を務め、後任に当時常務の奥田務(現・会長兼CEO)を指名した[2]。その後は会長を2000年まで務め、相談役、最高顧問を歴任する他には毎日放送監査役なども務めた。
2007年5月23日死去。79歳没。
脚注 編集
- ^ “下村正太郎大丸社長/気になる隣の駅(情報ファイル)”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (1984年9月18日)
- ^ “下村正太郎氏死去 大丸名誉顧問、元社長”. 共同通信. (2007年5月15日) 2014年11月14日閲覧。
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