シエンクワーン王国
🔥 Top keywords: デジモンストーリー ロストエボリューションヴァンガード火曜日の女シリーズ藤原宮子豊見城警察署メインページ特別:検索古川琴音森脇亮介山口良忠小川航基密陽女子中学生集団性暴行事件新しい学校のリーダーズ寺田心向井理ポール・スキーンズノルマンディー上陸作戦福戸あや古畑任三郎中村敬斗飯塚事件髙橋藍オーメンすすきのホテル殺人事件石川祐希相島一之6月6日三淵嘉子石本沙織獣の数字中村七之助 (2代目)豊永利行虎に翼糸山英太郎古畑任三郎のエピソード一覧鈴木唯人国仲涼子蓮舫田村正和東ちづるもたいまさこ西尾由佳理特別:最近の更新2026 FIFAワールドカップ・アジア予選
シエンクワーン王国(Xiangkhouang)は、現在のラオス・ベトナム国境にあった半独立の王国。首都はシエンクワーン(シェンクワン、現在のシエンクワーン県シエンクワーン郡)。
概略 編集
シエンクワーンは、おおよそ現在のラオス・シエンクワーン県、及びベトナム・ゲアン省にまたがる地域であり、長年にわたってラーンサーン王朝の支配下にあった。
1787年、ベトナムに西山(タイソン)朝が成立すると、西山朝の太祖・阮文恵は、ラオス方面に勢力を於くことを画策した。同年、阮文恵は、当時ゲアン(乂安)にいたカイサーンに兵を率いてシエンクワーンに侵入させ、同地の領主に西山朝への入貢を要求した。これに対し、ラーンサーン王朝の末裔であるヴィエンチャン王国国王のナンタセーン・ポンマラオはすぐにシエンクアーンへ派兵し、カイサーンの軍勢を制圧した。しかし、翌1788年には3000の兵を従えたカイサーンが再び侵入し、結局ナンタセーン・ポンマラオはシエンクワーンの領主に対して西山朝への入貢を認めた。
これにより、シエンクワーンはヴィエンチャン王国領でありながら、ベトナム王朝(西山朝、及び阮朝)の勢力下に置かれるという、半独立した非常に不安定な地域となった。その後、ヴィエンチャン王国滅亡によりシエンクワーンはシャム(チャクリー王朝)の領地となったが、1893年にフランスが旧ルアンパバーン王国の宗主権をシャムから獲得すると、1899年にシエンクワーンはトンキンとルアンパバーンに分けられる形でインドシナ連邦に組み込まれた。