ケニー・ロジャース (野球)

アメリカの野球選手 (1964 - )

ケネス・スコット・ロジャースKenneth Scott Rogers, 1964年11月10日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州サバンナ出身の元プロ野球選手。(投手)。ニックネームは「The Gambler」。

ケニー・ロジャース
Kenny Rogers
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地ジョージア州サバンナ
生年月日 (1964-11-10) 1964年11月10日(59歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り1982年 ドラフト39巡目
初出場1989年4月9日
最終出場2008年9月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴 編集

テキサス・レンジャーズ 編集

1982年ドラフトテキサス・レンジャーズから39巡目(全体816位)に指名され入団。高校時代は家の農場の手伝いなどで、まともに野球に打ち込んだのは3年時の1年だけで、外野手だったが投手へ転向した。怪我などもあり、メジャーデビューはプロ入り8年目の1989年4月6日。この年、リーグ3位の73試合に登板し、防御率は2.93。新人選手としてはMLB最多の登板数となった[1]。4月9日にメジャー初勝利を記録し、7月20日にメジャー初セーブを記録した[1]

1990年ジェフ・ラッセルの故障により、6月以降クローザーとして起用され、チーム最多の69試合に登板し、15セーブを記録した[2]。リリーフとして9勝(リーグ3位)を挙げ、左投手としての球団記録となった[2]

1992年はリーグ最多の81試合に登板したが、1993年先発投手に転向し、チーム最多の16勝を挙げ、防御率4.10。1994年7月28日のカリフォルニア・エンゼルス戦でMLB史上14人目の完全試合を達成。

1995年は自己最多の17勝を記録し、ロジャース自身が持つ左投手としての球団記録を更新した[3]。5月には4試合連続無失点に抑え、39回連続無失点を達成した。これはチャーリー・ハフの36回連続無失点(1983年)を上回る球団新記録となった[3]オールスターゲームに初めて選出され、1回を2三振、無失点に抑えている。

ヤンキース、アスレチックス、メッツ 編集

1996年FAニューヨーク・ヤンキースと4年総額2000万ドルで移籍した[4]。シーズンは12勝8敗を記録し、防御率は4.68。ロジャースは初のポストシーズンとなった。4試合に登板し、防御率14.14で全くの期待外れとなったが[4]、チームは18年ぶりにワールドシリーズを制覇した。

1997年は開幕から不調で5月27日から6月15日にかけての5試合の防御率は8.87[5]。6月22日には4年ぶりにリリーフとして登板した[5]。8月5日に先発に復帰したが[5]、この年の成績は6勝7敗・防御率5.65と1993年に先発転向後最悪の成績となった。一度ケガを隠して先発登板したためジョー・トーリ監督の信頼を完全に失い[4]、ポストシーズンでは登板機会がなかった。11月7日に1998年と1999年の年俸の半分をヤンキースが負担し[4]スコット・ブロシアスとのトレードでオークランド・アスレチックスへ移籍した。

1998年はチーム最多の16勝、防御率は3.17(リーグ3位)を記録し、8月20日には通算100勝を達成した[6]。守備ではMLB最多の66補殺を記録し、ア・リーグでは1977年にジェリー・ガーヴィンが66補殺して以来の多さである[6]

2000年 - 2005年 編集

1999年7月23日にニューヨーク・メッツにトレードされ、2000年にレンジャーズに復帰。この年は13勝をあげ、ゴールドグラブ賞を4年連続で受賞中だったマイク・ムッシーナに代わり初受賞。翌2001年は怪我により7月17日の登板を最後にシーズンを終え、5勝7敗、防御率6.18の成績に終わった。

2002年はチーム最多の13勝を挙げ、通算10回目の2桁勝利となった。2003年ミネソタ・ツインズへ移籍。2004年1月14日に2年総額600万ドルでレンジャースに復帰した[7]。9回当たり6.85点(リーグ4位)の打線の援護もあり、自己最多の18勝を挙げ、投手としてリーグ史上最高齢で3回目のゴールドグラブ賞を受賞した[8]

2005年は4月27日から6月17日にかけて9連勝し、その間に球団史上3番目の長さとなる31回連続無失点を達成している[9]。オールスターまでに10勝4敗・防御率2.54の成績を残し[9]、3回目のオールスターゲームに選出されたが、6月に地元テレビ局のカメラマンに暴行し、怪我を負わせたため、ブーイングを浴びた[10]。それ以後の後半戦は4勝4敗、防御率4.72だった[9]

デトロイト・タイガース 編集

2006年から2年総額1600万ドルの契約でタイガースに移籍[11]。移籍してからは若い投手のまとめ役、相談役としてリーダーシップを発揮[10]。苦手だったメディアとも積極的につきあうようになった[10]。6月18日に通算200勝を達成。40歳代で2度目の14勝以上を達成(MLB史上10人目)。チームは19年ぶりのリーグ優勝。

2005年までのポストシーズンの成績は0勝3敗、防御率8.85と苦手にしていたが、10月6日のヤンキースとのディビジョンシリーズ3戦を7.2イニングを無失点。 ランディ・ジョンソンとの史上初の40歳代対決に完勝し、続くオークランド・アスレチックスとのリーグチャンピオンシップシリーズ第3戦でも7.1イニングを無失点に抑え勝ち投手となった。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズ第2戦では8回を無失点で勝ち投手となった。チームは第5戦で敗退。ワールドチャンピオンになれなかったが、ポストシーズンで23イニング連続無失点を記録し、これを上回ったのはクリスティ・マシューソン(1905年、27回連続無失点)しかいない[12]

2007年シーズン終了後FAを宣言したが、代理人のスコット・ボラスを解雇し、自ら交渉し、1年800万ドルで残留[13]2008年5月9日に92回目の牽制で走者をアウトにし、マーク・ラングストンを抜きMLB史上最多記録となった[14]

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
1989TEX730000342--.42931473.26024294636028242.931.38
199069300010615--.62542897.29364251745040343.131.38
199163900010105--.500511109.2121146176733180665.421.66
1992810000366--.33333778.28072680704132273.091.35
1993353350016100--.615885208.121018712414065108954.101.35
199424246211180--.579714167.11692452131203193834.461.32
199531313101770--.708877208.01922676121408187783.381.29
1996NYY30302101280--.600786179.0179168328925097934.681.46
19973122100670--.462651145.01611862177822100915.651.54
1998OAK34347111680--.667970238.22151967071385296843.171.18
199919193005300.625528119.113584109683166574.301.47
NYM12122115100.83331776.07182814581035344.031.30
'99計313151110400.714845195.1206166911312641101914.191.41
2000TEX3434200131300.500998227.12572078211127111261154.551.47
200120200005700.417552120.2150184928744188836.191.65
2002333321013800.619892210.221221701610751101903.841.34
2003MIN333100013800.619851195.0227225051111664108994.571.42
2004TEX353521018900.667935211.2248246609126211171124.761.48
2005303011114800.636828195.1205155318870086753.461.32
2006DET343300017800.680849204.0195236229995097873.841.26
200711110003400.42927563.06582501361036314.431.43
2008303000091300.409782173.221222713982411181105.701.63
MLB:20年7624743694219156280.584142803302.2345733911755312719687923173915684.271.40
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰 編集

記録 編集

背番号 編集

  • 37(1989年 - 1995年、1998年 - 1999年途中、2000年 - 2008年)
  • 17(1996年 - 1997年)
  • 73(1999年途中 - 同年終了)

脚注 編集

  1. ^ a b Kenny Rogers 1989 Career Highlights” (英語). 2008年5月21日閲覧。
  2. ^ a b Kenny Rogers 1990 Career Highlights” (英語). 2008年5月21日閲覧。
  3. ^ a b Kenny Rogers 1995 Career Highlights” (英語). 2008年5月21日閲覧。
  4. ^ a b c d 水次祥子、林直樹「優勝請負人たちの光と影 73 ケニー・ロジャース[メッツ]」『月刊メジャー・リーグ』1999年10月号、ベースボールマガジン社、1999年、雑誌 08625-10、44 - 45頁。
  5. ^ a b c Kenny Rogers 1997 Career Highlights” (英語). 2008年5月21日閲覧。
  6. ^ a b Kenny Rogers 1998 Career Highlights” (英語). 2008年5月21日閲覧。
  7. ^ 「地区別ペナントレース展望 アメリカンリーグ西地区」『月刊メジャーリーグ』 2004年3月号、33頁、雑誌 08625-3
  8. ^ Kenny Rogers 2004 Career Highlights” (英語). 2008年5月22日閲覧。
  9. ^ a b c Kenny Rogers 2005 Career Highlights” (英語). 2008年5月22日閲覧。
  10. ^ a b c 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、126頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  11. ^ Rogers signs to two-year, $16M with Tigers” (英語). 2008年5月22日閲覧。
  12. ^ Kenny Rogers 2006 Career Highlights” (英語). 2008年5月22日閲覧。
  13. ^ Free agent Kenny Rogers returning to Detroit” (英語). 2008年5月22日閲覧。
  14. ^ Pickoff gives Rogers all-time lead Veteran Tigers southpaw passes Langston with 92nd of career” (英語). 2008年5月21日閲覧。

外部リンク 編集